今日は家族のリクエストでキングオブ京都の金閣寺へ。
個人的にはベタ過ぎて行く気があんまり無かったけど、
リクエストだから仕方ない。(苦笑)
金閣寺はまだ御朱印に興味が無かった頃に一回行ったきりで、
メッチャ久しぶりの参拝です。
有料駐車場に車を停めて総門まで歩いていると、
まぁ、外人と修学旅行の学生の多い事。
さすがメジャー観光地だけあります。
所在地:京都府京都市北区金閣寺町1
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:観音菩薩
創建:応永4年(1397)
開山:夢窓疎石
開基:足利義満
札所:神仏霊場巡拝の道
【歴史】
元仁元年(1224)に藤原公経が西園寺を建立し、併せて山荘北山第を営んでいた。
応永4年(1397)足利義満が河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、
改築と新築によって一新した。
この義満の北山山荘は、当時「北山殿」または「北山第」と呼ばれた。
応永27年(1420)に北山第は義満の遺言により禅寺とされ、
義満の法号「鹿苑院殿」から鹿苑寺と名付けられた。
応仁の乱では西軍の陣となり建築物の多くが焼失したが、
江戸時代に主要な建物が再建され、舎利殿も慶安2年1649)に大修理された。
昭和25年(1950)7月2日未明、放火により国宝の舎利殿(金閣)と
安置されていた仏像等を焼失(金閣寺放火事件)。
平成6年(1994)12月、世界文化遺産「古都京都の文化財」が登録された。
【総門】
【鐘楼堂】
有料で撞けます。
【舎利殿】
さすがに絵になりますなぁ。
シャッターを押さずにはいられない。(笑)
客層はほんとに老若男女を問わず訪れていました。
パリから来た一人旅の女性に写真を撮ってくださいと頼まれ、
撮ってあげました。(^^
本当に可愛いコで一緒に撮りたかったよ。(笑)
撮りまくってしまいました。(笑)
舎利殿はやっぱり近くで見るより、
遠目で見る方がいいですね。
【方丈】
特別参拝してましたけど、
拝観料が別途1000円だったので華麗にスルー。
なんぼなんでも高過ぎるよね。
だから方丈は閑散としてました~。(^^;
【鏡湖池】
【銀河泉】
足利義満公がお茶の水として使用したとか。
【巌下水】
こちらはお手洗いに使用したそうです。
【金閣寺垣】
【鯉魚石】
竜門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだもの。
【白蛇塚】
西園寺家の鎮守として当時の遺構をとどめているそうです。
【舎利殿】
ここで見納めとなります。
【夕佳亭】
金閣を復興した鳳林承章が修学院を造営した後水尾上皇の為に、
茶道家金森宗和に造らせたのが夕佳亭。
【富士形手洗鉢】
足利義政公が愛用したもの。
【貴人榻】
【不動堂】
弘法大師作と伝えられる秘仏石不動明王は、
2月3日(節分)と8月16日(大文字送り火)に特別開帳されます。
不動堂の辺りには団子やらお漬物やら工芸品やら、
いろいろな店があり賑わっていました。
【荼枳尼天】
【御朱印】
【金閣寺放火事件】
この無残な焼け跡はあの金閣です。
私は恥ずかしながら放火されたことは知りませんでした。
以下概要です。
1950年7月2日の未明、鹿苑寺から出火し国宝の舎利殿(金閣)が全焼し、
室町幕府3代将軍、足利義満の木像(国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、
仏教経巻などの文化財6点も焼失した。
捜査の結果、同寺子弟の見習い僧侶であり大谷大学学生の林承賢が犯人と判明。
自殺未遂で一命をとりとめている。
しかし犯人の母親は責任を感じ保津峡で自殺という不幸も起こっている。
【旧舎利殿】
これが放火される前の国宝であった舎利殿です。
カラーで見る限り金箔が貼がれたのか、
銀閣のように渋い印象ですね。
歴史的価値は当然ながら旧舎利殿の方がありますが、
金閣はやっぱり今の方がいいかな。
その良し悪しは別にして、
全てを失う火事は恐ろしい。
ましてや放火なんて残念極まりないです。
個人的にはベタ過ぎて行く気があんまり無かったけど、
リクエストだから仕方ない。(苦笑)
金閣寺はまだ御朱印に興味が無かった頃に一回行ったきりで、
メッチャ久しぶりの参拝です。
有料駐車場に車を停めて総門まで歩いていると、
まぁ、外人と修学旅行の学生の多い事。
さすがメジャー観光地だけあります。
所在地:京都府京都市北区金閣寺町1
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:観音菩薩
創建:応永4年(1397)
開山:夢窓疎石
開基:足利義満
札所:神仏霊場巡拝の道
【歴史】
元仁元年(1224)に藤原公経が西園寺を建立し、併せて山荘北山第を営んでいた。
応永4年(1397)足利義満が河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、
改築と新築によって一新した。
この義満の北山山荘は、当時「北山殿」または「北山第」と呼ばれた。
応永27年(1420)に北山第は義満の遺言により禅寺とされ、
義満の法号「鹿苑院殿」から鹿苑寺と名付けられた。
応仁の乱では西軍の陣となり建築物の多くが焼失したが、
江戸時代に主要な建物が再建され、舎利殿も慶安2年1649)に大修理された。
昭和25年(1950)7月2日未明、放火により国宝の舎利殿(金閣)と
安置されていた仏像等を焼失(金閣寺放火事件)。
平成6年(1994)12月、世界文化遺産「古都京都の文化財」が登録された。
【総門】
【鐘楼堂】
有料で撞けます。
【舎利殿】
さすがに絵になりますなぁ。
シャッターを押さずにはいられない。(笑)
客層はほんとに老若男女を問わず訪れていました。
パリから来た一人旅の女性に写真を撮ってくださいと頼まれ、
撮ってあげました。(^^
本当に可愛いコで一緒に撮りたかったよ。(笑)
撮りまくってしまいました。(笑)
舎利殿はやっぱり近くで見るより、
遠目で見る方がいいですね。
【方丈】
特別参拝してましたけど、
拝観料が別途1000円だったので華麗にスルー。
なんぼなんでも高過ぎるよね。
だから方丈は閑散としてました~。(^^;
【鏡湖池】
【銀河泉】
足利義満公がお茶の水として使用したとか。
【巌下水】
こちらはお手洗いに使用したそうです。
【金閣寺垣】
【鯉魚石】
竜門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだもの。
【白蛇塚】
西園寺家の鎮守として当時の遺構をとどめているそうです。
【舎利殿】
ここで見納めとなります。
【夕佳亭】
金閣を復興した鳳林承章が修学院を造営した後水尾上皇の為に、
茶道家金森宗和に造らせたのが夕佳亭。
【富士形手洗鉢】
足利義政公が愛用したもの。
【貴人榻】
【不動堂】
弘法大師作と伝えられる秘仏石不動明王は、
2月3日(節分)と8月16日(大文字送り火)に特別開帳されます。
不動堂の辺りには団子やらお漬物やら工芸品やら、
いろいろな店があり賑わっていました。
【荼枳尼天】
【御朱印】
【金閣寺放火事件】
この無残な焼け跡はあの金閣です。
私は恥ずかしながら放火されたことは知りませんでした。
以下概要です。
1950年7月2日の未明、鹿苑寺から出火し国宝の舎利殿(金閣)が全焼し、
室町幕府3代将軍、足利義満の木像(国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、
仏教経巻などの文化財6点も焼失した。
捜査の結果、同寺子弟の見習い僧侶であり大谷大学学生の林承賢が犯人と判明。
自殺未遂で一命をとりとめている。
しかし犯人の母親は責任を感じ保津峡で自殺という不幸も起こっている。
【旧舎利殿】
これが放火される前の国宝であった舎利殿です。
カラーで見る限り金箔が貼がれたのか、
銀閣のように渋い印象ですね。
歴史的価値は当然ながら旧舎利殿の方がありますが、
金閣はやっぱり今の方がいいかな。
その良し悪しは別にして、
全てを失う火事は恐ろしい。
ましてや放火なんて残念極まりないです。
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