広島駅前から再び広電に乗り原爆ドームへ行く
太田川畔のこの辺りは風光明媚という言葉がぴったりするくらい美しい
なぜこんなにも美しいところに原爆を落とすのだろうか
この風景を見るといろいろなドキュメント番組で言っているように
米国は原爆の実使用をしたくてたまらなかったということが真実に思える
「当日は東京は曇りだった」「途中の主要都市も曇っていた」とパイロットは言う
戦争のためだけだったら次の日に東京に落とせばいいと思う
やはり「一日も早く原爆を使用してその効果をを確かめたかっただけ」が理由だ
戦勝に沸く無知な米国民など言いくるめることは簡単だったのだろう
ちょうど昼時であったので息子から聞いていた「広島焼き」の才屋へ行く
才屋は威勢の良い姉ちゃんと私とおない年くらいの大将が頑張っていた
頼んだ肉玉そばは蒸した感じのキャベツともやしがソフトに焼けて美味しい
再び太田川を少し下りドームへ行く
ドームは見る場所により無惨であり表紙のように美しくもあった
ドームの南側に文を刻んだ石碑がある
なぜ残骸を残したかの説明文であるが何かその主張が弱い感じがする
ドームのすぐ横に広島出身鈴木三重吉の赤い鳥の石碑がある
「私は永久に夢を持つ ただ年少時のごとく ために悩むこと浅きのみ 三重吉」
とあるらしいが大阪の爺さんである私には何故ここにこの碑があるかよくわからない
ドームが見えるように原爆死没者慰霊碑のオブジェがある
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれているが
憎しみだけではどうしようもない気持ちの広島の人だからわかる言葉であろう
私には実感できないし特に外国の人達にはもっとわからない言葉だと思う
この言葉が真に普遍性を発揮するには長い長い平穏の期間が必要だと思う
真に平和な日々が長く続いたときにしかこんな言葉はわかってこないと思う
修学旅行生が来ている
私は修学旅行は長崎で原爆記念館へ行った
そこには高校生には見るに堪えない絵などが展示されていて
無惨な気持ちだけが先行し訳がわからないまま帰ってしまった
そんなことを今よく思い起こしてみるとやはり穏やかな表現こそが
真の平和祈念の言葉であるのかもしれない
他にもいろいろ見ていろんなことを考えて帰路についた
思えば当時も路面電車が真っ先に被災地を走ったのであった
昨夜のニュースは21日にこの辺りの木にMという切り込みがされていたと報じた
まあそんなことはどうでも良いようなことだと思う
大切なことはいろんな処でいろんなことを感じ考えることだと思う
また近い日にここも訪れてその歳なりのことを感じ考えてみようと思う
「生きてしかも鮮烈に感じる」これから生きる一つの意味が見えたようだ
終わり
撮影 Canon G9X