今回で連続4回目の大阪槇尾山奉納登山。
駐車場に車を止め、登り始めたその時、
たまたま道すがら出会う一人のお母さん。
「実は、土のうの積んだアノ場所に行きたいのですが・
何処から登れば・」
それは今回私達が目指した槇尾山の最後のステージでした。
たぶんココに辿り着ければ何かが始まる。
ただ、私達は何度も挑戦するも、
そこに続く山道が全く読めないでいました。
たぶんそこは、槇尾山入り口の「満願の瀧」の上方なのですが、
お母さんもそこには行った事が無いらしい。
少しのやり取りが交わされる。
そして遂に浮かび上がる、それらしき山道!
「毎年一回12月に、自衛隊と機動隊が土のうを担いで訓練に来る場がある。もしその場所だとしたら、この道をまっすぐ行って右に見える椿の樹が目印。そこにうちが水を引いている黒いタンクがあるから、その水のホースをくぐって急な山道を登って行けば良い。」
この・たまたまの出会いのアドバイスの一言が、
今回の私達の道行きのどれだけのサポートになろうとは・
今回に至るまでのこの山、
私達はどれだけの試練の体験を経験させられた事か・。
大阪のなんでもない山の様に見えて、
私達は多くの深いを教えられた。
山道(というか・けものみち)からはずれての、
何回もの断崖斜面からの転落の恐怖。
登山ハイカーでも・行者にも成りきれない私達にとって、
シンセを担いでの行道は、かけがえのない多くの教訓を教えられる。
確実に、
ここは若き20才の弘法大師 空海が、
東大寺で出会った和尚を慕い訪れ、
その和尚に教えられた虚空蔵求聞持法を求め歩き回った場所。
槇尾山はその和尚の寺でした。
そして空海はココで剃髪し、得度する。
季節柄、椿の樹の花ではなく、
この瑞々しい石楠花の花が出迎えてくれました。
いつもの様にかなりの急坂を登りつめる。
すると・そのステージ入り口には老松が聳え立っていました。
「松に始まり松に終わる。」
出口王仁三郎の言い残した言葉。
前回断念して眺めた場所が遥か彼方に。
導師O氏が、急に祈りを捧げ始める!
何かが起き始めている。
奉納演奏の始まり。
真正面のこんもりした山に、もやがかかる。
右足がジ~ンと熱くなり、
続いて右手が熱を持ち火照り始める。
最近では、伊吹山奉納演奏の時と同じケース。
音は山々に響き、
鳥があちこちで鳴き始める。
風がそよぎ、正面の木々が揺れ、
連休最後の大阪、雨の合間のひと時の曇り空の出来事。
なんと太陽が顔を出す。
ぽっかりと青空まで。
新緑の緑に包まれ、
多くの生命の息吹をいただく!
シジュウカラが手の届くところまで来て音と戯れる。
ココでの体験はこれからの下界での写し絵。
皆様には・
これが観えますか。
なんと・最後に現れる、
大きな竜頭!