68歳。腎不全による誤えん性肺炎で24日午前に息をひきとった。一報が入ったのは新間事務所からだった。新間寿さんも、気落ちした声。昔の仲間が亡くなっていくというのは辛いものだろうなあ。
ずっと話していなかった。というより、ラッシャーは会場に足を運ぶことがなくなっていたし、もともと人と話すことが苦手な人だったから、こちらも頭を下げて「こんにちは」と挨拶をするくらいだった。
国際プロレスの吉原功社長について取材をしたことがあった。10年ほど前のことだ。その時もほとんど内容のある話は聞けなかったのを覚えている。本当に話すのが苦手なんだな、と思ったが、ひょっとしたら僕との縁が薄かったのだろうか…。しかし、まずもって他人の悪口は言わないし、人の良さだけは無類だったような気がする。
馬場さんとのマイクの掛け合いは実にほのぼのとした感があって面白かったし、ラッシャーのマイクを聞く馬場さんの笑顔にまた温かさを感じたものだった。
馬場さんはラッシャーを非常に大切にしたし、ラッシャーは馬場さんを慕っていた。この2人を見ていて、晩年はいい仲間と一緒に仕事をしていたいものだなと思ったものだ。
さようなら、ラッシャー木村さん。
ずっと話していなかった。というより、ラッシャーは会場に足を運ぶことがなくなっていたし、もともと人と話すことが苦手な人だったから、こちらも頭を下げて「こんにちは」と挨拶をするくらいだった。
国際プロレスの吉原功社長について取材をしたことがあった。10年ほど前のことだ。その時もほとんど内容のある話は聞けなかったのを覚えている。本当に話すのが苦手なんだな、と思ったが、ひょっとしたら僕との縁が薄かったのだろうか…。しかし、まずもって他人の悪口は言わないし、人の良さだけは無類だったような気がする。
馬場さんとのマイクの掛け合いは実にほのぼのとした感があって面白かったし、ラッシャーのマイクを聞く馬場さんの笑顔にまた温かさを感じたものだった。
馬場さんはラッシャーを非常に大切にしたし、ラッシャーは馬場さんを慕っていた。この2人を見ていて、晩年はいい仲間と一緒に仕事をしていたいものだなと思ったものだ。
さようなら、ラッシャー木村さん。