神倉神社から阿須賀神社へ。
新宮川が太平洋に流れる河口付近に神社は鎮座しております。
この二社と熊野速玉大社とはトライアングルになっていますが、
特に神秘的な事は何もございません。(笑)
秦の始皇帝時代の徐福が上陸したという伝説はありますけど。
所在地:和歌山県新宮市阿須賀1-25-25
主祭神:事解男命、熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神
配祀神:黄泉道守神、建角美神
本地仏:大威徳明王
創建:孝昭天皇53年(238)
社格:村社
札所:熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場
【由緒】
当社は遠く第五代孝昭天皇53年(238)3月の創祀と申される。
伊邪那岐・伊邪那美2神の熊野に参られ御産みになった神々をお祀りしている。
熊野の地において熊野権現はまず神倉神社に降臨し、
それから61年後に阿須賀神社北側にある石淵谷勧請、
その時に初めて結早玉家津美御子と称したと伝えられている。
熊野権現の具体的な神名がはじめて現れた場所と見なされていたとされ、
熊野発祥地とも云われている。
境内からは弥生~古墳時代の集落遺跡や祭祀遺物が発見されており、
古代から蓬莱山に対する信仰があったと想像されます。
嘉永7年(1854)に将軍家定紀伊国主をして社殿の再建をなし、
其の結構偉麗でしたが戦災の為悉々烏有に帰したが、
昭和51年に銅板葺社殿が復興した。
近世の阿須賀神社には並宮・拝殿・御供所・鐘楼堂・四脚門・
鳥居・社僧行所などがあったという。
村社阿須賀神社として独立し、明治40年(1907)
熊野速玉大社の末社であった八咫烏社、宮戸社などを合祀。
平成28年(2016)世界遺産に追加登録され、現在に至っています。
【鳥居】
無料駐車場が数台分ありました。
【拝殿】
後ろにはこんもりとした蓬莱山があり、
その後ろには新宮川が流れています。
蓬莱山は山というより丘みたいな感じですが、
ここだけ盛り上がっていて人工的な匂いもしますね。
比較的新しい拝殿のようです。
【阿須賀稲荷神社】
【徐福宮】
【本殿】
【子安宮】
【母子像】
子安宮の横にこの像がありましたが、
こういう現代作家が造った像が安置されているのは珍しい。
【八咫烏】
【御朱印】
この後に熊野新宮念法寺に行ってみたが、
山門を車でくぐっただけで、そのままリターン。
やっぱり念法眞教は閉鎖的な雰囲気をバリバリ感じるので、
一般人は敷居が高いというか、ちょっと怖いです。(^^;
新宮川が太平洋に流れる河口付近に神社は鎮座しております。
この二社と熊野速玉大社とはトライアングルになっていますが、
特に神秘的な事は何もございません。(笑)
秦の始皇帝時代の徐福が上陸したという伝説はありますけど。
所在地:和歌山県新宮市阿須賀1-25-25
主祭神:事解男命、熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神
配祀神:黄泉道守神、建角美神
本地仏:大威徳明王
創建:孝昭天皇53年(238)
社格:村社
札所:熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場
【由緒】
当社は遠く第五代孝昭天皇53年(238)3月の創祀と申される。
伊邪那岐・伊邪那美2神の熊野に参られ御産みになった神々をお祀りしている。
熊野の地において熊野権現はまず神倉神社に降臨し、
それから61年後に阿須賀神社北側にある石淵谷勧請、
その時に初めて結早玉家津美御子と称したと伝えられている。
熊野権現の具体的な神名がはじめて現れた場所と見なされていたとされ、
熊野発祥地とも云われている。
境内からは弥生~古墳時代の集落遺跡や祭祀遺物が発見されており、
古代から蓬莱山に対する信仰があったと想像されます。
嘉永7年(1854)に将軍家定紀伊国主をして社殿の再建をなし、
其の結構偉麗でしたが戦災の為悉々烏有に帰したが、
昭和51年に銅板葺社殿が復興した。
近世の阿須賀神社には並宮・拝殿・御供所・鐘楼堂・四脚門・
鳥居・社僧行所などがあったという。
村社阿須賀神社として独立し、明治40年(1907)
熊野速玉大社の末社であった八咫烏社、宮戸社などを合祀。
平成28年(2016)世界遺産に追加登録され、現在に至っています。
【鳥居】
無料駐車場が数台分ありました。
【拝殿】
後ろにはこんもりとした蓬莱山があり、
その後ろには新宮川が流れています。
蓬莱山は山というより丘みたいな感じですが、
ここだけ盛り上がっていて人工的な匂いもしますね。
比較的新しい拝殿のようです。
【阿須賀稲荷神社】
【徐福宮】
【本殿】
【子安宮】
【母子像】
子安宮の横にこの像がありましたが、
こういう現代作家が造った像が安置されているのは珍しい。
【八咫烏】
【御朱印】
この後に熊野新宮念法寺に行ってみたが、
山門を車でくぐっただけで、そのままリターン。
やっぱり念法眞教は閉鎖的な雰囲気をバリバリ感じるので、
一般人は敷居が高いというか、ちょっと怖いです。(^^;