Nastro azzurro

思いつきで書いていきます。ビールとは関係ないです。

初めて海外へ旅行した時の話(その11)

2017-01-18 | 旅行の話
つづきです。

翌朝、目が覚めてしばらくした時には、たぶん瀋陽(奉天)付近を通っていた記憶があります。

長春(新京)に着いたのは昼時でした。(正確な記憶がないのですが)

車掌さんは確かに、私が降りる長春(新京)の手前で、切符をもってお知らせに来てくれました。

朝食はどうしたのか覚えていませんが、おそらく持ち込んでいたパンか何かを食べたような記憶です。
その時にコーヒーを飲んだ記憶はたしかです。私が持ち込んでいたインスタントコーヒーを飲んだのです。

パキスタン人に「皆さんも飲みますか?」って聞きました。(そう言った後すぐに私は、「絶対に飲まない」と気が付いたのですが)
すると、やはりパキスタンの皆さんは、コーヒーは断って、紅茶を飲んでいました。もちろん彼らが持ち込んだ茶葉で。
さすがは、英国文化だなーと思いました。

軟臥(一等寝台)のコンパートメントには、4人分のカップと魔法瓶が備えられています。
そして「お湯」は、列車の服務員さんが配りに回ってくるので、それぞれ持ち込んだもので、飲むことができるのです。

長春駅で、パキスタンの皆さんとお別れして
私は降りました。


長春(新京)駅です。


まずは、次の切符を買おうと思って切符売場へ行ったのですが、
北京駅とは違って「外国人窓口」は無く、
前にも書きましたが、とてもまともに切符を売ってくれる雰囲気ではありませんでした。

「まあ、そういうことであれば、確実に切符を手配してくれる方法を使うしかないな。」と思いつつ、それは後で何とでもなるから
次に、ホテルへ行きました。とはいえ、飛び込みです。

実はこの旅は「満州国を訪ねる」というのが大テーマでして、
ホテルはやはり、「ヤマトホテル」に泊まりたかったのです。

「新京ヤマトホテル」です。もちろん名前は「長春賓館」に変わっていましたが、建物は満州国時代のままです。

「空いている部屋はあります?」と聞いて、「ありますよ。」と
その日に泊まるところが決まりました。

私はその時とてもおなかが減っていたので、部屋に入る前に、「今、食事はできます?」ってフロントで言ったんです。
今思い出しますと、食事くらいは部屋に入ってからホテルの外に出たらいくらでもできたのにって考えるんですが、
何しろその時は、前日北京の屋台で昼食を食べた後に見た光景が印象深くて、とても街中で食事をする気持ちにもならなかったのです。
ホテルの食堂に案内されて、「何でもいいからお昼ごはんを作ってください。」と注文したのでした。
鶏肉の炒め物とご飯が出てきました。
ホテルの服務員さんはとても不思議そうな顔をしていたのが印象的です。
たしかに、チェックインすると同時に、「飯食いたい」ってのは、珍しいですよねw 
でもそのとき私は、寝台車の長旅の疲れもあって、ほかのことに気が回っていなかったのだと思います。


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つづく・・・

初めて海外へ旅行した時の話(その10)

2017-01-05 | 思いつきの話・思い出の話
さて、つづきです。

「特別待合室」の話から。


ここは、「軟臥(一等寝台)」の切符を持っている人だけが入れる待合室です。

入口に、女性の「服務員」さんがいまして、切符を改めるのですが、
ここの服務員さんは、これまでいろいろなところで見てきた服務員とは全く違って、
丁寧な対応をしました。

切符を見せると  (というか、外国人だとわかっていることもあるのでしょうが・・)、
「ささ、こちらへどうぞ(^O^)/」という感じで、案内してくれました。

一般待合室が、前に書いたようにひどい状況の中、特別待合室は、ソファーでゆったりとできるのです。

「軟臥(一等寝台)」の切符を買える人は限られていると、前にも書きましたが、
その中でも「共産党幹部」とかは、おそらくもっと別の待合室があるのでしょう。
北京駅の特別待合室には、当時、外国人しかいませんでした。しかも、戒厳令下だったこともあってか、わたしのほかには、数人しかいませんでした。(日本人は私だけだった)

特別待合室の「服務員さん」は、わたしをソファーに案内し、
「列車が着きましたらお知らせしますから、どうぞごゆっくり。(⌒∇⌒)」って感じで、

社会主義国って、ほんとうに「階級社会」なんだなあーーーと、思ったものです。
共産主義は「平等」という、宣伝のウソについては、その当時から伝え聞いていましたが、それを実体験したわけです。

さて、いよいよ列車が到着したらしく、先の「服務員さん」がお知らせに来てくれました。
「ささ、こちらからホームに入ってくださいね。」と、

改札も、一般乗客とは別になっていました。


「軟臥(一等寝台)」の車両は列車の前方にありました。
後ろのほうの車両は、「硬座」という「寝台が無くて硬い座席」なのですが、一般待合室にいた人らはそこに乗るのです。押し合いへし合いしながら。(座席指定もないし)

そんな人たちを横目に見ながら

私は駅員さんに出迎えられつつ、列車に乗り込みました。

乗り込みますと、4寝台のコンパートメントで、
私のほかの3人は「パキスタン人」の商社マンでした。その人たちは
パキスタンの衣装を着ていました。

3対1の相部屋w

でも、そのパキスタンの3人はとてもフレンドリーで、
さらに、わたしが「日本人」だとわかると、とても喜んでくれました。
(日本人は人気があるんだなあと思いました。ありがたいことです。)

パキスタンの人たちは、とても親しく「英語」で話しかけてくれたんだけど
わたしは、支那語でせいいっぱいなところに英語でお話しするのは、大変でしたよw

でも、ブロークンでも、意思疎通はできました(^O^)/

その時から、今に至るまで、わたしは「パキスタン人」と話したことはありませんから、これはすごくいい経験ができたのだと思っています。

私は下の寝台の切符を持っていたんですが、
パキスタン人の一人(おじさん)が、「上と代わってくれない?」って言ってきたので、
私は若かったし、寝るときだけのことだから、代わってあげました。

列車が動き出してしばらくしますと車掌さんが来ました。

検札?っておもったのですが、それだけではありませんでした。

「切符を預かってくれるという」のです。
そして、着駅が近づいたら知らせてくれるのだそうです。

さすがは「軟臥(一等寝台)」!! というか、徹底した階級主義wwww
「共産思想って、「階級の破壊」から始まったんじゃなかったでしたっけwww」
と、思いつつ、おおいに、上流階級気分を楽しみましたよwww
(大変気持ちよかったですw)


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つづく・・・