人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

野菜の季節

2017-05-02 05:32:23 | Weblog
 春先から急速に成長を早めた野菜達、わけてもこの季節の野菜と言えばえんどう類でしょうか。
品種は様々にあります。しかし、基本となるのは三種類、まずは絹さや、最近人気上昇中のスナップ
そして、豆ご飯には欠かせないアラスカでしょうか。

 何を勘違いしたのか、私の大好きなアラスカを今年は植え忘れていました。がっかりしています。
絹さやの一部は終わりました。もう一カ所、遅く植えたものが残っています。スナップ豌豆は順調に
実を膨らませています。

 今までは柔らかい方が良いと言う理由から早取りをしていましたが、今年は奥さんも店先に出て
いる丸々としたものを見て、早どりは止め、しっかり実を太らせて収穫しようと言っています。
何しろ植え始めて初めての事です。今は日々大きくなっています。

 残念なのはタマネギです。今年も昨年と同じようにカビが原因の病気に罹ってしまいました。
心配をすればするほど、こんな事になるのは何故でしょうか。不思議と言えば不思議です。そ
れとも他に原因が・・・。

 実は、自然界では病気や害虫による被害が原因不明で、農作物の被害が爆発的に発生することが
あります。それは、それら病気の原因である微生物や昆虫が異常に繁殖する最適条件があるのだろうと
思います。気候のこともあるでしょうし、タマネギの場合は肥料のやり過ぎ、長雨等もあるようです。

 かつて北海道の開拓が始まった頃、入植した人達が悲惨な目に遭ったと記録に残されています。
ヨトウムシの大発生により、農作物が壊滅的な被害に遭ったことがあったようです。

 恐らく原野だったところを切り開き、新しい畑が出来たときに、それまで森の中で細々と生き
ながらえてきたヨトウムシたちの繁殖に、適した条件が生まれたからではないでしょうか。

 森がなくなり、天敵だった小鳥たちが、いなくなったことがヨトウムシの異常繁殖をもたらした
ものと思われます。その上、餌となるものが畑にたくさん植えられていたのですからヨトウムシに
とっては天国だったのかも知れません。

 また、草原などの乾燥化が進むと、それまでは普通の姿をしていたバッタが突然変異し凶暴な
バッタに変わることがあるのです。体の色も保護色だった目立たない緑から、赤く染まったように
なるのです。

 変身を遂げたバッタの大集団は群れをなして飛び回り、着地した先々の植物を食い荒らすのです。
農作物等ですと壊滅的な被害となります。実に恐ろしいことです。

 余談が長くなりました。今年の空豆の出来はどうでしょうか。いつだったか、ほとんどの莢(さや)
がカメムシの被害に遭って、中の豆が黒くなって食べられませんでした。カメムシが汁を吸うと
こんなことになってしまいます。カメムシは農家にとって恐ろしい昆虫です。

 今年の冬で大活躍したのは、ブロッコリーとノラボウ菜でした。ブロッコリーは冬野菜としては
欠かせないものです。毎年植えて重宝しています。今年は色んな品種を植えてみましたが、やはり
従来から植えている一般的なブロッコリーがもっとも良いように思います。

 白菜も出来が良く、キャベツも何とか虫の食害も少なく比較的きれいなものが収穫できました。
特にノラボウ菜は、岡山県内ではほとんど栽培しない野菜ですが、これが意外に美味しくて
ブロッコリーと同じように、柔らい穂先を湯がいて食べると色んな方法で食することが出来ます。

 ノラボウ菜に出会ったのは、あるテレビ番組を見てからでした。関東方面のある地域では江戸時代
から冬野菜として食べられていたようです。柔らかくて食味の良い野菜として知られていたもののようです。
一度は購入したものの蒔く機会がなくて、もう一度、ネット通販で種を取り寄せたものを蒔き始めました。

 そして三年目、今年は本格的に栽培しました。知り合いにも苗を上げました。こうして、この地域にも
少しずつ普及し始めたようです。冬野菜の少ない時期の比較的栽培しやすい農作物の一つです。

 今年も種を採取する準備をしています。欲しい人には差し上げますし、苗の時期にはたくさん出来ますから
声をかけて下さい。差し上げます。

 しかし、簡単なようで何を作っても満足のいくようなことはありません。農作物は「足音が肥やし」だと
言われるように人が足繁く畑に通い続けることが必要です。何事にも愛情が大切だと言うことでしょうか。

 そして、夏野菜の季節。今年の出来はどうでしょうか。農作物だけは、とにかく自分の口に入るまでは
良かった悪かったの評価は出来ません。今年は良く出来たなあと思っていたのに、収穫直前にカラスに
全部食べられた等と言うこともあるのですから。カラスは人の心を読んでいるとしか思えません。

 今年は早速、枇杷とサクランボの木にネットをかぶせました。
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季節のたより

2017-04-29 05:09:21 | Weblog
 いよいよ4月も終わり、5月がやって来ます。今年に入ってあっという間の4ヶ月でした。
こうして時は流れ、やがて私達は老いていくのでしょうか。

 最近、親しくしていた友人の死や死を宣告されたなどの話を聞く度に、他人事ではないような
気がします。それもまた自然の巡りというものなのでしょうか。

 そんな私の思いとは関係なく自然は移り変わっていきます。私が5月生まれだということも
関係しているのでしょうか。季節の中で今の季節が一番好きです。山の木々が色鮮やかです。
薄黄緑(うすきみどり)から少し赤みがかった葉まで、様々な色が山の景観を作っています。

 秋の山も色鮮やかですが、新緑と言われる今の季節も、よく見ると緑一色ではなく様々な色に
彩られています。そして何よりも生気に溢れています。

 さて我が家の周辺も冬の季節から春の季節、そして今は初夏の季節に移りつつあります。
冬中、爽やかな匂いを漂わせていた花が終わり、枇杷の実が膨らみ始めました。やっと粗方の
袋掛けが終わったところです。

 やがて桃の実が大きくなってくれば間引きながら袋掛けをしなければなりません。果樹栽培は
本当に手間がかかります。特に桃のような美味しいものは余計に手間がかかります。

 そして、スモモや杏などの実が大きくなり始めました。そう言えば、ことのほか今年は梅の実
がたくさん付いています。思い切って枝を切ったのが良かったのでしょうか。

 やがてキウイが花開き、我が家の畑では一番種類の多い柑橘類が一斉に花開き始めます。
柑橘類の花が開くと周辺は得も言われぬ爽やかな、そして香しい(かぐわしい)香りが辺り
一面を包みます。こうして春から初夏にかけての花の競演は終わります。

 そうそう言い忘れていましたが、もう一つ主役がいました。それはたくさんのブルーベリーです。
ブルーベリーも地味ですが白い、そして、かわいいスズランのような小さな花を咲かせています。

 そして、いち早く実を膨らませているのがサクランボです。やがて宝石のルビーにも勝るとも
劣らないような輝く真っ赤な実を見せてくれるものと思います。

 こうして花が終わり実の季節になるといよいよ暑い夏が始まります。この夏は、どんな様子に
なるのでしょうか。真夏になると枯らせないように日々の水やりが欠かせなくなります。

 一方、野菜の方ですが、今年はひとしきりブロッコリーとノラボウ菜を楽しみました。この話は
また次回に。
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こころ通い合う観光の街作り

2017-03-25 06:32:29 | Weblog
 サービス精神が旺盛な私は、子どもの頃から喜んで貰いたい、喜んで貰えれば、
それだけで幸せを感じていました。幼かった頃、大好きだった担任の女先生を
喜ばせたくて、ひょうきんな事ばかりしている子でした。

 その「喜ばせたい」が心が高じて、今は「むかし下津井回船問屋」のおやじを
演じています。「むかし下津井回船問屋」は、公的な施設なのですが、心は宿屋の
おやじ気分です。徹底的にお客様サービスをして喜んで貰いたい。その喜びを
「大切な旅の思い出」にして貰いたい。それが楽しませる側の任務だと思って
日々を過ごしています。

 お金に執着しすぎると、大切なサービス精神が薄れてしまいます。接客の態度で
観光客には何となく分かってしまいます。この人は本気なのか、それとも単なる
口上手なのか。

 商品を売るとき、あるいは観光地としての下津井を売り込むとき、必要なのは
サービス精神と物語(ストーリー)、言い換えれば「心を売る」ことなのです。
人の世の中は、物やお金を中心としたものではありません。表向きは、そのように
見えていても、大切なのは心と心のふれ合いであり、心と心の受け渡しなのです。

 物語を売るとはいったい何でしょうか。同じ活きの良い鯛を売るにしても、
ただ活きが良いと言うだけではなく、この鯛はこの地元、実は目の前の海で取れたこと、
どのようにして獲ってきたのか、その海はどんな海なのか、実は潮の流れが
速いから身が引き締まって味が良いのだと言うことを説明するのと、しないのでは
同じ鯛でも異なって見えてきます。味も変わります。

 同じものでもお土産に買ったものと、ホテルで食べたものは何となく違います。
何故でしょうか。それは、ホテルでの食事と我が家での食事とでは、雰囲気がまるで
異なるからです。それでも家族と一緒に旅の思い出を振り返りながら食べると、
また少し味が良くなるかも知れませんね。

 土地の人に土地の人の言葉で話しかけられれば、それだけで旅の思い出は倍になります。
そして、そこにその土地に伝わる伝説などのお話しが加わると、もう思い出は忘れられない
ものとなります。

 東北の秋田県に鹿角(かずの)という駅があります。この駅から地元の語り部が
乗ってきて乗客に民話や伝説を語り聞かせてくれます。方言丸出しのお話しです。
旅の情緒が一段とアップします。

 旅は景色もお土産も必要ですが、その土地の人とのふれ合いこそ、旅の醍醐味と
言えるのではないでしょうか。観光ガイドのコツは、流ちょうに説明をすることではなく、
たどたどしくても方言を交えて素朴に語りかけることが一番必要なことなのです。

 私は、むかし下津井回船問屋のホームページの冒頭に下記のような文章を書き
記しました。私が下津井と言う街に来て、最初に感じた素朴な思いを文章にした
ものです。ここに二年近くもいると、その新鮮だった景色も当たり前になってしまい、
いま書けと言われても恐らくは出てこない文章だと思います。

幼い頃に走り回ったことのある細い路地。
ふと昔の自分に出会えるような街の角。
遊び回って喉が渇けば、この井戸で渇きを癒やし・・・。

 「ひるね姫」の神山監督も、きっとこんな感覚に陥ったのだと思います。下津井と
言う街は、そんな懐かしさの溢れた街なのです。それは江戸時代の昔から明治、大正、
昭和と続いた街だけが持っている独特の味わいなのです。

 そして、そこで生まれ育った人達の心が宿っている街なのです。京都には京都の
良さがあり、奈良には奈良の良さがあります。そして、ここ下津井には下津井ならではの
良さがあります。京都にも奈良にもない北前船で栄えた港、漁業を生業とした人達の
泣き笑いの人生が凝縮した街なのです。

 改めて観光とは心と心が通い合うこと、それは人の世であってみれば当たり前の
ことなのなのですが。そして、そのことは観光だけでなく全てのことに通じることだと
思います。物の売り買いも、ただ単に物を売れば良いというものではありません。
そこに通じ合う心がなければ売る品物にも心が通いません。
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意識が全てを作る

2017-03-13 05:46:17 | Weblog
 幼少のころより人間の生死について多大なる関心を抱いていた私としては
「うまれかわりの村」という題名の本には少なからず興味を引かれたのであった。

 この本は、シリーズで何冊も刊を重ねているようだ。「生まれかわりの村」は、
一貫してある村のことを何年間にもわたり検証したものが、シリーズとして
発刊されている。

 また、「スープ」という題名の映画にもなっているから興味を持った人は、
ぜひ一読頂くなり映画を見て頂きたい。

 中国のある村では、今もって何代にもわたって生まれかわりの実体験をしている
人がいる。この村の人に言わせると誰でも日常的に生まれかわりをしているのだが、
ただ前世の記憶がないために生まれかわりという意識がなく、従って、生まれかわり
などオカルトの類いだと思っている人が多いのだと言うことである。

 意識と言うものに集団意識なるものがあって、潜在意識と言うものがある。
私たちの潜在意識は深い海のようなものであって、表面意識は個々それぞれの
ものなのだが、潜在意識は、その深いところで、みんなと繋がっていると言われている。

 そして、集団意識はみんなの意識がある物や事に集中すると、存在しないものが
存在するようになるという実に不思議なものなのだ。

 集団意識によるものの最たるものは、神仏による加護であろう。多くの人の意識が
集まるところには神が宿るのである。神や仏は存在しなくても信仰厚き人々の意識が
集中すると、あたかも神や仏が存在するかのように霊験あらたかになるのである。

 従って、科学なる考え方がなかった時代、人々は神仏を信じていた。だから病気に
なったときも家族に不幸が生じたときも、もっぱら神仏の加護を信じて手を合わせた。

 そうすることによって心の安らぎを得ることが出来たし、奇跡のようなことも生じた
のである。それは奇跡でも何でもなく、集団意識が集まるところでは、多くの人々の
集団意識の働きによって癒やされたのである。

 きょうも下津井の街の中に祀られている「波切地蔵」を訪ねて来た人がいた。
訪ねて来た人の話を聞くと、二十年くらい前、実母の実体験として、ここでご祈祷を
受けた時、祈祷師の予言した日に親族の意識が戻ったというのである。

 そして、この度は自分の息子さんの体調を気遣い、母親の勧めでもう一度お祓いを
受けたいと思い訪ねて来たのだとのことであった。

 場所だけは教えてあげたのだが、日常的には、お堂は閉ざされており、近所の人に
聞いてもご祈祷が出来るような人はいないとのことであった。誠に残念そうであった。

 今、人の意識についての探求が進んでいる。意識=量子論と言ったことを言い始めて
いる科学者もいる。意識というものの存在を語るとき、量子物理学と密接不可分な
ところがあるようだ。

 実は、人間を作りコントロールしている遺伝子や脳などと言う肉体に関わるものに
本質的なものがあるのではない。実は、宇宙の存在そのものと密接不可分な関係にある。
いわば量子物理学と言う、開け始めた新しい学問でなければ実証することが難しい。
そのようなものが人間の有する意識というものであるようだ。

 何やら難しい話になってきた。般若心経を持ち出すまでもなく、意識という存在こそが
全てを作り、全てを解き明かすものであることを、私たちはどうやら気付き始めている
のではないだろうか。
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花好きな少年の日々

2017-02-27 05:54:47 | Weblog
 今も庭には鉢植えの蔦(つた)がある。この蔦は私が幼少の頃、近所のおじさんが
植え替えの際にゴミと一緒に捨てたものであった。何故、ゴミの中のものに気付いたのか、
何故それが花ではなく地味な蔦の株であったのか記憶にはない。

 その蔦は、ここ児島ではなく広島県の神辺町(今は福山市神辺町)から、こちらへ
持ってきたものである。持ってくるまでも、何度も引っ越しをしているが、捨てた
ことはない。

 そして、かれこれ60年、私の手元で毎年新芽を伸ばし葉を広げている。しかし、
かつてのような勢いはなく、少しばかり弱っているようだ。それにしても私の半生以上
共にあったことになる。

 私の花好きというか植物付きは、年端もいかない幼少の頃からのものである。
人の生まれ変わりが本当の事だとすれば、恐らく前世は間違いなく植物に関わる
ようなことをしていたに違いない。

 自分が農家に生まれなかったことを本気で悔やんでいたこともあるし、高校生の頃は、
本気で北海道の開拓か、ブラジルに渡りたいと思っていた。いずれも果たせないままに
今日に至っている。それもこれも運命、人の定めと言うものであろう。

 その花好きに関する幾つかのエピソードを紹介しよう。幼い頃、長屋住まいだった
私の家には風呂がなかった。従って、風呂は夏のことなら行水、行水が出来なくなったら、
家から少し離れたところにある大衆浴場へ通っていた。戦後の貧しい一時代のことである。

 昨今のような派手な看板などはなかったが、街には色んなお店屋さんがあって活気に
溢れていた。その商店街の通りにお花屋さんがあった。このお花屋さんは、切り花も
鉢植えの花も、そして野菜の種なども売っていた。この頃のお店と言えば、今のように
専門店ではなく、何でも扱っている店が多かった。そのお花屋さんもそうであった。

 ある日の風呂の行き帰り、店頭にヒナギクの苗があった。既に株元からは、たくさんの
つぼみが顔を出しており、開き掛けのつぼみからは赤い花びらが見えていた。

 無性に欲しくなって母にねだり買って貰った。その頃の生活からすれば花の苗を買うなどと
言うことは、金額の問題ではなく贅沢の一つであった。それにも関わらず母は買ってくれた。
嬉しくてたまらなかった。早速帰り、その日から私の宝物になった。

 この花は野生に近いものなのかも知れなかった。水さえ切らさなければいくらでも
花が開いた。根元には群生するように大小のつぼみが付いていた。こうしてひとしきり
花のシーズンを楽しんだ。

 次に買って貰ったのはアネモネであった。アネモネも次から次へと咲く花であった。
この花はヒナギクのように地味な花ではなく、薄い花びらながら花が大きくてヒナギクに
比べれば豪華に見える花であった。そして花びらは単色ではなかった。それが余計に
華やかに見えたのかも知れない。今では多種多様にあって、地味な花かも知れないが、
花の種類が少なかった時代である。アネモネという名前も何となくモダンであった。

 山から松の苗を抜いてきて庭に植えたこともあった。近所には農業高校があり、
ここには珍しい植物がたくさんあった。温室が何棟かあり、中にはサボテンもあった。
その頃、サボテンなどと言うものを見たこともなかった時代である。むろん温室など
あろうはずもない。

 この時の温室の中で咲いているサボテンの花が珍しく強く印象に残っていた。
小学校六年生の時、倉敷の大原美術館の見学旅行があった。むろん日帰り旅行である。
美術館を見学しての帰り、倉敷の駅前にあった天満屋で自由行動になった。

 二階建てだったか三階建てだったか、その屋上で鉢植えの花を売っていた。
その花の中にサボテンの花があった。深紅の花が印象的であった。我慢できなくなって、
持たせて貰ったわずかばかりの小遣いで、そのサボテンを買ってしまった。
小学生が旅行先で花を買って帰るなど、この時代、他にあったであろうか。
それほどまでに花好きで変わり者だったのである。

 こうして花好きは今も、我が家の畑に色んな植物を植え、果樹を育てている。
開拓団に加わりたいという壮大な夢は実現しなかったが、今も植物に対する愛着は
変わらない。

 植物を愛すること、育てることから、多くのものを学ばせて貰った。社会人になって、
寮生活を送ることになったのだが、工事跡の残る寮の庭に植物を植えたのも、会社の
コントロール室の横に植物を植え始めたのも私であった。

 そして、植物好きは自然に親しむことになり、ありとあらゆる自然に興味を抱く
ようになった。今も私の頭の中には、こうした体験を通じて得た様々な知識が、
百科事典のように詰まっている。そして今も昔と変わらず少年のように、色んなことへの
興味は尽きないのである。宇宙、地球、大自然、そして人や人の心と・・・。
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空想「トランプの壮大な夢」

2017-02-16 06:13:16 | Weblog
 日本の安倍首相とアメリカのトランプ大統領、今までほとんど接点のなかった二人が、
ハグするほどの親密さを演出する必要性があったのだろうか。この親密さを演出した
背景には何があるのだろうか。喜ばしさを感じるとともに、底知れない不安を感じるのは
私だけであろうか。

 言うまでもなく日本は戦後一貫してアメリカの属国のような存在であった。独立国で
ありながら、良い意味でも悪い意味でもアメリカの存在なくしては考えられなかった。

 国民には、ほとんど知らされていないが、数多くの理不尽なまでの要求を突きつけられて
きた。また困難な要求にも、それに応えてきた。普天間だって郵政民営化だって、みんな
そうだ。

 しかし、考えようによっては関東軍の元参謀でもあった石原莞爾が戦後になって語って
いたように、日本は太平洋戦争で負けていて良かったのかも知れない。もし戦争に勝って
いたとか、あるいは今のような形での敗戦を迎えていなかったら、侵略をしたアジア諸国や
ロシアやアメリカとも難しい外交を必要としていたろうし、軍事費にも少なからぬ国費を
裂かなければならなかったであろう。

 それは資源のない我が国にとって耐えがたい負担になっていたに違いない。場合によっては、
国民は塗炭の苦しみの中にあったかも知れない。国際紛争と関わることなく過ごせたのは、
アメリカの核の傘の下にいて平和憲法があったからに他ならない。

 一方、アメリカは太平洋戦争を境にしてモンロー主義から一変して世界の警察官を持って
任ずるようになってしまった。長くソ連邦との対立関係の中で冷戦時代が続き、その間にも
ベトナム戦争のような東西の代理戦争のようなものが頻発してきた。

 それらの多くは東西対立と見せかけて、実はアメリカ国内の軍需産業の差し金であったとの
噂も絶えなかった。武器は再生産に繋がらない消費だけのものである。作れば制限なく売れて
いく。それが戦争屋にとっての狙いでもあり、それが戦争の実体というものだ。

 こうして、いまやアメリカでは自国内の軍需産業は国の行く末や政策までも左右するまでに
なっている。

 しかし、トランプは衰退した自国内の経済を活性化しようとしている。利益のみを追求する
あまり、国内の企業が育たなくなっていた。少なくともトランプは国内の企業を育てようと
している。それによって労働者の働き口を増やそうとしている。

 これは国民に不満を抱かせることなく、軍需産業一本槍だった自国内の産業を戦争から
平和に引き戻そうという試みではないのだろうか。

 そして、対立関係にあるロシアと仲良くする。そのための同盟国が日本だった。プーチンと
接点のある安倍さんが必要だった。ロシアとの対立関係がなくなれば軍事費を押さえることが
出来る。

 そして、アメリカの戦争屋が画策してきた世界の対立関係が解消すれば、テロ集団を自然消滅
させることが出来る。テロ集団を武力で消すことは出来ない。出来るのは時間がかかっても平和裏に、
その必要性をなくすことだ。

 ただ理解しがたいのは何故、中東諸国、特にイスラム圏との対立関係を深めようとしているのか。
アメリカへの入国拒否は当面の作戦なのだろうか。

 アメリカの壮大な試みは始まったばかりである。21世紀は、戦争の世紀であった20世紀から
平和に向かう世紀だと言われている。世界が一体となり平和な世紀になったら、どんな素晴らしい
地球になるだろうか。それは決して不可能な事ではない。
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新日本風土記「北酒場」

2017-02-13 05:27:10 | Weblog
 先日、福島第一原発2号機なるものから、核燃料が溶けたデブリらしきものが発見され、
その映像が各メディアによって映し出された。今年の3月で事故から7年目のことになる。
それまで想像でしかなかったデブリなるものの存在。それは、凄まじいまでの放射能を
放っている。

 映し出された映像は、原子炉の格納容器の厚い壁を突き抜けて原子炉の底に流れ出した
ものの不気味な姿だった。

 福島第二原発の内、2号機だけは唯一水素爆発をしなかった。理由は良く分からない。
しかし、核燃料棒が溶け始めたときに大量の水素が発生していることは、デブリの存在を
確認できたことから容易に推測できる。建物から水素が抜けていく場所があったのだろうか。

 さて、こうした凄まじい原発事故跡で、今も後片付けをしている人達が大勢いる。そして
今回のように炉心近くまで入り込んで探査している人達も大勢いる。しかし、こうした人達の
姿は遠くからしか見ることが出来なかった。ましてや生の声を聞くことなど出来なかった。

 しかし現実には、こうした場所で大勢の人達が放射能にさらされながら非常に厳しい環境で
仕事をしている。そうした人達の生の声を聞くことが出来たのが、今回放映されたNHKの
新日本風土記「北酒場」という番組であった。

 番組の大半は、しばれる雪深き日本各地の街の様子や酒場を取材したものであった。母と娘が
経営する小樽のスナックもあった。かつて鉱山の街として栄えたという街では、今も細々と着物姿の
ママが客を待っていた。酒場の温もりを求め、しばれる夜道を毎日のように徒歩で通ってくる
男性客もいた。侘しくもあり心温まる北酒場の姿が映し出されていた。

 そして、この番組の中で放映されたのが、福島第一原発からわずかに二十キロ離れた場所に
あるスナックであった。ここへ来る地元の人の姿はわずかばかり、大半は原発で働いている
労働者達であった。 

 北海道に愛する家族を残し、出稼ぎに来ているという男性のインタビューは、いかにも
わびしいものであった。みんなお金のためにここへ来ている。危険手当が支給される。
そうした人達は子作りが終わった男達。やはり放射能の影響は少なくないのだ。そうした
危険を伴う現場で、まさに命がけで働いている人達がいると言う事実を見失ってはいけない。

 あの凄まじい水素爆発を見たときに「ああ、この現場はこれからどうなるのだろうか、
誰が原子炉の暴走を止めるのだろうかと正直思ったものであった。爆発に伴って放出された
放射は、関東方面まで拡散し、広大な土地を汚染してしまった。

 やっと構内の放射能値も落ち着いて来たらしい。とは言いながら、一歩建物の中に入れば
凄まじいばかりの放射能である。

 こうした中で今も働いている人達がいる。あのチェルノブイリの原発は、誰一人として中へ
入る者はなく、石棺と呼ばれる建屋で覆われたままである。しかし、福島では今も危険を承知の
上で働いている人がいる。そうした人達は、私達と同じように遠く離れた家族のことを思い、
寂しさを忘れるために酒を飲み一時の安らぎを求めている。言わば普通の生活をしている人達の
姿だった。

 今まで、こうした人達の話を聞く機会がなかっただけに何となく心に残る番組であった。
どのマスコミも原発については正面から取り上げようとはしない。そんな風潮の中にあって、
心憎いNHKのアプローチであった。
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移民大国アメリカの行方

2017-02-10 05:32:37 | Weblog
 いまさら私が語るまでもなくアメリカ合衆国は他民族国家であり、多くの移民によって
作られた国です。北アメリカ大陸は、コロンブスがインドを目指して航海していたとき、
偶然に発見したのが北アメリカ大陸でした。

 従って、ここで見かけた原住民をインド人だと勘違いしてインディアンと呼んだのです。
その後、イギリスの清教徒達が迫害に遭い飢えに苦しみ新天地を求めました。その新天地
だったのが北アメリカ大陸でした。

 従って、トランプ大統領は他民族、ことにイスラム圏の人達の入国を拒否していますが、
自分たちの祖先こそが、今はインディアンと呼ばれている原住民達の土地に侵入し、勝手に
アメリカ合衆国なるものを名乗るようになったのです。

 言わば侵略者達の末裔だと言うことになります。そのことは、ほんの数百年前の事です。
また、移民達が次々と原住民の土地を奪い、自分たちの領土を拡大していったことは、
周知の事実です。

 余談になりますが、韓国では対馬から盗み出された仏像は、かつて倭寇なるものが
朝鮮半島で略奪を繰り返していた頃に、ある寺院から盗まれたものだとの判決を下し、
日本への返還を拒んでいます。

 この裁判は、アメリカの歴史とは異なり、書かれた証拠になるようなものは何もなく、
理由もなく倭寇が盗んだものだと決めつけています。また、尖閣列島にせよ、島根県の
竹島にせよ、日本には幾つかの歴史的な証拠が残っていますので中華民国の領土だとか、
韓国の領土だという主張は当たらないと思います。

 話を戻しますが、アメリカの歴史は侵略者とまでは言わないまでも、多くの移民を受け
入れて今日があります。広大な土地と恵まれた気候風土、そして大量の資源を有する
アメリカ大陸は、各国からの移民を受け入れて今日の繁栄を築いてきました。

 そして、繁栄の頂点に達したとき、自らの進むべき道を見失っているように思えます。
価格の安いものは自分たちで製造せず、他国から輸入する。採算重視の徹底した合理主義に
よって多くの生産設備を停止に追いやってきました。

 しかし今更、中国から輸入しているような安い日常品を自国で生産するようなことは
出来ないでしょう。誰もそんな効率の悪い仕事には就きたくないと思います。結局、
トランプ大統領に投票した人達は、自らの仕事を捨てて効率の良い仕事に移り続けた結果、つ
いには仕事そのものを失うことになったのではないでしょうか。

 労働集約型の仕事と言うものは、常にコストの安い方に流れていきます。かつて日本も
繊維産業が花形でした。しかし、いつしか中国に取って代わられました。そして今は開発途上
にあるビルマやインドネシア、更にはバングラディシュに取って代わられようとしています。

 結局、資本主義の中ではコスト競争ですから、生産コストの安い方へ流れていくのは
当たり前の事なのです。それは、水が高い方から低い方に流れるのと同じで自然の理なのです。

 アメリカ合衆国がかつての繁栄を取り戻そうとするなら、仕事を選ばず全て自国内の
原材料で生産し、輸入を完全に止めてみればどうなるかはっきりすると思います。

 アメリカは産軍複合体の国家だと言われています。農業以外の主要産業は軍事関係を頂点に、
あらゆる産業がピラミッド型に組み込まれています。自動車産業もIT関連も軍事開発の
副産物のようなものだと言っても過言ではないと思います。実に、いびつな経済であり
見苦しい国の形をしています。

 太平洋戦争中の日本と良く似ています。そして生活に必要なものは他国に頼っています。
もしトランプ政権がこの産軍複合体の体制を根底から変えようとしているのであれば、
非常に大きな取り組みだと言えるでしょう。果たしてその行方は・・・。
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トランプ政治がもたらすもの

2017-01-27 06:15:07 | Weblog
 ドナルド・トランプが大統領に就任して以来、矢継ぎ早に大統領令なるものに署名し、
過去の政権や先のオバマ政権が行ってきたことを根底から覆そうとしている。

 アメリカの大統領とは、かくも権力を有するものであり、簡単に自筆で署名するだけで
政策が次々と変わっていくことに驚かざるを得ない。アメリカ政治のマジックのような
一面を見ている。

 トランプがマジックをしている。そんな冗談では済まされない大きな変化が起き始めている。
歴史は、誰がトランプのような人物を今の時代に用意したのか。

 トランプ大統領は破天荒であるだけに様々な見方があるようだ。既成のシステムを根底から
改めるにはトランプのようなやり方が必要だという見方もある。また、トランプは誰もがなし
得なかったような既成の権力機構を壊すために革命的なことをやろうとしているのではないか
という前向きな見方をしている評論家もいる。
  
 一方で、民族の分断だとか、アメリカの良さは多民族国家であり、これが国の発展を促して
きた。トランプはそれを壊そうとしていると恐怖を抱いている人も大勢いる。

 私はトランプなる人物が、大統領に立候補する前からテレビなどにも出ていたことを後で
知った。その頃のトランプの発言や人となりを見ていないのでどんな人物なのか判断が付き
かねている。

 しかし、どんなに表面を繕っても人間性まで隠し通すことは出来ない。衣の下に鎧を着て
いれば必ずどこかで見えてくる。今しばらくしないと本性なるものも見えてこないだろう。
今は神経質にならず、じっと静観している方が良さそうだ。

 TPPは公約通り、いの一番に離脱宣言をした。膨大な時間をかけての国会審議は何だった
のだろう。日本の論議などアメリカの意向によって簡単に一蹴されてしまった。
情けないと言えば情けないが、これが政治というものであろう。

 さて、トランプ政権の今後は鬼と出るのか蛇とでるのか。怖くもあり興味もある。
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人こそは国の宝

2017-01-26 05:04:51 | Weblog
 その国が良い国か悪い国かを決めるのは、決してその国が豊かだからとか大きな国だからと
言うだけではない。

 江戸末期、諸外国がこぞってアジアに進出して来た頃、日本は総じて貧しい国であった。
幕府も各藩も財政的には困窮していた。資源の少ない国であった日本は、長らくの間、
鎖国という政策によって諸外国との取引がなかった。従って、富を増やそうと思っても
その手段がなかった。

 こんな貧しい国だったので、アジアの各国をことごとく植民地化してきた欧米各国にとって
日本を乗っ取るぐらいのことは簡単なことであった。隣国中国では巨大な領土と資源を有する
国であったにも関わらず、イギリスが持ち込んだ阿片などをもって簡単に懐柔することが出来た。

 なぜ中国人が簡単に阿片などにおぼれたのか、その当たりのことは定かではないが、イギリス
がと言うより中国側に原因となるべき何かがあったのではないだろうか。

 白人の女性旅行者が書き残した旅行記によると当時の日本人は武士から町人に至るまで至極
まじめで礼儀正しく外国人に対しても寛容であったと書き残している。外人の女性の一人旅で
あっても何ら不安はなかったと書き残している。

 また、貧しくはあっても清潔であったと書いている。当時は相次ぐ天災などで不作続きで
生活は困窮していたものと思われる。にもかかわらず日本人は屈託なく笑顔が耐えなかったと
書いている。これが国民性と言うものであろうか。

 特に当時の江戸は、100万人を越えるほどの人口を擁していたにも関わらず、非常に清潔で
整然とした街であったようだ。長屋と呼ばれた庶民の暮らしの場所には共同の井戸が設置され、
共同便所は近隣の農家がくみ取りを行い、自分の田畑で肥料として使っていた。全ての日用品は
使い捨てではなく、再利用可能なものは使用済みの鼻紙に至るまで再使用された。いわゆる廃棄物や
ゴミなどと言うものはい一切出なかったのである。

 こうした清潔感や潔癖性は現在に至るまで引き継がれたもので、いわば国民性のようになっている。
中国では外国へ出て行く旅行者に対し、マナー教育が必要だと聞けば、国民性というものはどうしようも
なく出てくるものであることが良く分かる。

 そして、そうした国民性は金銭などでは置き換えることの出来ない崇高なものである。これが国と
言うものであり歴史や伝統に根ざした文化力というものではないだろうか。日も浅い歴史も伝統もない
国には望むべくもないものである。

 私たちは気づいていないけれど外国からの旅行者の多くが底知れない日本文化の奥深さを感じて
いるところであり、それが単にお城や神社仏閣の魅力だけでなく、日本人自身が醸し出す魅力に
なっているのではないだろうか。そして、それを作り出しているのは、他ならぬ私たち一人一人で
あることを誇りにしたい。

 私はナショナリズムをあおり立てているわけではない。むしろ今日の日本人が自信を失いかけて
いることを心配している。そして、常に日本人の心の中にあった自然を敬う心、神仏を敬う心を
忘れかけていることを心配している。

 貧しくても心優しかった日本人は自然を敬い、神仏に敬虔であった。そして心寄せ合って
生きてきた。縄文時代には数万年もの長きにわたって、そのような生活を続けてきたことが
発掘を通じて明らかになっている。
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