@curatorshinya
連続ツイート「道教と仏教、古事記誕生に関するメモランダム - ユーラシアの統一に向けて」
(ユ1)道教の仙人、東王公の左目は太陽、右目は月だが、ここから派生したのが古事記に登場するイザナギの左目から生まれた太陽神天照と、右目から生まれた月読だろう。また内観とは元々道教の言葉で、道士は目を閉じて外物を見るのを止めることで、左目の太陽と右目の月が体内に広がりそれを照らす。
(ユ2)禅とは仏教が中国で道教化したものだけれど、それは道教の内観を教義の中心に据えたことから伺える。また中国人は精神と物質を分けて考えない。そして魂魄を、高級な3つの霊魂=魂と、低級な7つの霊魂=魄とに分けた。
(ユ3)紀元前1世紀末から中央アジアを征服していた中国人は、インド=ギリシア人およびインド=スキタイ人の諸帝国と交渉を持っていた。これらの国々は全て仏教国か、仏教が重要な地位を占めていた。
(ユ4)西北インドの月氏にいた中国の使節は王子から仏教の知識を教えられ、紀元前2年に仏典を中国へ持ち帰ったという話が3世紀に残されている。またブッダらしき人の夢を見て思い当たった後漢の第2代皇帝明帝は、大月氏国に使者を送り仏典を写して持ち帰り、68年には洛陽に白馬寺が建立された。
(ユ5)パルティアの王子安世高が148年に来朝し、大量の仏典の漢訳を、もう一人のパルティア人、インド=スキタイの人々、一人のインド人と共に行った。洛陽が破壊された際、これら外国僧は逃げ出し呉の南京に教団を設置したが、これが古事記編纂に使われた日本の呉音のルーツではないか?
(ユ6)外国僧が経典原文をなんとか中国語で説明し、中国人がそれを中国語で書き写すという翻訳のプロセスは、稗田阿礼と太安万侶の古事記編纂のプロセスと似ている気がする。つまり、まだ平仮名を持たなかった大和言葉を、漢字の読みと一致させていく努力だ。
(ユ7)日本の呉音は百済経由で齎されたものだから、呉と百済が繋がっていることが分かる。また神話の集合である古事記は呉音、対中国の政治書である日本書紀は漢音で編纂されたが、ここからも白村江の戦いで呉音の百済を滅ぼした漢音の唐とが敵対関係にあったことが伺える。
(ユ8)大海人皇子こと天武天皇って、相当な政治家だったのだと思う。きっと彼が、幼少期に養育を受けた中国移民の伊勢の海人の祀る道教の太陽神をアマテラスとして日本化することで、壬申の乱後の日本を治める神道の基礎を作ったのだろう。
(ユ9)川から引き上げられた秦河勝の生誕譚は、川から引き上げたことからモーゼと名付けられた旧約聖書そっくり。秦河勝は生誕時「大國秦始皇の再誕なり」と言ったとされるが、これは秦国がゾロアスター教の影響下に成立し、ゾロアスター教の影響下にユダヤ教が成立したとする仮設と矛盾しない。
(ユ10)破壊された洛陽を逃げ出した外国僧が呉の教団を経由して日本に渡って来たのが、月氏をルーツに持つ秦氏の集団ではないか?また秦の始皇帝は、自身のルーツ、ゾロアスター教と道教の融合を試みて五行をベースとした中華思想を作ったと考えると、その試みは天武天皇のそれと相似の関係にある。
(ユ11)道教の太一とは大いなる一者のことだが、私はこれがネオプラトニズムのト・ヘン(一者)に繋がっている気がしてならない。プロティノスはナーガールジュナから間接的に影響を受けているから、どこかで接点があったはず。
以上、連続ツイート「道教と仏教、古事記誕生に関するメモランダム - ユーラシアの統一に向けて」でした。最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございました。
#仏教 #世界平和非暴力非差別 #buddhism #furanonaritasan #japan #ANTISECT #WORLDPIECE #LGBT #神仏習合 #スローライフ #多様性 #富良野 #北海道 #地元 #福祉 #介護 #災害 #防災防犯 #救命 #宗教 #信仰 #祈り #道教 #curatorshinya
連続ツイート「道教と仏教、古事記誕生に関するメモランダム - ユーラシアの統一に向けて」
(ユ1)道教の仙人、東王公の左目は太陽、右目は月だが、ここから派生したのが古事記に登場するイザナギの左目から生まれた太陽神天照と、右目から生まれた月読だろう。また内観とは元々道教の言葉で、道士は目を閉じて外物を見るのを止めることで、左目の太陽と右目の月が体内に広がりそれを照らす。
(ユ2)禅とは仏教が中国で道教化したものだけれど、それは道教の内観を教義の中心に据えたことから伺える。また中国人は精神と物質を分けて考えない。そして魂魄を、高級な3つの霊魂=魂と、低級な7つの霊魂=魄とに分けた。
(ユ3)紀元前1世紀末から中央アジアを征服していた中国人は、インド=ギリシア人およびインド=スキタイ人の諸帝国と交渉を持っていた。これらの国々は全て仏教国か、仏教が重要な地位を占めていた。
(ユ4)西北インドの月氏にいた中国の使節は王子から仏教の知識を教えられ、紀元前2年に仏典を中国へ持ち帰ったという話が3世紀に残されている。またブッダらしき人の夢を見て思い当たった後漢の第2代皇帝明帝は、大月氏国に使者を送り仏典を写して持ち帰り、68年には洛陽に白馬寺が建立された。
(ユ5)パルティアの王子安世高が148年に来朝し、大量の仏典の漢訳を、もう一人のパルティア人、インド=スキタイの人々、一人のインド人と共に行った。洛陽が破壊された際、これら外国僧は逃げ出し呉の南京に教団を設置したが、これが古事記編纂に使われた日本の呉音のルーツではないか?
(ユ6)外国僧が経典原文をなんとか中国語で説明し、中国人がそれを中国語で書き写すという翻訳のプロセスは、稗田阿礼と太安万侶の古事記編纂のプロセスと似ている気がする。つまり、まだ平仮名を持たなかった大和言葉を、漢字の読みと一致させていく努力だ。
(ユ7)日本の呉音は百済経由で齎されたものだから、呉と百済が繋がっていることが分かる。また神話の集合である古事記は呉音、対中国の政治書である日本書紀は漢音で編纂されたが、ここからも白村江の戦いで呉音の百済を滅ぼした漢音の唐とが敵対関係にあったことが伺える。
(ユ8)大海人皇子こと天武天皇って、相当な政治家だったのだと思う。きっと彼が、幼少期に養育を受けた中国移民の伊勢の海人の祀る道教の太陽神をアマテラスとして日本化することで、壬申の乱後の日本を治める神道の基礎を作ったのだろう。
(ユ9)川から引き上げられた秦河勝の生誕譚は、川から引き上げたことからモーゼと名付けられた旧約聖書そっくり。秦河勝は生誕時「大國秦始皇の再誕なり」と言ったとされるが、これは秦国がゾロアスター教の影響下に成立し、ゾロアスター教の影響下にユダヤ教が成立したとする仮設と矛盾しない。
(ユ10)破壊された洛陽を逃げ出した外国僧が呉の教団を経由して日本に渡って来たのが、月氏をルーツに持つ秦氏の集団ではないか?また秦の始皇帝は、自身のルーツ、ゾロアスター教と道教の融合を試みて五行をベースとした中華思想を作ったと考えると、その試みは天武天皇のそれと相似の関係にある。
(ユ11)道教の太一とは大いなる一者のことだが、私はこれがネオプラトニズムのト・ヘン(一者)に繋がっている気がしてならない。プロティノスはナーガールジュナから間接的に影響を受けているから、どこかで接点があったはず。
以上、連続ツイート「道教と仏教、古事記誕生に関するメモランダム - ユーラシアの統一に向けて」でした。最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございました。
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