30年。
短いのか長いのかわからないけど、こないだ30歳になりました。
学生の頃に思っていた30歳ってのは、それはもう立派な大人で、結婚もして、子供もいて、そこそこの給料をもらい、週末は車でどっか遠くまで出掛けている、そんなイメージを描いていました。
が、今のところ、ひとつも該当していません。笑
情けないとも思いませんが、同級生が、それらすべてを実践していたりすると、ほんの少しの羨ましさや、嫉妬もないことはないです。
それでも、時間は平等に流れているので、30歳と言う年齢だけは現実として迎えてしまった訳です。
この世に生まれて30年。
一応こんな僕にも30年の歴史があるんだなと、今回の誕生日には今までと違う感覚も覚えています。
実際はなにも変わってないんだろうけど。
親への思いも年々強くなります。
母親から生まれて。
僕は人生をスタートした訳です。
もちろん僕が生まれた日が僕の誕生日、母親からすれば、初めて僕を産んで母親になった日な訳ですから、それはそれで誕生日な訳です。
二つの誕生日。
母親が母親でいてくれて30年。
たまに、誕生日は親に感謝しろと言われますが、ほんとうにそう思います。
あなたがいなければ、いまこうやってのんきにブログなんて書けない訳で。
それでも息子なんてのは薄情なもんで、母親との具体的な記憶というのは割と曖昧なものなのかもしれません。
これといった強烈な記憶があるわけでもありません。
でもずっと、母親は、母親なわけで。
母親にとって、自分がどんな息子なのかは僕自身よくわかっていませんが、毎年、誕生日には手紙やらメールやらをもらいます。
バレンタインにはチョコレートが送られてきます。
マザコンではありませんが、これはわりと嬉しいもので、でも返事をするのもなかなか恥ずかしいもので。
だからこやってブログでこうゆう事を書いてしまうのかもしれません。
もう少し親には素直になるべきだと思いますが、なかなか簡単じゃないですね。
本当の意味ではまだまだ安心させてないんだろうけど、僕は、たくさんの素敵な仲間に恵まれ、支えられ、様々な場所でいろんな人に助けられ、大きな病気をしても、そういった繋がりや、励ましや、楽しみがあるから、克服できていて、もちろん辛いことや、寂しいことも人並みにあるんだけれど、それをはるかに上回る、前向きな人生を過ごせている事を感謝したいと強く想うんです。
本当にあなたの子で良かったと思います。
どんなに僕が歳を重ねて、大人になって、親になっていったとしても、ぼくはずっとあなたの息子であることには違いありません。
優しくて、思いやりがあって、賢くて、尊敬できる、そんなお母さんが僕は好きです。
誕生日ありがとう。
最後に、盛大に誕生日を祝ってくれたみんな、当日、顔を見れなかったみんな、心の片隅で草太、誕生日やなと思ってくれてたみんな、そもそも僕の誕生日を知らなかったみんな、僕の誕生日を知ってはいたけどそんなに興味の無かったみんな、むしろ僕の事がそんなに好きではないみんな、それでも僕はそんなみんなが大好きです。
これからも、宜しくお願いします。
誕生日ありがとう。