Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

般若院長福寺(2016年4月10日参拝)

2016年05月12日 | 美作西国三十三所観音霊場
八塔寺ふるさと村に居た時から聞こえていたんですが、
暴走族のような爆音が遠くから鳴り響いていた。

岡山の暴走続はこんな田舎で朝から走るのかと思いつつ、
次のお寺へ向かう。

すると道中の道がやたらと車が多い。
しかも路肩に路上駐車している車が多数。

看板を見て見ると近くに岡山国際サーキットがあって、
今日はSUPER GTが開催されるようだ。

場所が場所だけに観客も車で行かざるを得ないが、
駐車場が圧倒的に少ないので、数キロ、いや、十キロ以上離れた
臨時駐車場に停めてシャトルバスで行くハメになる人達が多数。

SUPER GTってとても人気があるのね。


岡山国際サーキットから20分ほどで長福寺というお寺に到着。

こちらには美しい三重塔があります。


所在地:岡山県美作市真神414
宗派:真言宗御室派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:(伝)天平宝字元年(757)
開基:(伝)鑑真和上
勅願:孝謙天皇
中興:弘安8年(1285)
中興:円源上人
札所:美作西国三十三所観音霊場、西日本播磨美作七福神



【縁起】
寺伝によれば鑑真が孝謙天皇の勅命により開いたという。
東作誌のような近世の地誌にも同様の伝承を載せるが、
どこまで史実を反映したものかは定かでなく、
その後中世までの沿革も明確でない。

その後は衰退していたが、鎌倉時代の弘安8年(1285)円源が、
天台宗の寺院として再興した。
再興後、僧坊は65坊を数え最盛期となった。

天台宗と真言宗に宗派が頻繁に入れ替わったが、
南北朝時代の明徳年間(1390-1393)に真言宗の寺院となった。

江戸時代初期には40坊、中期に25坊、明治維新の際には4か寺となった。

明治9年(1876)2月の火災により奥の院を残し焼亡し1か寺のみとなった。
これが現在の長福寺である。

江戸時代後期の文政年間(1818-1829)頃になると、
女人禁制も解かれ女性も登山できるようになった。

昭和3年(1928年)長福寺は山上から現在の地に移転、
山上に残されていた三重塔、真木山鎮守堂(山王権現堂)、
金比羅大権現等も昭和26年(1951)に現在地に解体移築された。


【山門】


静けさの中に凛とした佇まいを感じる山門です。
鐘楼が吊るされていました。

山門横に無料駐車場があります。


【本堂】





【観音堂】



【宝蔵庫】


長福寺には絹本著色十二天像図、絹本著色両界曼荼羅図等、
16点の重要文化財が所蔵されているそうです。


【石仏】



【宝篋印塔】





【弁天堂】



【三重塔】




これは美しい。

基本的に朱色は好みでは無いけど、
こちらの三重塔は別格ですね。




旧国宝、現重要文化財。
弘安8年(1285)に建立されたもの。

昭和の時代に山上に残されていた三重塔は荒れ、
雨漏りが酷く痛みも激しかったそうだが、
お寺や檀家の方々の努力と国の援助があり修復されました。






檜皮葺がこれまたいいですよね。


修復する際、檜皮葺は費用、耐久性の面でお寺側が難色を示したが、
修復する前と同じく、檜皮葺にしようと進言したのが、
檀家さん達だったそうです。


【山王権現堂】




平成9円(1997)に建立されたもので、
金比羅大権現、淡嶋大明神、稲荷大明神が祀られています。


【虚空蔵堂】


虚空蔵菩薩が祀られ、毎年1月に虚空蔵大祭が行われます。


【三重塔】


どこから見ても美しい。


【御朱印】


対応してくださったお母さんがとてもいい人でね。
観音さんのような優しい方でした。(^^


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