人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

自然が一番

2016-09-15 04:59:34 | Weblog
 何かをすれば次の何かをしなければならなくなる。これは日頃の私たちに、ついて回る事なのです。
例えば何か不祥事が生ずるとする。そうすると、それを繕おうとして行動を起こす。しかし、人間の
起こす行動に完璧なものはない。どこか中途半端でほころびがある。

 そのために起こした行動や対策に対して、また行動を起こし何らかの対策が必要になってくる。
私たちには成功体験より圧倒的に失敗や満足の出来ない結果が多い。実はこれが当たり前の世界だ。

 さて、俳人「小林一茶」は、たった一間のわび住まいだったと言われている。雨露さえ避けることが
出来れば、それ以上のものは望まない、必要ないという考えであったようだ。

 わび住まいの庭先に来て遊んでいく幼子達の姿を見ては目を細め、舞い降りてくる雀たちに語り
かけていた。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「我と来て遊べや親のない雀」。

 何気ないときに、母が歌っていた何とも寂しげな小林一茶を歌った歌が今も消えずに残っている。
「一茶のおじさん、一茶のおじさん あなたのお国はどこじゃいなあ。はいはい私のお国はのう 
信州信濃の山奥の そのまた奥の 一軒家 すすめとお話ししてたのじゃあ 我と来て遊べや親の
ないすすめ」

 何とも言えぬ哀愁を帯びたメロディを聞く度に、子供心にも涙ぐむほどの寂しさを覚えたものです。
 
 小林一茶のわび住まいは障子を開ければ、そこは自然のままの景色が広がる庭で、目に入る景色
全てが我が家の庭だったようです。何ら手を加える必要のない自然のままの庭だったのです。

 ここまで生活がシンプルであれば、たとえ天災があったとしても失うものは少なく、ものに執着
することもなかったはずです。シンプルであったが故に、戸に鍵をかけることもなく、泥棒に入られる
心配もなく、持たないからゆすられることもないし命を失うこともなかった。

 私たちは持てるものが多い故に火事や天災で一度失うと落胆が大きく、二度と再び立ち上がる
勇気も湧いて来ないという悲劇を何度も味わっています。

 何かをすれば次の何かを行わなければならなくなる。このドミノ倒しのような連鎖を断ち切るには
まずは自分の心の中の整理を行わなければ始まらないことなのかも知れません。

 北海道は繰り返し襲われた台風によって、一部の地域は壊滅的な被害に遭いました。収穫間際の
にんじんが流されタマネギが流され、その上、ジャガイモまで土から露出するという何とも悲劇的な
惨状となったようです。

 人の営みは、いつまた同じような被害に遭うかも分かりません。いよいよ心の備え、覚悟が必要な
時代になったようです。私たち熟年世代は、これ以上の何も欲しがらず、ひたすら安らかな日々が
送れ、更には安らかな最期を迎えることが出来るように祈るばかりです。

 シンプルな生き方。口では簡単に言えても欲する心を押さえてシンプルに生きることは、なかなか
難しい事のようです。何やら自己反省を含めてとめのない話になってしまいました。
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