イタリア・トリノの冬季オリンピックも無事終了したが、日本勢のメダル獲得は金一つと実に不甲斐ない有様だと思う。
この金の荒川静香嬢の演技は素晴らしかった。
私もこの時はたまたま早く起きたのでテレビのLIVEで見ていたが、彼女の演技は素晴らしかった。
その前に演じた安藤美姫嬢の場合、いくら4回転といっても失敗してしまえば元も子もないわけで、村主嬢の場合はたぶん緊張していたのであろう、精彩に欠けていた。
冬季オリンピックの場合、日本のお家芸はやはりジャンプとフィギアスケートとなるでしょうが、問題は冬季のスポーツとしての醍醐味の一番濃厚な競技はスキー競技だと思う。中でもアルペンに他ならない。
が、この種目では日本選手の層の薄さが気に掛かる。
モーグルとかスケートボードというのは新しい種目であるが、伝統的な種目といえばやはりスキー競技のはずである。
その競技に対する日本選手の層の薄さは一刻も早く克服すべきだと思う。
そうは言うものの、3位と4位の差が0.03秒ということになると、もう素人の目でははっきり言って優劣はわからない。
ただ計測をしているので、この差が歴然と現れている以上、着位をつけなければならないであろうが、そこがスキー競技の難しいところでもある。
しかし、オリンピック競技というのはあらゆる種目で1秒の何分の一を争うということである以上致し方ないとは思う。
私が憂いていることは、スキー競技はある種の格闘競技だと思うが、当事者に格闘技という認識がないのではないかと思う。
少なくともアイスホッケーなどという競技はスキーではないが完全なる格闘技である。
スキー競技の滑降とか、大回転などという競技も、私に言わしめれば格闘技だと思う。
こういう種目を格闘技と捉えた場合、日本人は民族として、国民全体として、どうも尻込みをしてそういう考え方に至っていないように見えてならない。
格闘技といっても相手がいるわけではないので、所詮は自分との格闘になる。
そこで、斜面に対する恐怖、旗門に対する恐怖、先行選手のタイムに対する恐怖に戦いを挑むという精神力・闘魂が必要になるのではないかと想像するが、そういう場面に立たされたとき、我々日本人は実に柔軟で軟弱な思考になるのではないかと思う。
戦後の日本人は、闘魂丸出して何事かに挑戦する、戦うというポーズを極力戒めてきたわけで、露骨な反逆精神、不撓不屈の精神、反発精神、敵を叩きのめそうという発想、というものを好戦的という表現で好ましくない心構えだと捉えているのではなかろうか。
スキーのダンヒル、回転、大回転などという競技は気持ちの中のそういうものを持っていないことには滑れない競技だと思う。
アイスホッケーなどという競技は、まるで公認の喧嘩とでも思わないことには相手に勝てないと思う。
この金の荒川静香嬢の演技は素晴らしかった。
私もこの時はたまたま早く起きたのでテレビのLIVEで見ていたが、彼女の演技は素晴らしかった。
その前に演じた安藤美姫嬢の場合、いくら4回転といっても失敗してしまえば元も子もないわけで、村主嬢の場合はたぶん緊張していたのであろう、精彩に欠けていた。
冬季オリンピックの場合、日本のお家芸はやはりジャンプとフィギアスケートとなるでしょうが、問題は冬季のスポーツとしての醍醐味の一番濃厚な競技はスキー競技だと思う。中でもアルペンに他ならない。
が、この種目では日本選手の層の薄さが気に掛かる。
モーグルとかスケートボードというのは新しい種目であるが、伝統的な種目といえばやはりスキー競技のはずである。
その競技に対する日本選手の層の薄さは一刻も早く克服すべきだと思う。
そうは言うものの、3位と4位の差が0.03秒ということになると、もう素人の目でははっきり言って優劣はわからない。
ただ計測をしているので、この差が歴然と現れている以上、着位をつけなければならないであろうが、そこがスキー競技の難しいところでもある。
しかし、オリンピック競技というのはあらゆる種目で1秒の何分の一を争うということである以上致し方ないとは思う。
私が憂いていることは、スキー競技はある種の格闘競技だと思うが、当事者に格闘技という認識がないのではないかと思う。
少なくともアイスホッケーなどという競技はスキーではないが完全なる格闘技である。
スキー競技の滑降とか、大回転などという競技も、私に言わしめれば格闘技だと思う。
こういう種目を格闘技と捉えた場合、日本人は民族として、国民全体として、どうも尻込みをしてそういう考え方に至っていないように見えてならない。
格闘技といっても相手がいるわけではないので、所詮は自分との格闘になる。
そこで、斜面に対する恐怖、旗門に対する恐怖、先行選手のタイムに対する恐怖に戦いを挑むという精神力・闘魂が必要になるのではないかと想像するが、そういう場面に立たされたとき、我々日本人は実に柔軟で軟弱な思考になるのではないかと思う。
戦後の日本人は、闘魂丸出して何事かに挑戦する、戦うというポーズを極力戒めてきたわけで、露骨な反逆精神、不撓不屈の精神、反発精神、敵を叩きのめそうという発想、というものを好戦的という表現で好ましくない心構えだと捉えているのではなかろうか。
スキーのダンヒル、回転、大回転などという競技は気持ちの中のそういうものを持っていないことには滑れない競技だと思う。
アイスホッケーなどという競技は、まるで公認の喧嘩とでも思わないことには相手に勝てないと思う。