ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「問答有用」

2009-04-24 07:19:59 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「問答有用」という本を読んだ。
田中真紀子と佐高信の対談であったが、私は個人的に佐高信が嫌いだ。
何故に嫌いかといえば、彼は自分達の国の指導者というか、政治家に対して不遜な物言いをするので、その言葉に嫌悪感を覚えるからである。
政府や行政に対して不満を述べることは、批判は批判として受け入れることができるが、その中にも言葉のセンスというものは当然生きているわけで、彼のもの言いにはその言葉の中に軽蔑が込められているから我慢ならない。
今の日本の政府の要人は、いわゆる国民から選出された人々である。
官僚は国家公務員試験をクリア―してその地位を得ているが、政治家や代議士というのは国民から選出された人たちであるので、個人的にいくら気に入らないと言っても、その背景には選挙民の気持ちを背負っているはずなので、ある程度は敬意をもって接すべきものと思う。
批判するということはヤクザの喧嘩ではないので、言葉と言葉の戦いである以上、相手を頭から軽蔑するような物言いは厳に慎むべきだと思う。
相手の思考が己と相容れないとしても、相手の人格を否定するような物言いは、言う方の品格の問題だと考えている。
一方、田中真紀子は田中角栄の娘としては少々品位に欠けるようにも見える。
特に我慢ならないことは自民党を抜けたことだ。
今の時点で、民主党の小澤一郎の肩を持つ態度はどうにも解せない。
小泉純一郎が総理大臣になった時に、外務大臣として外務省の改革をしようとして、それに挫折してからというもの自民党を割って出てしまったので、その反動として民主党に擦り寄らざるを得なかった、という部分に信念の欠如があるように見える。
思えば、民主党というのも半分は元自民党のメンバーで成り立っているようなもので、こういう元の自民党のある派閥が民主党に名義変更するというのも、政界の摩訶不思議なところではある。
ところが昨今の民主党の主張というのは、何でもかんでも政権交代を要求しているわけで、政権交代すればそれだけで今の日本の現状が好転するという論理は、あまりにも無責任きわまる。
政党であるからには、政権を担うという理念は捨てがたい願望であろうが、ただただ自民党のすること成すこと反対さえすれば世の中が良くなる、などという論理はあまりにバカバカしい話だ。
小泉首相の時、小泉氏と考え方が違うというだけで、党を割って出た人がかなりいるが、田中真紀子もその中の一人である。
小泉氏とは相いれないという信念で党を出た人の後釜に、小泉チルドレンという若手がその抜けた跡を埋めたわけであるが、この対談の主人公は、それが気に入らないわけで、その点で見解が一致している。
政治というのは基本的に誰がリーダーであったとしても批判は免れないものだと思う。
一つのことを実践すれば、それには必ず利害得失が伴うわけで、そこには当然批判というものが生まれるのであって、その批判が国民全体の利益を否定するものであってはならない。
益する人が過半数ならば、その施策は由としなければならないと思う。
何かを改革すれば、その改革によって損害を被る人が必ずいるわけで、その損害を受ける人よりも得をする人が多ければ、それは容認せざるを得ない。
改革を迫られるということは、そこに不当な利益を得てる人がいるということで、その不当な利益の部分は公平に分配されなければならないことは言うまでもない。
既得権益を維持したいというのは当然のことで、改革をするということは、その既得権益を御破算にするということであり、当然、そこには抵抗勢力が生まれる。
世の評論家という人々は、こういう場面で、当事者の全員が納得する方策ということを旗印にしがちであるが、そんな八方美人的な良い子ぶった綺麗事の解決方法はありえない。
何処かで誰かに犠牲というかしわ寄せがいくとことは避けられない。
政府というのは、そういうことを十分理解したうえで、少数の既得権益にしがみついている人よりも、大多数の人達の利便、つまり公共の福祉を図らねばならないのである。
政治には犠牲が伴う以上、政府に対する批判というのは避けて通れない道である。
私は、政府から提灯持ちの金をもらっているわけではないが、政治というものを冷静に観察すれば、こういうことになると思う。
政治課題の一つ一つにそれぞれに意見の相違というのはついて回るわけだが、民主政治というのは、国民の最大多数の最大幸福を追求するものではあっても、その全ての幸福には至らないのも無理ない話だと思う。
ところが政府を責める側は、国民の100%の人の完全な幸福を政府に負わせようと、それを追求するわけで、それはある意味でまことに無責任な態度だと思う。
民主主義の政治体制の中で、国民の全部が納得する政治というのはありえないわけで、そういう前提の中で、「全員が納得していないから政権交代せよ」という論理は間違っていると思う。
この本の二人の論者は、それを言っているわけで、それは批判のための批判になってしまっている。
ある一つの施策に対して、その方法論は幾つもあるわけだが、政府としては、その方法を二つも三つも取りえないわけで、当然一つに絞らざるを得ないが、折角一つに絞り込んだものを否定するということは、何もせずにおけというに等しい。
こんなことは普通に常識のあるものならば自明のことで、ことさら大声で叫ばなければならないことではない。
こういう中で、田中真紀子が小澤一郎に肩入れするというのは明らかにおかしいことだと思う。
しかし、小泉純一郎の後の自民党総裁の面々には、彼らでなくともいささか愛想がつきたことは当然である。
あまりにも情けないというか、ふしだらというか、無責任というか、言葉がない。
日本が戦争に負けて、アメリカ占領軍のトップのマッカァサー元帥がいみじくも言ったように、日本の政治の状況はまさしく12歳の子供の政治でしかない。
以前、言われたように、経済は一流だが、政治は三流という言葉も、まさしく至言だ。
昭和の初期に日本が戦争に嵌り込んでいった過程も、突き詰めれば政治の未熟であったと言える。
軍人がのさばったことは歴然たる事実であるが、政治の世界に軍人が口を挟むことを許した責任は、政治の側にあると思う。
いくら軍人がサーベルの音をガチャつかせても、当時の政治家が毅然と立ち向かえば、軍人が政治を司る隙はなかった筈だ。
政治家が軍人のテロを恐れる気持ちは分からないでもないが、政治家を志す以上、テロの標的になることは覚悟の上ではなかったのかといいたい。
政治家というのは、いわゆる口舌の徒で、口先で如何様にも自己の利益を追求してやまない人たちなので、そこには国民のためという意識が薄れていたからに違いない。
ただ我々日本民族の場合、組織が組織自身の保全のためにしか機能しないわけで、官僚は官僚のため、軍人は軍人のため、政治家は自分の属する政党のためにしか意識が機能していないのではなかろうか。
そこでは国民不在なわけで、官僚も、軍人も、政治家も、誰一人国民のことを考えていなかったのではなかろうか。
そういう状況下でありつつも、日本の敗戦時において、大日本帝国の政府としてはきちんと機能していたわけで、あの時点でも無政府状態ではなかったわけだ。
ドイツの降伏は、全土が壊滅状態であって、ドイツ政府というのは崩壊して存在しておらず、まさしく無政府状態っであったので、無条件降伏であったが、日本の場合はきちんと政府というものは機能していたわけで、ポツダム宣言をきちんと受諾して降伏したことは、決して無条件降伏ではなかったが、9月2日の降伏文書の調印の時に、マッカアサーが文書に小細工をしたので、そういう風に思い込まされてしまっている。
こういう場面で、時の政治家がきちんと理論整然と反駁しなかったので、なし崩し的に我々は無条件降伏をしたと思い込まされてしまっている。
これも明らかに政治の稚拙さの立派な証明である。
理論整然と証拠を並べて説明すれば、誤解は解けるにもかかわらず、我々はそれをしていない。
我々日本民族の政治感覚というのは、何時まで経っても三流のままで進化することがない。
やはりそれは民族のDNAなのだろう。

「自虐史観もうやめたい!」

2009-04-23 06:41:40 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「自虐史観もうやめたい!」という本を読んだ。
著者は谷沢永一。
近年まれにみる痛快な本であった。
日本の最高の権威者が痛快にやり込められている。
日本の思想界の大御所が如何に我が同胞を裏切っているのか明確に語られている。
戦後の日本のオピニオン・リーダーと自他共に認められている階層のものが、コテンパンに批判されている。
私に言わしめれば、この批判は当然のことだと思うが、日本の思想界のリーダーが、自分の祖国を反日的な方向に導くということを我々はどういう風に考えたらいいのであろう。
大内兵衛、鶴見俊輔、丸山真男、横田喜三郎、大江健三郎、その他もろもろの知識人が、反日的な日本人として列挙されているが、これは一体どういうことなのであろう。
いずれも東京大学、京都大学を出、しかもそこの教授として奉職しながら反日ということは、一体どう考えたらいいのであろう。
東京大学、京都大学という日本のトップクラスの国立大学を卒業し、そこで教鞭をとっている人が、祖国に弓を引いているということをどういう風に解釈したらいいのであろう。
如何なる主権国家でも、公教育の主眼は、自分の国に貢献する人物の養成にあるのではなかろうか。
戦後の日本の民主教育では、国に貢献するというと、必ず、軍人として、軍隊として、国家に滅私奉公を強要するという形で教えられていると思うが、これこそ明らかな偏向教育で、国に貢献するということは、社会人として普通に生きることこそ一番明確な国家に貢献する行為だと思う。
社会人として真面目に働き、真面目に納税し、真面目に社会的な規範を順守しつつ生活していれば、それが一番国に奉仕する姿になると思う。
「鉄砲担いで戦地に行くことだけが国に対する貢献だ」と考える思考は、100年も前の思考であって、戦後の大学教授がそんなことも分からないはずはない。
にもかかわらず、戦後の大学教授という売国奴達は、そういう感覚で普通に働く庶民を見下していたわけである。
基本的に国立大学の先生、いわゆる大学教授という人たちも、小学校や中学校の先生と同じで、官吏であり、官僚である。
今の言葉でいえば国家公務員であって、それは国民の血税で生かされているのである。
戦後、日本の大学の先生がメデイアの中で、あるいはメデイアを利用して、いろいろ発言する機会が多くなったのは、日本の中から軍人というものがいなくなったからである。
「戦前は治安維持法があって言いたいことが言えなかった」と言うのは、戦後の知識人の戦争犯罪を回避するための方便にすぎず、明らかに整合性に欠けた言い分である。
確かに、自分の思ったことを思ったように発表できなかったことは事実であろう。
しかし、それは我々の同胞の密告が恐ろしくて、言うべきことが言えず、沈黙を強いられたケースもあるにはあったが、ここで考えるべきことは、我が同胞が、隣人、友人、同僚を密告する事の本質を突くべきであって、治安維持法を拡大解釈して、密告を最大限利用し、犯人を仕立て上げる我が同胞を糾弾すべきではなかったかと、私は考える。
隣人、同僚、友人の密告というのも、人を嵌めるためではなく、国が堕落する方向に転がるのを防ぎたいという意味で、国家に貢献する強い意志の表れとして、軍国主義あるいは戦争遂行に差しさわりがあるとおもう思考に対して、それを排除するという意識でそれが行われたわけである。
国家に貢献する意味で、不穏当と思われる発言をする人を密告したわけで、それは明らかに今の価値観からすれば民主的な処置ではなかったが、当時としては精一杯国家に奉仕する手段であったわけである。
我々は1945年、昭和20年8月15日で以って、完全に戦前と戦後という価値観の転覆を経験しているわけだが、如何様に価値感が変わろうとも、決して変わることのない価値というのもこの世にはあると思う。
その一つに祖国愛というものがあると思う。
自分の属する祖国、あるいは自分と同じ民族を愛する気持ちというのは、価値観の転覆のしようがない物の一つだと思う。
自分の家族を愛する気持ちというものが、時代や雰囲気で大きく変わるなどということは、ありえないはずのものではなかろうか。
ところが、戦後の日本の大学教授をはじめとするオピニオンリーダーたちは、そういうものを否定しているわけで、これは一体どういうことなのであろう。
それは戦前の思想の締め付けの反動ということは分からないでもないが、その根本にある思考には、共産主義に対するあこがれでがあったのではないかと想像する。
共産主義の世の中になれば、平和で安泰な世の中が再現されるのではないか、という楽観論でそういう思考に対する無邪気な信仰がそうなさしめているのではないかと想像する。
この本の中で、谷沢氏は、それを「32年テーゼ」だと言い切っているが、仮にそうだとしたら、何故に学究の徒がそういうものに対するあこがれを抱いたのであろう。
そこにあるのは、昭和の初期という時代の中で、軍国主義と共産主義が地下水脈の中で葛藤していたのではないかと思う。
戦前の治安維持法における締め付けが、学者諸氏の思考に対して強烈な重しとなって作用したことへの反発であるように思える。
先にも述べたように、学者諸氏が治安維持法を恐れたのは、自分の周りの人の密告であったわけで、その自分の周りの人がなぜ密告するかといえば、そういう人はそういう人で、その異端の思考が蔓延すれば、自分の祖国が斜陽の方向に向かうと信じて疑わなかったからである。
よってそれはある意味で極めて愛国的行為であったわけである。
今の時点からその時の我々同胞の深層心理をひもとけば、言うまでもなく、国民の全部が軍国主義に侵されていたということで、別の言い方をすれば、当時は軍国主義が国民の全部に受け入れられていた。
よって、それは正義であり、善であり、極めて民主的な現象でもあったということになる。
何となれば、それを全国民が望んでいたわけで、いわば下から上に積み上げた国民の総意を積み上げた軍国主義であったことになる。
この事実を、戦後の民主教育では、天皇制のもとによる上からの押しつけの軍国主義であったかのように言い募っているが、実際は下から積み上げた国民の総意としての軍国主義であったと思う。
国民の総意として横たわっていた軍国主義を実践したのが軍部であったことは論を待たないが、軍部というとき、これも100%我々の同胞の集団であったわけで、異星人が紛れ込んでいたわけではない。
軍を司っていた高級軍官僚というものの施策が結果的に稚拙であって、それが失敗したという面は、歴史が見事に証明しているが、その施策の失敗そのものも、我々の民族の総意であったものと思う。
もし、そうでなかったとすれば、我々は失敗するような稚拙な施策をした指導者を自ら糾弾しなければならなかったにもかかわらず、未だにそれをしていないではないか。
それを勝った側の連合軍が、彼らの思いつきと思い込みで、戦争犯罪として勝手に裁いてしまったが、そのことによって、我々は自らの総括を放棄してしまったではないか。
問題は、今、反日といわれる人々が、その時の経緯を十分に知っていながら、自分で我が同胞を奈落の底に突き落として人たちを糾弾する術を失ってしまったので、今時になってそれがふつふつと湧き出ているのである。
問題は、こういう人たちも時流に敏感に便乗しているということである。
孫悟空が、お釈迦様の手のひらから逃げ出せなかったように、時局という枠の中でしか行動出来ていないということである。
当然といえば当然であるが、ならばオピニオン・リーダーとして、もっと控え目な思考を展開したらどうかという点に尽きると思う。
彼らの言い分は、政治家の文言と同じで、国民の将来というものを人質にとって、今の政治に反旗を翻しておかないと、将来また奈落の底に転がり落ちるにちがいない、という論法で大衆に呼び掛けてくる。
彼らの思考が学者同士の中で回転している分には、それは学問として整合性を持つが、その学問の枠を外して、大衆や国民に向かって一方的に未来を語ろうとするから人々が迷うわけである。
そもそも学者の未来予測が間違うなどということはあってはならないことだと思う。
それでは負ける作戦を実施した軍人と同じなわけで、学者ならば未来予測が間違ってはならないわけだし、軍人ならば負ける戦などしてはならないはずである。
この両者は、双方とも官僚という共通項で括られているわけで、双方ともに国民に対して、あまりにも無責任極まりないと思う。
そもそも国立大学、旧制では帝国大学において、共産主義の研究というのは、純粋に学術研究であれば、研究にやぶさかないが、それを現実の政治に反映させようなどという思いは微塵もあってはならない。
戦後、アメリカの占領から脱して独立しようかどうかという論議の時、東大総長の南原繁男が他の大学教授達とつるんで祖国の独立に反対したわけで、こういう行為は戦前の軍人の政治的関与と同じ軌跡を歩むものである。
まさしく戦前は軍人が傍若無人に振舞って、政治に介入していたが、戦後は日本から軍人という人種が一人もいなくなってしまったので、それに代わって大学教授とかその他知識人という人達が、戦前の軍人と同じ行動パターンを呈していた。
この両者に共通している点は、自分達の思い込みで、自分達の行動を律しているという点である。
そこには理性と知性が全く存在していないわけで、あるのは付和雷同、あいつがやるから俺もやる、という人の振り見てわが振り直す、という他力本願な思考でしかない。
大学教授として象牙の塔の中で沈思黙考しておれば、世間に対する弊害をばらまくことはなかったが、彼らは自分達は学問を修めることで普通の大衆よりは頭が良いのだぞ、だから俺達の言うことは間違いない、と言って憚らなかった。
ところが、彼らの未来予測は見事に外れたわけで、いわば軍人が作戦に失敗したのと全く同じ構図であったわけだ。
そりゃそうだと思う。
昭和の初期の時代に、日本を奈落の底に突き落とした軍人たちは、その20年前30年前ならば村一番、町一番の秀才であったわけで、その意味で大学の先生となった秀才とほぼ同じレベルの人間たちであったに違いない。
共に、日本の秀才の中の秀才が集合していたわけで、その意味からすれば、並みの日本人よりは相当に優れた人たちであった筈だ。
ところが、こういう人たちでもセルフコントロールが全く効かなかった、ということをどういう風に考えたらいいのであろう。
その両方共が、メデイアに踊らされたという部分があると思う。
戦前の日本においては軍が高圧的にメデイアを抑圧したことはいなめないが、軍の指導のもと当時の草の根の軍国主義が、メデイアによって広範に行きわたったことは言うまでもない。
それは軍人達がメデイアを自分の都合によって元栓の部分を管理していたからだと思う。
翻って戦後になると、知識人とメデイアは表裏一体となって、自分達の統治者を糾弾している。
戦後という時代状況の中で、今まで抑圧されていた知識階層が名実ともに解放されたので、その反動という部分が無きにしも非ずという面は理解できるが、ここでも彼らにセルフコントロールが少しも効いていないわけで、まるで無制限の解放であるかのような状態を呈していたではないか。
何度も言うように、学者が学問としてある思想を研究している分には、学術という部分でそれは大いに許される行為である。
しかし、その研究の成果を政治の場で実践していいかどうかは、知識人ならば自ずとわからなければならない筈ではなかろうか。
こういう場面で、私の言う知識人としてのセルフコントロールが作用しないということは、知識人が知識人足り得ていないということになるではないか。
その点、政治家というのは目先の利益から将来の利益まで勘案して物事を判断しなければならないわけで、学者の言う理想論に現を抜かしておれないわけで、実利ということを突き詰めねばならない。
常に損得を考えて物事判断せねばならず、理想論をどこまで容認し、どこで妥協すれば最大の効果を引き出すかということを考えて施策していると思う。
そして、国立大学の学者は、言いたい放題のことを言っていても、自ら責任を負うということはないが、政治家は常に選挙民の監視のもとに身を置いているわけで、その監視の大元締めがメデイアである。
にも拘らず、メデイアと知識人はグルになっているわけで、政治家という統治する側に対しては、常に批判する立場を貫いている。
メデイアを知識人が監視するということは、極めて健全な社会といえるが、これがグルになって一方的に統治する側を糾弾するだけでは、いびつな存在と言わざるを得ない。
知識人やメデイアの側から、政治家あるいは統治する側を見れば、危なっかしく見えることもあろうが、そこで真の批判をすることが双方の使命であることは論を待たない。
ところが、それが双方がグルとなって一方的に偏向した考え方に擦り寄ってしまっては意味をなさない。
ただ戦後の日本は、その復興の段階で、世界でも有数な豊かな国に生まれ変わってしまった。
戦後の日本国民は、軍備に金を掛けることもないので、すべてを社会の基盤整備に充てることができたため、極めて豊かな国になったので金持ち喧嘩せずの思考が蔓延した。
これはこれで結構なことであるが、金持ち喧嘩せずであるがゆえに、何でもかんでも相手側に平身低頭すればいいというものでもない。
日本を取り巻く周辺諸国では、日本が決して武力行使に訴えることがないので、言いたい放題のことを言って、少しでも金を巻き上げようという魂胆の国があることは自明ではないか。
我々の国は豊なのだから、言い値で金をばら撒けばいいというものでもない。
その金は我々の国民の血税であることに変わりはないのだから、言い値で払うことはないわけで、払う以上、何らかの担保を取るのは常識的な思考の筈である。
ここで日本の知識階層が良い子ぶって、日本政府の態度を糾弾するから、反日日本人といわれるのであって、国と国の付き合いでは綺麗事は通用しないことを肝に銘ずべきである。
国と国の関係というのは、それこそ生き馬の目を抜く修羅場なわけで、その中では綺麗事とか物わかりのいい態度というのは、国益の損失に直結するのである。
主権国家の一員として、自国の国益を蔑にする人は、地球規模で軽蔑されてしかるべきことである。
日本の著名な学者たちが、そういう気持ちでいることを我々はどういう風に考えたらいいのであろう。
こういう日本の知識人は、地球規模で活躍しているはずで、外国人に日本の悪口を言っても、彼らはまともに反論してこないと思う。
何となれば、それが国際常識として、当然のことであるがゆえに、日本人が日本人の悪口を言ったところで、それをまともに受けとる外国人はいない筈で、せいぜい謙遜と受け取るのがノーマルな神経だと思う。
ところが一口に外国人といっても、日本の周辺のアジア諸国の中には、日本の民間人の言ったことでも、それを自分の国の国益につなげてしまうところもあるわけで、こういう人々は国際感覚というものが麻痺していることになるが、麻痺していようといまいと、国益が絡んでくれば一方的に押してくるから困るのである。
この場合、相手を責めるよりも、我が同胞の側で相手国の国益を斟酌する我が同胞の存在がより困るわけであるが、日本では言論の自由が保障されているので、人でも殺さない限り牢屋に放り込むこともできない。

「まがいモンたちの終焉」

2009-04-22 09:18:03 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「まがいモンたちの終焉」という本を読んだ。
著者は落合信彦。
彼の名は広告媒体を見て全く知らないわけではないが彼の著作を読むのは初めてのことだ。
まあなんと言いましょうか、異端の書き方である。
従来の文章の枠を超えたと言うべきか、新しい文体とでもいうのでしょうか、今までにない文章の書き方である。
まず自分のこと、つまり自分を表す第一人称を「オレ」と表現している。
彼の意図するところは文章を読む対象を中学生か高校生に設定したうえでの表現なのであろうか。
成熟した大人、普通の社会人が読むことを想定していないということであろうか。
本人のいうところによると、彼自身は英語に非常に堪能のような書きぶりであるが、母国語の使い方が稚拙では、その教養知性が信頼できない。
ただ彼の場合、そういうことを計算づくでこういう言い方をしているのかもしれない。
表題でも「まがいモン」と、「まがい者」という部分を故意にカタカナで表記しているところなど、明らかに奇を衒った表現のし方だと思う。
俗に、奇をてらって注目をひいて本を買わせようという魂胆なのかもしれない。
しかし、言っていることは案外まともなことで、そうそう奇をてらうというものではない。
彼自身がこの中で述べているように、家が貧乏で、苦学して勉学に努め、アメリカにわたって彼らと互格に戦って今日の名声を得たという点では敬服に値するが、そのことと本人の品格とは何の関連もない。
例えば、白洲次郎という人は生まれも育ち豊かで、今でいえば富裕な階層の出身だが、やはりイギリスに留学してイギリス流のノブレスオブリージを習得してきた。
私は、俗に言われているように、「氏素性」という人を差別化する用語も、ある程度は真理を突いているのではないかと思いう。
つまり、人間の持っている品とか品格というのはつけ刃ではありえないわけで、やはり何世代も時の経過を経ないことには、そういうものを習得することは出来ないのではないかと思う。
この著者の場合、本人が言っているように、生まれ育った環境は極めて劣悪で、「そういう環境を跳ね返して今日があるのだ」、という意味ではいわゆる立身出世を果たしたわけである。
ところが、白洲次郎の方は、親の金をなに不自由なく使える立場で、生育する過程で金の苦労などしたことがないわけで、こういう立場のものならばノブレスオブリージを知らず知らずのうちに習得できるが、成金ではそうはいかないのも道理だと思う。
よって、この本の著者の場合、自分の出自に裏打ちされたノブレスオブリージというのは微塵も存在していないわけで、あるのは如何に金を儲けるかのノウハウでしかない。
資本主義社会の中で如何に金を儲けるかという命題は、言葉を変えれば如何に生きるかということにつながるわけで、この本の著者は、その意味で若い人たちに、若い人の目線に立って説いているという風にも見える。
その意識が「オレが」「オレは」「オレならば」という問いかけになっているのかもしれないが、これこそ若者に迎合しているということではなかろうか。
人が物を書くという場合、不思議なことにその書く人のバックグランド、つまり心の潜在的意識が透けて見えることがある。
例えば、文学者ならば言葉の使い方にも文学的に凝った言い回しが多くなると思うし、全共闘の若者のもの言い方とその書いたものには、彼ら独特の言い回しがあるわけで、そういう視点でこの著者を眺めてみると、やはり現代の若者の目線に自分を下げて言葉を連ねているようにしか見えない。
まさに預言者のように、この世の事を一刀両断に切りつけて、それを若者に迎合した言い回しで表現しているので、読んだものはその単純明快な論理に圧倒されてしまう。
この本の著者はライブドアの堀江貴文、村上ファンドの村上世彰、楽天の三木谷浩史という若手の経営者を守銭奴とでもいうような捉え方をしているが、それは本人の奢りではないかと思う。
奢りというよりも彼が自分で言っているように、コンプレックスの裏返しの心理で、自分が石油の投機で挫折した恨みと、同世代の成功者へのやっかみがないまぜになった複雑な思いであったに違いない。
この著者自身、相当に世間に対して奢った心境でいるよう見える。
これら若い経営者は、若いがゆえに経営的に未熟な部分がある、というよりも人間的に底の浅い部分があるわけで、突き詰めれば古い日本人の殻を打ち破って、新しい新世代の日本人として精神構造を築きつつある、という風にも取れる。
現に彼らが成功している以上、経営者の腕前としては人かどのものだといえる。
旧世代の価値観から見て、彼らが気に入らないのは、従来の価値感を超越して新しい世紀の新しい価値観でビジネスを展開している点に旧世代が戸惑っているという感じである。
若いがゆえに世間知らずというか、怖いもの知らずというか、大人の意向を斟酌しきれない未熟な部分は確かにあると思う。
こういう若い世代は100%完全なる戦後世代で、生まれ落ちた時から戦後の日本社会で生きてきたわけで、彼らは等しく戦後教育の中で最高学府まで修めた若い世代の成功者である。
完全に純粋な戦後世代の新世紀の日本の経営者なわけである。
1から10まで、戦後のアメリカンデモクラシーの中に生まれ、その中で100%完全なる民主教育を受け、その民主教育の頂点としての高等教育を受けた世代である。
その意味では、落合信彦でも全く同じなわけで、自分の文章の中に「オレ」という言葉をなんの衒いもなく使うということは、大人の感覚からすれば違和感を否めない。
彼は英語に堪能なわけで、英語でいうところ「アイ・シンク……」というときの「アイ」という一人称を日本語でいう場合「オレ」と訳すところに本人の日本語に対するセンスの欠如が見て取れる。
日本語に対するセンスというよりも、本人の日本文化に対する教養というべきかもしれない。
確かに英語でいう場合の「アイ」は「俺」とも訳せるが、それでは人に読んでもらう文章、人に買わせる文章としては品に欠けるわけで、つまり下品なわけで、こういう感覚、感性を無視することが新しい日本人の生き方だと思うところに思慮の浅さがある。
そもそもこの場面で、上品下品という価値観が最初から無いのかもしれない。
苦学してアメリカにわたり、アメリカの学生と互角に競争して、ビジネスでも互角に戦ってきた以上、いわゆるコスモポリタンを自認するならば、やはりそれに見合う品性も身につけなければならないと思う。
ところがワールドワイドのセンスと、日本の上品下品という価値観ではおのずと差異があるわけで、その差異が分からないという部分に、擬制日本人という部分があるのではなかろうか。
逆説的にいうと、世界をまたにかけて飛び回っているコスモポリタンには、我々が認識している上品下品という価値観は存在していないのかもしれない。
そういうものを全部否定しないことには、コスモポリタンになりきれないのではなかろうか。
英語が堪能だから英語を武器に世界に跳躍することは大いに結構であるが、人間が物を考えるときには自分の生い立ちに依拠したものの考え方をするものだと思う。
日本人以外にも、地球規模で見て、立ち居振る舞いの上品・下品という価値観、傍若無人な不躾な物言いとか、奥ゆかしい落ち着いた物言いという価値観の相違というのは厳然と存在すると思う。
そういう相違があるとするならば人がどちらを選択するかも自明なことだ。
同胞を憂う気持ちがあるとするならば、やはり日本人としての品性を持ちつつ世界で活躍してもらいたいものだと思う。
彼の説教のトーンは、あたかも中学生や高校生の悩みに答えるかのような雰囲気で、人を馬鹿にした部分が多いが、これも一種の販売上の作戦であろうか。
日本人が海外から崇められるのは、我々の古く方の価値観であるところの、奥ゆかしさだと思う。
人をあからさまに突き落とさない、当人を前に正面から罵倒しない、正々堂々とした態度、礼節をわきまえた立ち居振る舞い、こういうものが海外の知識階層に受け入れられているわけで、日本人を見る側の相手にも、それ相応の見識がないことには、日本人への評価というのはありえない。
落合信彦の言っていることは、日本人が古来から持っている民族としての奥ゆかしさというものの全否定なわけで、そういうものにこだわると世界から取り残されてしまうという論旨である。
アメリカには中国系のアメリカ人もおり、韓国系もしかり、その他あらゆる民族系のアメリカ人がいるが、そういうものと同じレベルでものごとを考えていれば、人種の坩堝からは這い出ることがない。
そういう環境の中で、日本人の民族的なアイデンテイテイーを指し示した時に始めて日本人としての評価が認められるのではなかろうか。
何も今時、日本の国威掲楊に貢献する必要はないが、英語が堪能だからと言って、中国系や韓国系のアメリカ人と同じレベルの小商に成功したところで、生きる意義としてはたいしたことない筈だ。
結局は「バスに乗り遅れるな」という啓司なわけで、今までの我々の「バスに乗り遅れるな」という心理の奥底にあるのは、付和雷同的な社会の動向に乗り遅れるなであったが、彼のいうバスに乗り遅れるなというのは、ビジネスチャンスの機会均等の波に乗り遅れるなということだと思う。
ビジネスチャンスというのは何時でも何処でも転がっているわけで、それを砂金堀りのように探し当てなさいというものだ。
世界で戦い抜くには、いわゆるデス・マッチなわけで、生き馬の目を抜く修羅場であるので、その中では上品ぶっていては生き抜けませんよというものである。
上品ぶっていては生き抜けないので、恥も外聞もかなぐり捨てて、死に物狂いで頑張りなさいという啓司であるが、そんなことは言われなくとも分かっていることだと思う。
問題は、艱難辛苦を克服した今の彼に、成功者としてのノブレスオブリージが備わっているかどうかである。
ここで今の日本人が忘れていることにノブレスオブリージがあると思う。
ノブレスオブリージという言葉は、社会的に地位の高い者の、社会的貢献度という意味で捉えられているが、それは社会的地位の高い低いには関係ないことだと私は思う。
つまり自分の持ち場立場で社会に貢献すれば、社会的地位の高い低いに関係なく、同じようにノブレスオブリージがあると見なしていいと思う。
しかし、これを社会的地位の高い者の専有と考えると、氏素性という問題に行きついてしまうので、差別意識を刺激しかねない危険を孕むことになってしまうが、社会的身分の高い低いを問わなければ、如何なる人にもこれがついてまわるということになる。
この世の人の全部にノブレスオブリージがあるとするならば、その有る無しがいきなりその人の評価に直結するわけで、その場合、成金でもいいが、成金ならば成金らしくふるまえば、それはそれでその人のノブレスオブリージになる。
成金には、自分が何時、どういう形で何を提供すれば社会貢献につながるか、という洞察に欠けるわけで、その部分に金持ちとしてのTPOがわからないということになる。
どこでどういう風に金を使えば人が自分を崇めてくれるか、というセンスに欠けるわけで、この欠けた部分がいわゆる野暮というものである。
粋とか野暮をわきまえない成り金というのは軽蔑されても仕方がない。

「春夏秋冬」

2009-04-20 06:50:19 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「春夏秋冬」という本を読んだ。
宮沢内閣の時に文部大臣を務めた森山真弓女史の随筆である。
国会議員になる前には労働省の官界にいた人間だけあって、言うことにそつがない。
前に読んだ櫻井よしこ女史は評論家なので、ある意味で一匹オオカミ的な要因を内に秘めているが、森山真弓女史の場合は、官僚的な模範解答のような文章である。
労働省という官界から政治家に転出したわけで、その意味では官僚統括のツボを押さえているのかもしれないが、お茶の水から東大に進学するというのは、やはりそれだけの器量を生まれ付き備えていたということであろう。
生まれも育ちも彼女の軌跡には必要不可欠の要因であったに違いないが、時代がそれを後押しした風にも受け取れる。
官僚時代には何でもかんでも「女性初の」という冠がついたということであるが、いうなれば良家のお嬢さん、深窓の令嬢が政治家になったという風にも見える。
たまたま櫻井よしこの後でこの本を読んだという巡り合わせから、二人の才媛の比較ということになってしまったが、良家の子女で、元官僚であった女性と、評論家として筆一本でのし上がってきた女性の考え方の中には大きな乖離があることは否めない。
森山真弓さんの場合は、視点がどうしても内向きになってしまっている。
国内政治に目が向いてしまっているが、櫻井よしこさんの場合は、視点がグローバル化していて、視野が外に向いている。
これはある面でいた仕方ない部分もある。
政治家というのはどうしても自分の国内の事に重点を置いてものを考えなければならないが、評論家というのは国内という枠を超えてものを考えることが出来るからである。
今の政治家の中には官界から政治家に転出した人が大勢いるにもかかわらず、何かというと政治家が官僚に頼りきる面が往々にしてあるように思う。
そのことは、官界から政治家になっても、元の官僚にこよなく未練を持っているということで、ある意味で官僚との癒着を容認しているということである。
自分も今まで官僚として、あるいは公僕として国民に奉仕する立場であったにもかかわらず、その公僕という意識が抜け落ちてしまって、統治する側に身を置いたという自意識に浸っているということだと思う。
昔から巷間に言われているように、「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という俚言でいえば、官僚というのは基本的に「駕籠を担ぐ人」であるべきものが、限りなく「駕籠に乗る人」に近寄ってしまっているということである。
近世以降の地球上のあらゆる国家で、その国家を運営するシステムは限りなく複雑になっていて、もう「駕籠に乗る人」も「担ぐ人」も混とんとしてしまっていることは周知の事実であるが、官僚というのは統治者が決めたルールを遅滞なく国民の生活に反映させて、国民生活の便宜を図る方向に機能しなければならないはずものである。
人間の集まりである社会というのは、基本的には物作りを基盤として、その作ったものをまんべんなく社会に還元して、国民の安寧と秩序、そして公平な生活を保障するのが国家の使命だと思う。
ところが、「草鞋を作る」ということは、いわゆる物作りの現場なわけで、そこには額に汗して働く、いわゆる労働ということが必然的に付きまとうので、普通の人、普通に社会が見える人、普通の人の生き方がわかる人は、苦労の多いことが最初からわかっている物作りには率先して身を挺しようとは考えない。
人類の歴史の中で、物作りに価値を置いた統治はありえないわけで、過去の歴史の中で一番に崇められるのは言うまでもなく英雄豪傑で、言い方を変えれば戦争のプロであり、既存のものぶち壊す仕事であったわけである。
食糧を作る、武器を作る、家や橋を作る、あるゆるものを作る、ものを作るという職業は、何時の時代でも如何なる為政者も、それに価値を見出したものがいない。
人は意図するしないに関わらず利己的にしか生きられない。
普通に物事を考える人の発想としては当然のことである。
だからこの世に生を受けて、まともに健全な精神の発達を成したものならば、そういう物作りの現場からは出来るだけ離れた位置に自分を置きたいと思うのも自然の流れではある。
額に汗して働くよりも、そういう人たちを監視・監督して、自分が自ら額に汗して働くよりも、そういう人の上に君臨して、ピンハネする立場に身を置きたい、要するに楽に生きたいと思うのは、社会人としての当然の潜在意識である。
如何なる主権国家でも、その国の官僚というのは、こういう意識のもとに存在している思う。
ただ先進国とそうでない後進国では、この官僚の意識に大きな濃淡があって、先進国の官僚は国民に対して物作りをよりよく推進するために国家として如何に環境を整えればいいかに意を尽くすが、後進国の官僚は、自分の立場を利用して如何に産を成すかに心を配る。
その根底にある考え方の根本は、民主主義の理解度の違いであって、先進国と後進国の格差の根本は、民主主義の度合いの相違だと思う。
アジアの民族の間には、その長い歴史の中で儒教の思想というのが知らず知らずのうちに刷り込まれてしまっているので、目上のものを敬う、家長を大事にする、という意識を無意識のうちに身に備えてしまっているので、その部分が民主主義を身に付けるのに極めて大きな抑止力となってしまっている。
つまり個の確立が未成熟で、個人の意志という価値観が成熟しないことには、民主主義は達成出来ないことからして、その意味でアジアの民族は未だに思想面で未成熟のままだといえる。
そういう背景のもと、我々の日本民族も21世紀という時期に来ても、アジアの民として本当の民主主義は未だに未成熟のままだと思う。
我々の国は戦争に敗北するまでは完全に封建主義の中で生きてきたわけで、家父長制度の中で庶民は長いものに巻かれて生きてきたのであって、その長いものという表現の中に、「お上に従順」という道徳観、いわゆる倫理が潜んでいたのである。
それが破綻したのは戦後のアメリカンデモクラシーの到来によってであって、この時にも我々の同胞は、それを受け入れる際に何一つその影響を考察することなく、勝者から押し付けられたことに「至極ごもっとも」と言って有難く受け入れたのである。
それまでは「駕籠に乗る人」を称して「お上」といっていたが、ある日突然それがアメリカ占領軍になり替わってしまったわけである。
明治維新を経て国家が近代化してくると、国家の機構も複雑になって、「駕籠に乗る人」と「担ぐ人」が限りなく近寄ってしまって、その境界線があいまいになってしまった。
そこに持って来て、従来の儒教思想と西洋先進国の民主主義というものが混在するという状況下で、人々は人間としての根源である自己愛に陥ってしまって、自分さえ良ければ後は野となれ山となれ、という退廃的な思考に陥ってしまった。
人間の理想社会には本来ノブレス・オブリージというものが機能しなければならないと思う。
いわゆる、富める者の社会的責任、持ち場立場でそれに応じた責任を果たす、任務を全うする、ということは人間が人間たるミニマムの倫理だと思う。
ところが人間には自己愛というものがあって、自分が一番可愛いわけで、人の便宜を図るよりも、まず自分が如何に得するかという心理が作用する。
その中で額に汗して働くよりも、そういう人に働かせて自分はそれを監督する立場でいたい、という発想も完璧な自己愛の表現である。
若い人が官僚になって日本のために、あるいは国家のために貢献したい、といくら健気な気持ちでその世界に飛び込んでも、そこには常に先輩というものが存在するわけで、必然的に組織の一員に組み込まれてしまう。
一旦、組織の人間になってしまうと、個人の志や思いというのは実現不可能になってしまうわけで、周りに身を託すしか生き残れなくなってしまう。
ここで生き残りのための計算、損得勘定が大きく左右するわけで、能力のあるものはその泥沼から飛び出すが、能力のないものは組織内で、自己の利益を追求し続けるわけである。
そこにあるのは、自分が公僕であるという意識の喪失である。
自分の周りの環境から、如何に自分に得になる状況を作り出すかということになる。
民主主義というものは、現時点では最良の思想と思われているが、考えて見るとこれも不思議なことである。
民主政治の根本的な思考に3権分立ということが言われているが、日本の場合、立法府、行政府、司法と別れていることは周知の事実であって、この中で立法府である国会議員の選出には、何の制限もかせられていない。
厳密にいえば立候補できない人というのは定められているが、その条件をクリア―していさえすれば,誰でも自由に立候補できる。
言い方を変えれば、「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」の中で、「駕籠に乗る人」は誰でもが成るチャンスが公平にあるということである。
見方を変えれば、極めて民主的で誰にでも門戸が開かれているということであるが、一方、行政府と立法府の人は極めて厳格な試験をパスしないことにはなれない。
官僚になるには極めて厳格な試験を通過しないことにはなれない。
司法に従事しようとしても、これ又厳格な試験にパスしないことにはなれないが、国会議員にだけは国民の選挙、いわゆる人気投票で、どんな無学文盲でもなれるわけで、これを一体どういうふうに考えたらいいのであろう。
立法府、いわゆる日本の法律を作るセクションには、一定のレベルを振り分ける国家試験という篩に掛けられることなしになれるというのも不可解なことではないか。
視点を変えて眺めてみると、国会議員は選挙に落ちればただの人になるが、行政府や司法の官僚は一旦ペーパーチェクをクリア―すれば、一生涯安泰なわけでこれも実に不可解なことではなかろうか。
国会議員というのは、無学文盲の人でも人気投票でなれるにはなれるが、その地位は極めて不安定で、何時、ただの人の舞い戻ってしまうことがあるかもわからないわけで、法律を作るセクションがこれほど不安定でいいかどうかの考察はほとんどなされていないのではなかろうか。
こういう背景を考えれば、国家議員、いわゆる代議士がじっくり物事を勉強する時間は最初から想定されていないわけで、その意味で官僚が国のかじ取りに当たるのは整合性を得たことになってしまう。
現に、立法府が法律を作る場だと言ったところで、現実には行政府の官僚が作ったものに承認を与える場にすぎないわけで、立法府としての真の意義は最初から無いに等しい。
こんなことは、今の日本の中で、普通に新聞を読み、普通にものを考えることが出来る人ならば、自明のことであるが、問題はその自明のことが一向に改善されないという点である。
如何なることでも、従来あるものにいささかでも手を加えることは勇気のいることでもあり、不安も拭い去れず、リスクも考えなければならないので、そう安易に取り掛かれることではない。
安易にできないからこそ、知恵を絞って考えなければならないわけだが、政治家も官僚もそれをしていない。
問題は、ここで言う、知恵を絞って考えないということの重大さに我々の国、あるいは我が民族が気が付いていないということである。
我々、日本人の生き様というのは、常に対処療法で、目先の課題に如何に対応するかで明け暮れているわけで、50年先、100年先という視点が完全に抜けている。
20世紀から21世紀の世の中で、50年先100年先のことが予測できるか、という反論が出ると思うが、冗談ではない。我々は何のために高等教育をしているのだ。
学問というのは一体何のためにあるのだ。
日本国が膨大な金を教育投資に行っているのは何の為だ。
ここでも我々は自分の頭でものを考えていない、という立派な証明になってしまっている。
ただただ目の前を流れている時流に一喜一憂している姿ではないか。
そうはいうものの、ある意味ではそれもいた仕方ない面がある。
というのも、我々の民族の生き様として、我々の民族の全てが時流に便乗して一喜一憂する道を選択しているわけで、そういう環境の中で政治家や行政府に50年先100年先を見据えよ、と言っても所詮は無理な話で終わる。
国民の誰一人として50年先100年先のことに思いを巡らしている人はいないわけで、ただただ明日の糧さえ手に入ればそれで満足なわけである。
50年先100年先というようなスケールの大きな話になると、我々の思考の枠からはみ出してしまって、我々の頭脳のキャパシテ―がついていけず、ブラックホールに嵌り込んだようになってしまうのであろう。
トップ・ランナーが一番先頭を走る時、その目標を定めきれずに迷走するようなもので、自分の頭で考えるということに慣れていないので、何をどうしていいのか皆目わからないという状況に陥ってしまう。
しかし、これから先の人類の生き様というのは、好むと好まざると限りなくグローバル化してくるわけで、国境の壁はますます低くなり、日本国という概念も徐々に薄れてくるのではなかろうか。
こうなればなったで、国境というボーダーの部分は限りなく曖昧になるが、核の部分はそれとは逆に限りなく強固にならなければならないのではなかろうか。
ただただ際限もなく良い子ぶっていると、それこそ「庇を貸して母屋を取られる」ということになりかねないので、その部分を冷酷に判断しなければならない。
とろがこういう場面でも我々は思慮が足らないわけで、我々の経験則から、自分の思い込みで相手を評価するので、結果的に国益を損なうことになってしまうが、いくら国益を損なおうとも、それは自分の懐を痛めるわけではないので、その認識が極めて甘い。
だから自分が良い子ぶって相手に寛大な態度で臨めば、相手もそれに応えてくれると単純に思ってしまう。
そもそも官僚という人たちにはコストという概念が最初から欠落しているわけで、金というものはいくらでも地下の泉から沸き出るという認識でしかない。
予算というものが国民の税金だから、節約しなければという意識は毛頭ないわけで、使い切らないと次年度では削られるという認識でしかない。
自分達が良い子ぶって大判振る舞いする金は、国民が汗水垂らして働い金をピンハネしたものだ、という認識がないものだから、自分だけ良い子ぶっていくらでも大判振る舞いが出来るのである。
政治家のいう綺麗事も、本当のことを云うと角が立つので、角が立たないようにせんがため、奥歯にものが挟まったような言い回しになるわけで、それでは逆に相手の信頼を勝ち得ない。
言うべきことは正々堂々と正面から切り込むことによって、こちらの真意が伝わるわけで、こちらの真意が伝われば、相手も妥協点を探るきっかけになるわけで、お互いに腹を割って話し合わないことには、物事の解決にはつながらない。
ところが、そういう掛け引きに未熟な官僚や政治家は、綺麗事をいえば相手を懐柔することが出来る、と考えているので、それが極めて官僚的な答弁となるのである。

「いまこそ国益を問え」

2009-04-18 15:29:08 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「いまこそ国益を問え」という本を読んだ。
著者は櫻井よしこ女史。彼女の論評を私は好感を持って遇すものである。
私の考え方としては、彼女の言うことは極めてニュートラルな思考だと思う。
問題の本質を鋭く突く論評だと思うし、政治家や官僚は自分の立場から奥歯に物が挟まったような言い回しをする時でも、彼女は正面から堂々と切り込むからである。
戦後の知識人は戦前の反動として、反政府、反体制でないと知識人の範疇に入らないかのような錯覚に陥って、何でもかんでも反対することが正義だと思い違いしている向きがある。
私も政府や行政のすることをもろ手を挙げて賛成するものではないが、統治する側とされる側では、利害得失が相反することは当然である。
人の集団で構成されている社会というものは、如何なる社会でも、ピラミッド型の構造を形作ることは必然であって、羊羹のように一様に均一化した社会というものはありえない。
だとすれば、統治するものに対する下からの不満というのは根絶し得ないわけで、如何なる社会でも、統治されるものの不平不満というのは潜在化している。
戦後は思想・信条の自由ということが保障されたので、共産主義者であっても大手を振って街を歩けるが、彼らはこのピラミッド型の行政組織というものを否定して、羊羹のような均一の社会を望んでいるかに見える。ところがそういうものはありえない。
そういうものを実現しようとして共産主義による社会改革を行った国もあったが、それも約70年という時間を経て失敗ということになった。
地球的な規模で見て、第2次世界大戦の後の世界というのは、それまでの世界とは大きく様変わりした。
その波は我々の国をも大きく巻き込んで、日本人の思考も昭和初期と比べると格段の進歩をした。
第2次世界大戦の前と後で、地球上のあらゆる国の社会構造が大きく様変わりした要因の一つが、技術革新だと思う。
この技術革新は物作りの現場だけではなく、情報伝達においても大きな変革をもたらしたわけで、それは新しいメデイアの登場だと思う。
言わずと知れたテレビの出現である。
テレビというのは視覚に訴える媒体で、これは文字を読めない人に対しても直接的に訴えることを可能にしたわけで、文字いわゆる活字でしか新しい情報に接しきれない人たちを、数の上で少数派にしてしまった。
それは同時に文字を読めない層にも新たな欲望を喚起したわけで、その新たな欲望の喚起に付随して、自分でものを考えるという行為を促した。
我々の国、日本という国は、もともと識字率が高かったわけで、テレビがなくとも人々は情報を得ることに長けてはいたが、日本の敗戦ということは、あの焼跡に生き残った人々の間に大きな意識の変革を強いた。
つまり、あの昭和初期という時空間を生き抜いた人々にとって、自分達の政府あるいは国家は国民に対して嘘ばかりを言っていた、我々は国や行政に騙されだ続けた、という思いは拭い去れないほどのインパクトを与えたことは確かだろう。
テレビのない時代に、文字や活字からものを考える習慣を身に付けた世代にとって、国家が強いた挙国一致というスローガンに真摯に順応した揚句が敗戦であり、焼け跡であり、外地からの引き上げであったわけで、そういう事態に直面した人々は、自分の祖国が信じられない気持ちというのは察して余りある。
第2次世界大戦後の地球というのは、戦争による地球規模の秩序破壊が起きたわけで、古い考えや思考を早く捨てたところが素早く衣替えに成功したので、結果としてそれぞれの国は、お互いに協力し合わなければ立ち行かない状態に陥った。
世界大戦の結果として、アメリカ合衆国のみがあの戦争の勝利者であったことからして、勝利者として豊かなアメリカはそのありあまる国力で以って地球規模にわたって戦後復興の支援をした。
翻って我々の祖国は、それこそ「戦い敗れて山河あり」というわけで、人間が社会生活を営む資材が何一つ無かったわけである。
住むに家なく、食うに食い物なく、働こうにも職もなく、ただただ廃墟に呆然と立たされたわけで、この場に居合わせたかっての大日本帝国臣民としては、自分の国の為政者を恨む気持ちは当然であったろうと思う。
そういう状況の中で、アメリカ軍による占領という事態を受けて、我々の同胞は自分達の政府というものが如何に弱い存在か、如何に軟弱かということを思い知らされた。
そこにアメリカンデモクラシーの洪水が押し寄せてきたわけで、今までの価値観がそれこそ180度ひっくり返ってしまった。
こうなるとこの世代に生きた日本人にとって、己の生きる指針が皆目わからなくなってしまって、羅針盤を失った船のような精神状態になったのも無理からぬことである。
戦前は国家権力によってさんざん押さえつけられていた思考の世界が一気に開けたわけで、「人民の人民による人民のための政治」は、共産主義の具現しかないということになってしまった。
当然、その背景にはアメリカデモクラシーに裏打ちされた思想・信教の自由があったわけであるが、問題は、我々の同胞がそれに付和雷同的に無批判になびいたという現実である。
戦前の軍国主義に我々は見事に付和雷同的に無批判に迎合したのと同じパターンで、戦後は民主主義のもとで政府批判というよりも、左翼思想を無批判のまま受け入れるようになったわけである。
この「屋根の上の風見鶏」のように、時の風が吹くと、あっち向きからこっち向きに、我々の考え方が群れをなしてころころ変わるということは一体どういうことなのであろう。
戦前でも美濃部達吉や斎藤隆夫という人は、反政府運動をしたわけではないが、「時流にそぐわない」という言いがかりに近い理由で、抹殺してしまったわけで、これは為政者の側がしたことではなく、大衆の側に、正確にいえば本人以外のその他大勢にその責任の大部分がある。
小中学生のイジメの問題でも、直接イジメをするのはたった一人のボス的な人間であるが、周囲がそれに迎合、あるいはそれを止めないから被害者が死にまで追い詰められるわけで、我々日本人の社会には、こういうことが往々にしてある。
戦後の価値観の大転換で、軍人がいなくなった日本社会の中で、知識階層が戦前の軍人になり代わって肩で風切る横柄な態度で、オピニオンリーダーを自認してのさばるようになった。
その中でも「左翼思想でなければ人であらず」という風潮が蔓延したのである。
これは戦前において「軍国主義でなければ人であらず」の風潮の丁度裏返しの現象である。
本来、高等教育を身につけた知識階層であれば、物事を冷静に知性と理性で判断しなければならないのに、やはり戦前の我々と同じように、付和雷同的に自分の頭で考えてから判断するのではなく、「時流に乗り遅れまい」と「バスに乗り遅れまい」と、隣の学友が左に走るから自分も左に走るという塩梅で、人の尻馬にのっかっていたわけである。
戦時中の軍歌に、『上海便り』というのがあって、その中のフレーズに「隣の村の戦友は偉い元気なやつでした、あいつがやれば俺もやる」というのがあって、このフレーズはいみじくも日本人の潜在意識を見事に言い表している。
「戦前は治安維持法があったので言いたいことも言えなかった」というのは戦後の知識人の常とう句であるが、あれは治安維持法そのものよりも、時流に掉さすことを言うと、友人、知人、隣人が警察に密告することが心配で本当のことが言えなかったわけで、ある意味で亡霊に怯えていたわけである。
問題は、密告する人間が、当人の周りの人間であって、美濃部博士の場合ならば彼の周りの学者であり、斎藤隆夫氏の場合ならば彼の周りの政治家連中であったということである。
戦後は、治安維持法も思想警察もなくなったので言いたい放題のことが言える状態になったが、何を言っても密告という心配をしなくても済むので、明らかに良い世の中にはなったが、こうなればなったで、ここではセルフコントロールが効かないわけで、こういうバランス感覚の欠如というのは我々の民族の根源的な欠陥ではなかろうか。
物事を冷静に理性と知性で落ち着いて考えれば、矛盾は必然的にあぶり出されるにもかかわらず、ただただ観念論と思い込みで突き進んでしまうのは一体どういうことなのであろう。
こういう場面で、高等教育の成果というものが全く機能しないということは一体どういうことなのであろう。
先の戦争に嵌り込む過程でも、海軍の上層部ではアメリカや欧州の実情から勘案して、勝つ見込みがないということが判っていながら、ずるずると奈落の底に嵌り込んでいったわけで、これは一体どういうことなのであろう。
海軍でも陸軍でも、それぞれの組織のトップには立派な教育を受けた人たちが大勢いたに違いないのに、なぜ祖国を灰塵に化すような施策をしたのであろう。
戦後の話になると、戦争に負けた結果として祖国がアメリカ軍の占領下におかれ、それから独立をしようというときに、当時の日本の大学の教授という人たちが、つまり私の言うところの知識人という人たちが、こぞって祖国の独立に反対したことがあった。
まさしく戦争に負けたことで、「暑さに懲りてなますを吹く」という現象で、ここで大学教授という人たちの知性と理性は一体どうなっていたのかと言いたい。
こういう大学教授達が、「戦前は治安維持法があって自由にものが言えなかった」と言って憚らなかったわけで、それが戦後、治安維持法がなくなると「我々は占領下のままの方が良い」と自虐的な乞食根性まるだしの論陣を張ったわけで、彼らの知性や理性は一体どうなっていたのであろう。
旧制の帝国大学を卒業し、名実ともに学識経験豊富な知識階層が、こういう認識であったがゆえに、戦前は軍人の跋扈を許し、戦後は共産主義者の跋扈を許したに違いない。
戦前の軍人にしろ、戦後の大学教授にしろ、こういう人たちは無学文盲の無知の輩ではないはずで、こういう人達が世の中の流れを完全に読み間違えるということは一体どういうことなのであろう。
時流というものは基本的に大衆の潜在意識の集大成であって、無学文盲の人々のひそかな願いを収斂した思考だと思うので、それを具体化することは民主主義の本義ではあるが、その全て正しい道だとは限らないわけで、それはあくまでも刹那的な善でしかない。
昭和初期の日本では、それこそ帝国主義に裏打ちされた富国強兵が時流であったわけで、だからこそ国民は挙国一致で国家に貢献しようと努めたわけであるが、結果としてそれが間違いであったわけである。
私が思うに、我々の民族は自分の頭でものを考えるということが極めて不得意ということではなかろうか。
戦前の軍人でも、戦後のインテリーと称せられる人たちでも、たくさんの本を読んで、それこそ学識経験は豊富に持っているが、その習得した学識経験を縦横に使って、自分の頭でもの考えることをしていないのではなかろうか。
ただただ豊かな学識経験を受け売りしているだけで、折角得た豊かな学識経験というものを肥やしにして、その上に枝葉を茂らせるような思考をしなかったのではなかろうか。
「1を聞いて10を知る」という言葉があるが、いわゆる知識人といわれる人達は、その大部分がこの類の人ではないかと思う。
1を聞いて10を知ったその先がないわけで、10を知った時点で、その先が観念論になってしまうのではなかろうか。
ところが愚直な人は、1を聞いて1をこなし、2を聞いて2をこなすというように、知のひらめきには乏しいが、一つ一つ堅実に前に進むわけで、我々はこういうタイプの人に敬意を払わない。
戦後もしばらく後のバブル景気の時でも、「バスに乗り遅れるな」といって飛び乗った人は痛い目にあっているが、堅実な人は難を免れた筈だ。
時流というものは如何なる人間社会にも自然発生的に生まれる思考の流れだと思う。
ところが、これに便乗して上手に時流の波に乗りたいという願望は極めて下賤な思考であるからこそ、昭和初期の日本人は皆が皆その時流に乗ろうとして、乗った結果が完膚なきまでの失敗であったわけだ。
時流に目ざとく便乗しようとする輩にとっては、知性も理性も不要なわけで、その時流というものをじっくり眺め、右から左から上から下から、その本質を探るのが知識人としての知性であり、理性でなければならず、そういうことが出来るように人の思考を導くべきものが高等教育なのではなかろうか。
櫻井よしこの論評の中にも出てくる話であるが、大江健三郎の著述に『沖縄ノート』というのがあって、この本の中で大江健三郎は当時の日本軍が沖縄の同胞を自決に追いやったことを書き連ねている。
ところが自決に追いやったとされる本人が生存していて「俺はそんなことをしていない」と裁判になっている。
ここで問題は、東京大学を卒業しノーベル賞を受賞するような文学者が、自分の同胞を虐める構図である。
ここで虐められているのは、旧日本軍の若い将校として島の防衛を任された旧軍人・当時の青年将校であって、昭和20年4月の沖縄戦の最中には、他の島では大江健三郎が想定したように、軍人が足手まといの民間人に自決を強要したケースがあったかもしれない。
しかし、このケースの場合は、生き残った島民の告白があったので、「軍が自決を強要した」という事実は否定されているにもかかわらず、大江健三郎はそれを認めようとせず、事実の検証もせずに本を出版したので、栽判さたになったわけである。
この中で大江健三郎は、軍人という類の人間が嫌いで嫌いで仕方がなかったので、そういうものを虐め抜こうとしているわけで、自分の嫌いなものを虐め抜けば世の中が良くなると思う、この思慮の浅さを我々はどう考えたらいいのであろう。
その前に、個人的に「軍人が嫌い」ということと、軍人の社会的価値を否定することは全く違う次元の話だという認識を欠いている。
この地球上のあらゆる国家、あるいは民族において、自分達の仲間あるいは国民を、他から、あるいは他所からの脅威から守る、という行為は気高い行為として崇められている事実を忘れてはならない。
昭和初期の我が同胞の軍人たちは、その方策において完全に失敗して、自分の祖国を破壊してしまったことは厳然たる事実であるが、それは軍人が政治・外交を司った結果であって、軍人に政治を委ねざるを得ないような状況に陥った過程を我々は深く考察し、それを歴史の教訓としなければならないことは言うまでもない。
そのことと国の防人としての軍人を嫌悪する感情とは全く別の次元のことである。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」では、あまりにも教養人として底が浅いではないか。
この彼の発想の中には、戦前において、美濃部達吉や斎藤隆夫を糾弾して虐め抜いたのと同じ精神構造、あるいは思い込み、あるいは独りよがりの思い上がりが垣間見れる。
それはあたかもかっての軍国主義者たちが「鬼畜米英、何するものぞ」という発想といささかも変わっていないわけで、人間の理性も知性もそこには存在せず、ただただ感情論で独善的なことを声高に叫んでいる構図ではないか。
ここには高等教育に依拠した知性と理性がいささかも機能しておらず、好き嫌いという人間の極めて根源的な感情に支配されているということに他ならない。
高等教育を受けたものが感情に流されるということも、生きた人間の有り様として十分理解できるが、ならば普遍的な人としての倫理や常識、あるいは社会的な規範、既存の秩序を順守するという近代国家の国民としてのミニマムの思考も併せ持ってもらわないことには、社会のお邪魔虫になりかねない。
ところがこういう知識人の受けた教育というのは、知識の受け売りで成り立っているものだから、自分の頭でものを考えるということに不慣れなわけで、結果として「人の振り見て我が振り直す」「バスに乗り遅れるな」「あいつがやれば俺もやる」式の発想になってしまうのである。
この本の著者、櫻井よしこ女史は妖艶な姿で、こういうお邪魔虫に激烈な批判を浴びせるので、読む方としては溜飲の下がる思いがする。

「読売コラムリストの13年」

2009-04-15 07:28:38 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「読売コラムリストの13年」という本を読んだ。
言うまでもなく読売新聞のコラムを長年書き続けてきた人の随筆集であった。
読売新聞という巨大メデイアにはいろいろ問題もあるが、随筆・エッセイとしてはまことに正当派である。
しかし、よくよく考えてみると、随筆・エッセイというのも妙なものだ。
ドキュメンタリーというのは書き手があくまでも自分の見たことに対して自分の感想を書き込むことで成り立っている。
だから自分の目で見たことを他者に出来るだけありのままに伝えたいという意思が働いていると思う。
小説はそれとは逆に、自分の頭の中で考えたことを如何に文字で表現するか、に注意がはらわれていると思う。
そこに行くと、随筆というのはある意味で感じたままを文字に書き写せば済むわけで、そこには深遠な書き手の意図は最初から存在していない。
だとすると読む方も気楽に構えて、読んだ端から忘れてしまっても、いささかも心に痛痒を感じないわけで、ある意味で随筆を読むという行為は、ただ単なる暇つぶしにすぎないということになる。
そもそも人間が本を読むという行為は、どういうことなのであろう?
大学者ともなれば、知の探求という厳かな気持ちで本を読んでいるに違いなかろうが、我々レベルでは、あくまでも暇つぶし以外の何物でもない。
多少固い内容の本を読んでみたところで、それで論文を書くわけでもなく、読んだ端から忘れてしまうわけで、一冊読み終わったとしても、一向にその内容が心の奥底に沈殿するというものでもない。
ただただ読んでいる瞬間、目を通している間だけ、好奇心が活動しているだけで、その好奇心も「次はどうなるのだろう」という程度のものでしかない。
内容的に優れた著作は、その好奇心が次から次へと連続して湧き出てきて、最後まで引っ張られてしまうが、随筆となるとそれが細切れになってしまっている。
そういうことから勘案して、文章を書く行為は、長い文章よりも短い文章の方が書く側としては難しい。
短く細切れにされた文脈の中に、自分の言いたいこと、書きたいこと、伝えたいことを凝縮させねばならないので、文章を書く側としては難しいことは言うまでもない。
しかし、人が文章を書き、それを他者が読むという行為は、この広い宇宙の中の生命体の中で人間だけにしかできない行為である、ということをどういうふうに考えたらいいのであろう。
この地球上に住む人々の使う言語はさまざまあるが、そのさまざまな言語にそれぞれに文字があり、その文字によって意志の伝達を行うという行為は、実に素晴らしいことではなかろうか。
自分の考えを文字で表現するということは、そう誰でも彼でもが安易にできるというものではない。
読むという行為は、文字さえ知っていれば比較的容易であるが、これが書くという行為になると、俄然、困難さが増してくると思う。
その困難さの元凶は、良く見せようという書き手の虚栄があるからだと思う。
その書き手の虚栄も、読み手が文章の上手下手をあからさまに言葉にするから、書き手としては少しでも良く見せよう、見せなければ、という意識が作用することが理由ではなかろうか。
自分の意志や気持ち、あるいは感じたことを文字で表現しようとすれば、当然そこには上手下手は生まれるわけで、ここで人の評価が気になれば、文章を書くことに後ろ向きになるのも自然の流れである。
ところでここに困ったことが一つある。
それは言葉というものが時代と共の変化することで、折角古い時代の文献が見つかったとしても、それが100年も200年も前のものだと、同じ民族でありながら言葉が通じあえないということだ。
全く通じあえないという訳ではないが、専門家でなければその古い文書が読めないということだ。
これはなにも我々の民族だけのことではなく、この地球上のあらゆる民族で同じようなことが起きている。
つまり、如何なる民族においても、言葉が時代とともに変化することは普遍的な現象だ。
普通の人は、今現在使われている言葉で用を足しているので、古い言葉というのは専門家の研究素材になってしまっている。
世の中の進化、つまり人間社会の進化というのは、若者によって推し進められるものだと思う。
サルの世界でも、若い個体が新しいことに挑戦して、その後、老練な個体がそれを真似て、それがサルの社会全体に広がるといわれている。
芋を洗うサル、焚き火に当たるサル、温泉につかるサル、これらは若い個体の好奇心に年老いた個体が追従してサルの文化として定着した。
人間の社会もそれと同じだと思うが、人間は他の動物とは違うわけで、人間は自然の摂理に対して抵抗する術を持っている。
言語と文字の関係でも、また長寿願望でも、他の生きもにはない人間独特の思考なわけで、それは自然の摂理に敢然と立ち向かっている姿である。
それで、言語と文字をもった人間が、つまりそれを並み以上に使いまわすことに長けた人々、一言でいえば、学識経験豊富な知識人という階層の人達が、若者の好奇心の成す仕儀に追従する、つまり言葉の乱れを追認することは、サル並みの知恵でしかないということを指し示していると思う。
つまり、若者言葉に追認する、若者言葉を自分のものにする、若者の好奇心を容認するということは、自然界の摂理に極めて素直に順応しているということで、言葉を変えればサルの世界に限りなく近いということになる。
学識経験が豊富で、知識人といわれる階層の人達が、サルと同じ行動原理を呈していては、教養知性が意味をなさないということではなかろうか。
その意味するところは、大勢の者が容認することに抵抗することなく身をゆだねる、という安易な処世術でこの世をさまよいわたるということではなかろうか。
戦後の我々は、ともすると「大勢の意見は正しいのだ」という錯覚に嵌り込んでいると思う。
大勢の意見に掉さす言動は、民主主義に反するという思い込みに浸りすぎて、事の善悪を不特定多数の意見に収斂させることが民主主義だと思い違いしているようにみえる。
これは戦後特に顕著になった現象ではない。
戦前戦中を通じて、我々は「大勢の言うことならばいた仕方ない」という他力本願の部分があったわけで、これがあったがゆえに、戦前、日本では日本全国津々浦々に到るまで軍国主義が蔓延したわけである。
ここでも当時の知識人という階層は、自分の学識経験で以って大勢の人々が志向した軍国主義に正面から挑戦することを避けた。
今の若者文化にいい大人が迎合しているようなもので、安直な言葉使いを喜々として使っている構図と全く同じではないか。
「当時は治安維持法があって言いたいことも言えなかった」という言辞をよく耳にするが、冗談ではない、そんな弁解は中学生の我鬼が言うのならばまだ許せるが、学識経験者が言うべき言葉ではない。
そういう世の中の動向に対して、言葉で相手の論点を打ちのめし、論理的に道理を説き、軍部や大衆に真の道を説くことこそ、学識経験の真髄であり、学問の本質であって、それを放棄した当時の知識人の罪は計り知れないものがある筈だ。
あの戦争の結果が日本の完膚なきまでの敗戦であったので、すべての責任を旧軍人や軍部に転嫁してしまって、当時の知識階層も被害者の顔をしているが、政治家や軍人を説得しきれない知識人では、知識人足り得ていないではないか。
ここでも当時の知識人が権力、つまり昭和初期の段階では軍人と軍部がその権力を握っていたので、そういうものに極めて従順に身を処していたわけで、事なかれ主義、寄らば大樹の陰を決め込んでいたということに他ならない。
つまり、そのことは知識人としての信念がないということで、「俺は高等教育を受けた人間だ」という誇りを持っていなかったということでもある。
「俺は高等教育を受けた特別の人間だから、お前たち無学文盲を引っ張ってやる」という誇りを持っていないわけで、妙に物わかりのいいポーズをして、大衆に迎合しようとするから、世の中が混とんとするのである。
ただ知識人の立場から政治を見ると、政治に携わっている人達がバカに見えることは確かにあると思う。
政治家というのは基本的に人のためを思って政治をする人はいないわけで、基本的には自分の栄達のために政治をしているのであって、彼らの立場に立てば、そのことは口が裂けても言えないので、口を開けば「世のため人のため」という言葉が飛び出てくる。
そういう人間にいくら知識人がアドバイスしても、政治家にすれば官僚におんぶにだっこされているから、政治家が知識人の言うこと聞くわけがない。
そこで影響力を持っているのがメデイアであるが、メデイアも人の子、食って行かねばならないわけで、食わんがためは正義も、信念も、誇りも、投げ捨てて生き抜かねばならない。
よって経済原理で動かざるを得ず、金儲けのためというよりも生きんがためには魂も売る、ということになるわけである。
資本主義体制の中で、皆が皆、何とかして生き抜くためには、背に腹は代えられず、とりあえず売れるものは魂であろうと、信念であろうと、正義であろうと、何でも売ることになる。
学識経験を積んだ知識人であろうと文化人であろうと、金の為にはいくらでも大衆に迎合して、大衆により近く、孤高の価値観を死守するなどというバカげたことはしないのである。
大勢の人が容認することならば悪いわけがない、大衆が黒といえば白でも黒と言うわけだ。
これは言葉を変えれば衆愚政治というもので、昭和初期の我々の国は、まさしくこの現象に完全に嵌っていた。
こう言えば、当然、「そんなことはない、天皇制による軍国主義を軍部と政府が押し付けた」という反論になるが、その全部が当時の日本国民の潜在意識であったわけで、考えても見よ、出征兵士を送る時、集まった人の全部が全部、本人の武運長久を願っていたではないか。
言葉を変えて言えば、敵を殺して日本が栄えることを願っていたわけで、ここに真の知識人がいたとすれば、そういう世の流れ、風潮に掉さす発言をしなければならなった筈である。
そういう状況が当時の日本の中の何処かにあったであろうか。
「治安維持法があってものが自由に言えなかった」という現実は確かにあるが、友人、知人、隣人の言った言葉を、特高警察に密告するのは一体誰なんだ。
ちょっと違う意見を述べると、さも不穏な思考の持ち主かのように糾弾し、当局にご注進し、密告することによって異端の発言を抑え込もうとしたのは一体誰なんだ。
「治安維持法でものが言えなかった」ということは、己の隣人・同胞の密告が恐ろしくて、ものが言えなかったわけで、恐ろしいのは国家権力ではなく、その権力を傘にして虎の威を借りて威張る隣人・同胞の存在が恐ろしかったわけである。
治安維持法を生かすも殺すも基本的には我々の国民の側の振る舞いであったわけで、その中で官憲の側の行き過ぎも確かにあるにはあったが、それに怯えてものが言えないという点では、テロが恐ろしくていうべきことが言えなかった政治家と同じである。
そもそも一遍の法律を学識経験豊富な知識人が完全に順守すること自体が異様なことで、身近な例を引き合いに出せば、交通違反を隣人友人が密告するようなもので、こんなことは現実には考えられないことであるが、当時の知識人は密告の幻影に怯えて沈黙せざるを得なかったのである。
戦後の知識人が「当時は治安維持法があって自由にものが言えなかった」と責任転嫁することは、ただの詭弁でしかない。
戦前の日本が奈落の底に転がり落ちる遠因は、政治家がテロに怯えたのと同じ比重で、知識人が治安維持法に怯えたところにもあると思う。
戦前の美濃部達吉博士や斎藤隆夫代議士を糾弾したのは当時の日本の知識人の階層であったわけで、その有様をつぶさに考察してみると、多数意見に抗することなく付和雷同した結果ではないか。
この時点における多数意見というのは当然のこと軍国主義そのもので、当時の日本人はこの思考こそ正義だと信じて疑わなかったわけである。
恐ろしいのは我が同胞の権力を傘にした立ち居振る舞いであり、権力に擦り寄る身の処し方であり、寄らば大樹の陰という無責任体制である。
その傘が大勢の人間のいる方に差し掛かってくると、大勢の人がそれを望んでいるという風に取られ、整合性を勝ち得てしまうのである。
ここで高等教育を積んだ人たちが、権力の実態を解き明かさねばならなかったわけであるが、この場面でサーベルの音に委縮してしまったのが戦前の知識階層だったと思う。

「地下鉄100コラム」

2009-04-14 07:28:35 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「地下鉄100コラム」という本を読んだ。
著者は泉麻人という人だが私の全く知らない人だ。
題名から、てっきり地下鉄の蘊蓄を書き綴ったものだと思って手に取ってみたが、内容は地下鉄とは何の関係もなかった。
著者も「あとがき」に記しているが、要するに日々地下鉄を利用しているので、そういう意味で地下鉄の中で思ったことをコラムにしたというものである。
とは言うものの、地下鉄という身近な公共交通機関の中での考察なので、世相が反映されていることは言うまでもない。
この著者は、夕刊フジにこのコラムを提供しているが、この夕刊フジという媒体がいささか低級なので、その内容もそれに合わせて極めて低級というか砕けすぎている。
そもそも夕刊フジという新聞は極めて不真面目というか、知性や教養の対極にある新聞で、文化とは程遠い位置にある。
競馬場や競輪場にたむろしているような人が読む新聞である。
極端なことを言えば、教養知性の低俗化を推し進めているような媒体である。
昔、タブロイド版という新聞があったが、まさしくそのものだ。
奥付けによると、著者は慶応大学商学部を出て、最初出版社に籍を置いたのちフリーとなって、この新聞にコラムを提供するようになった、という感じに受け取れるが、同じ売文業でも、自分の文章の売り先がこれでは学歴が泣くというものであろう。
私のような古典的な価値観の持ち主には到底容認できる行為ではない。
今時、大学を出たからといって、それだけではとても教養人などといえないことは十分承知しているが、ならば教養知性というものは一体何なんだろう。
昔の話ではあるが、永井荷風は晩年浅草のストリップ劇場に入り浸って、ストリッパー達に飯を食わせたりして戯れることを無上の喜びにしていたようである。
洋行かえりの知識人の行為として、これを一体どういうふうに考えたらいいのであろう。
小説家・文学者として、底辺の人間の悲哀を共に共感するといえば聞こえはいいが、要するにマイナスの文化活動なわけで、ただただ浪費と耽溺以外の何物でもない。
小説家とか文学者というような人は、強烈な自意識の持ち主で、それがなければその業界では屹立できないことは十分に理解できる。
人と同じことをしていては、自分の個性というものはありえないわけで、どうしても人と違うことをしなければ自の存在意義も、自意識も満足させれないことは理性としてはよくわかる。
その結果として、どうしても既成の権力や、権威や、常識に屈することなく、それに立ち向かうポーズを取らざるを得ない状況に陥る。
その道を推し進めていくと、それは人間の本質、本性に行き着くものと想像する。
つまり人間の根源にある性に行きついてしまうわけで、人間の有史以来の物語の本質は、つまるところそこに行きついてしまっている。
日本の「源氏物語」も、それを如何なく発揮しているからこそ、今日においても文学として不動の地位を維持しているわけだし、シェークスピアの文学も、結局は、人間の愛を語り継ぐ形になっているではないか。
しかし、現代人の堕落は、愛とか性をビジュアル系として表現しなければ納得しないという点である。
これを一言でいえば、イマジネーションの退化だと私は思う。
「源氏物語」でもシェークスピアの文学でも、愛とか性を文字で表現して、読む側は文字からイマジネーションを膨らまして、空想に浸るところに価値があったわけだが、現代人はそれを視覚から得ようと、感情や思考の回路を短縮するようになってしまったのである。
これはある意味で当然の成り行きで、文字から感情を覚醒しようとすれば、当然、まず最初文字から覚えなければならないが、視覚に訴える媒体ならば、そのものズバリ一目でわかるわけで、イマジネーションの入り込む余地は全くない。
昔は確かに文字を知っている人の絶対数が少なかった。
だから小説や文学というのは一部のエリート層の専有物であった。
ところが昨今では文字の読めない人というのは皆無なわけで、誰でも彼でも活字ぐらいは読めるわけで、そういう人々を対象にした新聞がこの夕刊フジという新聞だろうと勝手に推測している。
こういう類のメデイアがあっても、それはそれでいいわけだが、問題は、ここで日本のオピニオン・リーダーたるべき教養知性が豊かで、学識経験豊富ないわゆる知識人と言われる人たちが、こういうものに迎合しつつある現状である。
昔は高等教育を受けた人が少なかったので、知識人と大衆の間には厳然と格差があり、教養人にはノブレスオブリージが存在していたが、戦後は皆が大学出となってしまったので、その格差が消滅してしまった。
知的レベルの高値安定というのは、社会的なインフラとしては喜ばしき事であるが、それは同時に知的レベルの高い人の堕落というか、大衆への迎合という形になっている。
何時も引き合いに出す例だが、戦後の最初のストリップというのは、裸の女が額縁を持って立っているだけで見る側は興奮したものだが、昨今ではそのものズバリを動く映像として開陳して、それが巷間に出回っているわけで、こういう現状に対して日本の知識階層からそういうものを自粛しましょう、という運動は一向に出てこない。
そういうものを国家権力が取り締まるという段階になると、日本の知識階層は、こぞって反対するわけで、ならば国民の側、いわゆる大衆の側から、文化の堕落の歯止めとしての自己規制というものも一向に表れてこないことについて知識階層というのは沈黙を決め込んでいる。
若い女性の援助交際というのも、それに応ずる大人がいるからこそ成り立っているわけで、誘いをかけてくる女がいて、それに応える男がいるから、その現実が成り立っているのである。
そこでは出会い系サイトというものが介在しているらしいが、それを権力で以って押さえつけると、知識人という階層の者が一斉に反対の狼煙を上げるわけで、結果として援助交際なるものが野放しの状態になる。
この本の著者がコラムを載せている夕刊フジという新聞は、この手の情報が満載されているわけで、こういう情報を売り物にする新聞の存在そのものが、大いに問題なわけである。
だからといって、これを国家権力で以って廃刊や廃業に追い込むとすれば、これも極めて由々しき問題である。
こういう現状の中で、大衆あるいは知識階層からの自己規制、自浄作用が機能すれば、まことにめでたいことであるが、それがないがゆえに教養知性というのは自堕落な方向に転がり続けているのである。
思えば、今時、教養知性という言葉も死語になってしまったようだ。
昔、大学が少なく、大学に進む人も限られていたころには、大学を出てきた人というのは明らかに教養知性を身につけて、一般大衆、庶民、労働者階級とは明らかに違った存在感があって、人々の羨望を集めたものである。
ところが、戦後、駅弁大学と揶揄されるようになった時、当時の一般大衆、庶民、労働者階級の人々にとっては、まだまだ大学卒に対する羨望のまなざし、あこがれの気持ち、立身出世の免罪符としての価値感が残っていたのである。
そこには高等教育を受けさえすれば立身出世が保障される、食い扶持に困ることはない、という思い込みがあったわけである。
この思い込みは、上は国家的な指導者から下はヨイトマケの母ちゃんまで、日本人のすべてに均等に刷り込まれていたわけで、猫も杓子も大学に進学するようになった。
こういう風潮の中で、資本主義体制の常として、そういう風潮に便乗して金儲けをしようという人たちも表れてきたが、教育、特に高等教育を行うについては、世間の大部分がそのこと自体を良き事と認識していたので、雨後のタケノコのように大学と称する遊園地が乱立したわけである。
人の織り成す社会の中で、「教育などいらない」ということは決して整合性を持ち得ないわけで、如何なる民族でも、如何なる主権国家でも、如何なる社会体制の中でも、「教育不要」、という言葉はありえない。
よって、地球上のあらゆる国が教育の普及に努めてきたわけであって、だとしたら21世紀の国際社会は、もっともっと住みよいものになっていなければならないのではなかろうか。
世の中に大学出、高等教育を受けた人があふれているのに、我々の社会が一向に住みよいものになっていないということは一体どういうことなのであろう。
私は大学という名の遊園地は不要だと思う。
これの存在意義は、学歴という免罪符を求める大衆を食い物にする詐欺商法だと思う。
ところが、「高等教育をする場だ」といわれると、誰もそれを不要の長物だと正面から言いきれないわけで、なんとなく押し黙ってしまうので、わけのわからない大学が増えているのだと思う。
大学という学歴をことのほか尊ぶ風潮は、国民の下層階級に特に顕著で、こういう人達は大学さえ出れば立身出世の免罪符を手にしたかのような錯覚に陥っている。
そこで大学で学ぶ、大学で何を学ぶか、という教育の内容よりも、卒業証書を得たかどうかがこういう人たちの関心事なわけで、それは同時に就職予備校でもあるわけだ。
これを一口で総括すると、大学というところは学問をする場ではなく、出世の免罪符を発行し、就職予備校として社会人としてのオリエンテーションをする場になっているわけである。
もしこういうことが今の大学の現状だとするならば、それはもう既に高等教育の場ではなく、職業訓練校とすべきである。
少なくとも学問というものには縁もゆかりもない存在ということである。
だとするならば、慶応大学商学部を卒業ということであったとしても、その本人に教養知性を期待する方が無理というもので、売文業者として、大衆に受ける文章の書き方を身につけてきた程度のことなのであろう。

「新しいもの古いもの」

2009-04-11 07:12:43 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「新しいもの古いもの」という本を読んだ。
池波正太郎氏の随筆であった。
私は彼の本はほんとんで読んでいないが、テレビでは見たものがあるようだ。
テレビで見るというのもかなりいい加減で、テレビを見るのにいちいち原作者や脚本家の名前に注視したことがないのでよくは分からない。
テレビを見という行為は、ある意味で本屋で立ち読みするようなもので、映画を映画館で見るような気負った気持ちで見るわけではない。
スイッチを入れて、チャンネルを回して面白そうだと、それを眺めているだけのことで、ただぼんやりと眺めていることが多いので作者や脚本家に注意を払ったことはあまりない。
そういう中で、加齢にともない、同じドラマでも時代劇を見る機会が多くなったことは事実である。
でも基本的にはNHK主体で見ているので、彼がどういう作品に関わっているのかはよく知らない。
この本は随筆であるので、彼の身の回りの雑事が多く語られていたので興味がわいた。
ただ、彼が業界では有名人であるにしても、凡人にとってはなんの変哲もない日常の茶飯事が、文章としてこういう形で本に記載されるということには、いささか疑問に感じる。
これらの雑文は、特定の本に集中的に記載されたものではなく、あちらこちらから頼まれたものを一冊にまとめたというもので、ある意味ではパッチワークのようでもある。
問題は、そういうものに対する凡人のやっかみである。
一旦有名人になると、凡人では屁のつっぱりにもならない事が作品として変質して、それが彼の実入りにつながっていることだ。
これは100%市井の凡人のやっかみであり、嫉妬心であることは私自身が十分に解っている。
彼がこういう業界で不動の地位を獲得したということは、彼自身の実力に他ならないが、その実力からこういう環境が派生したことは十分に理解できる。
俗に出世をするということはこういうことなのであろう。
この世に生を受けて、こういう出世をし損なった落ちこぼれの人間としては、どうにも羨ましくてならない。
だから、そういう人間に対する妬ましい心は、演芸、演劇、エンターテイメントに対する批判という方向に矛先が向く。
人間の織り成す社会というのは、その構成員つまり社会全体の相互扶助の中で成り立っていると思う。
巷間に言われているように、「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というわけで、この価値観の中では、基本的に物作りの人が社会を支えているというニュアンスだと思う。
社会という組織の中で、「駕籠に乗る人」というのは組織のトップを指し示し、「担ぐ人」というのはその組織の管理運営をする人とみなしていいと思う。
最後の「草鞋を作る人」というのは物作りの重要性を強調していると思う。
この草鞋を作る人がいなければ、「社会そのものがうまく機能しませんよ」ということを端的に表していると思う。
ところが、芸人とかエンターテイメントに携わっている人は、この範疇には入っていないわけで、それの裏の意味は、「そういう人たちは普通の社会人としての認識の中には入っておりませんよ」ということである。
こういうことを言うと、当然、そういう関係者から反発があることは十分承知のうえで言っているが、洋の東西を問わず、芸人というのは昔から存在していた。
古代ローマの時代から、中国でも太古からそういう芸人は存在していた。
当然、日本でも昔からいたわけだが、こういう人々が社会から普通の構成員としての枠の外に置かれていたことも古今東西同じだった。
これはれっきとした差別問題なわけで、いわば完全に差別されていたわけで、普通の社会の構成員からは、まともな仲間と見なされていなかったということだ。
ところが彼等は常に人前で芸をするわけで、ある意味で見に来ている普通の社会の構成員よりも、つまり観客の側よりもその社会的影響力が大きかったことも事実であろう。
額に汗して土を耕したり、牛や羊を追いまわしている社会の構成員よりも、良いものを食い、良い服を着て、額に汗することもなく、牛や馬を追いまわすこともなく、それでいて人々に対する影響力は大きなものがあったわけで、だからこそしばしば当局の逆鱗に触れ、弾圧されたこともあった。
私が常々不可解でならないことは、こういう芸人がインテリ―面をする風潮であって、一般社会の方も、それを喜々として受け入れているという現実である。
その顕著な例がテレビという媒体であって、今、政治家として世にデビューする最短のコースは、テレビに出て全国に顔を売ることである。
その為には、恥も外聞もかなぐり捨てて、ただただ極端なパフォーマンスをして、バカを売り物にして話題性をばらまくことである。
政治家としてまともに勉強して、まともな論理を説き、いくら人の為だといってみたところで、テレビというメデイアに依存しないことには、大衆に認知されず、知名度がなければ政治家になりきれない。
テレビに出演するということは、言葉を変えれば芸人に成りきるということで、その為のノウハウを提供するのが、いわゆる脚本家という人たちの仕事になっている。
芸人が大衆に受け入れられるためには、普通のことをしていてはそれは何時まで経っても芽がでないわけで、常に人の意表を突く行為、いわゆる奇抜なパフォーマンスをし続づけなければならない。
そこに社会が変わる大きな根源がある。
つまり芸人という人達は、普通の人々、いわゆる社会人としてノーマルな倫理感の中でのうのうしていては、芸人としての評価がありえないので、常にアブノーマルと思われるように社会規範から逸脱すことが要求されている。
いつもいつも社会の規範からはみ出すように潜在意識が作用しているので、時の為政者からは弾圧の対象にされるのである。
戦後のエンターテイメントの中で、ストリップというのは最初、裸の女が額縁を持って立っているだけであった。
それが当時の為政者の最大の妥協点であったわけで、それ以上のことは「みだらな行為」として取り締まるというものであった。
そういう状況のもとで、この芸人の裏方にあたるいわば脚本家とか演出家というような人達が、為政者の定める価値基準を徐々に徐々に取り崩し、いわゆる健全な社会の倫理感を切り刻んで、言い方を変えれば、価値観を変え、倫理観を踏みにじり、従来の健全な社会的基盤をぶち壊し、今の混沌とした社会にしてしまったのである。
ぶっちゃけて言えば、芸人がテレビをツールとして、進歩的あるいは民主的、封建制の打破というフレーズで以って、今日の社会を作ってしまったわけである。
池波正太郎氏は今の日本では押しも押されもせぬ作家であって、有名人であり、業界の第一人者であろうが、だからといって一週間、朝昼晩、何を食べたかを箇条書きにしただけで本になるということは大いに不可解である。
これは本人の責任というよりも、出版社の責任であろうが、彼の知名度からすれば、尻を拭きとった紙でも金になる、という浅ましいほどの金儲け主義の所為であろう。
問題はここにある。
当事者よりも、それに便乗して金儲けにしようと考える取り巻き連中というか、拝金主義者あるいは金儲け主義者の存在である。
とは言うものの、そういう連中に迎合する当事者にも責任の一端があることは論を待たない。
昔は芸人として一段下に見下げられていたものが、文化というオブラートに包まれると、知識人の範疇に入ってしまったわけで、それに比例して物作りの現場で汗水たらして働いている人達が、労働者という大衆に併合されてしまった。
考えてみると、この言い方も50年前の状況で、今時は物作りの現場でも、汗水たらしてという言い方は成り立たないが、テレビに登場するタレントと称せられている芸人に対するあこがれは今でもいささかも衰えていないと思う。
ものごとが進化するということは、今ある殻を打ち破るということから始まると思う。
ここで重要になってくることが、オピニオンリーダーと称せられる学識経験豊富な知識人といわれる階層の考え方である。
こういう人達が、新しい状況に直面して、古い価値観や従来の倫理観と何処で妥協するのかということである。
文学の世界では、直木賞とか芥川賞というのが権威あるものとされているが、その選者はそのことについてどういう考えを持っているのかということである。
私は、最近の直木賞や芥川賞の受賞作品を読んでも、一向にそれが良い作品だとは思えない。
市井の大衆の一人として、文学的な感性が錆びついていることは自分自身でも否めないが、基本的にああいう賞が作品に付加価値をつけ、従来の殻を打ち破る行為になっているわけで、それはそれでいいのだが、そこに選者の考え方が反映されるので、彼らは大きな責任を負っていることになる。
昨今のテレビの堕落も、テレビ番組というのはワンマンなデイレクターがたった一人で作るわけではなく、大勢の人が協力し合ってああいうものが出来上がっているわけで、その結果としての番組が見るに堪えないということは、テレビ業界全体の責任であるということである。
憂うべきことは、テレビ業界の全体の知性があれだけのものでしかないという現実である。
この本に対する私の不満も、出版界のセンスというか、知性というか、池波正太郎の書いたものならば何でもかんでも有難がる、という業界の知性に問題があるということに尽きる。

「おんなの国語辞典」

2009-04-07 07:39:17 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「おんなの国語辞典」という本を読んだ。
著者は今井美沙子という作家であるが私は今まで知らなかった。
自分ではドキュメンタリー作家といっている。
まあ作家の随筆なのでそれなりに面白かった。
冒頭から本の話が載っていたので、今回は私の本に対する思いを書いてみたい。
この人は本を自分の金で購入することが無上の楽しみといっているが、それは彼女の仕事に直結しているからということなのであろう。
私ごとき無学者にとっては、本を読むという行為は、あくまでも娯楽である。
しかし、本を読むことが娯楽という発想も、随分と奢った思考ではなかろうか。
昔の人にとっての本といえば、我々の今の感覚からすれば、エンサイクロぺデイアを手元に置くというような感じだったのではなかろうか。
本が貴重で貴重で、そう安易に発行できるものではないため、書き写したと言われている。
それはある意味で印刷技術の問題と車の両輪のような関係にあったものと考えられる。
しかし、西洋の絵画を見ると、15世紀16世紀のキリスト教の布教の絵に、既に本というものが描かれている。
こういうことから考えてみると、西洋ではもう既にその頃から本というものが出回っていた、ということであろう。
私が昔教わった知識としては、グーテンベルグが印刷機を最初に作ったのが1450年頃であって、それは15世紀の真ん中で、その頃のぶどう搾り機は上から押さえつけて果汁を搾るものであったので、その原理を応用して、紙に大量に印刷することが可能になったというものであった。
キリスト教の布教のための絵だったとしても、15、6世紀に描かれた絵の中に、本が絵の構図の中に描き込まれていたということは、その時にすでに本が人々の目に触れる位置にあったということになる。
その本が仮に聖書であったとしても、本の形をしたものがキリスト教の布教の絵の中にあるということは、不思議でならない。
日本では江戸時代まで書物の大量生産ということはなかったわけで、昔の偉い人は、人の持っている本を自分で丸写しして、自分の知識としていたわけだ。
こういう時代背景から考えると、本を娯楽などということは、極めて不尊で、傲慢な思考なのではなかろうか。
しかし、我々の身の回りをすこし冷静に眺めてみると、活字離れと言われつつも、人々は実にたくさん本に接していると思う。
これらは知識を吸収するための本ではなくて、ただただ本を読む、あるいは見ること自体が娯楽になりきってしまっているという明らかな証左だ。
つまり、テレビやラジオと同じように、情報伝達のツールになりきってしまって、知識の伝達とは次元が違ってきているということではないかと思う。
ある意味でメデイアのツールとしての一つの手段であって、もう既に知識の源泉としての使命が失われてしまっているということではなかろうか。
この著者は、自分の好きな本は自分のお金で買って、完全に自分のものとして手元に置きたい、という願望を持っている。
本好きな人間としてはごく自然の思考だと思う。
それは作家としての自分の仕事、あるいは職業に対する投資でもあるわけで、とても娯楽などという生半可なものではないはずだ。
知識人、大学教授や作家や評論家というような人にとって、本というのは商売道具に違いないが、我々庶民にとっては、娯楽の対象でしかない。
だから本に対する思いも当然違っているわけで、普通の庶民が自分で読みたいと思った本を全部自分の金で買うということは、相当に思い入れがないことにはありえない。
要するに、金がないことには出来ないということだ。
だから私は図書館の本で間に合わせているし、図書館というものの目的もそこにあるのではないかと思う。
我々の子供の頃、貸本屋というのがあった。
下町の本屋さんが一冊いくらかのお金で子供向けに漫画本を貸してくれる商売であった。
今で言うところのレンタルビデオのようなものであった。
また自転車の荷台に本を積んで、貸本のデリバリーサービスのような商売もあった。
こういう商売も、本が希少価値であったからこそ成り立っていたのであろう。
それと同時に、公共の図書館があまり普及していなくて、誰でも彼でも本に接する機会がなかったので成り立っていたのではないかと思う。
その点今はありがたい。
図書館に行けばただで本が借りられ、いくらでも読める。
家庭を持って、好むと好まざると生活を切り詰めねばならず、とても好きな本を自由気ままに買うことが許されない状況で、図書館を利用するようになって久しい。
私は昔の貸本屋の感覚で図書館を利用しているが、まことに好都合だ。
その最大のメリットは一度読んだ本は返せば後に残らないということだ。
自分で買った本ならば、読んだからといって捨てるにはあまりにも惜しいが、図書館の本ならば、読んだ後、返せば本棚を心配する必要がない。
ところが私はもともと記憶力が良い方ではないので、開架式の書棚から本を選ぶ際、既に読んだ本を再度手にしてしまう愚をたびたび犯す。
図書館から借りてきて、喜び勇んで読み始めると、どうも読んだような気がする。
このブログに書評のようなもの書き連ねるようになってからはそれが一目瞭然と解る。
「どうもおかしいなあ」と思って過去のコンテンツを検索してみると、1年ぐらい前にちゃんと記録として残っている。
ということは、記憶力がまことに不甲斐なく、読んだことが記憶から抜け落ちているが、好奇心そのものには根つよい潜在意識があって、本を選択するときにそれが出てしまうということだと思う。
昔から「本の虫」という形容がよく使われているが、一体物心ついてから人間は何冊の本を読むのであろうか。
人によってばらつきがあることは当然として、図書館はもとより本屋さんにも実に多種多様な本が並んでいるが、それらの本が全て人の目を通るのであろうか。
これは本屋、あるいは出版社、あるいは印刷屋さんの過剰競争、過当競争の結果ではないかと思う。
需要と供給の枠を超えた無意味な過当競争なのではないかと思う。
資本主義の名のもとで、人は何で儲けても構わないのだから、教養知性でそういうものに蓋をすることは罷りならぬという、現代の民主主義を逆手にとった奢りなのではなかろうか。
こういう場面で本来ならば本の虫であるべき知性の塊としての教養人が、人としての倫理を説かなければならないと私は考える。
ところが現実には、こういう教養人は、大衆に迎合することが先で、高踏的に上から庶民に説き伏せる説法を極端に嫌がる。
高等教育を受け、知性や教養に富んだいわゆるインテリーと称せられる人々は、自分の知性を極力ひた隠し、限りなく大衆に接近し、そういう人々の受けをよくしようとするあまり、良い子ぶった態度に出るから倫理観という価値基準がぐらついてしまうのである。
この本の中で渡辺淳一の「失楽園」が俎上に乗せられていたが、お医者さんがこういう不倫の関係を素材した小説を書き、それをテレビドラマ化して、大勢の人間が見ることに対する不合理が突かれていたが、当然のことだと思う。
人がミニマム守らなければならない倫理というのは、基本的には人類誕生の時から普遍的なものであって、視点を変えれば極めて時代遅れの思考ともとれる。
しかし、それは人々が平和裏に生きるためのミニマムの約束事なわけで、これを古い思想だからといって否定してしまっては、人間社会は支離滅裂の状態になってしまう。
渡辺淳一の「失楽園」は、その有様を小説という形で表現したわけであって、彼の本音のところでは、そうあってはならないという思いがあったのではないかと善意に考えている。
ところが今の日本の社会というのは資本主義体制であって、儲かることならば何をやっても良い、と思い違いをしている人があまりにも多い。
だから、その「失楽園」をエログロナンセンスな見世物として、そのことによって金を儲けようとメデイアが踊り狂い、お祭り騒ぎを演じたのである。
そこでバカな大衆は、あれこそトレンデイ―な新しい生き方だと勘違いしたわけで、こういう場面でそれに警鐘を鳴らすべき立場の者が、本当ならば知識人といわれる人々でなければならないはずである。
ところがこの知識人という人種も、バカな大衆と同じ土俵の上で生業を維持しているわけで、そういうバカな大衆を敵に回すことは、自分の首を絞めることになるものだから、そういうものに迎合せざるを得ない。
考えても見よ。
昔、60年前、あるいは50年前のストリップといえば、額縁ショウで、裸の女が額縁を持ってじっとしているだけで大衆は胸をときめかしたものだが、今のインターネットのエロサイトは、そのものズバリを動画で見せているではないか。
この変遷の中で、戦後の日本の知識人の役割というのはいかほどのものがあったのか、彼ら自身考えたことがあるのであろうか。
基本的に、世の中の乱れというのは、大衆の願望の集約という形で表れるわけで、大衆というのは管理・監督の網から如何に逃れるかに大いに知恵を絞るものである。
一方大衆を管理・監督する行政サイドというのは、そういう大衆の無制限の欲望を如何に抑え込むかという方向に知恵と裁量が向かうが、ここで大衆から一歩も二歩も上の知識階層というのが、大衆という曖昧模糊とした無学文盲の人の群れに、数が多いという理由だけで味方し迎合する。
数の多い方に味方することが民主的であると思い違いして、結果として大衆の望む方向に結論付けるわけである。
これを称して衆愚政治というものである。
行政サイド、あるいは政府、官僚、言葉はいろいろあるが、人々を管理監督する側を糾弾して、大衆の望むことを実現するように仕向けるわけで、結果として世の乱れというのが普遍化するのである。
額縁ショウからモロ出し動画まで、政府や官僚がこれを取り締まると言おうものなら、世の学識経験者というのが一斉に「言論の自由を侵した」、「表現の自由を侵害する」という大抗議が起きるに違いない。
そういう一方で、「有害な興業あるいはサイトは取り締まれ」というわけで、その両方のバランスの結果として、「失楽園」がテレビで放映され、モロ出し動画が世に出回るということになっている。
世にいう知識人、大学教授や、作家や、メデイアの編集員というような人は、基本的には本の虫であって、その人の人格を形成している学識経験というのは並みの人以上のものがあると思うが、そういう人はなぜ倫理や道徳という太古から人類が連綿と引き継いできた価値観を若い人の語り継ごうとしないのであろう。
「人のものを盗むことなかれ」、「汝・姦淫するなかれ」、ということがなぜ古臭い封建的な思考なのであろう。
戦後の日本の知識階層というのは、こういうことを「個人の自由」として容認しているわけで、不倫も本人たの合意の上の行為だから不動徳ではないという論理である。
人間というのは実に不思議な生きもので、本の虫といわれるような人は大方高等教育を受けていると思うが、高等教育をいくらうけても、それが倫理や道徳の向上にいささかも貢献していないのはどういう訳なのであろう。
これは一体どういうことなのであろう。
日本の教育の理念、いやどこの主権国家においても公教育の理念は、その国、自分の祖国に貢献する人材の養成であると思う。
逆にいうと、公教育を受けた人は、国家、祖国に何らかの見返りとして、奉仕の精神を持たねばならないということだと思う。
こういう表現をすると、昔の軍国主義の復活のように聞こえるかもしれないが、主権国家の国民というのは、如何なる人でも自分の祖国になにがしかの貢献をミニマムの義務あるいは権利として持っていると思う。
昔は兵役が国民の義務の一つであったが、今では納税が国民の義務としてうたわれているわけで、それだけではなく国民の一人として誠実に生きるということも、国民の義務だと思う。
ところがデモクラシーの世の中では、この「誠実に」という部分が、拡大解釈されて「個人の欲望に誠実に」となってしまっている点が問題である。
こういう不合理を説くべき立場の者が、基本的には知識人、あるいは知識階層でなければならないが、こういうレベルの人達が、大衆レベルの意識にまで自分を下げてしまっているところが問題である。
高等教育の価値の喪失、あるいは高等教育の普遍化・大衆化、または高等教育の価値観のメルトダウン、言い方はどういう風でも良いが、高等教育を受けた人の倫理観の喪失は、大きな社会問題だと思う。
これをもっと掘り下げてみると、同じ犯罪でも、教育によって量刑を勘案しなければならないと思う。
例えば、コンビニで万引きをしたとして、それを公園のホームレスがした場合と、大学教授した場合では、その刑罰に違いをもたせるべきだと思う。
大学教授の方が当然のこと社会的なインフラの享受の度合いが大きく、それまでに費やされた教育投資の総額はホームレスとは雲泥の差なわけで、そのことを考えれば、万引きの刑罰もそれを加味したものであって当然だと思う。
高等教育を受けたものの犯罪というのは、その人に費やされた教育投資、いわゆる社会的なインフラとしての教育ということも加味して考えなければならないと思う。
高等教育を受けて社会的な地位にいる人は、ノブレス・オブリージを持って当然で、その教育と地位に見合う貢献をしてこそ、高等教育が生きるのであって、それが私利私欲で犯罪に走ったとなれば、教育投資に反比例する刑罰で以って処さなければならないと思う。
そもそも高等教育を受けたもので、刑罰が犯罪の抑止力となっているようでは、そこらあたりの暴走族の思考と同じレベルなわけで、高等教育が泣くというものである。

「キャベツの行方」

2009-04-06 07:13:23 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「キャベツの行方」という本を読んだ。
四国のお医者さん、女医さんが綴った随筆であった。
お医者さんとしての身の回りの雑事を書き綴ったという感じのものであったが、読む者の好奇心を刺激するには十分こなれた文章であった。
お医者さんも人の子、特に医者の家に嫁ぎ、その上旦那さんが重い病気になり、闘病生活を余儀なく迫られ、患者の立場と医者の立場の両立の間に立たされた者の心の葛藤というのは、普通の人では体験できない領域である。
そういう生活が、筆者の楽天的なユーモアとまじりあって、読む者にほのぼのとした心温まる感情を沸き立たせている。
私自身も、がんを体内に秘めた一人の患者の立場ではあるが、私の病気を見てくれているお医者さんには常づね感謝している。
世間には、自分の病気に対する対応が不十分だ、といってお医者を恨む人が大勢いるが、そういう人は私に言わしめれば不遜な人だと思う。
お医者さんの全部が全部善人だと思う方が間違っているわけで、お医者さんの中にも、大きなばらつきがあることは自然の法則として当然なことで、たまたま運が悪くそういうお医者さんの当たった人は、その人の運が悪いだけのことで、それが全てではないものと思う。
私は今まで運命論者ではないつもりでいたが、この年まで生かされ、がんという病気を身をもって体験してみると、人間の生命というのは運命次第だと思うようになった。
自分の持って生れた運命も、自分の努力で多少は方向をコントロールすることも可能であろうが、行きつく先はやはり運命のサダメに左右されるのではないかと考える。
人かこの世に出た瞬間からもう運命に支配され続けているわけで、金持ちで裕福な家に生を受けたものと、貧乏人の子沢山の中に生を受けたものでは、当然出発点から天のサダメに左右されているわけで、この現実は個人の力では何ともしようがない。
ここで考えなければならないことは、近世を経た現代では、人々の教育レベルが向上して、こういう運命論を否定する傾向にあるということだ。
この世に金持ちと貧乏人の立場の違いが、人為的な結果だと考えることが顕著になって来たことだ。
貧乏人が自分の貧乏を他者の所為だと考えて、それを是正しなければならないと考えるようになったことだ。
人が複数集まれば、その中には金持ちと貧乏人、支配するものとされるもの、善人と悪人、誠実な人とそうでない人というのは必然的に含まれるわけで、それは人為的なものではなく、それこそ自然そのものであって、それを是正して皆均一にするなどという発想は神を冒涜するものである。
その自然の在り体こそ、人々の個性そのものなわけで、それを押し並べて均一にしようなどという発想はばかばかしいにもほどがある。
それこそ教養知性の奢りそのものである。
人は自然に支配されてこの世に出てくるわけで、死も当然自然の摂理のままに到来するのであって、その死を人の所為にする風潮が蔓延している。
死を人の所為にする発想の原点が、病人に対して医者が十分な処置をしなかった、だから金寄こせという思考になっている。
今の我が同胞は、人の死を金のなる木と取り違えているのではなかろうか。
交通事故で死ねば補償金を狙い、病気で死ねばまわりが医療事故として金につなげようとし、仕事中に死ねば労災事故として金につなげようとしている。
こういう風潮だから、病人が病気に侵されて病院で死ぬと、なんとかして医療事故にもって行って、人の死を金蔓に変えようとする。
その為には人の死は尊く、残されたものの悲しみはいくばくか、という感情論を前面に出して、人の感情を刺激して、金をより多くせしめようという思考に至る。
こういう考え方は人の死に対するおおいなる冒涜であるが、それを人命は尊いものだという大義に名を借りた暴論だと思う。
人の死を金蔓と考えている輩に対して、世間の識者は正面から反論をしかねている。
人命尊重の壁と突き破れえないまま、その大義の前に屈伏してしまっている。
人命尊重、医療ミス、金儲け主義の処置といわれると、医療機関の方も委縮してしまい、そのうえ裁判までが医療に携わる側を糾弾するので、そういう輩は大きな顔でのさばるようになっている。
確かに医療事故、手術ミス、医者の判断間違い、見立て違いということも現実には数えきれないほどあることは確かだ。
お医者さんも人の子である以上、人間の常としてミスが全くないということはあり得ないわけで、そういうミスに巻き込まれること自体が運命だと思わなければならない。
そういうミスの少ない医療機関を選択するというのは患者の側の自己防衛だと思う。
この本の著者の旦那さんも、お医者さんでありながら重篤な病気に侵され後遺症を抱えているし、がんの専門医ががんに罹ることもあるわけで、やはり医者も人の子であることを考えれば、病気というリスクは万人に公平に降りかかっているのように思える。
だとすれば我々は人の運命ということをもっと謙虚に考えることが必要だ。
この世に生を受けて、30代、40代で、いや如何なる年齢であろうとも、病に倒れるということは本人もさることながら、周囲の人にも辛いことではあるが、だからといって、その人の運命を医者が方向転換できるものでもない。
闘病の結果、薬石効なくということになっても、それは医者の所為ではないと思うが、往々にして世間ではそれを医者の責任だと認識しがちだ。
私は専門家ではないので本当のことはわからないが、私が思うに、がんという病気は若くして罹れば、若いだけに、がん細胞の新陳代謝も活発で、その分がんの進行も早いと思う。
老人になれば、若い時から体内で潜伏していたものが周囲の細胞が老化するにしたがい、浮上してくるのではないかと考えている。
私が最初に舌がんを患ったのは、58歳の時でまだ現役だったので、この先どうしたらいいのか頭の中が真っ白になったけれど、成るようにしか成らないと開き直った心境でいた。
それから社会復帰して10年あまりを過ごしたが、その時のがんが完治したとは考えていない。
今、再度、がんが肺にあることが判明したが、これは再発とは考えておらず、老化あるいは経年変化による新たながんの発見だと考えている。
先回の時、成るようにしか成らないと開き直ったので、その後人様の忠告を無視し続けたため、それの因果応報だと自分では思っている。
最初にがんを患ってからというもの、常に死ということが頭の中にあり続けたことは確かだ。
もう、如何に生きるかということは超越して、如何に死ぬかということが頭の中を支配し続けていた。
この世に生を受けて、人並みに青春を楽しみ、人並みに結婚をし、人並みの子育てをし、人並みに定年まで仕事をし続け、功なり名を成したわけではないが、自分の人生にはそれなりに満足している。
決して金持ちになったわけでもなく、人から崇められる立場になったわけでもないが、名もなく貧しく美しく生きたことに十分納得している。
それはそれでいいのだが、ここで如何に死ぬかということがはなはだ難しい問題だと気が付いた。
人は自殺ということをどういう訳か悪いことのように言うが、これが不思議でならない。
行政サイドも自殺者を減らす方向に努力しようとしているが、これは私にとっては不思議でならない。
人の命の尊厳ということはよく理解できるが、人生を十分に謳歌した人が、自らの選択として自死を選ぶことがそんなに悪い事なのであろうか。
自分の人生の幕を自分で引くということは、それこそ個人の尊厳の最も気高い行為ではなかろうか。
死にたくないという人に死ねという訳ではない。
自分の人生に全く悔いがない、十分に納得した、思い残すことはない、という人が自分で自分の人生の幕を引くことはそんなに悪いことなのであろうか。
長寿でありさえすれば、寝たきり老人を何時までも介護し続けて生かすことがそんなに価値あることであろうか。
そういう人たちを社会の負の遺産だから無理やり支援を打ち切れという訳ではない。
生きたいという人はどこまでも支援して生かせばいいが、問題は、もう死にたいという人の存在である。
もう死にたいと願っている人を、無理やり介護の名で生かし続けることこそ、人の命の尊厳を踏みにじっている行為ではなかろうか。
生きたいと願っている人に、無理やり死を迫るものではなく、自分の人生を十分に堪能した人が、自分で自分の人生の幕を引くことがそんなに悪い事なのであろうか。
長寿を願うのは人類の誕生の時からの永遠の願望であったが、それは人類のただ単なる思い込みすぎないのではなかろか。
つい先ごろまでの人の命は、人生わずか50年といわれていたわけで、その前はおそらくもっと短かったに違いない。
人の命が30代40代で終わっていたからこそ、長寿という言葉に価値感があったわけで、そういうときには、それこそ長寿願望として50年60年と長生きすることが人にとって願いであったに違いない。
人が太古から持ち続けてきた長寿願望には、他人から介護を受けながらの長生きなどということは、想定外であったのでなかろうか。
人の命が尊いという概念は、自らの力で立ち居振る舞いの出来ないものは自然に淘汰される、という時代背景の中で生まれたのではなかろうか。
こういう太古からの人類の思い込みは、そろそろ見直す時期なのではなかろうか。
そんなに死にたければさっさ死ねばいいではないかといわれるとちょっと困る。
今まで冷静に自分の人生を分析したものにとっては、死に方にもこだわりがあるわけで、そう簡単に首を吊るわけにはいかない。
冷静であればこそ、その死に様が気になって、出来るだけ綺麗に死にたいわけで、無残な姿を人目に晒したくないという、自分へのこだわりは捨てがたいものがある。
飼い犬でも飼い猫でも自分の死期を悟れば、家出して自分の死顔を可愛がってくれた家人には見せないではないか。
いや、自分の家で飼い犬が息を引き取ったというのは、野性としての本性を失った、極めてペット化した犬であって、犬の中でも誇りをもった犬ならば、誇りある死に方を選択するものと思う。
自死は生きた人間の最後の誇りではなかろうか。
ならば今に生きる人々は、そういう誇りを持って今まで生きてきた人に対して、華麗な死を提供してしかるべきではなかろうか。
死にたくない、生き続けたい、誇りも名誉も投げ捨てて、下の世話を他人にしてもらってもなお生き続けたい、という人に死を迫るわけではない。
立ち居振る舞いに何一つ差し支えもなく、頭脳も極めて明晰な時に、自分の人生の幕を自分で引いてみたいと冷静に判断できる人に対して、その人の意志を尊重し、それをフォローするという行為は極めて気高いことではなかろうか。
つまり、安楽死を容認してこそ、人類の英知ではなかろうか。