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歴史文献気象学

2022-07-26 09:40:52 | 時事問題

 

歴史文献気象学

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

 堆積物や化石・岩石等の資料、氷河、南極の万年雪の下の氷(氷柱)、木の年輪などの資料を分析することによって、20億年前の地球の温度や、7億年ほど前の地球全凍結の時代や、歴史時代に入っての温暖期や寒冷期の状態が把握できるようになってきた。この堆積物や氷柱などの分析によって過去の気候(変動)を推定する学問を“古気候学”という。ほぼ同じ意味で“歴史気候学”という言葉もある。

 この古気候学は地球に残されている物質(堆積物、氷、木)などから古代の気候の推定を行なうのであるが、これに対して、人間の書き残した資料、つまり、文献から古代(歴史時代)の気象を推定する学問を「歴史文献気象学」と私は名付けたい。“気象”という言葉を使うのは、

*戦国時代の1563年5月の8日間の断続的豪雨で大和川が氾濫し河内国の大半が浸水する大洪水が起こり、1万6千余名が死亡。

といような文献資料にある事柄に対して、この時の8日間の“総雨量”はどのくらいか(どの程度の地域が浸水したのか)を推測する学問であり、比較的短期間の気象現象を探る学問であるからだ。

 河内国の住民の度重なる陳情を受け(当時大阪は幕府の直轄地、つまり、天領であった)、江戸幕府は氾濫を繰り返す大和川の瀬替えを工事を決定し、1703年に大和川の運ぶ水を現在の柏原市付近から堺市に流す工事にとりかかり、3年の工事期間の予定であったが総延長14キロメートル、幅180メートルの川を7万1千5百両(現在の貨幣価値で約143億円)の工事費で8ヶ月かけて完成した。このあと、大阪府内の大和川流域では現在(2022年7月)に至るまで洪水は発生していない。大和川は大阪府北部を流れる淀川と並んで国が管理する1級河川となっている。

 徳川家康は豊臣秀吉によって三河から関東に国替えさせられた時、未開発の湿地帯であった関東平野を利根川を制することによって、広大な田畑に変えてのちの江戸幕府(徳川幕府)の基礎を築いた。側近に優秀な治水(学)に長けた者がおり、その伝承された知識も活かして大阪の大和川の流れの変更工事(瀬替え)が行なわれたと考えられる。

 大阪では1703年の大和川の治水工事のあと、洪水による大規模な被害は発生していない。が、近年の九州や、広島などの洪水や土石流災害の頻発はいったい異常気象による仕方のない被害なのか、それとも昨年(2021年)7月の静岡県の死者26名を出した土石流災害のように、違法な工事等に伴う人災なのか。

 “歴史文献気象学”は過去の文献から大雨の雨量や地震・津波の規模等を推定をし、今後の治水、地震津波の対策等の構築に貢献する学問となる。平安時代の貞観11年(869年)に現在の東北地方に2011年の東日本大震災に匹敵する“貞観地震”が起こった。マグニチュードは8.3以上と推定されているが、正確には分からない(*注1)。この地震は日本国の歴史書(国史)の『日本三代実録』に記述されている。この貞観地震の前後にいくつかの地震や火山噴火が発生した。

 この貞観地震とそれに伴う大津波を地層などから研究し、どのあたりまで津波が来たか、地震の規模がどの程度だったのか、また、それ以前の地震・大津波の痕跡を地層から研究している学者がいる。歴史書に記載された貞観地震の年代に基づいて、それよりも前の大地震・津波の発生年代を推定できるのである。

 日本の文献に地震の記録が最初に載せられたのは允恭天皇の時代である。允恭帝は万葉集の冒頭歌「こもよ、みこもち~」で有名な雄略天皇の父帝である。

 允恭帝の治世は、雄略帝の即位年を471年とする私の説と“安本年代論”も考慮しつつ、比較的に長い治世であったと考えられることも勘案して算出すると441年~468年となり、その5年は445年(ころ)になる。湖底などの堆積物によってできた縞模様を分析する年縞などの年代測定法によって(私の推定した)この445年の地震の痕跡は発見できないものであろうか。そして、その規模を推定することはできないものか。

 “歴史文献気象学”は過去の文献から台風とそれに伴う洪水等の規模をも推定をし、現在の私たちの生活に活かす学問となる。

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 現在、NHKなどは気象庁の発表に基づき、“観測史上最大”の雨量などと、嘘に近いニュース(Legally Not Incorrect but Practically Fake Information)を流している。ここ30年ほどのアメダス記録をもとにした“観測史上最大”である。「観測史上最大」というような言葉を使いたいなら、戦後の雨量記録や、東京気象台が初めて天気図を作製した1883年(明治16年)からの観測や記録を含めるべきで、その記録が分からないなら「観測史上最大」という言葉を用いるべきではない。「ここ30年間の観測記録によると」というように正確に情報伝達するようにすると、気象庁が戦後の雨量記録さえ資料として用いることさえしていない、つまり、さぼっていること(?)が明らかになるのかもしれない。

 電子化することができないのなら、別に資料として有効利用する方法もあると考えられるのにそれをしないのはなぜか。気象庁はサボりと無能の集まりか? それとも地方自治体等の“怠慢”治水対策を覆い隠すのに協力するために“観測史上最大”を連発するのか。

 私は「歴史文献気象学」を発展させ、文献資料から得られる過去の災害記録を数値化して、「“日本歴史上最大”の雨量と推定される」というような事が言えるようにもっていって欲しいのである。日本は歴史も長く、文献も豊富である(貴族の日記や寺社などの記録がいくつかある。日本書紀を含めれば1300年前の資料がある。歴史の浅い米国等ではこうは行かないし、歴史が長くても革命によって前政権が完全否定され、歴史資料等が散逸し日本にしか文献が残っていないものが多数ある中国でもこうは行かない)

 「観測史上最大の雨量」というような嘘か嘘に近い情報を出し続けるのではなく、気象庁は“歴史文献気象学”の予算をとり、意欲のある大学等と連携して新たな学問の構築に貢献したらどうか。

  中国は一昨年、昨年と記録的な豪雨に見舞われた。2021年8月、鄭州に雨が降り続き、ダムを守るために故意にダムの一部を壊して大洪水を起こし多数の死者を出したが、この時、当局は100年に一度の豪雨から1000年に一度の豪雨というような言葉遣いをして、ダムが洪水を防げないことを想定を上回る“自然の猛威”のせいにし、人々に「そのような大雨なら仕方がない」と思わせようとしていた。日本はこの非道の中国共産党のやり方を真似すべきではない(いや、中共が日本の気象庁の真似をしたのかもしれない)

  国土交通省は気象庁を管轄する機関であり、国民の生命財産を守らなければならない。そのためにも昔の記録を含まない、せいぜいここ40年程度の観測記録だけを用いて「観測史上最大」というような嘘(fake)に近い情報を気象庁が流すのを止めさせる必要がある。法的には問題がなくとも実質的には嘘の情報を流すことは大問題だ。法的には問題がない(legally not incorrect)情報を政治家や政府機関やマスコミが流し、国民を誤った方向に導くならそれは大問題だ(*注2)。不誠実で実害をもたらす情報は出させないようにする必要がある。

 明治時代などの記録と現在のアメダスの記録は比較すべきもので極めて有用であると考える。“記録的”というのなら、日本は5世紀くらいから確実な文献の記録が出てくるのだ(「稲荷山鉄刀銘文」)。7世紀の前半には『日本書紀』が完成した。この国撰史書には、先に述べた允恭天皇5年のところに「五年秋七月丙子朔己丑、地震」とあり、史書に初めて「地震」の記述が出てくる。

 天文学の記録としては藤原定家が『明月記』に過去の超新星の爆発(1054年、かに星雲がその残骸)を記述しており、その記録をもとに「かに星雲が超新星爆発の残骸である」ことが証明された。つまり、日本の平安時代の陰陽師・天文博士が実際に観測した記録、鎌倉時代の貴族等の日記などの“記録”から天文学の新発見が生まれたのだ。これは「歴史文献天文学」とでも呼ぶべき学問の領域になる。

 また、長雨や洪水、台風の記述などの記録にもとづいて過去の被害の状況や現代との比較もできる。天文学だけではなく、気象学においてもアメダスのような短期間の記録を基にするのではなくもっと広く、過去の文献による「歴史文献気象学」を構築し、より安全に国民が生活していけるように政府、気象庁、NHKなどは(無駄に予算を使わず人々の生活に役立つものに金を使う)努力すべきだ。高性能コンピュータの発達した現在、奈良・平安時代以降の文献の中の気象情報等を調査しそれを数値化し(大ざっぱなものでよいし気象の数値、雨量などは機械で計測しても大ざっぱにならざるを得ない)、現在の私たちの生活に活用することは大切なことであり、これを学問化すべきだと私は考えている。

  怪しげな“地球温暖化説”と“地球温暖化の犯人はCO2説“を受入れ、それを称揚するグループを側面援助する政策に金を使うのではなく(*注3)、日本国民の生活を豊かにする政策を掲げるように日本政府は努力を傾注する必要がある。世界は悪人と悪党に満ちており、その悪意をいかに排除し、“日本丸”を安全に航行させるかが日本政府の第一の仕事である。

 

 

(*注1) 貞観地震の正確なマグニチュードが分からないのは当時、地震計や精密な観測装置があったわけではなく、被害の規模を文献などから推定して妥当と考えられる数値を出すのが「歴史文献気象学」の仕事である。現在の精密な雨量観測機器を使ってもある日のある地域の降水量は大雑把なものにならざるを得ない。なぜなら、雨量計の存在する場所から50メーター離れた場所の雨量が大幅に異なるということが起こりうる。雨は一定の地域に同一量の雨を常にもたらすとは限らないからである。同様に、地震の規模もかなり大雑把な要素がある。2011年の東日本大震災の地震の規模も最初に出てときはマグニチュード8.7か8.8だったように思うが、最終的に9.0に決定された。これも色んな要素を勘案して決定する部分があり、機械的(地震計などの計器の記録)だけに基づいて決めているわけではないからであろう。つまり、計器の整った現時点でも“推定”という作業が必要なのであろう。

(*注2) 橋下徹元大阪市長は、大阪のメガソーラー事業に関連し、日本のダミー的会社をかませて、中国共産党の支配下にある上海電力に重要な基本的インフラになる電力の利権を提供したが、これは大阪市民、府民、日本国民の安全を損なう行為だと言える。が、法的に問題がないと言い張る。政治家は法的に問題がなければ何をやってもいいのではなく、地域に住む住民、市民、日本の国民の利益(安全・名誉・幸福・平和)になることをすべきだ。政治を自分と周囲の取り巻きの利益の手段と考えるような政治屋は日本に必要ない。 (2022年7月26日記)

(*注3) 日本共産党(日共)との関連があると考えられる委員の任命を菅内閣が任命拒否をして物議をかもしている日本学術会議のWebサイトに数か月前にアクセスし、「学術会議の委員の主要論文を読めるようにはしていないのか」と“納税者で主権者である国民の一人より”」とし、質問をすると、「そのようにはしていないが、協力関係にある若手中心の日本学術会議協力学術研究団体の論文は公開されている」との返答があった。少しチェックしてみるとSDGsや地球温暖化のような政府の意向に沿うような研究項目が多く、中身を見る気はしなかった。科学的に正しいかどうか、疑わしいものの研究を学術会議が奨励しているとしたら、日共の意を受けてか、中国共産党の軍事研究には協力し、日本の大学の科学研究には「軍事研究につながる」とケチをつけていた学術会議の一部幹部連中の一方的“反民”行動と異ならない。地球温暖化の研究においても、学問として、賛成の研究、反対の研究のどちらも公平に扱うべきである。それができないなら現在のような国民の税金を使うかたちの日本学術会議は存在させるべきではない。

 

参考:朝日新聞記事

氷河期サイクル、公転軌道変化に伴う日射量増減きっかけ  2007年08月24日14時36分

 地球でほぼ10万年周期で起きる氷期と間氷期のサイクルが、地球の公転軌道の変化などで生じる日射量の増減に連動して起きていることを、国立極地研究所や東北大などの研究チームが突き止めた。今後の気候変動を予測するのに役立ちそうだ。23日発行の英科学誌ネイチャーに発表した。

 極地研の川村賢二助教らは、90~96年に南緯77度の南極のドームふじ基地で、深さ2503メートル分の氷床コアを採取、氷の中に残る過去約36万年分の気泡(空気)を分析、当時の雪の温度と二酸化炭素(CO2)濃度の変動を推定した。

 一方、他の惑星の引力の影響で、数万年単位で変化する太陽からの距離や地球の地軸の傾きから、北半球の日射量の変動を割り出した。北半球の日射量が増大する時期に南極の気温とCO2濃度が上昇するなど、日射量変動とコア分析で推定した雪温やCO2濃度の変動がよく一致した。

 この結果は、氷期と間氷期が、地球の公転の変化などによる北半球の夏の日射量の変動をきっかけにして起きるとした「ミランコビッチ理論」を具体的データで裏付けたことになる。

 

 

 

 


商人(殷人の遺民・流浪の民)とユダヤ人

2022-07-06 12:29:47 | 時事問題

    

 

商人(殷人の遺民・流浪の民)ユダヤ人

 

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

 『漢字語源辞典』(藤堂明保著 学燈社刊 1965年初版発行)の「商」の項目のところで、「商人あきんどの由来」の説明がある。

「商人あきんど由来」

 〈説文〉によると、商売、商賈などの商の字は正確には「の上にの字  ※文字が無いため永井による説明」の字で書くべきで、この字は「貝+商の省声」である。〈説文〉には「商とは行賈あるいてうるなり」とあり、今日の「行商」というコトバがこれに当たる。店をかまえ、庫に財貨をしまいこむのが賈である。賈の字の上部は覆の字と同じで、財物をカバーすることを示すから、は同系のコトバである。それに対してとは、一定の店や庫をもたず、転々と行商するものである。

 周人が殷人を滅したあと、その遺民の一部を宋ソウに集め、その技術者を奴隷として、魯や衛エイの諸侯に分配した。しかし多くの遺民はジプシーと化して、各地を転々とし、交易によって糊口をしのいだ。またその一部は賤民となって、賤業(皮匠や屠殺業)を営んだ。彼らは周人より手芸や知能には長じていたが、いかんせん、滅ばされた民にすぎない(唐の都洛陽の北郊に「殷里」という一画があり、賎民が住んでいたという。殷から2000年をへているのに、なお「殷人は賎民だ」という意識が残ったものとみえる)。商の国の人が交易を行なったために、やがて各地を歩いてあきないをする人人を、商人と称するようになったのである。

 なお戦国から漢代に降っても、なお商人は、農民よりも一段低い人間だという固い潜在意識があった。呂不韋リョフイがあきんどより起こって、秦の宰相となったという事実はあっても、商人そのものに対する価値づけは低い。その伝統の根底には、商人は亡民や賤民の仲間だという、潜在意識があったのかもしれない。

※ 殷が周によって滅ぼされたのは紀元前1046年、日本では縄文時代の最晩期にあたる。この時期、殷の遺民の一部が日本に渡ってきたという人もいる。

という説明がある。「“商人”が中国の儒教思想の中で蔑視され、中国の影響を受けた“小中華”の朝鮮ではさらにこの傾向が強い」というような知識を漠然と持っていた(だけの)私は驚いたのである。

(殷人の)多くの遺民はジプシーと化して、各地を転々とし、交易によって糊口をしのいだ。

※この状況はアシュケナージ系のユダヤ人(現在のウクライナのあたりにあったハザール王国を滅ぼされたハザール人など)がヨーロッパ各地に散らばり商売で生き延びてきた状況を連想させる。

その一部は賤民となって、賤業(皮匠や屠殺業)を営んだ。

 ※この状況は日本における部落差別を連想させる。皮革産業(皮匠)や屠殺業は被差別部落地区の主要産業となる場合がよくあった。

 ①や②のような連想が「商人の由来」を読んですぐ浮かんだのである。中国の河南省安陽付近に拠点を置く殷王朝が占いに使った卜辞の文字が甲骨文字で、その文字が漢字の始まりと考えられており、殷人は文字を創り出した優秀な民族であったと見られるが、によって殷“国”が滅ぼされたあとは、生き残ったもの(遺民)の一部は奴隷となり、他はジプシー(流浪の民)となって各地を流浪し行商をして食いつないだのである。

 たとえ優秀な民族でも国防を怠れば(国防に欠陥があれば)国は滅ぼされ、大多数は殺害され、残りは奴隷にされるか、逃げ回って蔑視される“商人”となったのである。

  この状況を現在の日本に当てはめたらどうなるか。日本は第二次世界大戦(太平洋戦争→大東亜解放戦争)において、人種差別的動機に満ちた欧米の帝国主義とそれに基づく植民地主義を打破するために東南アジアから欧米の軍隊を駆逐することにいったんは成功したが、ミッドウエー海戦での敗北を契機に敗戦への道をたどった。

 そして、終戦直前にはソ連が中立条約を破り、満州に侵攻し、南方戦線に兵力を大きく割いて弱体化した守備の関東軍を駆逐しつつ、終戦後も日本兵狩りをして、不法のシベリアへ送り奴隷労働をさせ多くの日本兵を死に追いやった。ソ連兵は居留していた満州から退避していた日本女性を捕まえレイプし蛮行を重ねたが、これに呼応するように当時朝鮮系日本人であった朝鮮半島の多数の“朝鮮人も”この蛮行に加わり、日本人女性をレイプしたり殺害した。

  無事日本に逃げ帰った(引き揚げることができた)日本人居留者も多数いたが、そうはできずに満州、朝鮮半島で倒れた日本人も多かった。

 このような惨劇、惨状が終戦前後に満州、朝鮮半島で起こったのだ。もちろん、南方戦線での補給を無視した作戦などで多くの日本軍兵士が死に追い込まれた。

 

 私はツイッターで戦前戦中の日本軍を擁護し、

 無法非道の中米ソ等の軍に比して高潔な日本文化を基盤とする日本軍は規律高い世界一の立派な軍だ(聖人君子のみの集まりではない日本軍内部には下級兵士に対するイジメもあり、“嫌な奴”は稀ではなくいたが、それはどの組織、社会にもあることだ。軍内部の殺人を含めた犯罪率も日本社会と同様に世界で最も低かったはずだ)

 自国の軍の無法非道を隠蔽するために、戦後 中米ソ等が東京裁判で“南京事件”を捏造し日本(軍)を戦犯として裁き、悪党化したのだ。真に人道に対する罪で裁かれなければならないのは当時の米ソ中の軍(中国の軍は国民党軍と共産党軍の両方)の幹部と当時の政権の中枢にいた連中である。東京裁判は米ソ中の出来レース、茶番であり私は与民者として日本国民の利益(安全・名誉・幸福・平和)のために、また、その洗脳を解くために“再審”を要求する。東京裁判でインドのパール判事が日本人被告の全員無罪を主張したのも当然である。

というように書いている。これは私の気持ちを素直にかいて当時の日本軍を擁護しているのであるが、当時の軍の中枢にいた参謀本部の連中や指揮官たちのことは、官僚主義の即断即決力に欠け、実戦能力に欠ける軍幹部として非難の目を向けている。2018年9月の私のブログ「反民マスコミ」の中で次のように述べている。

  戦前、新聞をはじめとするマスコミは読者数を増やすため戦意高揚の記事を載せるだけでなく、「満州は日本の生命線」などと軍部を煽り、政府の外交政策を「弱腰」「軟弱外交」と非難し(私は現在、朝日などのマスコミを腰抜け・内弁慶と非難しているが)、対外強硬路線を強調し、開戦を主張するなど、中国の戦線の拡大、国民を開戦支持へ誘導する積極的役割を果たした。その意味で朝日、毎日、読売などの罪は重い。東京裁判は戦勝国の復讐心に満ちた茶番、出来レースにすぎないとしても、300万人を超える戦死者を出した太平洋戦争において日本国民に対して責任をとるべき人物は何人かいるはずである(戦地において最終的に自決した司令官などは本当に立派である)。太平洋戦争における戦争犯罪人を日本人自身が選び出すとしたら、無謀極まりないインパール作戦を指揮し、おびただしい戦死者を出した牟田口中将だと言う人が多いが、民間人から戦争犯罪人を選び出すとしたら、朝日、毎日などの戦争を煽ったマスコミの幹部連中ではないだろうか。(が、このマスコミ連中は戦後は“助命”され、日本を悪党化するための米国の走狗となって現在の悪辣な“反民マスコミ”をつくる主因となった。)

 当時の日本軍は全体として、米ソ中の軍に比して統制のとれた立派な軍であったが、幹部や指揮官の更迭ができない組織だったと見てよい。米国はヨーロッパ戦線において成果の出せない(失敗をした)指揮官を次々と更迭し、最後に一番成果を出した指揮官、のちに大統領になったアイゼンハワーを指揮官にして成功した。一方、日本軍はミッドウエー海戦で大敗北しても南雲中将指揮官に責任をとらせることなく使い続けるなどのこと(情実人事)を繰り返した。

 野球やサッカーの試合で選手を選ぶ時、そのルールの試験など高い点数をとったものを主力にして試合に使えば、選ばれた選手に実戦経験があり、打撃力(攻撃力)、守備力を有し即断力もあれば良いが、そのような事は稀であり、相手チームがよほど弱い場合は別として勝てるわけがない。当時の日本軍の幹部は陸軍士官学校出の秀才で(今で言えば東大出の秀才で)、テスト等の成績は優秀だったのであろうが、果たして実戦での戦闘および指揮能力はどれくらいだったのか。

 日清、日露戦争の時は幕末の戦争で能力を発揮した者がまだ顕在で、その実戦能力のある者を登用して二つの戦争に日本は勝利した。日露戦争の時、海軍大臣の山本権兵衛は、連合艦隊司令長官としてあまりぱっとしない(と世間では思われていた)東郷平八郎を選んだ。ある新聞記者からその理由を問われ、「運の良い男だから」と答えたとされている。彼は幕末の戦争で運よく勝利を収めて生き延びてきた男だった。このような事実を知らなければ、戦場の指揮官の選定は実際に指揮をとらせてダメなら次々と変える米国の方式が優れている。実戦で勝つ能力のある者(軍事戦略論、戦術論を知り、運も良い男)を米国は実戦を通じて選び出したのだ。日本は即断力のない、運も悪い者を使い続けた(*注1)

  太平洋戦争(大東亜解放戦争)で日本は米国に敗れ、その後、米国の政権(主として、民主党政権)は日本を解体するためにあらゆる計画、計略、策略をめぐらし、二度と米国に歯向かうことのない日本をつくろうとした。

 WGIP(戦争犯罪意識埋込計略=日本悪党化・日本弱体化策略)に基づき欧米の東南アジア諸国への過酷な侵略戦争や植民地主義による支配を棚上げにして、日本がアジアに侵略戦争をしかけたと信じ込ませるために米国は日本の教育界、マスコミ界、政界、経済界に完全に支配し、逆らう者は追放(あるいは、秘密裏に日本のヤクザ等を使い処刑した場合もあるだろう)した。与党の自民党をコントロールし、野党の共産党や社会党も完全にその支配下に組み入れられ、その手の中で踊らされてきた。そして、日本国民の意志に基づいてつくったものではない憲法を未だ護持させられている。

 WGIPによる日本悪党化政策(=計略)は日本の各界に浸透している。特にひどいのが日本の与野党の政治家たちである(捏造の反日洗脳歴史教育とWGIPの二重に洗脳されてさらにひどいのが、韓国の与野党の議員連中であり、中共の政治家連中である)。そして、悪逆非道の欧米の植民地主義の歴史を知らず日本悪党化計画に強く協力しているのが、共産党であり、立民であり、公明であり、維新であり、自民の中に多数いる親中派議員たち(これら各党の“親中派議員”の中には米国の悪辣非道さを知る故、中国に接近しているものも少なくないと思われるが、その中国は米国より一枚上手の悪辣非道の中国共産党が支配する国である)である。今の日本人の87歳以下は戦後の黒塗りの国定教科書で勉強した世代とその子供、孫の世代だ。つまり、米国の“日本悪党化計画”に直接染まった世代が引退し、今、その子供の世代が政財界や教育、マスコミ界を動かしている。親が洗脳されていれば、子供もその洗脳を受け継いでいる。

 現在のような腰抜け・軟弱町人政権の自公政権が続けば日本人が古代の殷の“商人”のように、またユダヤ人のように(大多数は殺害されると考えられるが運よく生き延びた場合)世界の各地を故国を失って放浪することになりかねない(*注2)

  今、悪逆非道無法の日本周辺国(中韓北露米)の危険性を感知し、日本を守ろうとする勢力がこの参院選に登場してきた。本物の“与民”政党、与民政治家になってほしいものである。(2022年7月6日記)

 国民の利益を目指す“与民政党”よ、いでよ‼

 反民政党ども、消えてなくなれ‼❣ 

 反民マスコミども、消えてなくなれ‼❣  

 

(*注1) 現在、種子島のロケット打ち上げが38回連続で成功しているが、1998年から2000年にかけて、4回の打ち上げのうち、3回失敗したことがあった。この時、宇宙開発事業団は、打ち上げ組織のトップを交代させる決断をするわけではなく、ズルズルと失敗を重ねていた。当時、私はこの状況を、日本型の、よく言えば“思いやり”人事、悪く言えば、太平洋戦争時にミッドウェー海戦の敗北後に軍部のトップを交代させることはせず、“判断力・決断力に欠ける参謀や実働部隊の司令官の首をきれない無責任・無能”日本型人事のあらわれと考えて「情けない思い」に駆られたことを覚えている。

 「米国なら、トップ交代型の、軍隊的人事を行なうだろう。トップを交代させれば、それに甘えて失敗を繰り返す原因となっている可能性のある関連企業などを変更できるのに」と思ったものである。戦いの中にいる組織、軍隊や、プロ野球のチームなどは、トップの人事に関して、失敗をすればすぐに交代させることが可能な体制を整えておくことが肝要である。 国家間の戦争は国民の生命が奪われるか保たれるかの一刻の猶予もない問題であり、情けは無用、非常の人事が必須であるが、単なるスポーツゲームの指揮官の人事は勝利を優先するか、他の面も考慮するかで少し異なる面があるのは十分承知している。(2022年7月6日記) 

(*注2) 現在の米国の(主として民主党)政権に寄生して世界を支配しようとするDS(Deep State)は大多数ユダヤの流浪の民の末裔で、奴隷にされてきた怨念のDNAと(その奴隷状態を逆転させ)世界の人々を奴隷的に支配しようとする強欲のDNAとを深層意識に併せ持つ支配層(≒金儲け第一主義の商売人)である。世界の人々を幸せにしようとする哲学や宗教心は持ち合わせていない。彼らが世界を支配するのは世界の人々の利益(安全・名誉・幸福・平和)にならない。彼らを適切に封じ込め(*※)、人々の利益に貢献するように方向転換させることが肝要である。 また、殷の“商人”か、または、殷と同じように国を亡ばされてジプシー化した遺民の末裔のDNAを受け継ぐと考えてよい中華系の支配層と商売人も、ユダヤの流浪の民の末裔とほぼ同じ傾向(奴隷としての怨念のDNAと人々を奴隷的に支配しようとする強欲のDNA)を持つと考えるべきであろう。(2022年7月7日追記) 

(*※) 「彼らを適切に封じ込め」と書き進めて、今までまとめられなかったナチスのユダヤ人虐殺の深層意識に踏み込んでいることに気づいた。当時は現在のDS(Deep State)が露骨に軍産複合体や医薬政保報複合体を通じて世界を乗っ取ろうとしている状態とは規模において少し異なると思われるが、それでもユダヤ移民の末裔の一部が当時の政財界に深く食い込み、大きな影響力を持っていたことは確かである。この一部をユダヤ人全体と見て、「ユダヤ人を危険な人種」と見なし、ナチスドイツはユダヤ人を封じ込めるような政策ではなく“(全員を)虐殺する”方法を選択したのだ。ナチス(ヒットラー)は他の良い方法を見つけられなかったのであろう(ヒットラーの大悪行を弁護するつもりは全くない。私は生命の抹殺を否定する仏教徒である)。 この問題は私が提唱している「世界を救う日本の三つの価値(至宝) The Values to Save the World」を世界が導入することによってしか解決できないであろう。下に英文のスローガンを出しておきたい。(2022年7月20日追記)

 

 

 

**世界を救う日本の持つ三つの至宝

(1) 神仏習合

(2) 武器(銃、刀など)の完全禁止

(3) 完全なる政教分離制度、日本型“世俗政権”による国家運営 

※ 信長、秀吉、家康の家臣には宗教に帰依するものが多数いた。キリスト教に関して、秀吉は最初は信長と同じくその布教を許していたが、スペインとポルトガルが領土的野心を持っており、他国においてキリスト教の布教にともなってその土地を植民地にしていることと、ポルトガル商人が日本人を含むアジア人を奴隷売買していることを知り、バテレン追放令を出し(1587)、そして、1596年に禁教令を出した。  秀吉の後を承けた徳川家康は、完全に宗教集団(寺社)と一般国民(農・工・商)が武器を持たない状況をつくり出し、政治権力の絶対性を確立した。家康自身も三河国の領主であった時に一向一揆に直面し、家臣団の半分が一向宗門徒側につき、領国を二分する戦いとなり、政権が危機的状況に陥ったことがあった。それゆえ、家康は宗教集団の恐ろしさを実体験しており(信長、秀吉にもこの実体験がある)、宗教組織が政権に関与する形のまったくない国家をつくり出したのである(私はこれを「完全なる政教分離の日本型世俗主義国家」と呼んでいる)。その政治体制、つまり、徳川幕府は270年間継続し、島原の乱を除けば、宗教的にも安定した、犯罪の非常に少ない、世界に類のない安全な国家を生みだした。

 今、2022年7月の参院選挙中での安倍晋三元首相の暗殺を受け、旧統一教会から名称変更した宗教組織(世界平和統一家庭連合)と自民党の関係が問題になっている。この宗教団体は自民党だけではなく他の政党にも議員秘書等を多数だしてその政治的影響力を高めようとしている。

 政党や政治家が宗教に対して適切な“敬意”を払うことは大切なことであり、これは日本の戦国時代を終息させた信長、秀吉、家康も“敬意”を払っていた。が、日本国民の利益(安全・名誉・幸福・平和)を損ない、外国の利益に寄与するような宗教組織には適切な封じ込めが必要であろう。特に、“”統一教会“”はカルト宗教として米国では排除された宗教団体であり、韓国に拠点を持つ宗教団体だ。

 宗教は祈り瞑想(自己[の心の]錬磨・修練)によって人々を救済するのが本旨であり、眼目である。その活動の一環として慈善事業や、戦没者・災害犠牲者等の慰霊・成仏供養行事などの社会活動がある。宗教団体が組織的に政党に政治秘書を多数送り込み、その立場を利用して議員とならせ政治を支配しようとしているなら宗教活動を逸脱した活動であり、言語道断である。また、議員にならずにある議員の秘書にとどまるとしてもその議員の政治活動および政党の情報は筒抜けとなり、その宗教団体が外国に通じていたとしたら非常に危険だ。 (2022年7月20日追記)