よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

思い出した、中島みゆき嬢との~

2020-04-23 14:43:16 | 日記

約42年前、中島みゆきさんに私がインタビューした。
多忙になる前だから実現したのか。どんな経緯で話しができたのか?思い出せない~。

そう書いた後で、少し思い出した。
私とみゆきさんは高校が同窓だったので、彼女の友だちのKさん、Uさんの名前を出したのだと思う。みゆきさんの担任は徳田先生で、私が英語を習ったのも徳田先生だった。いくつかの共通の話題が糸口となり話が続いたのだと思う。とりとめのない事柄でも親しみが増すきっかけになるものだと思う。
 その徳田先生から英語のテストの答案をいただいていた。昨日、断捨離していると偶然その答案用紙が出てきた。紙が黄ばんでいるが「good!」の評価だ。この時は私は英語の答案にまじめに取り組んだ?らしい~。
しかし、その徳田先生も、みゆきさんが日本で有名な歌手になる事を想像すらできなかったのではないか。中島みゆきは確実に音楽史に名を残す存在だ。(吉田政勝)

時代をつきぬける中島みゆきの歌力

2020-04-22 17:05:50 | 日記

コロナウイルス拡大に伴い「非常事態宣言」が発令された。
家に引きこもりで「オフタイム」に片付けに着手した。中島みゆき嬢のデビュー時のレコードアルバムが出てきた。今やCDの時代になって、聴く事が出来ない。そう考えて、ふと思い出した。
 約42年前、中島みゆきさんに私がインタビューしたことを。多忙になる前だから、実現したのか。どんな経緯で話しができたのか?思い出せない。彼女は高校まで帯広に住んでいて、札幌へ移住したが、帯広の私からの電話に懐かしさを覚えたのか。
とにかく、会話が成立して記事にできたのは感激した。以来、私は中島みゆき信者?である。
 好きな歌はありすぎるが「地上の星」「ファイト!」「狼になりたい」・・・。

砂糖工場で

2020-04-16 09:37:57 | 日記

 新聞を読んでいたら「機械修理作業中、頭を挟まれ死亡、S製糖工場」という見出しに釘付けになった。
約10年前の秋に私が派遣の仕事で働いた工場だった。その年は自営の仕事が減って派遣との兼業だった。工場で手順を説明しながら主任は「怪我をしないように」と言った。前年、機械に巻き込まれ大怪我をした作業員がいたと話した。
最初はラインから流れてくる650gの砂糖袋を素早く箱を組み立てて製品を入れる作業だった。やや年輩の女性Gさんが厳しく指導してくれた。その動作が早すぎて分からない。検品をしていると、女優の北川景子似のMさんが「箱詰めを練習してみる?」と声をかけてきた。男性のYさんが側に来て「もっと早く!」と怒鳴った。11月の終了後に詰所に顔を出すと、所長が「しごかれていたが…あなたは使える人と報告が届いている。がんばって」と言われた。うれしかったが、連日の袋貼りで腱鞘炎、中指はバネ指になって外科医院へ通っていた。
 秋にW制作会社の面接を受け内定を受けていた。その年末で砂糖工場を辞めると所長に伝えた。
ふたたび制作の職場に戻れるよろこびを胸に秘め新年を迎えた。