Nastro azzurro

思いつきで書いていきます。ビールとは関係ないです。

初めて海外へ旅行した時の話(その5)

2016-11-20 | 旅行の話
つづきです。

で、
「外国人専用切符窓口」にたどり着きましたよ。

ここの「服務員」さんも、まあ、いい加減でしたね。仕事はしているんですけど、「サービス」という考え方は皆無。
自分たちのペースでやってるから、日本から来た私から見れば、「全く仕事をしていない」と見えました。でも、もうわかっていたので、それに怒ったりはしません。

さあ、切符を買うのだが、この窓口でも、「並ばない」というか、並んでいてもダメなんですね。

とにかく、窓口の中の人の気分次第だから、とにかくアピールして気が付いてもらわないといけないんです。

客はみな外国人だけどとにかくその中でも目立たないといけないのですよ。 変でしょうw


窓口の前で、パスポートとお札をかざして、中の人を呼ぶんです!


私の番になって、あらかじめ買った時刻表で調べておいた列車の切符を1枚ほしいと、伝えました。
たしか、念のため紙にも書いて見せたと思います。


夜行列車には4等級あります。
1.軟臥(一等寝台)やわらかいベッド
2.硬臥(二等寝台)かたいベッド
3.軟座(一等座席)ベッドはないがやわらかい座席
4.硬座(二等座席)ベッドなしでかたい座席

基本的に、外国人は「軟臥(一等寝台)」しか買えません。
でも、それでいいと思っていました。

当時、座席指定の機械というか、システム機器もないのに、どうして予約できるのか、今思えば不思議なんですけど
とにかく、何時のどこ行きでどこまでを伝えたのでした。

窓口の服務員さんが間髪入れずに言いました。
「没有!」(「無いよ!」)

出た出た。と私は思いました。
あらかじめ聞いていたのですが、これは、本当に切符が無いのではないのです。

切符の発券手配をするのが面倒なので、「無い」というのだそうです。

これが、社会主義国です。

「そんなはずないでしょうよ、しっかり調べてみなさいよ、私はその列車に乗りたいんですよ、お願いしますよ、どうしても乗るんですよ・・・」と、
これくらい言って初めて、嫌々ながら切符の発券を始めるのです。

恐るべし、社会主義国w

その日の夜8時ごろに出る夜行寝台で、長春まで行く切符を入手できました。

手荷物預かり所に荷物を預けて、
市内観光に出かけました。

戒厳令下の北京、いろんなことがありました。


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つづく・・・

初めて海外へ旅行した時の話(その4)

2016-11-19 | 旅行の話
ながらく間があいてしまいました。

初めて海外に行った時の話を続けます。

「当時の支那で個人旅行者が切符を買うのはとても大変だった。」というところまで前回書きましたが、それはどういうことか。

今はどうなっているのか知りませんが、当時は自国民ですら自由に国内での移動をすることが難しい時代でした。

駅の切符売り場にもはっきりと「優先順位」が書いてありました。たしか、1.共産党幹部 2.軍人 3.共産党員 4以降は忘れたけど、そんな感じで、さらに「外国人」は別枠で、専用の売り場に行かなくてはなりませんでした。

一般の窓口ではないというのは、ある意味では優遇されているとも言えます。とにかく一般の切符売り場は「めちゃくちゃ」でしたから。
もちろん、自動販売機などはありませんし、客は並ばないし、しかも窓口の中の人は「働かない」! 支那語で「服務員(サービス員)」と呼ぶのだが、サービス精神なんか全くない人たちです。切符を求める人が大勢窓口に群がっているのに、気分次第ではお茶を飲んでいたりしました。

まあ、そんな感じでいかにも「『社会主義国』だなあ」と逆に興味深く思ったほどです。

外国人専用切符売り場は駅の奥のほうにあって、そこまで行くこともなかなか大変でした。

当時、北京市は「戒厳令下」だったからか(あるいは、いつもそうなのかもしれませんが)
駅舎の入り口で銃を持った兵士が検問をしていました。
身分証の提示を求められたので、パスポートを見せると、あっさり通してくれました。

奥にある専用窓口に行くまでも何度か止められて、そのたびに日本のパスポートを見せたのですが、日本のパスポートとわかるとすぐに通してくれました。水戸黄門の印籠みたいでした。


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つづく・・・