人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

活弁公演終わる

2009-05-31 05:52:04 | Weblog
久々の活弁であった。私達夫婦にとって、公演可能な映画の中でも
最も難しい映画である。何しろ場面の展開が早い上、登場人物が実に
多い。自分たちで脚本を作るのだから登場人物を少なくしようと思えば
簡単に出来る。そうなると映像と映像の間は音楽で繋ぐか解説で繋ぐ
ことになる。そうすると映画自体が単調なものになってしまうような気が
して、次第に登場人物が増え台詞も増えていった。

 息を繋ぐ暇もないくらい矢継ぎ早に語らなければならず、過去には
20数分間がとても長く感じられていた。しかし、続けていると言う
ことは大したもので、五回ほどの練習で元の状態に戻れるから不思議
である。あの言い回しの難しい台詞も大半は覚えてしまった。

 台詞を覚えると画面を見る余裕も生まれてくる。そうなると画面の
移り変わりに的確に付いていける。と言うようなわけで、音楽担当の
Nさんに言わせれば「最初聞いた時よりは良くなったよ」とのこと。
ずっと、そばで聞いていていてくれた人からの評価はうれしい。

 私達夫婦間では一生懸命で自分たちの語りを評価する余裕などない。
後になって後悔することばかりである。素人芸だから許されることで
あって、お金を頂いての公演となるとこうはいかない。

 その点、師匠の佐々木さんは、さすがと言う他はない。やはりプロ
とアマチュアの違いだ。


 さて、この日の夕方には「王子ヶ岳 夕日のしらべ」と称する行事
があった。例年であれば秋に行う行事である。補助金を受け児島商工
会議所が主催団体になって行っている。いずれ補助金なしでも地元の
行事として続けていくべき行事ではなかろうか。

 その点に於いて今回の試みは、それを見越したものであった。
演奏者も地元周辺の人で何とかという考えは正しい。今後は隠れた
音楽家を捜していく必要もあるのではなかろうか。

 さて、開催場所は王子ヶ岳の山頂、ここには東屋が建っている。
山頂を境に児島と玉野に分かれている。ロケーションは最高である。
ここからは児島湾が一望できる。残念ながら瀬戸大橋の一部は鷲羽山
のある半島に隠れている。

 しかし、大きく湾曲した児島の街が海を囲み、南の方に目を転じる
と多島美の素晴らしさと四国方面までが見渡せる景色が素晴らしい。

 実は夕日の鑑賞スポットなのだが、この時期なかなか美しい夕日を
見ることが出来ない。この日も夕日は厚い雲の中に消えてしまった。
夕日を撮影しようと、このこの日を待っていた人にとっては残念な
事になってしまった。昨年もわずかながらの夕焼けを見たに過ぎない。

 この地が日本夕日百景の一つだと言われても、なかなか素晴らしい
夕日に出会うことは少ない。

 さて、当日の演奏は4組、作陽音大の生徒さん達のようなユニーク
な演奏を聴かせてくれるグループもあれば、瑜加太鼓のような勇壮な
太鼓の音で山頂に揺るがせるグループもあって変化に富んでいた。
後の二グループは地元のお琴のグループと大月氏率いる岡山の和楽器
の演奏グループであった。

 今年は夕日の鑑賞を期待できないこともあってか、あるいは小学校
の運動会で疲れたのか山頂を訪れる人は昨年より少なかった。また、
人々の好みも聞く耳も肥えて来たのか、ありきたりの演奏では受けなく
なったように感じられ、今後の検討を要することではなかろうか。

 良いものには素直に感動する。その点、演奏者任せの演出では限界
があるように思われる。何事に寄らず鑑賞者を感動させるような工夫
が必要なのではなかろうか。

 ともあれ山頂から眺める景色だけは演出なしでも感動できる。やはり
自然は偉大だと言う他はない。

 わざわざ、行を起こしてまでニュースとして取り上げるほどのこと
ではないので続きに書いておこう。北朝鮮の挑発的な核実験のニュース
に付いてである。実に子供じみたことをする国だと思う。

 人工衛星打ち上げと称しての長距離ミサイルの実験に続いて核実験。
挑発行為はどこまでエスカレートするのであろうか。また、ロシアや
中国はいつまでこの国の所行をかばい続けるのであろうか。

 どこの国でも何も変わらないところに問題があるように思われる。
それぞれの指導者達の発想が実に貧困である。時代は温暖化問題や
経済問題で大きく転換すべき時である。それなのに旧態依然たるもの
の考え方では何も変わるまい。愚かだとしか言いようがない。
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活弁練習開始

2009-05-26 06:11:23 | Weblog
 5月30日にはマリン児島地区福祉協議会からの招待で活弁を
演じさせて頂く。久々の活弁公演である。演ずる無声映画は「豪傑
児雷也」である。

 何度この映画を演じたことだろう。その都度、東京国立近代美術館
フィルムセンターに収蔵されているフィルムにをお借りしている。
今回も上記福祉協議会の事務局に借用手続きをしていただいた。

 思い返せば、このフィルムがなかったら私達の活弁活動は実現
しなかった。実に思い出多きフィルムである。と同時に私達を今日
へ導いてくれた作品でもある。

 この映画は実に貴重なものである。何しろ日本映画の草分け的な
作品である。主演俳優は岡山市出身の舞台役者「尾上松之助」である。
「豪傑児雷也」は忍術映画である。従って、ドロンと消えるシーンも
少なくない。また、児雷也が蝦蟇(がま)に化けるシーンも多い。

 いわゆるトリック映画である。空を飛ぶ場面もある。なかなか良く
出来ていて見どころの多い映画である。当時としては斬新な映画で
あったに違いない。

 また、この映画を見た当時の人達は、そのトリックに驚いたに違い
ない。映画そのものが珍しく、むろんSFやCGなどとは、まったく
縁のなかった時代である。どんな仕掛けを作って撮影したのであろう。
興味は尽きない。

 さて、久々に練習を再開した。一回目はさんざんであった。なかなか
スムーズに行かず、やっとの思いで全編を終了した。何もかも忘れて
いたのだ。しかし、二回目、三回目になると過去の記憶も甦り何とか
全編を語り終えるようになった。やはり過去の苦労の蓄積は大きい。

 夏には夏休みを利用しての子供向け活弁ワークショップが始まる。
前回のワークショップ同様、岡山の光南台公民館主催によるものだ。
また、秋から年末にかけて三カ所で活弁を行う。こうしたところで
演ずる作品は、これから脚本を作り練習を開始することになる。

 とは言いながら活弁の知名度は依然低いと言わざるを得ない。実感
して頂かなくてはなかなか面白さを理解して貰えない。そこが辛い
ところである。一度足を運んで頂ければその面白さを理解して頂ける
のだが。

 ともあれ、私達夫婦の努力で少しずつは先へ進みたいと思っている。
11月3日(文化の日)には午後から児島文化センターでプロの活弁士
佐々木亜希子さんに来て貰い、記念すべき五周年の児島活弁シネマ
ライブを開催する。乞う、ご期待。
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忙しい5月

2009-05-20 06:22:04 | Weblog
 5月は私の誕生月である。自分の年齢を振り返る余裕もなく時は
慌ただしく過ぎていく。

 5月には30日の活弁の公演を含め五カ所で講演だとか公演を行う。
やっと三つが終わった。残っているのは二つである。その一つも明日
に迫っている。

 5月10日、私の住んでいる地域での二回目の環境講演、主として
EM関連の話とEM発酵液作りの指導を行った。また、5月14日には
岡山市の西大寺で開催中の都市緑化おかやまフェアでの地球温暖化
問題と緑化に関する講演と挿し木の実技指導を行った。

 そして5月17日には児島上の町婦人会総会での記念講演を行った。
テーマは「食と環境」問題であった。次は明日5月22日、児島味野
地区での自治会連合会総会での記念講演を行う。ここでも環境問題に
ついて話す予定だ。

 一昨年来、急速に増えた講、公演活動である。私からお願いした
ものもあれば、相手の方から依頼されたものもある。とにもかくにも
得難い経験をしている。大変ありがたいことだと感謝している。

 環境問題も今は大きな岐路にさしかかっている。従来のような啓蒙
を中心としたものから、実際に二酸化炭素を削減するためには、何を
いつまでに、どのようにするのかについて具体化すべき時代である。

 それにも関わらず、経団連の御手洗会長は+4%で妥協すべきだ
等と不謹慎な発言をしている。これからエネルギーを大量消費するで
あろう開発途上国にも協力をして貰わなければ目標は達成できない。
そんな大事な時に、大量にエネルギーを消費してきた日本の経済界
のトップがプラスで何とかなどと言えるのだろうか。

 大量に化石燃料を消費してきたアメリカや日本こそ、世界のトップ
を切るような取り組みをしないと目標達成はできない。今は景気の
問題を先送りしてでも真剣に取り組むべき時ではないだろうか。

 そうしなければ経済が立ち直っても肝心な宇宙船地球号が沈没して
しまうかも知れない。私達に出来ることは何か。今は私達一人一人が
真剣に考えるべき時であろう。

 化石燃料に依存しない生活スタイルは考えればあるはずである。
限られた地下資源を惜しげもなく浪費し続けている時代は終わった。
今は地下資源に依存しない循環型の社会を模索すべき時ではない
だろうか。

 一億数千万人が生活する日本の未来をどのようにすべきか、また、
食糧自給率がわずかに40%という現実をどのように解消すべきか
突きつけられた課題は多い。国民が餓死するような事態にならない
と誰が保証出来るのか。
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期待される政治の転換

2009-05-20 05:52:51 | Weblog
 唐突なる小沢氏の秘書の逮捕に始まって、ついには小沢代表本人の
民主党代表退任に至った。金と政治に対する国民世論に耐えきれなく
なっての退陣である。

 しかし、政権交代を目前にした秘書逮捕という経緯は、何かしら
田中角栄氏のロッキード事件の時を思い起こさせて不気味であった。
背後には、私達には知ることの出来ない何かがあるような気がして
ならないのである。

 とにもかくにも総選挙は近い。今は経済だけでなく経済と表裏一体
にある政治も大いなる変革の時であろう。今までの自民党の政治家や
政治手法に新しい時代に向けての変革は期待できない。

 かつて細川氏率いる日本新党が政治の表舞台に登場したとき新しい
日本の政治が見えていた。それにも関わらず細川さんは唐突に政治を
投げ出してしまった。どうしてそのような事をしたのであろうか。
未だ理由が分からないし無責任だとしか言いようがない。

 その後、日本社会党が消えてしまい、さきがけも空中分解して
しまった。日本の政治は再び先の見えない状態に陥ってしまった。
その上、小選挙区制が追い打ちをかけ国民の私達には選択肢のない
選挙を強いられ今日に至っている。
 
 今は好むと好まざるとに関わらず、民主党に政権を取って貰いたい。
その後には自民党議員の一部離脱など政党再編が始まるかも知れない。

 また、二世、三世議員の一掃をして貰いたい。政治の世界に親の
後継者は必要ない。なまじ親のしがらみのあるものは大胆な行動は
とれない。政治には常に新鮮な感覚と発想が必要な事は言うまでも
ない。

 「新しい酒は新しい革袋に」と言われている。すべてを一新する
ような決断を持って政治に臨むべきであろう。そのためにはせっかく
与えられている私達の一票を過去のしがらみや誰かの言葉に流され
投ずるのではなく、自らの意志で投じたいものである。
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数々の出来事

2009-05-14 06:11:36 | Weblog
 時代が変わるときというものは、このようなものなのであろうか。
国内経済になかなか明るさが見えない中、各社の経営実態が明らかに
なってきた。日本を代表するトップ企業の日立製作所は深刻な決算
内容になっている。その他にも大手企業の赤字決算は隠しようもなく
先の見えない状態が続いている。

 一方、5月の連休前から騒がれ始めた新型のインフルエンザは
連休後、急速な国内感染へと変化し始めた。いずれはこうなるのでは
ないかと懸念されていたことでもある。

 4月から5月の連休中、多くの人達が海外に出ていき、帰国して
約一週間位、そろそろ潜伏期間が終わる頃から国内感染が確認された。
兵庫県や大阪府で海外渡航歴のない高校生達が相次いで発症した。
いずれ誰かが持ち込んだウイルスによるものに違いない。何しろ
目に見えないものである。完全に防ぎきることは容易な事ではない。

 今回のウイルスはA型の変化したもののようで比較的毒性は弱い
との事だが安心は出来ない。国内感染が広がりを見せている中、対策
は新しい段階に入るべき時ではなかろうか。

 感染地の商店街などは閑散としているとのことで、そうでなくとも
景気が悪いと言われている中、その影響が懸念される。しかし、毒性
が弱く死亡率もさほど高くないとの事で、その点は救われたのでは
ないだろうか。強毒性でであったなら、もっともっと深刻であったに
違いない。

 政府は強毒性の大流行を考えて色んな対策を練ってきた。その時の
ための多くの教訓を得たのではないだろうか。不幸中の幸いだったと
言うべきではなかろうか。この教訓を次の大流行に生かして欲しい。

 しかし毒性が弱いとは言いながら安心は出来ない。いつ強毒性に
変化するかも分からないからだ。心して準備しておくべきだろう。

 今回はあまり神経質にならずに普通のインフルエンザ対策にとどめて
置くべきではないだろうか。マスクが売り切れてしまうほど薬屋の
店頭に人が殺到しているようだが、オイルパニックの時にトイレット
ペーパーを買いに殺到した人達のことを思い出す。

 まずは冷静に事態の推移を見守るべきではないだろうか。人の命や
運命は、どこでどのようになるかは分からない。また、感染したから
と言って必ず死ぬようなものではない。強毒性が流行した時代にも
感染して快復した人や発症を免れた人もいるのだ。

 ウイルスと人や他の生きものとの関係は、そのようなものなので
ある。ウイルスは生命発生の頃からこの地球にいたと言われている
ものだ。従って、人類が誕生してからも常に周辺にいたものである。

 これからもウイルスとの共存関係は続く。決してウイルスから逃れる
事は出来ない。心して覚悟すべきであろう。今日のようなウイルスに
対する知識がなかった江戸時代や明治初期にも異常事態を乗り切って
きた人類である。

 そのことを考えれば今は何が原因か明らかになっているだけでも
幸いと言うべきであろう。日常生活を大きく変化させてまで構える
必要はないような気がするのである。

 私はウイルスの変化と社会の変化を重ね合わせて見ている。私達が
気付かないだけで、大きな変化が私達の周辺で始まっているのでは
ないか、その現れの一つがウイルスという生物とも無生物とも判別
しがたい不思議なものとの関わりではないかと思えるのである。

 政治経済の転換、環境問題、社会の変化、新たなる病気との闘い、
心の荒廃、これらすべてはどこかで繋がっているような気がして
ならないのである。今は大きな変化の始まりである。
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自然

2009-05-09 21:32:51 | Weblog
 ここのところ夏日を思わせるような日が続いている。しかし湿度が
低いので日陰に入り、そよ風でも吹けば実に心地良い。

 そんな中、すっかり春から夏モードに移った畑で、野菜の苗を植え、
草を刈り、消毒をし、ビワにネットをかぶせと忙しい日々が続いている。

 この日曜日は、私が講師となり第二回目の自治会主催の環境学習会
を行った。主たるテーマは前回と同じ地球温暖化問題の復習と、聞き
に来てくれた皆さんお待ちかねのEM発酵液の作り方講習であった。

 そんな忙しい日々の中、うれしいことがあった。実はEM発酵液を
昨年に撒いた畑がいま苺の実りの時を迎えている。収穫期を迎え間違い
なく感じることはEM効果の大きさである。苺の成長が実に良い。
そして昨日、四度目の収穫をした。昨日の収穫量は驚くほどであった。

 気温が高くなったこともあり苺の色付きが一段と早くなった。昨日
のような収穫が、しばらくは続くのではなかろうか。収穫量だけでなく、
実がしっかりしている事と実に甘い。実の表皮が固いからかダンゴムシ
の被害が少ない。また、カビの被害も少ない。実に驚きの効果である。

 恐らくはEMによって畑の土質が変化したに違いない。また、空豆の
方の出来も良い。今年は間違いなく大収穫ではないだろうか。

 こうした出来事を通じて感じるのは、自然は何の手を加えなくても、
しかるべき状況下にあれば肥料など大量に使わなくてもそこそこの
ものは出来るのではないかと言うことである。

 植物は自らの力でたくましく成長し実を付けると言うことである。
そのためには土の中の目に見えない微生物との関係が非常に重要だと
思われる。恐らくは、私の畑を含め多くの畑は長期にわたる窒素肥料
の多用によって土中微生物の偏りが生じているのではないかと思われる。

 出来が悪いからと言っては肥料を使う、もっとたくさん収穫したい
と思い肥料をたくさん使う。そうした人の欲が自然環境を壊してきた
ように思われる。そうとしか考えられない出来事が目の前に生じている。

 肥料は使わず何もしない方が何かをしたときより出来がよい等と言う
ことがあるだろうか。ものの本によると植物の根と土中の微生物は密接
不可分の関係にあると言われている。

 実は植物だけでなく私たち動物も微生物によって保護されている。
「おぎゃあ」と、この世に生を受けたときから多くの微生物の助けを
得て生存しているとのことである。

 その証拠に免疫機能と密接な関係のある小腸の中には、驚くほどの
微生物が住み着き消化吸収を助けている。代表的なものにビフィジス
菌などがいる。こうした微生物に助けられて生きているのである。

 私達の頭皮にも肌の表面にも、こうした数え切れないほどの微生物
が住み着き身体を守っている。このような事を知っていただろうか。

 私達は自然を克服しただとか、自然を征服したなどと偉そうな事を
言っているが、実は自然を壊しただけなのではないだろうか。自然は
何もしない方がよい。何もしない方が自然は豊かなのである。

 実は地球上では何度となく種が絶滅するような危機を体験している。
しかし、環境が整うと前にも増して爆発的に種も数も増えているので
ある。自然には、そのような力があることを忘れてはいけない。
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結婚式を終えて

2009-05-05 14:49:27 | Weblog
 4月29日朝、児島を出発し軽井沢に。初めての軽井沢である。
Eの結婚式場は樅や唐松と言った針葉樹に囲まれた教会であった。
周辺がガラス張りなので、まるで森の中での結婚式のようであった。

 ここを式場に選んだEたちも、きっと、この雰囲気が良かった
のではないだろうか。会社の上司や同僚、親戚の方々や幼なじみ、
そして私達のようなピースボートの旅行を通じて知り合った友人等
が参列する中で式は厳かに執り行われた。

 そして式の後、記念撮影などがあって、教会に併設されている
明るいレストランでの結婚披露宴となった。Eの相手である男性は
Eと同い年であったが、誰の目にも年上のように見え優しそうな
男性であった。Eにとって、ふさわしい結婚相手ではないだろうか。
私達夫婦も心から祝福している。

 実は、私達夫婦はピースボートの上で彼女からお父さんお母さん
と慕われていた関係上、今回の披露宴では乾杯の音頭を承った。
乾杯前の私のスピーチと、家内が預かってきたしゃべり場仲間の
カードを皆さんに披露し乾杯となった。

 なごやかな披露宴は三時間という予定であったが、あっという間に
終わってしまった。披露宴が終わり招待客が帰る頃、周辺の森は静か
な夕闇の中に消えようとしていた。

 この夜は、E達夫婦が準備してくれた軽井沢の民宿に泊まった。
夜になって、新婚夫婦が帰ってきて彼女たちの友人と一緒に簡単な
二次会が始まった。娘さん達はEの故郷である名古屋から来た人達で
あった。男性の方はEのご主人の方の友人であった。

 こうして夜更けまで賑やかに二次会は続いた。私達夫婦は旅の疲れも
あって少し早めに失礼した。

 そして翌日は、しゃべり場仲間のJさんが段取りをしてくれた
草津温泉に向かった。実は、草津温泉は私にとって長い間のあこがれ
の温泉地であった。

 岡山からは、あまりにも遠い温泉なので話にだけは聞いていたが
一度も行ったことがなかった。軽井沢からの草津温泉行きのバスが
白糸の滝の側を通った時、そう言えば、白糸の滝は高校の修学旅行
で立ち寄ったところだという記憶が甦ってきた。今更ながら、こんな
ところだったのかと再認識した次第である。

 この日、草津温泉は五月の連休だと言うこともあって賑わっていた。
意外にも若者の姿が多いのに驚いた。私は早速、無料だという公営の
温泉に入ってみた。具合良く入浴者は一人もおらず貸し切り状態で
あった。私が上がる頃になって数人の人が入ってきた。

 この温泉は泉源で湯ノ花を取るほどの事もあって、硫黄の匂いが
強烈にするかけ流しの風呂であった。湯量が豊富なことと、硫黄泉
に強力な殺菌力があるとかで塩素系の殺菌剤などは全く使用して
いない気持ちの良い温泉であった。私が湯から上がって待ち合わせ
の場所に行ってみると、家内と友人のJさんは足湯に入っていた。

 軽井沢から草津温泉への行き帰りは、車窓から雪の残る浅間山の
勇姿を十分に楽しんだ。


 この日は、草津温泉から早めに引き返し旧軽銀座などを散策した。
そして、もう一泊し翌日は八ヶ岳、清里に向かった。清里駅からは
ピクニックバスに乗って清泉寮やまきば公園に寄り、更に八ヶ岳
倶楽部に立ち寄った。

 こうしてJさんと一緒の二日間の小旅行が終わり、一路東京に
向かった。Jさんとは途中まで一緒に帰り立川で別れた。私達は
そのまま高田の馬場の息子夫婦の家に落ち着いた。

 翌日は私一人で谷中に行き谷中銀座界隈を散策した。そして谷中
墓地を通り抜け、徒歩で上野駅に向かった。

 夕方は、お嫁さんの家族と待ち合わせをしてホテルニューオータニ
の夕食を楽しんだ。

 翌日は、活弁仲間と一緒に新宿のスペース107で公演初日を
迎えた遊々団ブランジャ・ルージュ・新東京レビュー「メリーゴー
ラウンドトーキョウ」を見た。

 私達が座ったのは舞台から二列目であり、ダンサー達の派手な衣装と
あられもない踊りに目のやり場の困るような席であった。圧倒される
ような思いで舞台を眺めていた。

 歌と音楽そして艶やかな踊り、それに映像と佐々木亜希子さんの
活弁調の説明という、今まで見たこともないような舞台であった。
帰りには、新宿駅近くの居酒屋で食事をし、又の再会を約束して
別れた。

 翌日は半日近くを息子の家で過ごし、夕方になって高田の馬場を
後にした。こうして29日の結婚式から始まった軽井沢、清里、東京
の旅は瞬く間に終わってしまった。

 また、時間的には余裕のある東京滞在であったので、息子夫婦とも
ゆっくり話が出来た良い旅であった。多くの友人や息子夫婦に感謝。
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