石川県那谷寺から福井県あわら市の吉崎御坊へ。
これで北陸三県の寺社巡りすることになります。
こちらは蓮如上人所縁の寺院が四ヵ寺あり、
世にも奇妙な肉面が二ヵ寺にあります。
肉面がとても興味があったので参拝がとても楽しみです。
まずは駐車場の関係で肉面が無い吉崎東別院を参拝です。
所在地:福井県あわら市吉崎1-301
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:不明
【縁起】
蓮如上人が建立された坊舎跡地(御山)の眼下に建つ寺院です。
寛文13年(1673)東本願寺が吉崎山上への本堂建立を福井藩に願い出る。
これに反発した西本願寺が異議を申し出て、東西両本願寺の争論へ発展し、
福井藩はこれを幕府の裁定に委ねた。
幕府の裁定が下り、山上は要害の地であるとの理由で、
両派ともに蓮如上人ご旧跡への本堂建立は禁止され、
両派の吉崎御坊は山下に建立されることになった。
後の明治15年(1882)吉崎山上は東西両派の共有地として定められる。
伝統行事として蓮如上人御影道中というものがあり、
京都東本願寺から蓮如上人御影を湖西回りで一週間かけて、
約240キロの御下向の旅が続き4月23日に吉崎東別院に到着。
十日間の御忌法要勤められた後、東本願寺に向けて出発し、
湖東回りで八日間約280キロの御上洛の旅が続き御帰山となります。
この伝統ある御仏事は三百年以上を数え、
毎年耐える事が無く、今日まで引き継がれています。
【遠景】
【山門】
【境内】
右手に見えるのが宝物館です。
屋根の上には太鼓楼が見えますね。
【宝物館】
写真は裏手側です。
中には無料で入れますが、半分は土産モノ売り場でした。
【嫁威し肉附面】
宝物館にありました。
ここにもあるとは知らなかったな。
恐らく後世に造られたもので、
説明文にあるように本物では無いでしょう。
【鐘楼堂】
寛政3年(1791)に建立されたもの。
【蓮師堂】
蓮如上人58歳像が安置されていました。
吉崎には4年間滞在されていたそうです。
【本堂】
延享4年(1747)再建されたもの。
なまんだぶ なまんだぶ。
【会館】
さすが東御坊だけあって立派な会館です。
【御朱印】
真宗大谷派ですが御朱印が宝物館でいただけます。
これで北陸三県の寺社巡りすることになります。
こちらは蓮如上人所縁の寺院が四ヵ寺あり、
世にも奇妙な肉面が二ヵ寺にあります。
肉面がとても興味があったので参拝がとても楽しみです。
まずは駐車場の関係で肉面が無い吉崎東別院を参拝です。
所在地:福井県あわら市吉崎1-301
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:不明
【縁起】
蓮如上人が建立された坊舎跡地(御山)の眼下に建つ寺院です。
寛文13年(1673)東本願寺が吉崎山上への本堂建立を福井藩に願い出る。
これに反発した西本願寺が異議を申し出て、東西両本願寺の争論へ発展し、
福井藩はこれを幕府の裁定に委ねた。
幕府の裁定が下り、山上は要害の地であるとの理由で、
両派ともに蓮如上人ご旧跡への本堂建立は禁止され、
両派の吉崎御坊は山下に建立されることになった。
後の明治15年(1882)吉崎山上は東西両派の共有地として定められる。
伝統行事として蓮如上人御影道中というものがあり、
京都東本願寺から蓮如上人御影を湖西回りで一週間かけて、
約240キロの御下向の旅が続き4月23日に吉崎東別院に到着。
十日間の御忌法要勤められた後、東本願寺に向けて出発し、
湖東回りで八日間約280キロの御上洛の旅が続き御帰山となります。
この伝統ある御仏事は三百年以上を数え、
毎年耐える事が無く、今日まで引き継がれています。
【遠景】
【山門】
【境内】
右手に見えるのが宝物館です。
屋根の上には太鼓楼が見えますね。
【宝物館】
写真は裏手側です。
中には無料で入れますが、半分は土産モノ売り場でした。
【嫁威し肉附面】
宝物館にありました。
ここにもあるとは知らなかったな。
恐らく後世に造られたもので、
説明文にあるように本物では無いでしょう。
【鐘楼堂】
寛政3年(1791)に建立されたもの。
【蓮師堂】
蓮如上人58歳像が安置されていました。
吉崎には4年間滞在されていたそうです。
【本堂】
延享4年(1747)再建されたもの。
なまんだぶ なまんだぶ。
【会館】
さすが東御坊だけあって立派な会館です。
【御朱印】
真宗大谷派ですが御朱印が宝物館でいただけます。
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