よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

ムクゲの花が咲いた

2014-08-31 08:39:39 | 日記

8月半ばに桃色の花が咲いていたので、車を停めて写真を撮った。ムクゲの花は韓国の国花。韓国のイメージから映画を連想し「嘆きのピエタ」が思い浮かんだ。
 

 その映画は、つい3日前にレンタルDVDで観たばかりで印象的で、特にラストが強烈だった。「嘆きのピエタ」はキム・ギドク監督・脚本による2012年の韓国映画である。残酷さが誇張すぎないか、と思いつつ、芸術的誇張さの手法に感心した。
 物語の筋は、消費者金融の取り立て屋の男とその母親を名乗る女の不思議な関係が描かれている。金を借りて、障害者になり保険で返済したり、あるいは借金苦で自殺者まで出る。家族を失う者の悲しみが、ラストで消費者金融の取り立て屋の男に迫る。

「かあさんを殺すな。おれが代わりに死ぬ」と懇願するのだ。(核心を言ってしまって、いいのかな?)。ま、いいのだ。これは種あかしの映画ではない。人間の絆の根源的なものを訴えたいのだと思う。

 キム・ギドク監督のインタビューを聞くと、映画に対するセンスの良さを感じた。映画の伏線がうまく、展開が自然で、無駄がない。(まるでダルビッシュの投球術だ。投げる球が次の展開の意味を持つごとく)
 この映画は、第69回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。三大国際映画祭(ほかに・カンヌ・ベルリン)の最高賞を受賞。韓国映画が三大国際映画祭の最高賞を制覇するのは初めて。イ・ジョンジンの「天涯孤独の借金取り立て屋」、チョ・ミンスの「母を名乗る女性」の演技もすばらしかった。チョ・ミンスは多くを語らずに、その存在、動作、顔の表情、が何よりの映像言語であった。ここで描かれている韓国の裏社会?やばいと思った。

 ちなみに韓国映画には「ムクゲの花が咲キマシタ」という作品があるらしい。
金辰明による韓国の小説。 民族主義的な小説で、おのずと反日的。韓国ではベストセラーになって、1995年に映画化され、賞も受賞している。 そのうち観てみたい・・・。
 他に、私が観た韓国映画では、シュリ、マラソン、猟奇的な彼女、友へ、クロッシング、凍える牙、などが印象に残っている。(ちなみに私はソウルひとり旅を32年前に経験している。日本と韓国の歴史、両国の不幸を考えさせられた・・・)

 アジア映画といえば中国映画で、やはり張芸謀(チャン・イーモウ)監督の作品が秀でている。 活きる(94),あの子を探して(99),初恋のきた道(00),至福のとき(02),単騎,千里を走る(05),サンザシの樹の下で(10)・・・ 。
 ほかの監督では張加貝、脚本は張芸謀監督(初恋のきた道)「さくらんぼ 母ときた道」。
「故郷の香り」「無言歌」もせつない映画だった。・・・韓国も、中国も、底辺社会の過酷さが描かれている。とくに韓国は経済、貿易不調で庶民生活も厳しさが増していると推察される。どの国の社会も政治経済の施策のあり方が弱者にしわ寄せとなる。映画にはその国の実情が描かれる。真摯な監督ならば、自国の問題から目を逸らさない。それでいて、表現の自由の制約もあるが・・・。

涙岬へ

2014-08-28 07:39:00 | 日記


 生きることは、その日常の営みのくり返しだ。
「男はつらいよ」の寅さんみたいに、日本各地を旅ができるわけではない。
「ちがう風景」に出会うために、時にはドライブに出る。この写真は「涙岬」。


涙岬は・・・。
 釧路から厚岸へゆき、子野日公園の「かき祭り」(例年10月初旬か)で牡蠣を食べてから、霧多布岬へ向かった。道道123号線を東に厚岸から15kmほど走ったところに涙岬はある。樹林コースを走り、あやめケ原をすぎたあたりに太平洋を望む「展望台」がある。駐車場に車を停めて、浜風に吹かれながら遊歩道をあるいた。太平洋に突き出た岩に、乙女の泣く横顔が見えるという。その表情は、岬の先端 に近づくにつれ見えてきた。
 岬の突端にたたずみながら、すくむ足下を見ると、崖下が岩に衝突する波しぶきで白い。ここが涙岬だ。
 人生のがけっぷち・・・生き難い世を、凌ぎをけずって生きる。巨大な歯車に、長いものに巻かれ、正義も道理も薄められ、己の無力もおぼえる。人間はちっぽけなり、涙岬で黙考し、そう思うとやはり命がいとおしいものと思った。

 涙岬・・・。なんか演歌の題名みたいだ。星野哲郎さんなら、すてきな詞を紡ぐだろう。
 夏は、私の仕事は繁忙期ゆえ、締切に追われて残業つづきだった。(5年前)
少し仕事が落ち着いたら、秋にドライブしょう、そう思ってきた。
この旅は、がんばった自身への、ごほうびだったのかもしれない。
旅の風景は、仕事で疲れた私と、帯状疱疹後も痛み病む妻を、癒してくれた。


馬の口にニンジンではないが、がんばるために、先に楽しみを計画するのもいいですね。
(ホタテに、牡蠣に、あさり汁。持参したおにぎりを食べながら。地元産はうまい!)


浜中町をすぎて、断崖つづく霧多布岬。幕府探検者、松浦武四郎の碑文がある。
(写真をクリックすると画像が拡大されます)

追伸。実はあとで調べたら、涙岬の歌がありました!。
歌手:石川さゆり 作詞:星野哲郎 作曲:船村徹。あやめの花の青が似合うといったひと 涙岬に~♪

一瞬でも好きになってくれてありがとう。

2014-08-27 07:57:07 | 日記


 デパートの催し場で「古本市」が開かれているので行くことにした。会場で、郷土本と文庫の寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」を手にとり精算を済ませた。 
 寺山修司氏は、1970年代の寵児だった。演劇実験室「天井桟敷」を主宰し、詩や短歌を書き、歌謡曲の作詞もしていた。「時には母のない子のように」「浜昼顔」は好きな歌だった。 

「古本市」で購入してきた文庫に、短冊のような紙が挟まれていた。丸っこい字で、
「やっぱり好きになれそうもありません。一瞬でも好きになってくれてありがとう。お互い、勉強、あらゆることに、がんばろうね。 さゆり」
 短い手紙に想像がひろがる。勉強ということは大学受験を控えた女生徒か。この類の本を読むには、中学生ではませている。お互いにクラスメイトだったのかもしれない。男性の方が好きだと告白して、少し付き合った程度かもしれない。つきあって相手がいやになったというより、女性は最初から気乗りしてなかった交際なのかもしれない。「やっぱり好きになれそうもありません」と冒頭で説明している。傷つけないで別れるために、感謝のことばを添えている。「一瞬でも好きになってくれてありがとう」と。一瞬とは交際期間だろうか。本を貸す関係なら、2~3度は、デートをしているだろう。
 一夜だけで体を交わり別れた、という設定を想像してみた。大人なら、一夜限りに枕をともにする、こともありか?。それほど好きでもない相手に気を許してしまい、数日後に醒めた意識で冷静に考えなおして、やはり交際はやめよう、と判断したのか。
 小さな紙片に書かれたメッセージが私の想像をかきたてる。その文庫の奥づけを見ると、発行が平成6年で31刷となっている。当時17歳前後として、さゆりさんは現在は40歳前後だろうか?。
 交際がつづくには、お互いに好きという感情があって、求める切実さも必要だ。勉学や仕事に没頭する意識が強ければ、恋愛にうつつをぬかしておれないと恋心を抑えるだろう。
 私は紙片の短い手紙を読んで、その文庫のページをめくった。

高田純次のテキトー心が好き~

2014-08-26 08:23:43 | 日記
 
 タレントの高田純次さんが「blog開設」。ブログ名は「高田純次の“一応社長です”」
「平成の無責任男」と称され「携帯のメールも出来ないのに…」ブログ開設とか・・。興味大ありで覗いてみました。


ちょっと彼の冗談を引用します。

「よく心がない、心がないって言われるけど人の話はちゃんと聞いてるよ。理解する気がないだけなんだ」。
「やっぱり人間は難しいことに挑戦したほうがいいよ。オレはイヤだけど」


 私は、どちらかといえば、まじめだから頑張ってしまうが、人間は極端に走らないということは大事です。中庸、ニュートラルなスタンスが必要。組織も(政治も)極端に走るとあやうくなる。人間の生き方もしかりかもしれない。

 精神科の香山リカさんは、高田純次さんが大好きらしい。(ラジオで話していた)
医師である彼女は、患者さんに「がんばらないで、もっと肩の力を抜いたら・・・」と助言しているのかもしれない。

 ↑の写真は、高田純次さんの顔写真と、左は私のヘタな高田さんの似顔絵です。(クリックすると少し拡大になります)。
写真は「肖像権と著作権」を侵害しているかもしれない?。(ま、この程度許して)
「なんだ、おまえは勝手に写真使って、でも許す。友だちになろう」と純次さんの許諾を期待して、「高田純次さん好き」の日記とします。

然別峡かんの温泉。新装営業も「いい湯だ~」

2014-08-21 06:51:27 | 日記
北海道で有数の秘湯として知られた「旧菅野温泉」が「然別峡かんの温泉」として新装オープンした。私は8月20日に入浴し「ある事情」で受付で実にていねいな親切を受けた。その恩に報いるために(画像つきで)紹介したい。

 2014年8月23日から通常営業となり、当面の間は日帰り入浴のみで「レストラン&宿泊」は9月営業予定とか。宿泊予約などの詳細は「然別峡かんの温泉」にお問い合わせを~。

 鹿追町市街から車は北へ向かい、やがて青い標識があり、右が然別湖ゆき、直線が「かんの温泉」ゆき。左に鹿追自然ランドをすぎ、蛇行や傾斜の樹林コースの舗装を登ってゆくと突き当りに山小屋風の温泉棟が見える。奥の建物が宿泊施設。(画像をクリックするとマップが拡大されます)

 温泉好きな私は日ごろ、街の温泉を利用することが多いのだが、時々遠くへ遠征?することもある。「旧菅野温泉」は友だちと何度か湯治しにきていた温泉だが、6年間閉鎖されていた。この度、新装開店を新聞で知り、妻とふたりで出かけた。
 男湯ののれんをくぐり、下半身を洗って(マナーだよね)露天ふろで入浴客と熊の話をしたり、各地の温泉の話題で盛り上がって、大浴場へ移動。目の前で、お湯につかりながら文庫を読む青年がいて驚く。(私も自宅の風呂に本を持ち込むやつだが~)洗い場で髪と体を洗ってから、また露天ふろに入ると、温泉の男職員がドアを開けて、私の名前を呼んだ。
「奥様が具合が悪く、休憩室で休んでます」と言われた。私は体を洗い流し、服を着ると、休憩室へゆき、妻をさがすが見当たらない。フロント前で女性職員と目が合う。
「吉田様ですか。奥さまは休憩室で休んでましたが、回復したので温泉に入ると申しまして・・・」との説明。軽い熱中症かな?と思い、
「これ妻に渡してもらえますか」と言いスポーツドリンクを渡した。フロント女性はにっこり笑って「はい確かに渡します」と言うと、女性浴室に向かった。戻ってくると、私の前に来て、
「奥様はもう大丈夫ですから、ご主人様ももう一度入浴されたらいかがですか?」と親切にすすめられた。私は、もう十分、と頭を下げた。妻は温泉に3時間は入れるタイプだが、私はせいぜい1時間半で満足だ。
 1年ほど前、私も接客業でフロントに立つ仕事をしていた。
親切ていねいに、を心がけてお客と接していた。だが、左耳が難聴になり、お客様の声がよく聞きとれなくなり、またメニュエール病の傾向でめまいがして吐くという状態に見舞われて、仕事を辞めた経緯がある。だからこそ親切にていねいに接するフロントには敬いの気持ちを抱くのだ。
 私がフロントだったころ、倒れたお客がいたら、すぐに応急処置をした。救急車を呼んだこともある。困っているお客には手助けをする。ささいな親切だったが、あとで私あてに匿名のお礼状が届いたことがある。(お米券も同封されていた)。迷惑かけるお客にはモラルを守るように相手を傷つけない口調で注意を促す。それでもマナーを守らないお客には上層部の理解をへて「退場宣告」を伝えたことがある。宿泊の高校球児に「明日は決勝戦だね。優勝祈るよ」と声をかけたのは旭川工業高校の栗栖大輔一塁手だった。彼は甲子園に出場して、あとで小ビンに入った甲子園の砂をぼくに送ってきた。・・・いろいろなこと思い出す。接客はその人の人柄が出ると思う。裏表なくお客様に接することが必要だ。仕事マニュアルだけでは限界があると思う。そんなふうに仕事してきた私だからこそ「おもてなしの誠意」が身にしみるのだ。
 昨今の「秘湯・源泉・本物の温泉」ブームで、客が押し寄せても、サービスや食事を手抜きだと、不評も伝播されお客様も減る結果を招く。経営者は自ら客の気持ちになり,従業員の働きやすさ幸せも考え、経営のかじ取りをすれば、「お湯も、サービスも料理もよい」がつづくであろうと思う。


温泉棟の奥が宿泊&レストラン設備「こもれび荘」。フロントの女性が「ぜひ、宿泊施設も見学してください」とすすめられて向かった。なお、宿泊は9月開業予定。(建物画像をクリックすると拡大なります)


3階の公開されている部屋を見学した。落ち着いた色調だ。都会の宿泊とちがい、熟年夫婦や、わけありカップルも癒しと静謐な時間を過ごすことができるだろう。


↑は宿泊施設にあるイコロ・ポッカの湯。あわただしい都会生活でやっと手にした「湯ったりタイム」。家族に感謝、恋人に感謝。そして、何よりがんばった自分に感謝だ。


「こもれび荘」の離れにある露天風呂。「かんの温泉」は13種類の泉質を源泉かけ流し。

<然別峡かんの温泉>
日帰り入浴:10:00~18:00(最終入館17時)
料金:大人650円、中学生300円、小学生200円、幼児無料
定休日:火曜日(当面の間は)
お問い合わせ:050-3136-8039



鹿追町の日ハム応援大使は、中田翔選手と杉谷拳士選手です。

夜は日ハムが逆転勝利して、テレビで「6人の村人!全員集合」で笑って、湯治のおかげで火照る体で熟睡しました。免疫力アップの日でした。(笑)