Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

建仁寺(2012年10月27日参拝)

2012-11-22 | 仏閣
本日は家族連れで京都五山三位の建仁寺へ。


ひとりだったらあちこち行けるけど、
家族連れだといろいろ巡れないのが難点なのよね。(^^;

買い物行こうだの、しんどいから帰ろうだの、
車の中で待ってるだの、いろいろ文句言われるから。(苦笑)



所在地:京都府京都市東山区小松町584
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:釈迦如来
創建:建仁2年(1202年)
開基:源頼家
開山:栄西


駐車場に車を停め本坊へ。



【縁起】
将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立。

創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として
当時の情勢に対応していました。
その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、
正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円が当山に入寺し境内を復興、禅も隆盛。

正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆が入寺してからは、
禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。

やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、
その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、
戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。

天正年間(1573-1592年)に安国寺恵瓊が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、
徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。

明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、
建仁寺はその大本山となります。

また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、
余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在に至る。


【風神雷神図屏風】


本坊に入るとまず目に入るのがこの屏風です。
この金色が見る者に無限の奥行を感じさせる。

俵屋宗達の代表作で国宝であるが、
オリジナルは京都国立博物館に寄託されていて、
こちらにあるのは複製になります。


【襖絵】




本坊の襖絵の双龍図ですが、
こちらもデジタルコピーのようです。


【十一面観音菩薩像】




【法堂】






絶賛工事中で堂内に入れず、
外から覗き見することに。(泣)

方丈も絶賛工事中で枯山水の中庭が見れず残念でした。


【山門・望闕楼】


浜松市の安寧寺から1923年に移築したもの。


【潮音庭】




東西南北どの位置からの眺めも美しい四方正面の庭と呼ばれています。

さすがに評判が高いお庭です。

庭園が余り好きではない私でも、
この庭は本当に好きで2年前に撮影した写真を
会社のPCの壁紙にしてあるぐらいです。

かつてテレビ番組で杉本彩が斜めから見るのが好きと言っていたが、
なるほど、その気持ちはよく分かる。

まぁ、ようするにどこから見ても素晴らしいのである。




それにしても、
このような場所で写真のように若い女の子達が、
ピースをしながら写真を撮ってもらうのはいただけない。

対面であんな姿を見ると折角の美しい庭の風景が台無しです。


【御朱印】



風神雷神の御朱印帳も買いました。
何を隠そう、初めて買った御朱印帳がこの風神雷神なのである。


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