Nastro azzurro

思いつきで書いていきます。ビールとは関係ないです。

初めて海外へ旅行した時の話(その3)

2016-09-20 | 旅行の話
つづきです(^O^)/

北京の2日目は雨でした。
合羽を着て、北京駅に向かいました。

とはいえ、ホテルから駅までどうやって行けばいいか分からないので、
とにかく、ホテルの近所のお店とかに入って、「北京駅へ行きたいんですが、どうやって行ったらいいですか?」と
聞いて回ったのです。

タクシーには乗らないことにしていたので、とにかく聞いて回りました。

「バスに乗っていったらいいよ」って教えてくれるんだけど、
「では、どこからどのバスに乗ったらいいのか?」と聞いたら、
「そこまではわからないなあー」という人が多かったです。その人たちも北京駅に行く用事など今までないからわからなかったんだと思います。

そうしているうちに何とか、「あそこのバス停から乗ったら北京駅に行けるよ(^O^)/」という情報を得ました。

さて、その当時のバスです。
事前に聞いてはいたのですが、それでも大変でした。

まず、バスに乗るのが一苦労。
というのも、降りてくる人と乗る人が同じドアでぶつかるのです。
日本でしたら、降りる人と乗る人が別々のドアを使うことになっていることが多いし、
仮に同じドアであっても、降りる人が先って、なってますよね。

でも、そんなことはお構いなしです。
降りる人も乗る人も我先にドアに殺到して押し合いへし合いなのです。
それが当時の(今でもかな?)常識でした。
そんな常識の中で、わたしだけが「日本式マナー」でいたら、いつまでたってもバスに乗れないので、
私も、ドアが開いたらただ乗ることだけに専念してw
何とか乗りました。

当時は(今はわからないのですが)バスに車掌さんがいて、車掌さんに行先を言って料金を払う方式でした。

バスの中が混んでいますと、後ろのほうからお金を車掌さんに渡してくれという人がいて、乗客がリレー方式で車掌さんまでお金をつないで、
乗車券?みたいなものをまたそのお金を払った人に手渡しでリレーする。というシステム?もありました。
(こんなルールができるんだったら乗り降りももっとスマートにしろやwと、思ったものです。)

そんなこんなで、無事に北京駅に到着。

なぜ、朝っぱらから北京駅だったのか?
それは、列車の切符を買うためでした。

当時、(個人旅行者が)列車の切符を買うというのも大変なことだったのです。


人気ブログランキングへ

(つづく・・・)

初めて海外へ旅行した時の話(その2)

2016-09-16 | 旅行の話
つづきです。

北京空港からホテルまで、正確には覚えていないのですが40分くらいかかったような気がします。

その途中で、運転手さんから、ある提案がありました。

それは、「明日は万里の長城に行こう。」ということでした。
「明日、ホテルに迎えに来てあげるから万里の長城へ行こう。もちろん往復する。で、今日の支払いは明日の分とまとめて払ってくれたらいい。」
と言うのです。

私は、万里の長城へは行く気もなかったし、運転手さんの言うまま万里の長城まで往復したら、いったいいくらぼったくられてしまうのか?と思いましたので、断ったのですが、

今日の分の料金を払えない(現地通貨を持っていない)弱みと、私の語学力の不足もあって、結局は運転手さんに押し切られてしまったのでした。
名前を伝えて明日の何時に迎えに来るのかという話もしました。

で、空港からホテルまでの運賃はその日は払わなかったのです。

だがしかし、繰り返しますが、その時点で私はそこのホテルに泊まれるかどうかまだ分からない状態でしたのに、運転手さんもある意味素直というか素朴な人だったのかもしれません。(まあ、私がそういう事情を話さなかったのも悪いのですけれども。)

ホテルで無事に空き室があって、その日はそこに泊まれることになりました。
そして、フロントでやっと両替をしてもらうことが出来ました。
その当時は「トラベラーズチェック」を持って行っていました。「現金よりも安全」とその当時は言われていました。

たぶん、ホテルに着いたときにはもう夕方だったと思うのですが、
私はまず、ホテルの近所で
「時刻表」を買いました。

実は次の日には列車に乗ることを決めていたのです。

空港からホテルまで送ってくれたタクシーの運転手さんには、本当に申し訳ないとは思ったのですが、私は当初の予定を変えませんでした。

翌朝、
迎えに来るはずの運転手さんにはいくらかの現金とお詫びの手紙を封筒に入れて、ホテルのフロントに事情を話して預けて、
運転手さんが来るはずの時間より前にそのホテルをチェックアウトしました。
あのお金は本当に運転手さんに渡ったのかどうかはわかりません。
でも、仕方なかったのです。
その時の運転手さんごめんなさい。


人気ブログランキングへ

つづく

初めて海外へ旅行した時の話(その1)

2016-09-12 | 旅行の話
(^O^)/

もうだいぶ前のことなので、正確に覚えていないこともあるのですが

私が初めて海外へ行った時の話を
書いてみようと思います。

旅行費用は、アルバイトをして得ました。

学生でしたので、夏休みに旅行しました。
支那語を専門に学んでいる学生でしたので、行先は支那(中華人民共和国)でした。

その当時は、もちろん「インターネット」など まだ無く、

でも、少しでも安いチケットを求めるため、当時はまだあまり大手とは言えなかった「HIS」でチケットを手配してもらい、
同時に、入国ビザの手続きもお願いして、行ったのです。

「関空」もまだありませんでしたから、伊丹空港から出発しました。


当時、支那(中華人民共和国)では、「個人旅行者があらかじめホテルを予約する」ということは不可能で(!)
私は泊まる宿も決まらないまま、まさに片道切符のみで
伊丹から出発したのです。

民航(当時の中華人民共和国のナショナルフラッグ)の飛行機でした。当時の時代的背景もあって乗客はほとんど支那人でした。

機内食がどうだったとか、何時間くらいかかったのかとか、あまり覚えていないのですが
とにかく、北京空港に着いたのです。(この時点では泊まるホテルが決まっていないw)

で、いきなり困難が起こりました。

何らかの事情で(本当になぜだったのか、今でもわからないのですが)
空港の「両替所」が全部閉まっていたのです(´・ω・`)

「どうしたものか・・・」
焦りはしましたけど、「支那(中華人民共和国)」なら、こんなこともあるんだろうと、まあ、若かったこともあり
何とか受け止めて(というか、暢気だったんでしょう)、

空港にある「宿泊案内所」みたいなところに行ったんです。

で、お金がない(両替できない)けどどうしたらいいか、どこへ行ったらホテルがあるかなどを訊いてみたんです。

まあ、その案内所の人もいい加減なもので、
ホテルがある場所は教えてくれたんですけど、両替ができないことについては「ホテルに着いてから両替したらいいじゃん」みたいなことを言って

「まあ、仕方ないなあ。」と思ったのでした。

でも、現地通貨を持っていないから、バスにも乗れず、
当時一番避けるべきと言われていた「タクシー」に乗って移動せざるを得なくなりました。

なぜ、「タクシーを避けるべき」と言われていたかといえば、それは「料金が明確ではない。」からでした。
メーターが不正確だったり、動かなかったり、そもそもメーターが付いていなかったり、という話を、事前に聞いており、
出来ればタクシーを使わないほうがよいと言われていたのです。
でも、お金がないから仕方なく、
タクシーに乗ってホテルまで行って、そこで両替して支払いをするしかなくなりました。

人間、追い込まれたら、それなりに覚悟が決まりますねw
タクシーに乗ろうと意を決めて
さて、どうしようかと思っているところに、

タクシーの運転手さんもさすがにそういう人を見逃しません!どんどんと客引きに来ました。

私は、「客引きにくるタクシーには乗らないほうが良い」とも聞かされていましたので、それらの運転手さんをなんとかかわして、
停まっているタクシーを選ぼうと思っていたのですが、
ほとんどのタクシーの運転手さんが「客引き」をしていて、

もう、面倒くさくなってw ある運転手さんについて車のところまで行きました。
すると、車はたしかに他のと同じタクシーなのに、
屋根の上に「TAXI」の表示がないのです。

私「本当にTAXIなの?」
運転手「そうだよう」
私「屋根の上に表示がないですが」
運転手「それなら、ここにあるよう」(と言って、車内からTAXIの表示を出してきた)
私「メーターは動くの?」
運転手「大丈夫だよう」

すっかり安心したわけではなかったのですが、なにしろ私はその時点で「現地通貨をもっていない」し、
しかも、泊まるホテルも決まっていないという立場でしたので、

その運転手さんの言うことを信じて、さきほど案内所で聞いたホテルまで行ってもらうことにしたのです。(ただし、そのホテルの予約はない!)

こんな、私の初めての海外旅行。今考えたら我が事ながら、すごいねw

人気ブログランキングへ

(つづく)