虚構の世界~昭和42年生まれの男の思い~

昭和42年生まれの男から見た人生の様々な交差点を綴っていきます

黄昏のモノローグ~嫌な人たち~

2017-11-16 17:46:40 | 小説
*このお話はフィクションです。

 今日も一日が終わる。

 雪が降り、街全体が白っぽくなった。

 寂しさが余計に倍増する釧路の街。


 今日も終わったと何となく重いため息をつく・・・。


 常に文句を言い、人の足を引っ張る以外に楽しみがないの?と思うような人は、どこの会社、職場、街にもいる。


 憎らしい人々はこれでもかこれでもかと出てくる。


 こんな人たちとの戦いの日々は一生続くのだと思う。


 こんな人たちから攻撃を受けているときに、気持ちを取り乱さないことが大切だ。


 今日もたくさん傷つくことを言われた。怒りに震えた日々だった。

 けど、また明日もがんばろうと思う。



 50歳の方々へ・・・。私だけでないはずです。こんな思いをしているのは・・・。


 苦しみの中でもささやかな幸せを感じながら生きていきましょう!

黄昏のモノローグ~喪中のハガキ~

2017-11-16 12:31:15 | 小説
*このお話はフィクションです。

 時期的に喪中の葉書が来ることが多い。

 私の世代、50歳くらいは、まだ年賀状のやりとりが続いていることが多い。

 メールやラインなどのSNSが普及しても、年賀状を続けている人はまだそれなりにいる。


 昨日、家に一通の喪中の葉書が届いた。

 同じ職場にいた先輩の女性だ。私が新入社員だったころ、とてもお世話になった。


 お世話になったというより、よく助けてもらった。仕事上のミスをさりげなく指摘してくれて、それでいて嫌味のない指導をしてくれた。

 お金もなかったので、よくおごってもらった。

 私は15歳ほど年上だった彼女のことを「姉さん」と呼んでいた。

 姉さんはバツイチの女性だった。親と同居していたはずだ。一度、自宅に仲間と招待されて、鍋をごちそうになったことがある。


 両親が温かく迎えてくれたのを昨日のことのように思い出す。


 その姉さんの父親が亡くなったという喪中の葉書だった。


 姉さんは、60歳まで勤め上げて退職した。途中、別会社に異動となり、顔を合わせることはほとんどなかったが、年賀状だけは続いていた。

 私が係長・課長・部長と昇任していくだひに、「順調に出世してうれしい限りです。私の目に狂いがなければ社長になるはずだからね。しっかりがんばりなさい」と記されていた。


 私の味方であり、応援団として、ずっと陰ながら支えてくれた。




 たった一枚の喪中の葉書を今眺めていた。


 葉書には創造性がある。そして優しさがある。


 



黄昏のモノローグ~テクニック~

2017-11-16 07:23:21 | 小説
*このお話はフィクションです。

 先日、お客様にどうしても納得してもらわなければいけない案件があった。

 私は何日も前から用意周到に相手を納得させる準備をした。

 いろいろなテクニックを使って、相手を納得させようと必死だった。


 そして相手と向かい合った。

 相手は私よりはるかに百戦錬磨の方だ。私の小細工を見抜いていた。


 主導権は相手が握っていた。


 この案件は引き下がるしかないと思った。


 しかし、ダメだと思ったら何だか力が抜けて、素でぶつかってみようと思った。


 本音で本気になって自分の考えを伝えた。


 風向きが変わった。



 「最後の話は説得力がありましたよ」



 そういってこちらの要求を聞いてくれた。



 小細工よりも本気でぶつかっていく・・・。



 さて今日も本気でぶつかっていこう。


 暗い雲の間から朝日が降り注いでいる釧路特有の天気。


 今日も必死になって不器用に生きている自分がいる。