ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(番外編:「KARATE」≒「Breaking the Low」!)

2016-07-29 23:03:01 | babymetal
超小ネタです。

ご存じでしたか?
あの、APMASでのロブ・ハルフォードとのコラボの冒頭の紙芝居と、昨年の横アリの「KARATE」初披露の紙芝居
バックの音源が同一だ、ということを!

僕は、偶然、昨夜、横アリの「KARATE」の動画(厳密には違法アップロードに該るのかもしれない・・・)を久しぶりに観はじめて、すぐ、それに気がついた。
その衝撃たるや!
総毛立った。

途中からは、横アリの紙芝居は「修造的語り」をはさみ、APMASの荘厳な「ROB HALFORD AND BABYMETAL」の紹介よりも若干長めになってはいるが、しかし、全体的には、尺八のピーヒャララも含めて、全く同一である。
よく似ているとかのレベルではなく、誰が聴いても明らかである。
(「えっ?」という方は、ぜひお確かめください。)

つまり、僕たちは、今回のコラボを、BABYMETALによる「Breaking the Low」を、なななんと、昨年12月に予告されていたのだ。
だって、あのBGMは、「Breaking the Low」のリフをベースに作られていること、これもまた明らかだからだ。

いやあ、またまた、チームBABYMETALにしてやられた。

なぜ、気づかなかったのか?

それは、もちろん、BABYMETALがここまでJUDAS PRIESTを完コピ・オマージュするなんて思ってもいないから、認知の枠組みがないために認識できなかったからだ。

さらに、「新曲降臨」という興奮、なぜか「格闘技」の歌という衝撃、「修造アニメ&台詞」のインパクト、のために、BGMの旋律にまで注意を払えなかったからだ。

そして、もう一つ、こうして提示されてみると、「KARATE」の「セッ・セイヤ!セッセッセセイヤ!」と「Breaking the Low」のイントロのリフとが、実によく似ているからだ。
(しかし、今回のコラボを経る前に、紙芝居のBGMを聴かされたら、おそらく、「KARATE」のリフ・メロディを抽出して作ったBGMだと(今までも何となくそんなふうに思い込んできたのだろう)当然のように指摘しただろう。)

実際のところはどうなっているのか、わからないが、まさか「KARATE」初披露のために作った紙芝居のBGMが、その後で決まったロブとのコラボにとって、たまたま「Breaking the Low」とよく似ていたから、これ幸いと流用したなんてことがあるはずはないから、ずっと以前から今回のコラボが決まっていて、周到に準備されてきた、に違いない。

YUI・MOAのギターも、僕たちが思っているよりも、おそらくずっと多くの時間を費やして練習して、「本番」に臨んだのだろう。
BGMに気づくと、そのへんの見方も大きく変わってくる。

唐突だった『YOUNG GUITAR』の表紙・記事への登場。
このブログでも取り上げたが、これも4月の『ぴあ MUSIC COMPLEX』の(メタルのレジェンドたちからもらったメッセージで一番印象的なのは?)に対する「ジューダス・プリーストさんが「ギミチョコ!!」を歌ってくれて「この曲好きなんだ!」と言っていただいたことDEATH! by SU-METAL」 という、「えっ、聞いてないよ!?」という驚愕ネタの、突然の暴露。

これらも、タイミングを見計らった、情報公開、だったのだろう。
(しかし、4月の段階で、BABYMETALがロブ・ハルフォードと同じステージに立ち、「Breaking the Low」を共演し、しかも、YUI・MOAがギター演奏を披露するなんて、誰ひとり想像すらできるはずがなかった)。

「モンスター考」の続きは、「虚構と現実のあわい」についての考察になりそうなのだが、楽曲・楽器演奏・歌声・ダンス・そして容姿や人柄、すべてが世界基準で「最高!」というべきBABYMETALは、さらにこうした巧みに紡がれた「物語」によってもはや空前絶後のエンターテインメントと化しているのだ。

どれだけ、過去・現在・未来の、BABYMETALの活動が企みに満ちて計画されているのか!?

9月のドーム公演以降のスケジュールを全く秘しているのも、まさに「ドラマ」である。

いや、今回のこと(個人的には「発見」だった)ほんとに、びっくりした。

すでにご存じだった方には、今更でしたね、お目汚しでした。
でも、まだ余り知られていない事実だと思い、興奮しながら書いた次第です。


BABYMETAL探究(モンスター考②)

2016-07-26 20:47:56 | babymetal
言うまでもなく、”いわゆる”「モンスター」とは、「恐ろしい・不気味だ」といった印象を与えるはずのものだ。
その意味から言えば、BABYMETALを「モンスター」と呼ぶことは、不当な行為なのかもしれない。
しかし、その発現の仕方は真逆であるにせよ、僕たちが”いわゆる”「恐ろしい・不気味な」「モンスター」に感じる「圧倒的な畏怖」と同質の感情を、BABYMETALにも感じていることは(少なくとも僕にとっては)事実なのである。

例えば「裏モンスター」「逆モンスター」などと称すれば、より的を射た形容になるのかもしれないが、それも煩わしいので、「恐ろしい・不気味だ」ではない「カワイイ・美しい・何ともチャーミングだ」という向きのベクトルでの「モンスター」として、BABYMETALを考えてゆくのである。

僕たち昭和生まれ・育ちの日本人のおっさんは、例えばキングギドラという「モンスター」に、そうしたBABYMETALの「美しさ」にも似た「圧倒的な畏怖」を感じてきたはずなのだ。あるいは、例えば、水木しげるを介して、さまざまな妖怪たちに可愛ささえ感じてもきたのだ。

『モンスターの歴史』(ステファヌ・オードギー著 創元社)の冒頭近くにこんな記述がある。
世界中どんな地域のモンスターにも、さまざまな種類のものがある。だからそれぞれのモンスターがもつ個別の性質について見ることは大事だ。しかし共通していえることは、自然界でも芸術作品のなかでも、モンスターはなによりもまず、「過剰な存在」だということだろう。

そう、なのだ。
BABYMETALが、僕の半世紀以上の人生遍歴上でこれまで出会ってきた、様々なミュージシャンや歌手やバンド等と隔絶しているのは、ひと言で言えば、その圧倒的な「過剰さ」、である。
あらゆる音楽の中でその激しさ・速さ・喧しさにおいて一つの極に位置する「ヘヴィメタル」と、この世のあらゆる存在のなかでも眼を和ませ頬を緩ませる存在としての一つの極である「美少女」3人の、それも、見たことのないキレッキレの舞踊。
こんな「過剰な」、享受する側から言えば「贅沢な」存在であるBABYMETALに出会ってしまった後では、他のどんなミュージシャン・歌手・バンドも、何か物足りない。
BABYMETALがいかに「濃厚」か、ということの証左だ。

アイドルとメタルの融合、「KawaiiMETAL」、という「交雑」の「構造」そのものが、そうしたBABYMETALの<モンスター>性を孕んでいる、ということについて前回触れたのだが、BABYMETALがとんでもない面白いのは、「METAL」要素・成分以上に、その「Kawaii」要素・成分の方が、よりモンスターぶりを発揮していることにある。

それは、端的に言えば、BABYMETALが「アイドル界」にではなく「メタル界(あるいは、もう少し広げるならばラウドロック界)」に軸を置いて活動しているところから来る。

つまり、BABYMETALは、2014年7月以降、その活動拠点(の片足?)を本格的に海外においたことによって、より巨大な「モンスター」となった、ということだ。
まさに紙芝居(キツネ神のお告げ)通りである。(この、フィクションと事実との絡み合いも、「モンスター」としての大切なポイントである。次回以降いずれ詳しく考えたい)

2014年3月2日の「黒い夜」メタルレジスタンス第1章完了までは、(「黒い夜」ラストの紙芝居に明らかなように)いわば「METAL」をアイドル界に持ち込むべく、メタルの神に選ばれた3人が奮闘を重ねる、という構造になっていた。この時点でのメタルレジスタンスとは、「アイドル界(あるいは、もう少し広げるならばJ-POP界、日本のポップ音楽界)」におけるメタル復権、といったものだった。
がしかし、ここまでは、群雄割拠のアイドル界においては、高品質のパフォーマンスを見せるアイドル、あるいは、かなり本格的なメタルにまで踏み込んだアイドル、という程度であり(それでもラウドパーク、サマソニ出演や、女性アーティストとしては史上最年少の武道館公演という「快挙」を成し遂げた、先鋭的な存在ではあったものの)、現在のBABYMETALが僕たちに見せている「モンスター」ぶりとは質が異なるものだ。
モスラで言えば、幼虫モスラであって、今の成虫モスラとは未だ殆ど別物であった。

「逆輸入アイドル」などという言い方が昨年あたりにはよくなされた。
国内のアイドル中心の音楽シーンを場にしてBABYMETALを語るならば、そのような言い方にならざるをえないし、実際に、海外でのウケ方に衝撃を受けてBABYMETALの凄さを認知したという国内ファンの方も大勢いるだろうから、「逆輸入アイドル」という形容は決して間違いではないのだが、それではBABYMETALの「モンスター」ぶりは今ひとつ見えてこない。
(さらには、「経営コンサルタント・評論家」達の「BABYMETALの成功の原因は・・・」等の妄言が跋扈するのも、そうした目で「BABYMETALという企画の成功」をとらえてしかいないためであろう。その「モンスター」ぶりが見えて(感じられて)いれば全く語り方が変わってくるはずなのだ。というか、その「モンスター」ぶりへの「圧倒的な畏怖」(という正しい反応)があれば、「ああ、これはBABYMETALだからBABYMETALたりえた空前絶後・唯一無二の事態なのであって、一般化・普遍化・法則化などはできないよなあ・・・」と口を噤んで嘆息するしかないはずだと思うのである)

文化人類学に、<まれびと><異人>という概念がある。

BABYMETALの「モンスター」ぶり、その本質(の一つ)とは、「メタル界(ラウドロック界)への<まれびと><異人>」というものであるはずだ。

2014年の武道会2DAYSまでは、あえて言えば、「アイドル界へのメタル界からの<まれびと><異人>」がBABYMETALのメタルレジスタンスだった、ということか(紙芝居ではそのようなストーリーが語られる)。
しかし、爛熟したアイドル界においては、BABYMETALの3人であっても、<まれびと><異人>ではなく、「ああそういうのもアり、だね」といったかたちで消化されてしまう。国内のアイドル界はあまりにも「なんでもあり」でありすぎて「なんじゃこりゃ!」が発生しえなくなっているのだ。

しかし、とりわけ象徴的なのがソニスフィアというメタルフェスだが、海外のフェスやコンサート会場に登壇し、パフォーマンスを繰り広げるBABYMETALとは、まさに<まれびと>であり<異人>であった

『異人論序説』(赤坂憲雄 ちくま文庫)には、次のような詩的散文による定義がある。

あらゆる境界は、わたしたちの想像や夢の源泉であり、始原のイメージ群が湧きいづる場所である。世界という存在の奥底をのぞきこもうとする誘惑と、寡黙な存在をことごとく征服したいという欲望とが、そこには渦をまき、蓄積されている。
<異人>とは、共同体が外部に向けて開いた窓であり、扉である。世界の裂けめにおかれた門、である。内と外・此岸(こちら)と彼岸(あちら)にわたされた橋、といってもよい。媒介のための装置としての窓・扉・門・橋。そして、境界をつかさどる〈聖〉なる司祭=媒介者としての<異人>。知られざる外部を背に負う存在(もの)としての<異人>。内と外が交わるあわいに、<異人>たちの風景は茫々とひろがり、かぎりない物語群を分泌しつづける。


メタル界(あるいはラウドロック界)という「共同体」に、海を越えてある日突然舞い降りた、何ともカワイイ「知られざる外部を背に負う存在(もの)としての<異人>」
例えばソニスフィア・フェスの約30分ほどの映像を通して観ることによって、当日の観客たちの、BABYMETALとのそうした初「遭遇」の衝撃を僕も追体験できるような気がする。

もちろん、純粋に音楽的なパフォーマンスとして、楽曲の完成度、神バンドの演奏の完成度、SU-METALの歌声の魅力、それらのとんでもなく高いクオリティが、会場の6万人(?)のメタル魂をゆさぶった、ということがまず何と言っても大きいのだろうが、しかし、BABYMETALの魅力は、そうした純粋な音楽的な要素だけでは語りきれないことは、言うまでもないことだ。

それを何と言っても先鋭的に具現・表出するのが、YUIMETAL・MOAMETALの舞踊である。
これがあるからBABYMETALは<異人>なのであり、「モンスター」なのである。

僕がBABYMETALに魅了されたのが、「メギツネ」のMV一発であったことは、ここに何回か書いたが、まさに「過剰さ」が詰まったあの優れたMVの中の、「とどめ」というべき絵姿が、ラスト近くのYUI・MOAの扇風機ヘドバンであった。

美少女アイドルの典型的なカワイイ属性であるツイン・テールとリボンが、あの舞踊においては、ヘヴィメタル(ラウドロック)を見せる「演」奏と化している、その衝撃よ!

まさにBABYMETALの<異人>としての「モンスター」ぶりが、あの数秒間に鮮明に露呈しているのだが、そうした瞬間はBABYMETALにはぎゅうぎゅう詰めであり、魅了されるツボ(地雷)はいたるところに偏在している

その「過剰さ」、すなわち「モンスター」。

メタルなのだ。ラウドロックなのだ。
それが、カワイイ美少女アイドルの表情や身体による「演」奏としてビジュアルとしてキレッキレに具現化・表現されるという<異人>ぶり。(もちろんSU-METALがまずありきなのだが)YUIMETAL・MOAMETALの舞踊とは、まさに「内と外・此岸(こちら)と彼岸(あちら)にわたされた橋」だと呼ぶべきものだ。だからこそ、彼女たちのステージ上での一挙手一投足は、神々しさを放ち、しばしば僕たちの涙腺を緩ませるのである。

観客動員とかチャートとかの結果論としての「モンスター」ではない。
YUIMETAL・MOAMETALの容貌・立ち居振る舞い・その舞踊さらにはその存在そのものがメタル(ラウドロック)の「共同体」においては<異人>だという意味で(も)、BABYMETALは正しく「モンスター」なのである。

だからこそ、

このようにモンスターはつねに、両極端の反応を引きおこしてきた。人びとはモンスターを崇拝するか嫌悪するかのどちらかで、どちらでもない無関心な状態というものはありえない。しかしこの崇拝と嫌悪というのは、じつのところ表裏一体なのである。モンスターはその語源から考えると「汚したり汚されたりせずには触れることのできない存在」、つまり「神聖な存在」であり、この神聖さこそがモンスターの本質だと言える。
『モンスターの歴史』


まさに、これは(他のミュージシャンや歌手やバンドとは異なる)BABYMETALについての謂だろう。

いつも笑顔だから気づきにくいが、もちろん、BABYMETALはいつでも<異人>の悲哀、「モンスター」の悲しみを背負ってパフォーマンスを続けているのだ。先日のFUJIROCKでも、バックステージのFMラジオ等で出演者なのにディスられる、という仕打ちがあったようだが、これは彼女たちにとっては常の事態であろう。
認知度とか、人気とか、スポンサーがとか、電通がとか、ではなく、その存在の成り立ちとして<異人>であるがゆえの不可避の事態なのである。
それは、「モンスター」、<異人>である宿命なのだ。













BABYMETAL探究(モンスター考①)

2016-07-19 19:28:51 | babymetal
わはは、予想おおはずれ~!!!
誰も予想などできるはずのない、超弩級のなんじゃこりゃ降臨!!!
祭りだ・祭りだ~!!!

BABYMETALファンでよかった!!!
メタル好きでよかった!!!
生きていれば、こんな奇跡を目撃できるのだ!!!


朝から仕事だったので、動画を観始めたのは夕方、帰宅途中のスタバでだったのだが、最初に観たときにはいろいろと「気恥ずかしさ」をも感じたのだけれど、繰り返し観れば観るほど、そのカッコよさが際立ってくる。
(これ、2014年の11月にはじめてファン・カムで、世界初披露の「Road of Resistance」を観たときにも、横アリで紙芝居付きの「KARATE」を観たときにも感じたのだ。いわゆる、”BABYMETALあるある”だ。)
帰宅して、家の49インチの画面でYOUTUBEの映像を繰り返し観ているが、観るたびに、「凄み」がより滲みだしてくる。
(紙芝居のバックに流れる、戦国WALL OF DEATH風の尺八入りのBGMも、そのメロディーが「BREAKING THE LOW」であったことに、何回目かでようやく気づいた。鳥肌!!!)

SU-METALが唄う「Pain Killer」!!!
ははは。もう、(皆さん同様)笑い泣き、です。
こんなにハマる、とは思わなかった。

とりわけ、
Faster than a lazer bullet
Louder than an atom bomb
Chromium plated boiling metal
Brighter than a thousand suns
のところの、ロブとのオクターブ・ユニゾン(?)は、ロブとハモっても遜色ないどころか、その突き抜け具合はもう鳥肌、感涙。
その後の、どや顔も、何とも言えず好ましい。

贔屓目かもしれないけど、SU-METALの歌声って、こんなに”ソリッド”なメタルな切れ味を蔵していたのか!!と驚愕した。

そして、仕上げに、「・・・and Today's Special Guitars! YUIMETAL & MOAMETAL」降臨!!!
わはは、なんじゃ、こりゃ!!!
まさにギミック的色香満載の、ワチャワチャ感。
そう、これがBABYMETALなのだ!!
でも、初めのリフは、(少なくともMOAMETALは・・・どうやらYUIMETALも・・・)「弾いてま~す!!」(by「イジメ・ダメ・ゼッタイ」のMVコメンタリー)ですよね?

小神様とYUIMETALの絡み、大神様とMOAMETALの絡み(両ひざをついての熱演!)、も、こうやって目にすると、「ああ、こういう絵が観たかったんだ!」と胸が・目頭が熱くなるものだった。

等々。
気がつくと、ニヤニヤしてしまっている自分がいる。眼をうるませながら。
自宅だから、遠慮なく感激できるのだ。

今日、こんなものが観られるなんて、(関係者以外の)誰ひとり予想もできなかったはずだが、
こうした衝撃にこうして遭遇するのは、ある意味、BABYMETALの「常」である。

ここのところ頻繁に、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの3人のパフォーマンスを目にして「化け物だ」「モンスターだ」等と感想を漏らす、そんな書き込みを、目にするようになった気がするのだが、それは、極めて的を射た評言だと思う。

そう、まさに、BABYMETALとは「怪物」「化け物」「モンスター」なのだ

それこそ、初めての単独ライヴ、鹿鳴館からすでにその怪物ぶりの”片鱗”は見せていたのだろう(『ヘドバン』という雑誌を創刊させてしまうほどのインパクト)けれど、どんどん会場が大きくなるにつれ、その「怪物」ぶりを見せる姿もどんどん大きく・どんどん妖しく・どんどん衝撃的になり、2014年のワールド・ツアーからは、まさに世界を股にかける「怪物」ぶりが”現象”しはじめて、年々巨大になっている。

そして、今日、だ。

鵺、というか、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)、というか。
その底知れぬ才能というか、可能性というか、に、改めて畏怖を覚えた。

・・・どこかに、『怪物』論、とかのまとまった考察があるはずで、それはBABYMETALとは何か?を考えるうえでたいへん役に立つはずなのだが、まだそうした文献に行き当たってはいない。
とりあえず、五月雨式に、たまたま入手できた文献を引用したりしながら、<BABYMETALとは「怪物」「化け物」「モンスター」である>ということの内実とは何か、を、これから考えていきたい、と思う。
ちょうど一年ほど前の、昨年の夏に何回か書いた「聖なるもの」考に直結する中身になる、と思う。
不定期連載、といったかたちになりそうである。

今日は、その皮切り、にふさわしい、衝撃的な日になった。
いや、ほんと、改めて惚れ直すというか、崇拝しなおすというか、言葉を失う。

「モンスター論」皮切り回の最後に、『怪物ーわたしたちのべつの顔?』ピエール・ベジュ 岩崎書店
という薄い絵本に載っていた、「怪物」の定義を引いておきたい。

簡潔な定義に、「怪物とは何か?」の核心をみることができる。

このように動物の名と「男(または「女」)」という文字を組み合わせると、ある人間が「異常でおそろしい」存在であることをあらわす言葉になる。「オオカミ男」「ヘビ女」などは、そのいい例だ。
種類のちがう生き物をかけあわせることを、科学では「交雑」とよぶ。ゾウ×人間、ヘビ×人間のように、びっくりするような「交雑」で生まれたものを想像して、人々はおそれをいだき、異常だ、怪物だと考えるのだ


(例によって例のごとく)これって、BABYMETALのことだ!
本来、彼女たちが体現している「KawaiiMETAL」とは、まさに、びっくりするような「交雑」、のはずなのだ。

仮面ライダーの、ショッカーの怪人たちの「蜘蛛男」「蝙蝠男」「蜂女」等々、ゲルショッカーの「ガニコウモル」「サソリトカゲス」「イソギンジャガー」等々、デストロンの「ハサミジャガー」「カメバズーカ」「イカファイア」等々、(Xライダーの後半には「ジンギスカンコンドル」「カブト虫ルパン」「ヒトデヒットラー」なんて怪人まで出てきた)に慣れ親しんできた僕(たち)には、「KawaiiMETAL」とはそれほどびっくりするような「交雑」とは思えなかったのだが、この、2016年の夏、記念すべき7月19日に改めて考えてみると、やはりこれはとんでもない「交雑」なのだ。

ある生き物や現象が、あまりにとほうもなかったり、自分とかけはなれていたりすると、わたしたちは「怪物のようだ」と感じて、ひどくこわくなる
「怪物じみているもの」、それはおどろくべきもの、とんでもないこと、心を強くかきみだすもの。
怪物など存在せず、ただの古い迷信だと思っていても、わたしたちの心の奥底には、人間の知を超えたものをおそれると同時に、それを望む気持ちが脈々と息づいている。不気味なものをきらいながらも、ひきつけられずにはいられない。人はそのことにほんろうされるのだ。
はかり知れないもの、おそろしいものは、わたしたちを魅了する。ちょうど頭髪はヘビで、イノシシの牙をもった悪名高い怪物メデューサが、見る人すべてをひきつけ、石にしてしまったように。
英語で怪物をあらわす「monster」は、ラテン語で「ひきつけるもの」「魅了するもの」、そして「見せるべきもの」を意味する「monstrum」からきている。また、おなじく「monstrum」を語原にもつフランス語「monstreux」は、さいしょ、「奇跡」という意味をもっていた。やがてそれが「想像を超えたもの」「ゆがんだもの、いびつな形」をあらわすようになり、およそ人間らしくない人間、つまり神のしわざか自然の不幸なぐうぜんにより、なにかべつの種類の生き物との混血のように見える人間にたいして使われるようになった。


こうした観点から、改めてBABYMETALの凄さをじっくり考えていきたい。

まさに、今日は、(上記の引用のような意味において)BABYMETALの「怪物」ぶりが爆発した、そんな日になった。

さあ、今日はここまでにして、さらに「BABYMETAL with Rob Halford」をたっぷり堪能するぞ!!
リピートがとまらない・・・。幸いに、仕事が早く終わってよかった・・・。

(つづく)

BABYMETAL探究(週刊誌はBABYMETALをどう扱えるのか?→BURRN!問題④)

2016-07-13 01:19:52 | babymetal
BABYMETALのデビュー時、「ド・キ・ド・キ☆モーニング」リリース時に、『BURRN!』誌が取り上げもしなかったのは、当然だ。
こんな”アイドル”を本気で取り上げたとしたならばそれはもう『BURRN!』ではない。
それは、とてもよく納得できるのだ。逆の事態はありえなかった。

さらに、メジャー・デビュー曲、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」リリース時にも、やはり『BURRN!』誌がまともに取り上げなかったことも、これまた当然、だろう。やはり、逆はなかった、と思う。

例えば「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のMVには”メタル愛”がふんだんに込められていて、(BABYMETAL自身がその後、実際に、状況を少しずつ変えつつあるように見えるが)”虐げられ続けてきた”メタルヘッズおじさんが感涙にむせんでもよいストーリー・映像がてんこ盛りなのだが、それを、2013/1/9のシングルリリース時あるいは2012/11/26のMV公開時あたりに見抜けなくても、それは仕方がないというか、当然・必然だ。

この段階では、BABYMETALとは、まだ”メタルをネタにした変わりものアイドル”でしかなかったはずで、むしろメタルヘッズからすれば、「ああ、メタルをネタにしたアイドルね」「・・・メタルをなめんなよ・・・」という反応の方が自然・当然だと思うし、『BURRN!』誌は(仮にその存在を知っていても)”歯牙にもかけない”のが当然だ。
何しろ、「さくら学院 重音部 BABYMETAL」だったのだから。

もちろん、メタルヘッズの皆さんのなかにも、この段階ですでに「これは本物のメタルだ!」と何とも柔軟に認めることができ、以来、応援を続けてきたという、実にとんでもない「慧眼」を備えた”超古参”ファンもいらっしゃるのかもしれない。
しかし、それは、いらっしゃったとしても、ごくごくごく少数でしかないはずだ。

そういう意味では、2012.7.21の「鹿鳴館コルセット祭り」時点で、「鹿鳴館で彼女たちを初めて観て、その完璧に作り上げられたメタルの新世界に「メタルの新しい形だ!」と胸騒ぎが止まりませんでした。」と、『ヘドバン』を発刊するに至る梅沢直幸氏の、慧眼というか霊感というか、もはや狂気ともいうべき猪突猛進には、驚愕するしかない(最後にもう一度触れる)。
だって、この時は、骨バンドがバック(つまり、音源はカラオケ)で、YUI・MOAは口パクだったのだから・・・。

では、『BURRN!』は、いつからBABYMETALを積極的に無視(ネグレクト)しはじめた、と言えるのか?
つまり、もう、十分に『BURRN!』が取り上げてもヘンではない、ヘヴィメタルのバンド(ユニット)として扱うことができるはず、あるいはしてよいはず、もっと言えば、日本から誕生したヘヴィ・メタル界の風雲児(・・・って、古い言い方ですかね?)として見ることもできるはず、して当然なのに、「あえて積極的に無視する」という態度をとっている、と見なすことができるのか?

1stアルバム発売?
武道館公演?

いやいや、この段階でも、やはり『BURRN!』誌が取り上げない方が当然、だろう。

その理由は、
② 日本のバンドだから。
③ プロモート依頼・要請がないから(つまり、金をくれないから)。
という以前に、やはり、
 ① ヘヴィ・メタルじゃないから。 だ。

僕(たち)ファンの多くは、(とりわけ、「ソニスの奇跡」以後の歴史を経験した後では、)デビューシングル「ド・キ・ド・キ☆モーニング」でさえ”本物”BABYMETALのいわば幼虫期の輝きのように見ることができるし、ましてや「イジメ、ダメ、ゼッタイ」はまさに新たなメタルの歴史を切り開くメロスピであり、さらには1stアルバムリリース、武道館公演2DAYSは、まさに本物が本物として羽化した初々しい姿のお披露目だった、と感じたりするだろうが、2014年3月のリアルタイムの時点で『BURRN!』誌が、BABYMETALをまともにとりあげなかった、ということは、「まあ、それはそうだろうなあ」と首肯できることだ。
(調べてみると、2014年の1月号に、LOUDPARK13 の全演者レビューのひとつとして「楽曲、パフォーマンスの全てが完璧で、エンターテインメント性に溢れた見事なライヴだった。」と締められる”絶賛”ライヴ・レビューを見ることもできるのだが、単独のアーティストとしてのインタビュー等の「まともな記事」は、現在まで未だ1度もないはずだ。)

何しろ、”あの”タワー・レコードにさえも、(少なくとも僕が行き来する関西圏の数店舗では)(現在はヘヴィメタルの視聴コーナーに『METAL RESISTANCE』が堂々と並べられているが)BABYMETALのアルバムや映像版は、この春までは、アイドル・コーナーの、それも片隅に、並べられていた、のである。
それが「常識」的な見方だ、と言うべきだろう。

とすれば、やはり、ソニスフィアを筆頭にする、2014年のワールド・ツアー(メタル・レジスタンス第2章)の成功、このあたりから、意図的な(悪質な)『BURRN!』誌のBABYMETALに対するネグレクトが始まった、と見るべきなのだろう。

前回にも書いたが、『BURRN!』誌だからこそ、ソニスフィアのメインステージでのパフォーマンスの”あの”受け入れられ方の「意味」「意義」「奇跡」「衝撃」は、報道できたはずだからだ。

DRAGON FORCEとのコラボ曲「Road of Resistance」(当時は曲目不明、The ONE と呼ばれてましたね)の初披露(この衝撃は、新参の僕も、リアルタイムで体験した)をもって、2014年のワールドツアーを終える。

2015年の初頭には、ライヴ映像版「LIVE AT BUDOKAN」とライヴアルバム「LIVE AT BUDOKAN -RED NIGHT-」をリリース。
これらを視聴すれば、BABYMETALのヘヴィメタル・バンド(日本風に言えばユニット)としての「凄さ」はもう理屈抜きに体感できるはずであり、2014年のワールドツアーの実績・反響からも、それなりのかたちで取り上げてもよさそうなのに、『BURRN!』誌は、相変わらず完全無視。

その理由(言い訳)は、
① ヘヴィ・メタルじゃないから。
② 日本のバンドだから。
③ プロモート依頼・要請がないから(つまり、金をくれないから)。
のどれだったのか?

『BURRN!』の内部事情は知る由もないし、最近は立ち読みだけなので、事実誤認があるかもしれないが、②と③とは密接に関わっているのだろう。

つまり、(例えば人間椅子等の極めてすぐれたヘヴィメタルあるいはハードロックバンドであったとしても)③金をくれない②日本のバンドは、載せない、ということ。
それは、簡単に言えば、金をくれない日本のバンドの記事を載せることは金をもらっている(他の例えばガールズバンド等の)いわば”クライアント”への”背信行為”になる、という経営上の理由から、ということだろう。

自分たちが金を払って経営を支えている雑誌に、同じ日本のBABYMETALが自らはスポンサー料を払わないで載っている、なんてことは、道義上(あるいはスポンサーとしての契約上)許さない。
そうした”クライアント”の心情を斟酌すると(あるいは契約上)BABYMETALがいくら世界的に活躍し、世界中のメタルバンドからユニークな存在だと認められても、記事としては載せるわけにいかない。
ということだろうか。

ダサい。
情けない。


海外のバンドの記事であれば、(金などもらっていなくても)本来の『BURRN!』誌として記事は載せる(先月号のインギーとか、今月号のマイケル・シェンカーとか、まさか金をもらってのせているのではないだろう)。それが『BURRN!』誌のいわば「箔」であり、そうした「錚錚たるレジェンドたち」の中に大きな記事として(そこは必ず読み飛ばすので、まともに読んだことはないが、毎号、カラーページ等、かなり大きな割合の紙面や、編集部員のオススメ記事として)載り、全国のメタルヘッズの固定層に向けて情報・記事が発信できる。
それが、”スポンサー”に対しての、『BURRN!』誌の媒体としての商品価値なのだろう。

『BURRN!』誌の経営構造がこうなっているために、BABYMETALが載らないのであれば、金輪際、まともに『BURRN!』誌にBABYMETALが載ることはない(BABYMETAL側からお金を出さない限り)、ということになる。

しかし、BABYMETALなどないものとしてヘヴィメタルの「今」の動向を伝える、というのも、もうさすがに無理があるのではないか。
もうBABYMETALは(他の国内ガールズ・バンド等とバッティングする存在ではなく)別枠として扱ってよいのではないか。
何より、もう二度と出てくるはずのない、ヘヴィメタル界におけるこんな規格外に楽しいとんでもない「化け物」を、きちんと扱わなかった、なんてことは、ヘヴィメタル専門誌として失格、だろう。
(「二刀流」なんて邪道だ、という持論に固執し、大谷翔平を無視し続ける野球専門誌、って・・・)

あるいは、イチロー史における土井正三の役割を、『BURRN!!』誌は担おうとしているのか?

国内随一のヘヴィメタル専門誌、なんて謳っていたけれど、
結局、見る眼もなかったし、感じる心もなかった。
そんなことになってしまうのだろうか。

懐メロ(とそのための資金源の国内バンド)雑誌、『BURRN!』・・・?
だとすれば、本当に、ダメになってしまった、成り下がった、というしかない。
もはや、「昔の名前で出ています」雑誌、木乃伊(ミイラ)雑誌・・・なのか・・・?
(来月号のメイン企画は、フェスのために復活したリッチー・ブラックモアズ・レインボーだそうだ・・・)

お盆の時期に帰省すると、田舎の老父母が好んでみているNHKの「なつかしのメロディー」やBSでの同趣旨の歌番組を思い浮かべてしまう。

メタルって、決して、そうした過去の遺物ではないんだ!と身をもって示し続けているのが、BABYMETALなのだが・・・。

最後に、改めて、『ヘドバン』(結果的に創刊号)の編集後記を読み直し、『BURRN!』との「志の違い」が端的に再確認できたので、(みなさんご承知だろうが)改めて引用したい。

(略)そして『ヘドバン』の背中を一気に押してくれたのがBABYMETALの存在です。鹿鳴館で彼女たちを初めて観て、その完璧に作り上げられたメタルの新世界に「メタルの新しい形だ!」と胸騒ぎが止まりませんでした。あんなに面白くて楽しくて深くてメタル愛に溢れたBABYMETALの魅力を、BABYMETALを知らないメタル好きな人に伝えたい!と思い、『ヘドバン』が動き出しました
(略)
次号があるかどうかは、この号の売れ行き次第でしょう。でも毒にも薬にもならない本や雑誌が多かったり、明らかに広告対応ばかりの本ばかりの中に、こんなワンチャンおもしろ企画一本勝負のような狂った本があってもいいのではないでしょうか。こういう時代だからこそ、その特集買った!的なお金を払って買いたくなるような本があってもいいですよね?


はい、いいです。と言いたい。
いやほんと、『ヘドバン』があってよかった。
僕も、BABYMETALに出会ったのは、ほとんど『ヘドバン』のおかげなのだから(以前にここで書いた)。

『BURRN!』誌が、こんな熱い志を取り戻す日が来るのだろうか?
それとも、もはや、延命措置をのみ図る、そんな雑誌でしかないのだろうか?

もう間もなく迫った、ロブ・ハルフォードとの共演、という、30年来のメタルヘッズから見れば、「夢の」あるいは「狂気」のコラボ。
これも、『BURRN!』誌はガン無視するのだろうか?
確か、KISSとももクロとのコラボは、巻頭近くで大きな扱いで載っていたはず(立ち読みで読み飛ばしたから不正確)だが、あれもプロモーションがらみだったのだろうか?

僕は、こんな『BURRN!』でも、いつか、蘇ってくれるのではないか、と期待しているのです。
三つ子の魂、なんとやら、なのです。








BABYMETAL探究(週刊誌はBABYMETALをどう扱えるのか?→BURRN!問題③)

2016-07-05 00:53:35 | babymetal
A.別に、『BURRN!』なんて雑誌がBABYMETALをほとんど黙殺しようが、どうでもいいじゃないか。

そんな考え方も、確かにありうる。

あるいは、

B.『BURRN!』という一雑誌がBABYMETALを扱うかどうかは、編集長をトップとする編集部(あるいは経営陣?)の判断であって、外からどうのこうの言う筋合いのものではない。結果として、例えば売り上げとか雑誌の評判とかの責を負うのは彼ら自身なのだから。

これも、まさに、その通りであろう。

さらには、

C.BABYMETALを取り上げれば、雑誌の売り上げが(爆発的に)伸びることは明らかなのに、あえてそれをせず、自らの「ポリシー」を頑なに守る『BURRN!』誌の姿勢は、まさに男気、メタルではないか。こんな頑固な雑誌があってもいいではないか。
同じシンコーミュージックにBABYMETAL超シンパの『ヘドバン』誌があるのだから、『BURRN!』とうまく棲み分けをすればいいんじゃないかな。

否!これは全く間違っているとんでもない!

A.B.の見解は、はなから『BURRN!』誌に期待しないものだ。
確かに、『BURRN!』誌が単なる一雑誌、一音楽誌に過ぎないのならば、A.B.は全くその通りだ。
実際、毎日、毎週、毎月・・・発刊される無数の雑誌が、BABYMETALを載せていないからといって、僕はそれを不満に思ったりはしない。TVの報道で、例えば先日のダウンロードフェスについての報道がないことに憤懣を抱いたりはしない(・・・報道するはずがない・・・)。
(もちろん、掲載・報道されれば、喜び勇んでチェックするのだ!『日経エンタテインメント』の最新号には、表紙に名前と、東京ドーム・ライヴの記事が小さな写真つきで載っていた!それを、書店の店頭で発見した喜び!)

しかし、『BURRN!』誌は、例えば『日経エンタテインメント』とは全く異なる、特別な雑誌だ
これは、僕だけではなく、とりわけ中年以上のメタルヘッズおっさんには、かなりの割合で共通する”感慨”だろう。

1984年9月5日、日本初のヘヴィメタル専門誌、BURRN!創刊!!!

以来、数年間(はっきり覚えていないが、6~7年ほどか?)は毎月発売日には書店へ行き、棚の平積みの、上から何番目かを取ってレジに向かう、というのが日課ならぬ月課になっていた。
大学を卒業し、就職した会社が、今でいえばブラックなところで、早朝から深夜までとんでもなく過酷な日々を過ごしたのだが、そのときの心の支えになったのが、『BURRN!』誌とそこから得た情報を基に購入したヘヴィ・メタルの数々のディスクだったのだ。

例えば、DREAM THEATERのデビュー・アルバム『When Dream and Day Unite』は、『BURRN!』誌の輸入盤のディスク・レビューに惹かれて、タワー・レコードで購入したものだ。
驚愕し、カーCDに入れ、聴きまくった。
以来、DREAM THEATERの新譜は、必ずすべて購入している。
これも、いわば『BURRN!!』効果である。
当時、僕にこんなバンド、アルバムを紹介してくれるメディアは、『BURRN!』誌だけだったし、本当に、お世話になった、僕にとっては特別な雑誌なのである。
(今でも、購入することはほとんどなくなったが、毎月立ち読みはして、新譜購入等の情報を得ている。)

『BURRN!』とは、そんな雑誌だ。
廃刊になるまでは、僕にとって毎月必ずチェックする、特別な雑誌であり続けるだろう(買えよ!)。

そんな『BURRN!』誌だからこそ、BABYMETALに対する態度は、本当に本当に歯がゆい。
口惜しい。
情けない。
さらには、吐き気がするほど、卑劣だ、とさえ思ってしまうこともある。

C.に挙げたような、「男気」「メタル」「頑固」など、とんでもない。

今後、2度と出てくることなどありえない、日本からヘヴィメタル界に降臨したBABYMETALというこんな怪物を、日本初の、そしてほとんど唯一のヘヴィメタル専門誌として”君臨”してきた『BURRN!』誌が扱わない、このことの理不尽さよ!!

例えば、先日の、ダウンロード・フェス(UK、フランス)のBABYMETALのステージの「意味」「価値」は、『BURRN!!』誌だからこそ、きちんと検証できるのではないだろうか。
一般雑誌、TVニュースはもちろん、他の音楽誌でも<意味不明・取扱不可能>のできごとを、国内できちんと報道できるのは(絶対的シンパの『ヘドバン』以外には)『BURRN!』誌しかないし、また『BURRN!』誌がきちんと扱ってくれれば、他に要らない。必要十分である。
(『ヘドバン』誌とは違った、冷静な筆致で、報道できるのではないのか?)

ところが、これまでの『BURRN!』誌のBABYMETALに対する態度は、もはやネグレクト・虐待と言いたくなるほど、不当な無視、が続いている。

この4月の、新譜発表、ウェンブリー公演、を前に、多くの音楽誌や一般誌、はては週刊誌さえもとりあげたにも関わらず、『BURRN!』誌は相変わらず「ほとんどガン無視」を続けている。

いまの、BABYMETALの快進撃の「凄さ」「とんでもなさ」を、いちばん認識しているのが、『BURRN!』誌であるはずなのに!

というか、記者の後記などを読んで仄聞されるのが、「俺たちが無視しているBABYMETALよ、はやく失敗しろ!化けの皮はがれろ!」と念じているかのような、呪詛のような思いである。

これは、ほんとうに、気持ち悪い。
吐き気がする。
何なんだよ、こいつら。
これが『BURRN!』のなれの果て、なのか?
晩節を汚す、という言葉があるが、『BURRN!』って、(お家騒動を乗り越えた後も)結局、こんな雑誌だったのか?
そんな虚しさがわいてくる。

『BURRN!』誌がBABYMETALを取り扱わない「理由」は、大別すれば、次の3点になるのだろうか。

① ヘヴィ・メタルじゃないから。
② 日本のバンドだから。
③ プロモート依頼・要請がないから(つまり、金をくれないから)。

しかし、これらは、全く破綻している。
BABYMETALを扱わない理由になりえない。

(つづく)