デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー(術後10年クリアーし"卒がん")、海外旅行記、 吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

閑話休題 ( ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花 )

2015-02-27 15:07:41 | 閑話休題

                             美山(京都府)冬景色
 
 アメリカ人外交官が芸者さんに恋をして
 太平洋戦争の少し前、駐日米国大使館の若い外交官が新橋の美しい芸者さんに恋をしました。外交官は度々料亭に足を運び、当時の「高い壁」を乗り越え結ばれました。NHK朝ドラ「マッサン」と同じく、外国人の夫と日本人妻の幸せな日々が始まりました。

 日米開戦で米国へ移るも・・・
 1941年12月8日、真珠湾侵攻とともに二人の母国はお互いに敵国。当然、大使館員には母国への帰国命令が下ります。「マッサン」の妻エリーさんは日本にとどまれましたが、米国外交官の妻となった彼女は、夫と共に米国に向かうほかありませんでした。

 夫の事故死 母子で日本人収容所へ
 米国で新しい生活が始まり子供も生まれました。が、不運にも夫は交通事故で不帰の人に・・・。英語を喋れない敵国日本人の彼女は収容所へ。同じ敵国でもドイツ人、イタリア人は収容されず 言わば人種差別でした。 後に米国政府は正式に「差別」と認定し謝罪

     
                               【All paintings by QP

 終戦・・・困窮・・・母親の病死・・・孤児院へ 
 戦争が終わり母子は収容所から解放されました。しかし生活は困窮をきわめ彼女は過酷な労働と貧困から結核に罹り、入院間もなく10歳の息子を遺して亡くなりました。息子は孤児院に行きましたが、安らげる場所ではなく十代半ばにそこを出ました。

 禅体験を経て日本へ 
 青年期を迎えた彼は、ある日、街で禅道場の看板に魅入られました。短い体験でしたが、彼には生まれて初めて「心からのやすらぎ」を覚える禅体験でした。自分が求めていたものに出会った喜びにつつまれた彼は、やがて心の命ずるまま日本に旅立ちました。

 永平寺の禅僧に
 「留学」ではなく禅僧となるため永平寺に入門しました。異色の生い立ちと経歴、混血とは言え白人の色濃い容貌にマスコミの取材が殺到します。いわゆる「取材」は断っていましたが、或る日、名の通った記者からいきなり「禅問答」を挑まれます。

 記者『人間が生きている、とは如何なることか?』。暫く瞑目した後、彼は『ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花』と・・・。それは、幼少~青年期、孤独な生い立ちと貧しさ・・・運命に翻弄された彼が、いつも心に見ていた風景だったのかもしれません。




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16 コメント

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人知れず・・ (六花)
2015-02-28 11:06:50
禅問答・・そして河島英五の歌・・泣けて来ちゃいます。
ブログ友が・・ずーっと沈黙でした。 更新されたのを見ると 奥さまを亡くされたという事でした。
お慰めするどんな言葉も持たない 無力な自分をおもいます。河島英五さんも いまはこの世に居ないのですよね。
返信する
それぞれに、それぞれの人生 (Rarudo)
2015-02-28 13:39:21
河島英五さん、生田神社の前で歌われてるみたいですね。
阪神大震災から2年後の1月17日の映像ですね。

私は22歳のときに就職のため神戸を離れたので、震災にはあってないのですが、
中学時代の友の家は、あの地震で半壊してしまいました。
でも彼女は命からがら生きのびました。

その友がこの前、術後細々と生きてる私に会いに遠路はるばる来てくれたのです。
50年ぶりの再開で思わずハグハグしながら
「この年まで生きてこれたんやから、たいしたもんよね」とお互いの健闘をたたえ合ったのです(笑)

生きてりゃいいさ、河島英五さんもそう歌ってはったんですね。

返信する
北の国の六花さんに (デ某)
2015-02-28 15:28:56
六花さん
北の国からのコメントありがとうございます

> 禅問答・・
ひと知れず名も知らぬ・・・ず~っと昔から心にあったように心になずむ言葉ですね

> そして河島英五の歌・・泣けて来ちゃいます。
友のおつれあいの旅立ちと重なり・・・でしょうか
河島英五さん、もっと生きてほしかったですし生きるべきでした。
彼の優しさをそのままに引継いだ河島アナムさんの歌 
この世界では兎も角 私の中ではブレイクしています。
 河島アナム「カントリーロード」with 麻生優作
 https://www.youtube.com/watch?v=E_wGRILvKss

> ブログ友が・・ずーっと沈黙でした。 
> 更新されたのを見ると 奥さまを亡くされたという事でした
おつれあいの訃報に言葉を失われたこと お察し申し上げます
年賀状が無いまま やがてご家族からとどく
「〇〇は亡くなりました 生前のご厚情に・・・」の寒中見舞、
あるいは引継がれないままネット上を彷徨いつづけるブログ・・・
それぞれを想い それぞれに思い出を仕舞い お別れを告げなければなりません。

今日の関西は 北国の方には申し訳ないような暖かな日差しが降りそそいでいます。
六花さん地方にも暖かな春が駆け足で訪れますよう心よりお祈りいたします

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命からがらから・・・ (デ某)
2015-02-28 16:14:11
Rarudoさん
いつもあたたかいコメントありがとうございます
今回も内容的に?シマではなくデ某がレスいたします

> 河島英五さん、生田神社の前で歌われてるみたいですね。
> 阪神大震災から2年後の1月17日の映像ですね。

生田神社本殿の倒壊も大震災を象徴する光景の一つでした。
当時、関西の街頭では様々なシンガーがボランティアに加わっていました。
私がいたところにも「かみふうせん」のお二人が立ち寄られ
たくさんカンパを寄せられ 歌でも呼びかけて下さいました。

> 中学時代の友の家は、あの地震で半壊してしまいました。
> でも彼女は命からがら生きのびました。

宝塚に行ったときは、道を挟んで片側の家並は無傷、
なのにもう片側はおよそ100メートル以上にわたり全壊・・・。
また宝塚の友人は電車が梅田まで開通した時、梅田で待ち合わせた妻に
「大阪がまるでなんともないのがショック・・・」と言っていたそうです。
当時、阪神間にはそうした運命を分け隔てた「なぜ・・・」があふれていました。
ご友人の不幸中の幸い・・・ほんとうに良かったですね。
「命からがら」の言葉が記憶を20年前に引き戻しました。

> その友がこの前、術後細々と生きてる私に会いに遠路はるばる来てくれたのです。
> 50年ぶりの再開で思わずハグハグしながら
Rarudoさんが45kmの細身でいらっしゃること、私もkumaさんブログで知りました
「術後細々と生きてる」の言葉、実感がこもりすぎています。
ハグする時に・・・両手が届かないのも困りますけど、
工夫して・・・もう少し栄養を蓄えてくださいね。

> 「この年まで生きてこれたんやから、たいしたもんよね」と
> お互いの健闘をたたえ合ったのです(笑)
平均寿命を考えれば、まだまだ・・・その言葉は20年は早いと思います
オフ会があれば、その時!から更に20年生きることをめざし健闘を誓いあいましょう。

> 生きてりゃいいさ、河島英五さんもそう歌ってはったんですね。
加藤登紀子さんの歌でしたね
加藤登紀子さんと言えば「百万本のバラ」ですけど、
山崎ハコさんのカヴァー、詩がユニークですので添付します。
そして、その原曲、ラトビアのアイヤ・クレレ「マーラが与えた人生」も・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=O5Lolo1yxEw
https://www.youtube.com/watch?v=CTzlsEKRowY
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Unknown (Anne)
2015-02-28 21:52:23
現代だって人種差別はしっかりあるのですから
昔は本当につらかったことと思います。
私はいつもヨーロッパのサッカー観戦をしているのですけれど、差別は多くて悲しくなります。
ヨーロッパは移民が多いから問題も大きいんでしょうけれど、
それでも、サッカーは世界中に愛されていて、アジアが一番遅れているスポーツだから、
日本の新聞や情報では分からない人種問題を見ることが出来ます。
でも、アフリカ系南米系でもとても愛されている選手もいたり、それは日本のように外人と生活を共にする機会が少ない国に比べたら、本当に感動も多いのが事実・・・
そんな問題に触れる度に、世界中に愛されていて、世界中の国民にチャンスがあるサッカーが好きで良かったってつくづく思います。

最近はテレビで世界に暮らす日本人の紹介も多いですけれど、
戦争などの時代の国際結婚の大変さは想像もつかない程ですよね。その勇気は愛には本当に頭が下がる思いです。

前回の曲は全部知っていますよー(*^^)v
詩の内容など、中身を知らないんです!
ビートルズのヘイ・ジュードは初めて出会ったビートルズの曲ですけど、それ以外の部分の歌詞をまともに聞いてないから曲は大好きだけど、中身を知らないんです(^_^;)
それ位、英語は大嫌い(ー_ー)!!

返信する
英語は嫌い!? (デ某)
2015-03-01 00:20:40
Anneさん
たくさん書いていただきありがとうございます
すぐ長文になりがちな私も どうレスる!か・・・悩みました(笑)

> 現代だって人種差別はしっかりあるのですから
> 昔は本当につらかったことと思います。
中世までは 世界を常時席巻するだけの手段がなかったですから
人種・民族の大きな差別というものも目立つほどには存在しなかったと思います。
やはり大航海時代あたりからでしょうか、欧州優位・白人優位観が広まったのは・・・。
数百年の差別の歴史を清算するにはやはり数百年かかりそうな最悪の予感がします。

> 私はいつもヨーロッパのサッカー観戦をしているのですけれど、差別は多くて悲しくなります。
ユダヤ人のピーター・フランクルさんが、
「私にとって日本が住みよいのは、ユダヤ人差別を殆ど感じないで済むからです」と。
ごく当たり前に仰っているこの言葉から、差別というものの本質を思いますね。

> サッカーは世界中に愛されていて、アジアが一番遅れている
ですね、確かに・・・。
私が小さかった頃、少年野球では捕手のレガースなど我々には用具は殆どありませんでした。
米軍基地が近くにあり日米対抗試合をしましたけど、
ユニフォーム、スパイクなどは我々にはなく、グラブも全員分はなく・・・。
その点、サッカーは人間そのもの!で勝負できますからね。

> 日本の新聞や情報では分からない人種問題を見ることが出来ます。
日本は、ちょっと鈍感かもしれませんね、差別には・・・
鎖国の功罪の「功」の部分かもしれませんが、鈍感でいい筈はありません。

> アフリカ系南米系でもとても愛されている選手もいたり本当に感動も多いのが事実・・・
> 世界中に愛され・・・世界中の国民にチャンスがあるサッカーが好きで良かった
サッカーについては・・・日本にはAnneさんがいらっしゃるから安心です(笑)

> 戦争などの時代の国際結婚の大変さは想像もつかない程ですよね。
> その勇気は愛には本当に頭が下がる思いです。
ほんとうに!
飛行機で10時間余!の現在でも大変でしょうに、あの時代に戦争中に・・・。

> 前回の曲は全部知っていますよー(*^^)v 詩の内容など中身を知らないんです!
そうでしたか・・・ではジェネレーションギャップはナシですね

> 英語は大嫌い(ー_ー)!!
Anneさん、ブログにもしばしばそう書いていらっしゃいますね
そういうことにいたしましょう(笑)
「でもフランス語はペラ!ペラ!」は、なし!ですよ(笑)
返信する
Unknown (マモエ)
2015-03-01 21:39:22
こんばんは。

じっくり読ませて頂きました。
本当のお話は、こちらが望む結末には中々なりませんね。
読み進むうちにその女性の生涯を思いました。

私も若い頃「生きているとは?生きることの意味とは?」なんて考えました。
息子を亡くしてからからも、生きていることの意味を深く考えたこともあります。
そして近頃、生きていることの意味は無い、と
投げやりな思いではなく、生きることの意味付けは必要ないのでは、と思ったりします。
次男とそんな話を最近したばかりです。

巧く言えませんが、その思いと「ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花」に共通点があるような気がしました。

眠い頭で書きましたので頓珍漢でしたらお許し下さい(^-^)

河島英五さんの歌も聴きました、いい歌ですね。
ありがとうございました♥
返信する
駆け巡ることば (デ某)
2015-03-01 23:31:05
マモエさん
お気遣いのご訪問&コメントありがとうございました

> 本当のお話は、こちらが望む結末には中々なりませんね。
> 読み進むうちにその女性の生涯を思いました。
米国に渡られた時にすでに考え得る覚悟はされていたと思います
少なくとも ただひたすら愛を全うする、豊かな国でバラ色の明日を思い描く・・・ではありますまい。
しかし思い描いた中でもおそらく最悪の状況に至る運命・・・
いざその時に異国の地で言葉に不自由しつつ幼い子を抱え果たして心は耐え得たでしょうか。

> 若い頃「生きているとは?生きることの意味とは?」なんて考えました。
> そして近頃、生きていることの意味は無い、と
> 投げやりな思いではなく、生きることの意味付けは必要ないのでは、と・・・
そのように自問され考えていらっしゃる、それが生きていることのようにも思いますし、
現世へのごく当たり前の未練をさえ失くしてしまわない限り
生きている意味を問いつづけるほかないようにも思います。

> 次男とそんな話を最近したばかりです。
ご次男とそうした話をされる・・・なかなかのことだと思います
虹を渡られたご子息の心のこもったご遺産でありましょう。

> 「ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花」に共通点があるような気がしました。
私、これを書いてからず~っと・・・この言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡っています

> 眠い頭で書きましたので頓珍漢でしたらお許し下さい(^-^)
今日一日・・・おつかれさまでした。ごゆっくりお寝みください
返信する
おはようございます☆ (マモエ)
2015-03-02 08:19:17
いつもとっても丁寧なコメント返し、とても楽しみです、ありがとうございます!

おかしかったです。
伺ったら、今日の私の質問に答えて下さっていて(^-^)
>私、これを書いてからず~っと・・・この言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡っています

(*^_^*)
返信する
モダエて・・・ (デ某)
2015-03-02 15:40:13
マモエさん
コメ足シ!ありがとうございます

> いつもとっても丁寧なコメント返し、とても楽しみです
こちらこそ! 冗長なコメントにあたたかくレスくださりありがとうございました。

> おかしかったです。
> 伺ったら、今日の私の質問に答えて下さっていて(^-^)
不思議ですねぇ、偶々なにかの波長がシンセサイズ!したようです(笑)
タイトルの言葉「ひと知れず・・・」もですけど、
TVの旅番組で流れていた旋律もず~っと身体の中を流れていて、
なぜか曲名が思い出せなくて、モダエた末、深夜・・・ハッ!と「モルダウや」と・・・。
それでようやく床に就くことができました。

スメタナ「交響詩モルダウ」をカラヤン指揮ベルリン・フィルでお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?x-yt-cl=85114404&v=2Sp4JyDNNr8&x-yt-ts=1422579428
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