人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

リセット

2017-07-09 05:56:21 | Weblog
 いつかは書きたいと思っていたことの一つに生活習慣病がある。実は私自身も定期健康診断の度に
指摘されていることがある。

 体重の問題と、それに伴う胴回りの大きさの事である。要は体重をもっと減らしなさいという指導である。
昔から指摘され続けていて、実は自分自身が一番良く分かっていることなのである。

 だけど自覚症状もなく至極健康で食べるものも美味しい。となると、なかなか誘惑には勝てないで
問題解決を一年ごと先送りしている。

 運動量が足りない、間食が多すぎる。ビールや酒を止めなさい。これらがなかなか実行出来ないのだ。
実はたばこは吸わない。もう何十年も前に止めてしまった。たばこは体に合わなかったようで様々に
悪い現象が現れた。それで止めてしまった。

 私は、比較的薬物関係には敏感なようで、効かないと言われているような薬でも私には良く効く。
カフェインはその象徴のようなものだろう。少しだけ飲んでも夜寝付けなくなる。睡眠が浅くなり
ぐっすりと眠れない。

 飲んでいる内に慣れるだろうと言われるが慣れない。従って、欲しいと思うことはあるけれど
時々、午前中に飲むだけで午後は飲まないことにしている。従って、カフェイン入りの飲料水や
栄養ドリンクも同様である。

 さて、ブログにも書いたことがあるけれど昨年ピロリ菌の治療を行った。それからはすこぶる
胃腸の調子が良くなった。

 私はずっと昔から胃の不調に苦しんでいた。胃の不調は結局、消化器全体の不調に繋がっていく。
若いときは少しばかりのことであれば押し切っていたのだろうけれど、年を重ねるに従ってそうは
行かなくなってきた。思い切って治療して良かった。ためらっている方にはお勧めである。胃がんの
リスクも低減されるらしい。

 さて、人間は生まれてこの方、人それぞれに様々な生活習慣を持っている。歯磨き一つにしても
方法も回数も異なる。

 同じように食べるものにも嗜好、好みがあって食べるものも量も異なる。そうした生活習慣は
成長しつつ形成され、その内にそれが当たり前のようになっていく。

 実は、ものの見方や考え方にも同じようなことが言える。人は同じように見えていて全て微妙に
異なっている。それが生活習慣であってみたり、考え方の違いであってみたりと、こうした違いが
実は体にも心にも大きな影響を与えていることが少なくない。

 ほんの少しだけ見方考え方を変えるだけで、思い詰めていたことや当たり前だと思っていたことが
とんでもない勘違いや間違いだったことに気付くことも少なくない。

 人の心は体にも大きな影響を及ぼしている。体という宇宙服をコントロールしているのは心という
実体のない生き物である。

 そう考えると「病は気から」という古くから言い尽くされてきたことが良く分かるのである。
人間の体は完璧なものではないかも知れないが、進化の頂点にあることから考えるとかなり
完成されたものであることは間違いない。

 そう考えると、心の有り様によって健康に保つことが出来るし、病から縁遠い生活をすることも
出来るのである。

 癌という新生生物もそう言うものかも知れない。複雑な人間という体のプロセスの中に癌という
得体の知れないものを作り出すような何か原因があるのかも知れない。

 そうしたリスクを低減するためにも、心も体もリフレッシュする必要があるのではないだろうか。
うつむいて地面ばかり見て生活するのではなく、たまには良く晴れた青空を見上げて思い切り空気を
吸ってみるのも良いのではないだろうか。

 ともかく何もかもリセットする。私たちが生まれてこの方、当たり前のように行動し、考えてきた
パターンを変えてみる。そうすれば心と体の健康が取り戻せるのではないだろうか。

 リセットするためにお金は必要ではない。今まで当たり前だと思ってやってきたことの一つか二つを
とりあえず変えてみる。あるいは止めてみる。それだけで何かが変わるかも知れない。

 この世の中にこれしかないというものは何もなく、これもあるあれもあるというのが世の中である。
思い詰めるのは止めよう。時の流れに身を任せてみるのも良いのではないだろうか。

 最近、自分をリセットしたかったと言って他人を殺害し、わざと監獄送りになるような人がいるけれど
それはリセットではない。リセットは自分自身で自分自身をを変えることなのである。

 7月9日日曜日、今年初めて蝉の鳴き声を聞いた日。
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赤い雨の正体は何か

2017-07-08 06:16:07 | Weblog
 世界各地で赤い雨が降っている。インターネット上でのオカルト的なニュースかと思っていたら
つい先日、NHKの番組でも取り上げていた。

 赤い雨の正体はいったい何なのか。採取したサンプルを調べてみると正体は微生物であった。
しかもその微生物のDNAは地球上のものではないらしい。

 ある学者は地球上から巻き上げられた微生物が大気中で繁殖し、雨となって再び落下したもの
だと言っている。しかしDNAが地球上のどの微生物とも似ていないとなると話は別だ。

 地球上のものであるにせよ、宇宙から飛来したものであるにせよ、不思議な現象である。
実は一口に微生物と言っても、その種類も生態も良く分からないものが多い。と言うか、
そもそも顕微鏡下で生きたままの生態を調べることは容易なことではない。

 微生物の中には不思議な生態をしたものが数多くいる。その中でもシアノバクテリアというものが
赤い色素を持っている。シアノバクテリアそのものは地球上にごく普通に生息している。

 シアノバクテリアの遠い祖先が劇毒物で満たされた海水を餌に繁殖し、繁殖する過程で
二酸化炭素などを分解して酸素を作り出したとされている。壮大な微生物のドラマである。

 今の植物の中で新芽が赤い色をしたものもあれば、紫蘇の葉のように赤いままのものもある。
決して炭酸同化作用をする葉緑素が緑とは限らない。赤い色をしているものも同じように
炭酸同化作用をするのである。

 従って、今回、世界各地で不思議な光景を呈している赤い雨の正体も、あるいはシアノバクテリアの
仲間かも知れない。そんなものが創生期の地球に飛来し大繁殖したのかも知れない。

 それらが地球上のものでないとするならば何処か遠い宇宙から飛来したものに違いないのである。
そうした微生物は隕石に乗って地球に到達したとき、空気との摩擦によって高温となる。そうした高温にも
耐えられるような微生物と言うことにでもなれば、地球上で大繁殖した微生物もかつてはこうして
地球にもたらされたものかも知れない。

 いわゆる高温にさらされると微生物は死んでしまうだとか、高濃度の宇宙線や放射能の中では
生きていけないだとか、私たちの常識のようなものは通用しないことが、これらの生態を知れば
知るほど明らかになりつつある。

 まるで宇宙は意思を持ったもののごとくドラマチックに生命誕生のプロセスの不思議さを
私たちに突きつけている。そして今や波動というものが宇宙の全てだと言うことも明らかに
なりつつあり、私たちの思考を超越した摩訶不思議な世界を垣間見つつあるのである。

 私たちはいつも言われているように、この世の中の数パーセントにも過ぎないことだけを発見し
全てが分かったような顔をしているけれど、実はその数パーセントも分かっていないのではないだろうか。

 仏教の般若心経は不思議にも我々がやっと明らかにしつつある宇宙の成り立ちについて単純明快に
解き明かしている。「色即是空、空即是色」この世の中は存在するように見えて存在していない。
存在していないように見えて実はそこにある。

 何とも理解しがたい表現ではあるが、ある意味、真理を就いているように思える。実体を
見ているのは自分であって、自分という存在なしに、そこに何かがあるとは言えないのである。
見ようとしている自分自身も脳の働きによって、意思(意識)という波動が生ずるからこそ
見えているのである。般若心経は、そこのところを「色即是空、空即是色と」いう言葉で現している。

 従って、意識の有り様によっては人それぞれに見えている世界が違うのかも知れない。いや、話は
大きく横道に逸れてしまった。赤い雨の話であった。赤い雨の正体が明らかになると、生命誕生の謎や
歴史を書き換えることになるかも知れない。楽しみである。
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ノアの箱舟は現実のものに?

2017-07-08 05:40:13 | Weblog
 昨今の雨の降り方は決して尋常とは言えない。集中豪雨に関するニュースを聞く度に
「過去に経験したことのないような大雨」などと言った表現が使われている。

 「過去に経験したことのないような大雨」とはいったいどんな雨なのだろう。そして、
この振り方は、いったい何処までエスカレートしていくのだろうか。

 私はこうした豪雨からの被害の少ない瀬戸内海沿岸に住んでいるが、それでも過去に
恐怖を覚えるような雨の降り方を経験をしたことがある。電車で児島駅まで帰り、そこから
自家用車で我が家に向かっていたときのことであった。小川トンネルの手前当たりから
急速に雨脚が強くなった。フロントガラス越しに見上げる空は、真っ黒な雲が超低空で
漂っており、瞬く間に前が見えないくらいに降り始めた。バケツをひっくり返したような
雨とは良く言うが、雨粒の見分けがつかないような雨であった。

 もう一度はパプアニューギニアでの体験であった。午前中から蒸し暑いお天気で、空も
どんよりと曇っていた。そして市場に立ち寄った頃から大粒の雨がぽつりぽつりと降り始め
急いで自動車に乗った頃には、たたきつけるような雨になった。熱帯地方の典型的な雨であった。

 覚悟の上での体験だったので、さすがに恐怖心までは感じなかったが、道は瞬く間に川と
化してしまった。港まで帰り着くと、川のようになった道を流れ下った雨が、港に流れ込んで
澄んだ美しい海水は濁った泥水となっていた。すごい降りようの雨であった。さすが熱帯の
雨であった。

 今、世界各地でひんぴんとして異常気象による様々な事象が生じている。滅多に雨など
降ることのないような中東の砂漠の国で洪水が発生したとか、大気が不安定で積もるほどの
雹が降ったとか、大寒波や熱波などと通常では経験することのないような異常気象が
それぞれの国で発生している。

 この異常気象は、何処までエスカレートしていくのか分からない。そんなことを想定して
パリ協定が締結されたのに、アメリカのトランプ政権はパリ協定離脱などと言っている。

 既に、ただちに二酸化炭素の排出をゼロにしたとしても始まった異常気象を止めることは
出来ない。ましてや今まで通り際限なく排出を続ければ未来の状況は更に悪化するであろう。

 文明と言うものが始まって以来、人類は地球上の全てのものを巻き込んだ初めての経験を
している。かつて地球上では温暖化と寒冷化が繰り返されてきた。しかしその周期は人間の
一生などと言う短いスパンではなく、非常に長いスパンでのものであった。

 それがここ数十年の間に一気に進もうとしている。ある人は太陽活動によるものだと言っている。
仮にそうだとしても、異常気象は尋常ではない。早くも今年は北九州一帯で激しい雨、それも
記録的な長時間降り続く事によって甚大な被害が発生している。一時小康状態になったとは言え
梅雨の真っ最中である。今後の予測は付かない。被害状況さえつかめないままに更に降ったら
どうなるのだろう。

 私たちは何かを得て何かを失った。そんな感じがしてならない。豊かさと引き替えに天災と
いう大きな負の部分を背負わなければならなくなっている。最早、将来を夢見て胸をときめかす
そんな時代は終わったのだろうか。

 神はおごり高ぶる人間どもに対し鉄槌を加えつつある。旧約聖書に出てくるノアの箱舟の話に
良く似ている。しかし、物語の世界が今、現実のものとなって私たちに突きつけられている。
水の扱いを粗末にして、あるいは水を汚して、水による逆襲を受けつつある。こうした水による
様々な天災は、神から突きつけられた警告と思えてならないのである。
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