デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー(術後10年クリアーし"卒がん")、海外旅行記、 吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

かんわきゅうだい 26 (その日のまえに)

2016-04-22 16:13:17 | かんわきゅうだい
 
                    春には春の瑞々しさがある筈なのに どこか素気ない大山
 無慙な老境・・・
 QPの描く花冷えの夜の桜花と月光を見て・・・長い人生の時間が甦っては通り過ぎ、今こころ荒び無慙な老境の母がフラッシュバックします。やがて迎えるその日、私に涙があるだろうかと、ふと自身の荒ぶこころの無慙に愕然とします。
 
    

 その日のまえに
 「その日のまえに」という全2編のTVドラマを見ました。壇れいさん演じる膵臓がんで亡くなる若い母親とその家族の「その日」までの短い時間。誰にも訪れる「その日」でありながら、誰にも現実感は希薄です、余命を告げられなければ・・・

 倖せを折り重ね
 甦るのは家族の愉しく幸せな光景であってほしいと希っても、心を占めるのはそれぞれの今とこれからの日々。ドラマはその哀しいギャップを丁寧に描きつつ倖せを醸すエンディングへと予定調和のように連なります、現実はそうではなくとも・・・

    

 自動車道の樹木と花々
 自動車道のSA、PAには様々な季節の樹木、花々が植えられています。いつも気づくわけではありませんが、こぶしの白い花に思わず見とれ、関西では既に過ぎた桜が中国山脈を越える山並みに咲き誇る光景はこころに深くしみます。

 迷彩服の救命活動に敬意を表しつつ
 その自動車道でいつも必ず自衛隊の車列と迷彩服姿の隊員に出会います。この間は熊本地震への対応でしょうか、特に目立ちました。その救命活動に心から敬意を表しつつ、迷彩服姿の隊員が銃を手に匍匐前進する訓練の光景が重なります。

    

 ただただ過ぎ行く時間
 老いた両親にきりきり接する日々。長生きは時に無慙な生き様を晒すことを、そして自制可能な体力・知力があるうちに「おかしくなる」かもしれない人生の果てに備えるべきことを学びつつ、今はただただ過ぎ行く時間を幸いに思います。

    
        遠き山に日は落ちて星は空を散りばめぬ・・・闇に燃えし篝火は 炎いまは静まりて眠れやすく憩えよと

 パッヘルベルの「カノン」
 パッヘルベルの時代の欧州に桜の樹があった筈はありません。それでもこの曲を聴くと、春の光につつまれた満開の桜の樹の下で若い人たちが踊り戯れる光景が目に浮かびます、人生の黄昏が豊かで愉しげであればなぁと願いつつ・・・



  【補遺】… 2023.2.28 記
      「逃げる」と形容される二月は今日でお仕舞、明日から「別れの季節」と称される三月。
      卒業、退職など様々な別れがあるとともに 別れは新しい始まりのプロローグでもありましょう。
      このブログ記から7年。ついこのまえ記したように思うけど早や7年!
      更に7年後には80代! 更に更に7年後には "米寿" だ。でも その頃 生きているのかなぁ…私!



【過去ログ目次一覧】
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f

31 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます (ムベ)
2016-04-22 19:29:06
美しいカノンを聴かせていただいて、ほっとしました。
書かれていること・・身に染みます。
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ご無沙汰しています。 (moka)
2016-04-22 20:07:15
デ某さん、こんばんは

生きていれば、上手くいかない事もありますね。
このところ、そんな気持ちになる日が続いています…

デ某さんの優しいブログと
夜桜と月の幻想的で美しいQP画に癒されました。

ありがとうございました
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Unknown (こん)
2016-04-22 20:13:49
おかえりなさい。
夕焼け綺麗ですね~
大山、言われてみるとそっけなく見えてきます
今は普通の生活に感謝の毎日です。
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身に染みて・・・ (デ某)
2016-04-23 00:26:58
ムベさん
お訪ねとコメントありがとうございました
聖書のことば・・・を紐解きたい心境ではあります。

> 美しいカノンを聴かせていただいて、ほっとしました。

「珠玉」という言葉からは、宝石を散りばめた眩い様子が浮かびます。
それでも 私には
「たった一つのかけがえのないもの」こそ珠玉にふさわしいように思います。

パッヘルベルの作品は「カノン」が殆ど唯一!と言っていいそうです。
あるいは (不遜ながら)この作品のためだけに彼は存在したのかも知れません。
そう思うと わがささやかな人生にあって
「珠玉」にふさわしいものが生み出せるような気がしてまいります、
たとえ たった一人のため!の珠玉であったとしても・・・。

> 書かれていること・・・身に染みます。

簡明に記すには心が揺れ過ぎています。
身に染みて・・・ご想像くださりありがとうございました。
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友情と友愛 (デ某)
2016-04-23 01:06:32
mokaさん
コメントありがとうございました
こちらこそご無沙汰で申し訳ございません。

> 生きていれば、上手くいかない事もありますね。
> このところ、そんな気持ちになる日が続いています…
かつて現職にあった頃 刻一刻・・・判断、決断を迫られる日々がありました
臍を噛む失敗に泣き 打ちのめされ茫然自失・・・もしばしばでした。
それでも生きていることを実感させ 胸の奥を揺り動かす刺戟でさえありました。
しかし 年老いた両親の人生の黄昏には
しばしば昏く暗澹たる思いに駆られます。
それもまた人生とは言え・・・。

mokaさんがブログに書かれた「心の痛みが・・・」今わかり過ぎて困ります(笑)
蒜山高原に咲き誇っていた「こぶし」の花言葉は・・・友情・友愛。
mokaさんにこぶしの美しい白い花をさしあげます、Air Present? ですが・・・(笑)

> 夜桜と月の幻想的で美しいQP画に癒されました。
QPの絵は いつも心の奥ふかくに優しい温もりと和らかな光をとどけてくれます
やわらかな若葉の季節・・・体調に留意されつつ ますますのご活躍をお祈りします
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やっぱり大山、大山です。 (デ某)
2016-04-23 01:24:44
コンちゃん
コメントありがとうございました

> 夕焼け綺麗ですね~
郷里で 従妹の家を訪ねた帰りに見た夕焼空でした
郷里は 大きな砂州ですから
景色は 広~く 遠~く ぐるりと 見渡せます。
誰かが空に珠を撒き また誰かが刷毛で一面を塗りたくるのでしょうか、
小さい頃 そんな夕焼空を見ながら 空のそんな誰かを見ていました。

> 大山、言われてみるとそっけなく見えてきます
夏までのこの季節が最も味気ない大山ですが、
それでもやっぱり 大山! ですね。
「ローマの休日」のラスト、アン王女風に『やっぱり大山、大山です』と・・・(笑)

ところで 自衛隊には触れられなかったのですね
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そのわけ (こん)
2016-04-23 08:21:26
だって、お疲れのところ、又熱くなっては疲れが取れないかと思って…
思いやりです(^-^)/
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子の心、親知らず (pukariko)
2016-04-23 10:10:32
こんにちは。

>しかし 年老いた両親の人生の黄昏には
>しばしば昏く暗澹たる思いに駆られます。
>それもまた人生とは言え・・・。

心中お察しします。
人間老いると、自分のこと目先のことしか
考えられなくなるのだろうと思います。
60余年の人生でさえ、振り返れば後悔の山…
90年であれば如何ばかりかと想像すれば、
それも無意識の自己防衛術かと。

うまく気分転換してくださいね (^-^)
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Unknown (沙羅)
2016-04-23 10:27:02
>やがて迎えるその日、私に涙があるだろうかと、ふと自身の荒ぶこころの無慙に愕然とします

もしデ某さんがその日に涙が出ないとしても荒ぶこころの無慙と思わないでください。
それまで一番の責任者として多くのことを背負い解決してきて荒ぶる心に接してきて、その日の取り仕切りもしなければいけない人に感情に浸る涙がなかったとしてもそれは当然だからです。
その日にデ某さん以上に悲しみ涙にくれる人がデ某さんよりも尽くしてきたわけではないのです。
私が涙が出たのは母が亡くなって半年後のお墓の前でした。
その時はお墓を抱きしめて号泣したかったですが。。

親を思っていても変化してしまった人格に接するとき、様々な思いがあって当然です。
これから来るいろいろのシーンでも自分を責めないで下さいね・
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 (ムベ)
2016-04-23 13:29:55
12歳の私は、心臓弁膜症だった母の死に涙も見せず「良かった」などと言って、親戚から呆れられました。
ただ、ただ、母が苦しみから解き放たれたことだけが、その時の私のすべてだったのですが・・。

涙を流すことで、労苦を洗うことも、胸の奥にあるものを解放することも出来ると思いますが、
でも、あまりにも荷物が重いと、時間が必要なのだと思います。
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