2011年を振り返る。
一昨年から計画、人生最後の大仕事として長男家族との二世帯住宅がちょうど一年前の12月に完成した。
核家族時代の昨今、親と一緒に住んでくれる長男家族に感謝しなければならない。
長男夫婦が一生の買い物を一生懸命に考え、私たちの終の棲家を作ってくれた。
長姉の孫に「じいちゃん幸せ?」って言われる、「もちろん幸せ!」っと答える。
12月に完成した新築、「新しい家でお正月・・・」っと考えましたが、30年生活した家にも未練があり、今年1月7日の引っ越しとなった。
1月は30年間ため込んだ荷物(財産)、引っ越し後はごみ屋敷状態、処分には苦悩・苦痛の作業が続いた。
2月は旧宅2軒を繋いでいた渡り廊下の取り外し、築8年の新しい家を売り物件として整理・片付けの月でした。
2月から話があった築8年の家を近所の人が買ってくれることになり、3月に入ると本契約10日には引き渡しを行った。
震災前で好条件での売買、引き渡しであった。
3月11日、長男が仙台に旅行中に東日本大震災に遭遇、帰宅までの家族の心配は未曽有の災害に匹敵する心配でした。
東日本大震災は死者・行方不明者19000人超、33万人以上が現在も避難・転居を余儀なくされている。
東日本大震災の悪夢は戦後生まれの私には、引揚者の父母が話してくれた戦争の話を思い出すほどでした。
被災された方、お亡くなりになった方、ご家族・関係者の皆さんに心より弔意申し上げます。
原子力発電の「安全神話」は崩れ去り、原発事故の恐ろしさをまざまざと思い知らされ、以前ブログにも掲載した≪火を使い始めた猿≫と同じく、原発には想定外は無い、どんなことでも造った以上は想定内としなければならないと感じた。
4月は孫の入学・入園と嬉しいことが続いた、それとともに30年間住み慣れた家の荷物整理に追われた月だった。
5月は義父の逝去、初めて骨葬儀を経験、この月まではバドミントンがやれていたし、やる気もあったような気がする。
6月は父の13回忌、義父の49日の法要、新潟との往復で月の前半は忙しい日々だった。
この頃から、股関節痛・坐骨神経痛を発症、思うように身体が動かなくなりバドミントンが出来なくなった。
7月、荷物が片付いた住み慣れた家の契約が決まり、売却したが震災後の景気の低迷で業者に買い叩かれたが、後ろを見てばかりいては仕方ないと決断した。
腋の下のおできなど、体調を崩し、バドミントンをやりたくない月でもあった。
8月は臨月の娘に待望の男の子が誕生(私にとって6人目の孫)、6月頃から切迫流産の恐れがあり心配していましたが安心して孫に癒される日々でした。
月末には、たった一人の甥っ子の結婚式など吉報が多い月でもありました。
9月、前々職の先輩の叙勲のお祝い。
10月、8月に生まれた孫の初宮参り、バドミントン仲間の送別会。
11月、一年以上前に故障でバイク屋さんに預けていたスカッシュ(骨董ミニバイク)が帰ってきた。
12月は解散した羽球会のメンバーと熱海旅行で旧交を温めて思い出をつくった。
12月は喪中葉書が多く届いた。
そして、一年を通じて義父・町内会、友人、友人の親御さんなどなど礼服を着て数珠を持っての参列に出かけたのが多く、いろんな意味で、自分もそのような年齢になった事を感じた一年でした。
バドミントンが出来ない日が続いていますが、来年こそは完治して楽しいバドミントンしたいと思っています。
バドミントン仲間のみなさん、その他のみなさんも来年こそは平和で美しい日本が良い年になりますように、最後に0.1㌧に近づいているnakappのダイエットの祈念して2011年の最後の言葉といたします。
皆様のご多幸をお祈りし、来年もよろしくお願い申し上げます。
一昨年から計画、人生最後の大仕事として長男家族との二世帯住宅がちょうど一年前の12月に完成した。
核家族時代の昨今、親と一緒に住んでくれる長男家族に感謝しなければならない。
長男夫婦が一生の買い物を一生懸命に考え、私たちの終の棲家を作ってくれた。
長姉の孫に「じいちゃん幸せ?」って言われる、「もちろん幸せ!」っと答える。
12月に完成した新築、「新しい家でお正月・・・」っと考えましたが、30年生活した家にも未練があり、今年1月7日の引っ越しとなった。
1月は30年間ため込んだ荷物(財産)、引っ越し後はごみ屋敷状態、処分には苦悩・苦痛の作業が続いた。
2月は旧宅2軒を繋いでいた渡り廊下の取り外し、築8年の新しい家を売り物件として整理・片付けの月でした。
2月から話があった築8年の家を近所の人が買ってくれることになり、3月に入ると本契約10日には引き渡しを行った。
震災前で好条件での売買、引き渡しであった。
3月11日、長男が仙台に旅行中に東日本大震災に遭遇、帰宅までの家族の心配は未曽有の災害に匹敵する心配でした。
東日本大震災は死者・行方不明者19000人超、33万人以上が現在も避難・転居を余儀なくされている。
東日本大震災の悪夢は戦後生まれの私には、引揚者の父母が話してくれた戦争の話を思い出すほどでした。
被災された方、お亡くなりになった方、ご家族・関係者の皆さんに心より弔意申し上げます。
原子力発電の「安全神話」は崩れ去り、原発事故の恐ろしさをまざまざと思い知らされ、以前ブログにも掲載した≪火を使い始めた猿≫と同じく、原発には想定外は無い、どんなことでも造った以上は想定内としなければならないと感じた。
4月は孫の入学・入園と嬉しいことが続いた、それとともに30年間住み慣れた家の荷物整理に追われた月だった。
5月は義父の逝去、初めて骨葬儀を経験、この月まではバドミントンがやれていたし、やる気もあったような気がする。
6月は父の13回忌、義父の49日の法要、新潟との往復で月の前半は忙しい日々だった。
この頃から、股関節痛・坐骨神経痛を発症、思うように身体が動かなくなりバドミントンが出来なくなった。
7月、荷物が片付いた住み慣れた家の契約が決まり、売却したが震災後の景気の低迷で業者に買い叩かれたが、後ろを見てばかりいては仕方ないと決断した。
腋の下のおできなど、体調を崩し、バドミントンをやりたくない月でもあった。
8月は臨月の娘に待望の男の子が誕生(私にとって6人目の孫)、6月頃から切迫流産の恐れがあり心配していましたが安心して孫に癒される日々でした。
月末には、たった一人の甥っ子の結婚式など吉報が多い月でもありました。
9月、前々職の先輩の叙勲のお祝い。
10月、8月に生まれた孫の初宮参り、バドミントン仲間の送別会。
11月、一年以上前に故障でバイク屋さんに預けていたスカッシュ(骨董ミニバイク)が帰ってきた。
12月は解散した羽球会のメンバーと熱海旅行で旧交を温めて思い出をつくった。
12月は喪中葉書が多く届いた。
そして、一年を通じて義父・町内会、友人、友人の親御さんなどなど礼服を着て数珠を持っての参列に出かけたのが多く、いろんな意味で、自分もそのような年齢になった事を感じた一年でした。
バドミントンが出来ない日が続いていますが、来年こそは完治して楽しいバドミントンしたいと思っています。
バドミントン仲間のみなさん、その他のみなさんも来年こそは平和で美しい日本が良い年になりますように、最後に0.1㌧に近づいているnakappのダイエットの祈念して2011年の最後の言葉といたします。
皆様のご多幸をお祈りし、来年もよろしくお願い申し上げます。