堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

戯れに語る!〈思変流水〉

2011-01-10 19:22:35 | 日記
〈戯言・思変流水〉

生きて居るだけで、善いと思う時在り。

食べられるだけで、善いと思う時在り。

家族が共に居るだけで、善いと思う時在り。

家族が健康なだけで、善いと思う時在り。

生活していけるだけで、善いと思う時在り。

仕事が有るだけで、善いと思う時在り。

好きな事をして居るだけで、善いと思う時在り。

勝負の緊張感の中に居るだけで、善いと思う時在り。

御金を稼いで居るだけで、善いと思う時在り。

遣り甲斐の有る事で食べていけるだけで、善いと思う時在り。

其時其場所其人により、思いは変わる事忘れず捨てず覚え置き、生きる。

戯れに語る!〈希望眼前両持〉

2011-01-10 09:55:05 | 日記
〈戯言・希望眼前両持〉

眼前の目標課題に集中出来るか、先の希望を想い続けた事が有るか、此両方を持って居るか。先ず己身内仲間内を通して、吟味疑問自問自答し、老若男女を問わず気にせず対話相談第三者観得る。


※スポーツで言えば、長所を伸ばし、短所を改善するか補い、選抜試合を確実に優勝し、大会に出場し、金メダルを取る迄の中に含まれて居る。

試合となったら眼前の相手や試合に集中するが、日々常日頃よりの希望は金メダルである。

戯れに語る!〈其三〉

2011-01-10 09:01:55 | 日記
〈戯言・其三〉

毎日の散歩・ジョギング・通勤の中で、〈宗教・信仰〉を意識せずに、日々の〈景気づけ・げん担ぎ〉で手を合わせ希望目標課題があったら、通りすがりに〈祈る・想う・イメージング〉する訳で有る。

季節天候や気分が、あまり良くなくても、通りすがりに手を合わせる事により、〈想い続ける〉習慣が、心身に染み込むのである。

〈想い続ける〉時間と回数に比例して希望目標達成に繋がるのは、何処でも同じである。(想い→話し→実行する!と成る)

そして、日々の生活において通りすがりにでも、〈祈る・想う・イメージング〉する事は、自分自身のモチベーションを保つ事に繋がる。
最近、富良野成田山布部不動堂にお参りされる方で、遠方者が段々と増えて来て居るのだが……。
(埼玉に東京、三重県の方も居る。)

埼玉から御参りに来た方の一人が、実は富良野出身(二十五年位前に転勤で、関東に行き、しかも最初の地は、巣鴨の〈とげ抜き地蔵〉まで歩いてすぐだったそうな。)実に良い事を話された、

「北海道の人は困ってから拝こと多いけど、こっちの人は、良く成る為に拝み、困った時に拝み、御礼参りで拝み、何も無くても拝むんだよなー!」

この時、自分も話しを添えた……。

「しかも、自分の檀家寺でも氏子の神社でも無く、そもそも神様仏様や神社と寺の気にせず、神様仏様の名前も気にせず、毎日通りすがりに御参りされてる方、結構いますよね、笑。」と。

「そうそう、笑。」

と、互いに微笑みが出たものである。

〈御参り〉→〈祈る・想う・イメージング〉事への垣根が低いと言う事である。

また、本州では、通りすがりに手を合わせる御寺に神社、御堂に祠、石仏・道祖神の存在は、日々のモチベーションを保つ、自分だけの聖地・霊場・願掛け道場・行場・パワースポットを持って居る状態に成って居る事がよくある。

其上で、「あそこは、効くらしい……。」
となったら、何時間かけても、御参りに行き、祈願叶えば、御礼参りに行く。こう言う事は珍しい事では無い。(いつも通りに、通りすがりに手を合わせる中で……。)

また、さらに情報交換や的確なイメージングと、自分や自分の人生や自分の会社への対話と向上の為に、自己啓発セミナーやカウンセリング、スピリチュアル系のセミナーやカウンセリング、占い・風水を活用する。

昔から、御寺に読経・座禅・写経はあるし、最近は、寺や神社の山岳修行に参加される方も多いとか。
女性も多いそうだ。

北海道は、占い風水と霊視スピリチュアルカウンセリングに始まり、パワースポットや神社ブーム、祈願寺と行体験、神棚・仏壇・墓参り・菩提寺と言う感じになりそうな気配ではある。

続く