nakappのひとり言

何をするか、何をしたいのか、どんなブログになるか全然分かりませんが、一歩踏み込んでみたいと思います。ブログに初挑戦。

温泉

2012年03月31日 13時52分57秒 | Weblog
一昨日、石老山ハイキングに行った帰りに立ち寄ろうと思っていたのだが、時間が無く泣く泣く帰って来た。
どうしても、諦めきれずに昨日は、一昨日帰途の道を逆走、二日続けて相模湖方面に向かいました。

着いたところは、ここ


そうです
「藤野やまなみ温泉」

母の存命のころは、たびたび、訪れていたが久しぶりに来ました。

インターネットによると

http://kanto.pokanavi.jp/content.php?eid=00091

元々は旧藤野町の町営施設として1997年に誕生した老舗の公共日帰り温泉として、地元住民はもちろん、相模湖や道志レジャーついでの立ち寄り湯として人気を集めていた。近年、相模原市に旧藤野町が合併されたのを機に、地元住民が興した民間企業に運営がうつった。
地下1,800mより湧出温度38度、毎分110L湧く源泉は、Ph9.61のアルカリ性かつ低張性のナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉。無色透明無臭とされているが、日によって若干コンディションが異なり、かすかに濁ることもある。塩味が強く、よく温まるほか、傷の回復に効能があるとされる硫酸塩を多く含んでいるのが特徴。この穏やかな湯を水風呂以外の全ての浴槽に、加水無し加温調整で配している。
浴場は露天エリアの雰囲気とサウナのタイプが異なる「森の湯」「湖の湯」の2種類があり、男女週替わり交代となっている。


無料休憩所脇の売店には地場のものが、たくさんあった


売店の奥が浴室・昨日は向かって右が男湯


のれんをくぐると脱衣所が15年前のロッカーなどは年代物に


内湯の洗い場やサウナにも古き良き時代を感じさせる


露天風呂も昨日は寒さをあまり感じられませんでした


露天風呂の浴槽の先には広々とした絶景が望まれた


これから、草木が芽吹くことを想像すると高揚する気持ちを抑えるのに苦労するようだった


無料休憩所にはハイカーも数名、登山の疲れを癒やしていた、私も、昨日一緒に行った孫が(8ヶ月・ハイキングの負荷)おむつがとれたら一緒に入りたい。

石老山ハイキング

2012年03月30日 17時53分19秒 | Weblog
粉瘤も完治し、ポカポカ陽気に誘われてお出かけしました。

行った先は石老山ハイキングコース、石老山は相模湖を代表する山で、山麓の奇岩怪石、快適な尾根筋、見事な展望などの見所があるとの下調べでお出かけしました。


石老山の表参道は、相模湖病院の裏手にある階段から始まりました。


一歩山に踏み入れると表参道とはいえ、巨大な杉の木の立ち並ぶ深い森、足元も悪い道続きます。


悪路を悪戦苦闘しながら進むと


道の脇のところどころに巨岩が聳え立つ深山幽谷の世界がありました


巨岩には一つ一つにいわれがあるようで、道の脇の小さな説明版にその内容が書かれていました。
最初の巨岩は「滝不動」でした。

初心者ハイキングコースとは思われないほどの急な山坂道を30分ほど歩くと階段の先に顕鏡寺が見えてきました。


顕鏡寺の山門
顕鏡寺までは車でも登れますが、巨岩奇岩を見るなら相模湖病院からの方が感動します。


顕鏡寺岩窟

岩窟の説明

岩窟の内部


顕鏡寺は本当に深い山の中のお寺で風情があり、心が休まりました。

いよいよ、ここから登山の開始、顕鏡寺の釣鐘堂の脇を登っていきますが、相変わらず巨岩と深い木立の急な坂道が続きました。


昨日、お出かけ前にタウンニュースの記事から得た情報で「石老山に新コース誕生」、桜が楽しめる「桜道」の分岐点に到着


桜山展望台からの眺望
城山・橋本方面

桜道は新たな観光名所にと一年間かけて整備が進められていましたが、このほど完成、なだらかなコース設定でした。

寄り道が終わり桜道から元の登山道を登ると


かなり広い高台に出ます


ここ、融合平展望台からの相模湖の眺望最高で時間も昼食時、背中の孫をおろしおっぱいタイム、大人はおにぎりをほうばりました。



昨日行く事が出来なかった温泉に編集途中ですがお出かけします。
続きは、また、あとで楽しみにしていてください。

ただいま、温泉から帰宅しました。続く


約小一時間の昼食休憩後、あとは頂上を目指して出発


このような山道を50分ほど上ると

待望の頂上

頂上からは丹沢山塊が一望


頂上は途中の融合平よりも小さい広場でした


石老山(694.3m)の説明が


丹沢山塊の奥には

日本一の富士山が(逆光なのが残念)
日本人に生まれて最高なのは桜と富士山

孫をおろして休憩して、景色と頂上までの達成感を満喫していると、頂上で休憩していた人たちが「お先に!お先に!」と下山。

私たちだけになってしまい、私たちも下山の途に。
車があるので、縦走出来ず、今来た道を降りることになりました。


桜道の分岐点前の最後の展望もきれいでした

下山は桜道ではなく男坂を下ることになりましたが、孫を背負っての下山道は大きな石が立ちふさがり悪戦苦闘の連続でした。


顕鏡寺近くの急勾配の登山道の巨岩には登山者が置いたのか、巨岩に突っ張り棒が多数置かれていました。

石老山ハイキングは初心者にはチョッピリ辛いコースですが、最高峰・694.3mの石老山やうっそうとした樹林と苔むした巨岩・洞窟などがあり、展望と自然の両方を満喫できました。
山腹には古刹、石老山顕鏡寺が鎮座し素晴らしい歴史にも癒された一日でした。

昨日は時間が無く、行くことが出来なかった、温泉。
今日、二日続けて藤野町に行って満喫してきました。

温泉は時間があったらアップします。

徘徊

2012年03月28日 13時28分50秒 | Weblog
昨日の午前中はバドミントンと粉瘤治療、午後はのんびりとしていましたが、何かが物足りなく感じていたので夕方、日本の杖(ポール)を持って



買い物がてら近所を徘徊すること一時間、上溝団地横の児童公園に


満開の河津桜が


見事に咲いていました。

わざわざ、伊豆まで行かなくとも得をした瞬間でした。

みなさんにもお裾分けを「どうぞ」。

完治

2012年03月27日 15時35分52秒 | Weblog
一週間前に発症した粉瘤、今日バドミントンを早めに切り上げて病院へ、(2・3日前からかゆみがひどかった)2度の切開、絞り出しの荒療治の結果、先生の「あとは自宅で消毒をしてください」で完治で帰宅しました。

心、晴れ晴れで「アレレレ!」


クロッカスがずいぶん咲いている


5輪も咲いている


それも黄色・紫・白の3種類

球根を買ってきたときのことは、昨年のことなので、ほとんど覚えていない。

完治と3種類のクロッカスで今日一日爽快・爽快。

そうだ、早速、近郊ハイキング&温泉を計画しょう。

白山ハイキングコース

2012年03月26日 16時57分40秒 | Weblog
我が家の孫たちは春休みになって、楽しみにしていた新潟のおじいちゃん、おばあちゃん宅に帰郷、我が家の今朝は物音一つもなく、爺・婆の会話もなく静かな朝を迎えました。

粉瘤は穴が開いているものの、傷がかゆいのか、はたまた、絆創膏のかぶれでかゆいのか、解らなくなるくらいに治ってきています。

今朝は一番に病院で消毒、帰宅後、孫と娘を誘ってハイキングへ行ってきました。

白山ハイキングコース
ハイキングコース全体が飯山白山森林公園で、全行程1時間30分程度・山頂284m厚木市の飯山温泉・飯山観音・長谷寺に隣接した桜公園広場がハイキングコース、飯山白山森林公園への入り口になっています。

飯山温泉桜祭りの準備が整った





駐車場の案内板


駐車場からお寺の山門を望む


駐車場脇の紅梅は満開でした


山門には急こう配の階段が


山門には見事な仁王像が

私たちをお出迎えしてくれた


山門脇の桜の木一本は満開で


お花見ができそうでした


山門から階段を上ると長谷寺の本堂がお賽銭を入れて・・・合掌


長谷寺観音堂の説明にしばし昔をしのぶ


負荷20㎏の身体に8㎏の孫を背中に、いざ、出発。


今回は緩やかな女坂を選択するもかなりの難所もあった


登ること小一時間(孫を背負ってゆっくりゆっくり)頂上が見えた




山頂で孫と爺はしばしの間休憩


展望台はこじんまりしたものだった


展望台の後ろには大山が鎮座していた


南には相模湾・大島、東には厚木・相模原・遠くには都庁が見られた


アップにしたが肉眼のほうが634スカイツリーは良く見えた


下山途中には年代物の大木が数多く見られ森林公園を納得させられた


登る時には気が付かなかったが水仙の匂いで満開を感じた
奥にはこれも満開の梅の木々が見られた


駐車場脇の桜公園はまだまだつぼみが固いようだった

厚木市民から飯山観音と親しみを持って呼ばれている観音様のおひざ元から、登るハイキングコースは孫を背負ってはかなり気を使ったが、日頃のノルデックウォーキングの成果とかなりの達成感と春間近を感じた半日であった。

またまた再発

2012年03月24日 15時20分45秒 | Weblog
どうも、私は吹き出物が出来やすい体質のようだ。
背中や頭によく出来る。

粉瘤腫(ふんりゅうしゅ、 atheroma (アテローマ))
新陳代謝によって表皮から剥がれ落ちる垢などの老廃物が、皮膚内部(真皮)に溜まることによってできる良性の嚢胞性病変。

放置すると感染症を引き起こすことがあるため、局所麻酔を行い袋ごと切除する手術を行うのが一般的である。腫瘤が小さい場合は、電気メスなどで開口し、老廃物を圧出、袋を反転させる形で除去することもある。どのような術式においても、再発を防ぐため袋は完全に除去する。除去が完全であれば、ほとんど再発しない。
ただし、感染症を既に起こしてしまった場合には、局所麻酔にて切開を行い、袋の中の老廃物を排出し洗浄する処置や抗生物質の投薬が必要である。
良性の腫瘍であり、特に問題が生じなければ切除するかしないかは本人の自由である。しかし巨大化し、長期間存在した粉瘤は癌化するとの報告があるので注意を要する。

2009年2月に最初に発症した。
毎年二回、多い年は三回発症する。
場所は左腋の下。

一昨日、病院で切開・昨日も通院したが今日もしこりが大きくなり、局部麻酔をして切開しました。

袋ごと切除すれば良いのだろうか「喉元過ぎれば熱さ忘れる」、悪い性格を考え直さなければならないときのようだ。

クロッカス

2012年03月21日 14時06分17秒 | Weblog
春を告げる花「クロッカス」が我が家でも咲いてきた。

アヤメ科の多年草・花言葉は「青春の喜び」「切望」、寒さに耐えて春一番に咲くので、このように呼ばれている。


昼は花びらを広げているが夕方になると


花びらを閉じる

原産地は地中海沿岸や西アジア、2~4月に黄・紫・白色の花をつける。

どうやら、我が家のクロッカスは黄色のようだ。

歴史トレッキング

2012年03月16日 18時29分09秒 | Weblog
今年の春は、遅いようですね。
それでも、すぐそこに春の気配が感じられます。

お城大好きな私は、その陽気に誘われて、今日は津久井湖城山公園に出かけました。

城山はその昔、津久井城と呼ばれていました。
戦国時代(16世紀)小田原北条氏の家臣、内藤氏が城を治め、根小屋式山城である津久井城は、麓の根小屋部に城主、家臣が居住し、いざ戦になったら山の上で最終防御をする形態の城で、山全体が城として機能していました。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めにともなって落城し、江戸時代初頭に廃城となってしまいました。


津久井湖の裏側、パークセンター駐車場から公園に入る


管理事務所の脇には春の息吹を感じる花が


いざ出発、最初に出会った歴史「牢屋の沢」水牢もあったとか!


牢屋の沢の説明もあった


御屋敷跡の看板


お屋敷跡の風景


全高375メートル・カロリー消費頑張ります


歴史トレッキングの始まりです


最初からの急坂


案内標識に従って体力があるうちに


男坂を選択


やっぱり、男坂、岩盤の胸突き八丁で体力も奪われる


案内標識に従って→本城曲輪へ


堀切跡


堀切と引橋の説明版


土蔵跡から橋本方面を望む


橋本駅方面のビル群


本城跡の津久井城の歴史


本城曲輪跡地・先人たちの歴史を想う


本城曲輪跡地から津久井湖を望む




津久井湖反対側には雪化粧の丹沢山塊を望む事が出来た


帰り道はなだらかな山道


やっぱり、女坂は優しいなぁ~


かなり、下ってからの展望広場からも津久井湖が


幼児用の遊具もあった


国道412号線を南下・愛川町の丹沢あんぱん
揚げるのを待っての揚げたて、熱熱「あげパン」最高


ついでに、これも、熱熱「あんドーナツ」も美味しゅうございました
火傷を気を付けていたのですが、カロリーのことはすっかり忘れていました。
元の木阿弥、「俺の人生これの繰り返し」すっかり元に戻っていました。

10種類のあんぱんも孫たちにお土産として購入、帰宅の途につきました。

ゆっくり歩くと3~4時間(今日は2時間)、戦国時代の痕跡も残り、森林浴も満喫できる歴史トレッキング、みなさんもいかがでしょうか?

152円60銭

2012年03月15日 11時22分53秒 | Weblog
先週、入れようとした。

少し、あがっていた。

今週、入れようとした。

やっぱり、先週よりあがっていた。

今日、入れようとした。

びっくりした。

先月、中ごろは134円でした。

今日の新聞で全国平均小売価格、1㍑当たり152.60円、最近の値上がりは、イラクへの経済制裁によって国際的な原油価格が高止まりしている。
イラン情勢は依然として緊張状態にあるので今後も上昇傾向は続くと予想されるようだ。

自動車メーカーでは電気自動車や家庭用電源で充電できるプラグインハイブリッド車への関心が高まると考えている。

躊躇しているうちに、ゲージはどんどん下がっているがガソリンの値段はうなぎのぼりにあがっている。
小遣いでの給油の時代ではなくなってきていると同時にオイルショックを思い出してきた。

主婦のみなさん、景気低迷&消費税増税・物価高などなど、みなさんの手腕が問われる時代が到来しているようだ。

相次ぐ孤立死

2012年03月09日 14時24分51秒 | Weblog
2月24日の日記「変だぞ!日本!」、札幌市の姉妹・さいたま市の家族三人・立川市の母子の孤立死を書いた。

今日の新聞でも立川市の都営アパートで95歳の認知症の母親と、母親を介護していた65歳の娘さんが死後1カ月で発見された。

目立った外傷はなく病死の可能性が高そうだ。
司法解剖で死因は特定できなかったが、母親と見られる女性の胃の内容物はほとんど無かったと報道されている。

都会の死角で誰にも気づかれぬまま命を落とす「孤立死」は、障害者(児)を抱えている問題や各個人のプライバシーなど行政や福祉の網からこぼれ落ちる人たちを救える難しさを浮き彫りになったとは言えまいか?

私も現職時代には「独居老人」・「寝たきり」・「障害者」などなど自分の受け持ち区域の把握に努めていたが、それは、有事のときだけだったような気がする。

しかし、手を差し伸べるすべは無かったのか?
いたましい、このような事故を防ぐ取り組みを急ぐべきではないだろうか!

平和な日本で聞きたくない事件事故が多すぎる。

追伸:
今、テレビで横浜市に住む、元祖バイリンギャルの山口美江さんが自宅で「孤立死」しているのが発見されたと報道されていた。
51歳の早すぎる死である。