水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

困ったユーモア短編集-25- 旅

2017年05月05日 00時00分00秒 | #小説

 誰にでも旅心はあるだろうし、旅に出てみたいと思うことがあるはずだ。ところが困ったことに、この男、不精(ぶしょう)は一歩も家から出たがらない男だった。まあ、仕事が絵描きだった・・ということもあるが、不精は心の中で世界中を駆け巡っていたのだ。そんな訳で、不精は旅に出たがらなかったのである。いや、正確に言えば、出たがらなかったのではなく、出る必要がなかったのだ。なんといっても心の中で世界中を旅していたからだった。不精は心で旅した世界の光景を絵に描いた。ところが困ったことに、いつも心に浮かんで光景を描こうとすると、肝心の絵の具が切れているのである。さすがに何度もそういうことがあると、予備を買っておくものだ。しかし妙なことに、いつも描こうとする色が切れているのだった。そんなこともあろうかと…と、不精は絵の具の色をすべて買い揃(そろ)えておいた。結果、上手く描けた・・となりそうなところだが、そうではなかった。今度はその絵の具を置いたはずのところに絵の具がなかった。探し回った挙句、ようやく見つかった絵の具をキャンバスに搾(しぼ)り出そうとしたとき、肝心の心に浮かんだ光景は消えていた。よしっ! 今度は手元に置いたぞっ! と不精は意固地(いこじ)になったが、そのとき、握ろうとした筆が見つからなかった。そして、筆も手元にあるぞ…と不精が息巻いたとき、目が覚めた。すべてが夢だった。不精はそういういろいろがあったことで心ならずも初めて旅に出たのだが、列車の中でウトウトとし、そんな夢を見ていたのだ。ややこしい困った話である。

                             完


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