実況列伝 2016

飯塚ミッドナイトは5月から

実況列伝2 筑豊魂

2009年12月27日 | 回顧録&日記
 話の舞台は1993年のお正月レース!
 詳しく言うと平成4年度 飯塚市営 第9回 第5日目 2節 1日目となります。
 ま!硬い話になりがちなので、ざっくばらんに進めます、ベテランレーサというか古参のレーサがまだまだ現役で走路を走っていた時代です、角茂助、斉藤栄一、大和章義、吉田光、ん~~っ! 渋いレーサ達! 
 エンジンもセアの前の確かフジの時代です、この年の11月からセアに移行します。
 第1日目のレースは『その前に5枠6枠は2名です、黄色と黄色地に赤のストライプ(線)6枠は緑色と緑地に白のストライプだったんですょ、レースも11R制で、出場延車数も86車、全て1級車です』 売り上げなんて単場で5億3千万もいってますから景気の良い時代だったんですね、実況もまだ開始とはなっていませんでした、競走会の女子アナが最終3コーナあたりからゴールまでの間、少し喋っていた程度でした、15日以降から大阪のアナの応援で開始をしていたようです。
 川口オートで昔、司会をしていた、広瀬アナ、山陽で活躍中の西森アナ、大阪競輪でその名を轟かせた、芸能界の島田紳助さん賞賛のナニワ実況○○さん!
 今は秘密! ギャオ!はまだ影も形もありませんでした。
 少し横に飛びましたがその1日目、最終11R開運特別選抜戦にスサノオ、中村政信選手が出ています。初日の着は4着! 準決に進みますが、7着に敗れ、最終日は一般戦、回りの5着と敗退しています。
 優勝は田中守選手(マモちゃん)です。 マモちゃんとは田中守選手の呼び名です、私が付けたのではありません、そういう風に地元では呼ばれているのです。
 現在、解説をしている松田英之さんも優出、5着の成績でした、呼び名はヒデさんです!

実況列伝 第2章 序曲

2009年12月24日 | 回顧録&日記
 第2章の始まりは1993年の飯塚オート1月の正月レースからです、つまり平成4年度となり、4月から新年度、平成5年度開催となります、はて?とお思いでしょうが!? ま! 世の中はそういうもんです。
 世のオート地図は船橋3強時代のまっさかりで島田信廣、片平巧、岩田行雄、この3人がブイブイと覇権争いを演じていました。 特にこの当時、凄かったのが”片平巧選手で”飛ぶ鳥も落とす勢いで他を圧倒していましたし、天才片平、セアの申し子、などと呼ばれていたほどです。
 私の友人も生まれた子供の名前に”巧”とつけるほどの人気ぶりでその強さはケタが違いました、まさに《片平イズム》の到来でした!
 特にその乗り方も独特で滑らしながら乗ると言いましょうか、ズルズルなのです
各コーナーの突っ込みも浅く摩擦抵抗すら(ナイター開催でのスリッパー【鉄下駄】からでる火柱があまりでない男でした)つまり摩擦があまり無いのです。
ということはスピードが落ちていない、ことになります、だから立ち上がりの切り込みが素早く、彼に横に並ばれると、もうそのときは抜かれているのです、だから彼はイン屋(内を使う選手なのです)インを使う者はオートを制す! まさにその言葉どうりの選手でした。  
 一度、川口オートにお忍びでお邪魔したときに神様に(広瀬登喜男さん)に会う機会がありましたので片平選手の事を尋ねたんですょ、そうすると神様は広瀬登喜男さんは、( あっ! 片平君はズルズルなんだ、あれでよくコケナイよね!)と言ってましたね、当時、私もインタビューを飯塚で(優勝戦)した時には常に冷静でニヒルでしたょ、ニャリと不敵な薄笑いが印象的に残っています。
 その片平巧を猛追したのが同じ19期の中村政信でした。この2人の火花の散りあいは、そり~ゃ凄かったですね!! 火傷しますょ!
 当時、東の横綱、西の横綱なんてね、言ってました。

12月23日

2009年12月23日 | 回顧録&日記
 この日がくるたびに伝説の男の名が走馬灯のように脳裏をよぎる、(筑豊の虎)通称”マサ”と呼ばれた男、そう、彼の名は中村政信・・・
 他界をして早10年の歳月が流れようとしています、あの時の事故が昨日のような感覚で今だ記憶に残っています。
 実況列伝の第2章を再開するにあたり、飯塚オートの歴史から決して忘れられない男、中村政信、書くまいと思いましたが彼は避けて通れない人物です、そっとしておきたい気持が一杯ですが又会いたい気持ちもあります、マサにあう事で実況の歴史を振り返りたいと思います。
 地元選手の名も多数でてきますが尊敬と敬意を持って執筆を進めてまいります。
どうかよろしくお願いします。

SG スーパースター王座決定戦特集

2009年12月21日 | 回顧録&日記
 オートレース専用エンジン セア
平成5年にデビューした新型エンジン『セア』は、オートレースの走路や走法に合わせて、特別に開発されたエンジンです。 従来の1気筒あたり2バルブから4バルブへと変わったことにより、バルブ系に対する負担が大幅に軽減され、故障が少なく安定した性能を発揮することができるようになりました。
 また、上下運動を回転運動に変え、回転に弾みをつける役割をはたすクランクも、従来の2つのピストンが同時に上下する360°クランク方式から、2つのピストンが交互に上下して点火・爆発が不等間隔に起こる一体式180°位相角クランク方式に改め、滑らかな回転と大幅な低振動化を実現。
 操縦性を向上させるとともに、競走車各部や補器類への影響も減らしてマシンの信頼性をいちだんと高めています。もちろん、これらの新メカニズムは、エンジン開発時の重要なテーマであった「選手の負担軽減」「白ろう病や腰痛などの予防」にも確実に貢献しています。
 500mのオーバル走路を舞台にして、わずか90mにも満たない直線と、「突っ込み・立ち上がり」の繰り返しとなるコーナーを、巧みなアクセルワークで駆け抜けてゆくオートレースの選手達。 『セア』は、その過酷な使用に耐えるばかりでなく、選手ひとりひとりの操縦技術を存分に引き出すことのできるポテンシャルを備えているのです。
 尚、新人選手はAR600より排気量の少ないAR500(498cc)のエンジンでデビューします。

第19回 スーパースター H16.12.26 川口競走場
1着 高橋貢 33才 Fニーナ セア タイム 3.337
2着 永井大介
3着 池田政和

第20回 スーパースター H17.12.25 川口競走場
1着 池田政和 32才 ミオン セア タイム 3.331
2着 高橋貢
3着 荒尾聡

第21回 スーパースター H18.12.24 川口競走場
1着 田中茂 30才 S.アーロン セア タイム 3.308
2着 浦田信輔
3着 佐藤裕二

第22回 スーパースター H19.12.24 川口競走場
1着 山田真弘 35才 ナノ・111 セア タイム 3,327
2着 荒尾聡
3着 高橋貢

第23回 スーパースター H20.12.31 川口競走場
1着 永井大介 31才 ダビド・ビジャ セア タイム 3.335
2着 池田政和
3着 中村雅人

第1から23回までのスーパースターの優勝者から3着までを見ていただきました
過去10年を参考に見てみますと20歳代後半から30歳代前半の選手が優勝しているようです、上がりが3.330位でしょうか、前半を高橋貢、池田政和の争いから後半は池田政和、永井大介、と移っているようです。
 特に注目は浜松の木村武之、船橋の中村雅人、飯塚の田中茂、荒尾聡、有吉辰也でしょうか、(少し長くなりましたが参考までに)

大村湾

2009年12月21日 | 回顧録&日記
 西海橋から大村湾を眼下に望むと吸い込まれそうになります、江戸期の漢学者、頼山陽はこの大村湾を琴の湖【ことのうみ】と呼んでいます。 この海には絶滅危惧種の(スナメリ)小型のイルカがいるそうでが、まず見かけることは無いようです、300頭ぐらいの生息数らしいとの事、ハウステンボスに来る帆船がこの西海橋の下を通過するときは(マストとの接触を避ける為)潮の干満を利用するそうです。 とにかくこのあたりの風景は絶景の一語につきます。