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golden days

nonsense sentence contents and fictional experiments

130818 父との時間

2013-08-18 | 父との時間
前夜、久しぶりに妻と少し飲みながら夜中まで、父の状況報告や今後の予定の確認、運営しているスペースでの展示の段取りなどを打合せしていたために、今朝6時の起床は少々辛かった。

父の所へ行くと母はすでに起きていた。夕べの院長先生の吸引のおかげで夜中の吸引はやらなくても大丈夫だったようで、まだ痰の絡みも少ないので、午前の看護師が入るまで様子を見ることにした。

午前中、私は家庭内の雑務を処理していたために来宅した看護師には立ち会えなかったが、検診・点滴・吸引してくれたことを、昼前に母から聞いた。私が午後から外出するので吸引のこと話したら、夕方にも点滴を外しに看護師が来てくれるから心配ない、と母は言った。

19時過ぎに帰宅してすぐに父の様子を見に行ったら、父は鼻から酸素のチューブを入れられていて、吸引器の台の下に酸素吸入の機械が設置されていた。昨日の院長先生の判断だったらしく、測定した酸素量の低下に伴う措置だった。

その行為って一体何なのだろうかと、医学に関しては素人な私が単純に考えてみた。肺の痰を、患者の苦痛如何にしろ可能な限り取り除くための措置が、結果、肺の機能としての酸素吸入を阻害していることになっている、ということなのだろうか、よく分からなかった。

毎回の検診の際に、手の指先で酸素量と脈拍を簡易な測定器で測っていて、正常値98前後の所、父はだいたい90~92で、90を下回ると少ない状況だと看護師は教えてくれていた。しっかり痰を取れれば93~95まで回復したりするし、母の話によれば、酸素吸入をした途端に98近くまで上昇したとのことだった。酸素吸入前は結構苦しそうで、救急車を呼んでくれ、とまで言っていたとのことで、それを聞けば妥当な判断だったのだろうと思った。

一方で、夕方に看護師が吸引した際に僅かに血が混ざっていたようで、あまり頻繁に吸引しても、鼻の奥かその先か、中の粘膜を傷つけてしまっている可能性が高いとのことだった。頻繁に吸引すればいいということでもないようだった。

22時過ぎ、まだ肺からの音も聞こえず静かに寝入っていたので、吸引はしなかった。夜中は様子を見ながら、苦しそうだったらやってみる、と母は言った。

母が、暑いからと先延ばしにしようとしていた父の帰宅の日程も、明日からまた世間や私の仕事関係も動き出すにあたり、良かったのかもしれないと思った。

130817 父との時間

2013-08-17 | 父との時間
朝6時過ぎに父の所へ行くと、母は自分の布団に横になったまま、3時頃に吸引した、と言った。父の帰宅後、この2日間の怒濤のような人の出入りに、母も疲れていた。父はゼイゼイと激しく、苦しそうだった。早速痰の吸引を始めて気管から取れたものの、胸に手を当ててみるとまだ取りきれていない様子だった。幸い夕べの発熱はおさまっていて、吸引されて楽になったのか、すぐに父は眠りに落ちた。

それでも、一昨日よりも、昨日よりも、父は明らかに衰弱してきていた。身体に入れるものが、水分と低カロリーの点滴のみであれば当然のことなのだけれど、これが自然に任せるということかと思うと、それに抗いたいという医学の歴史もわかるような気がした。

看護師が入る1時間前に、便通のための座薬を入れた。背骨に沿って少し赤くなった部分が褥瘡になる前に、塗り薬を塗り、しばらく横にして寝かせるようにした。母は、いかに床ズレを起こさないようにさせるかが介護の技量、と私に説明した。

午前中に看護師が入り、検診、吸引、及び点滴の設置をした。明日から1週間夏休みに入るために、代わりに来てくれる看護師の手配や休み明けまでの段取りを確認した。夕方に院長先生が往診に来てくれることになった。

退院後、午後に2回ヘルパーさんが入ってくれることになって来てくれているが、便も小水も少ないため母は、それも1回にしてもらっていいかな、と言った。それまで病院任せであった部分はヘルパーさんのおかげで助かっているけれど、この2日間に出入りした人に対応すること自体が、さらに疲れを増幅させていた。私でさえいつにない疲労を感じていたから、母はなおさらだろうと思った。

夕方、看護師が点滴を外しに来て、検診と吸引をした。その後、院長先生を待っていたがなかなか見えなかった。私は所用で立ち会えなかったので、帰宅後に母から伝達された。

家に戻っても父に、何か食べたい、と言われると食べさせたくなる、という母に、先生からは、食べたいならば胃瘻や中心静脈栄養摂取でまず体力をつけてからです、家でもやれますよ、と言われた、しかし結局それは断った、と母は言った。私から見ても、いまさら胃瘻や中心静脈をしたからといって、口から食べられるには程遠いはずなのだが、医師としては患者とその家族にそう言われれば、そう答えざるを得なかったのだろうと想像した。

また、院長が吸引をしている間に、看護師が父の胸をかなりの力でマッサージしていたとのことで、それによってかなりの肺内の痰が押し出されて吸引出来たと、母は言った。私が吸引できたと思っていても胸に残っていたわずかな異音も確かに消えていて、父は安堵の表情で眠っていた。

130816 父との時間

2013-08-16 | 父との時間
朝6時過ぎに行ってみると、母はすでに起きていて父の背中をさすっていた。かあさん、と父に起こされたから家にいることはちゃんと分かっているのね、と母は言った。夜中の痰の吸引は母がおこなったようだが、朝までにやはり看護師の言うようにすでに溜まっていたので、私が吸引を開始した。

ある程度喉の周りを吸った後、少し気管が開くのを探っていると、苦しそうな呼吸となった。その瞬間にすっとチューブを差し込み、今回やっと気管まで入れることが出来た。私もズルズルと大量の痰を吸い出した達成感があり、父もその後に心地良さそうに眠りに入れるのが何よりだった。

午前中に、入院前に見て頂いていた医師が来宅した。一通り検診し吸引も軽く行い、点滴の手配を段取りしていた。医師から、さらなる誤嚥肺炎や感染のリスクに対する注意を聞いた後、もしそうなった場合の、今現在の家族としての方向性を聞かれた。

私個人の気持ちとしては、自宅~病院間の搬送でさえ父には負荷が大きいだろうし、自宅で看取る覚悟は出来てはいるが、肺炎や発熱が激しくて本人が苦しそうであれば、病院への搬送もまだあり得ると思う、状況次第かと思う、と伝えた。

昨日の看護師が、点滴を準備して来宅しセッティングしてくれた。5時間で落ちるから夕方にまた来ます、と言い、医師と同様の一通りの検診と吸引も行なった。その後、介護ヘルパーさんが入ってくれた。

昼過ぎに、姉達が様子を見にきてくれた。姉達が来るまでは、父は母を枕元に呼んで、俺はもうダメだ、と弱音を履いていたと母は言った。皆で父を囲んで談笑し、あらためて家に戻れたことに安堵していた。

14時過ぎに一度吸引した後、気分が良くなったのか父は、ちょっと起こしてくれ、と言った。両脇を姉と私で支えてベッドの縁に腰掛けられたと思ったら次は、車椅子に座る、と言い出した。皆、驚きのまま用意した車椅子に移せたので、テレビを見ますか、と聞けば頷いた。テレビの方に向き直し、久しぶりの高校野球を眼鏡をかけて見始め、20分近く座ることができた。

ベッドに戻ったらさすがに疲れたようで、若干発熱した。姉達が帰った後、またヘルパーさんが入ってくれて、退院前の打合せに同席していたソーシャルワーカーも、父の顔を見に来てくれた。その後、再び看護師が入って点滴を外し、吸引と検診をした。父が車椅子に座ったことを話すと、皆、驚きと歓びを隠さなかった。

夕食後、22時前頃にそろそろ吸引かと見に行ったら、微熱は続いていたものの昼間の疲れからか静かに寝ていたので、昨日と同様に夜中の吸引を母に任せ、自宅に戻った。

130815 父との時間

2013-08-15 | 父との時間
今日は学徒出陣を見送った父がずっと言い続けてきた「敗戦」記念日、そして父の退院日。母が予定時刻よりも早めに家を出て病院へ向かった。私は受け入れ態勢を取りながら、家で待機していた。まもなく介護タクシーが到着し、ストレッチャーに乗った父が帰ってきた。

介助の男性2人と車椅子に乗せ換え、エレベーターに介助者が一人付き添って乗った。懸念していた「痛み」も多少あったようだが、無事ベッドまで到達した。

お帰りなさい、お疲れさまでした、と耳元で言うと、ありがとう、と父は嬉しそうに返した。程よく冷房を効かせた部屋で、早速髭を剃ってあげた。病院では電気シェーバーだったけれど、入院前のように蒸しタオルを当てた後、T字カミソリで剃ってさっぱりしたようだった。

母が、在宅時の医者に連絡を取るがつかまらず、先日の病院での打合せにも顔を出してくれた看護師にも連絡するがダメだった。お盆のど真ん中だからとは言いながらも、点滴も水分も取れない状況だったので、母は少し不満なようだった。

疲れたのか安心したのか、髭剃り後にすぐ寝入ってしまった父の横で、私は父が無事に退院できたことを、二人の姉にメールした。母が父の口腔ケアをしながら、スポンジにお茶を蜂蜜で少し甘くしたものを含ませて、父に舐めさせた。父は久しぶりの味覚を感じたらしく、甘い?と聞いたら、嬉しそうに顔をしわくちゃにした。

その後、先日の病院での打合せにも顔を出してくれた介護ヘルパーの方がやってきて、オムツの交換と着替えをしてくれた。彼女も父が家に戻ってきてくれたことを、私たちの仕事が増えたと喜んでくれていたと、母が言った。頭が下がる思いだった。

昼食後に、家での初めての吸引を私が行った。気管までは入らなかったものの、喉や口の中もスッキリしたようだった。

看護師と連絡が取れ、夕方に来てくれた。体温、血圧、酸素量、脈拍など一通り測定し、吸引に関する段取りと注意事項を申し合わせた。また父の喉もガラガラと鳴りはじめていたので、看護師が手本のように吸引してくれた。朝、病院で吸引して以来、気管から大量に吸い出せたのはさすがだった。

妻と娘も交互に顔を見せて、お帰りなさい、と父に挨拶した。妻が母の分もと作ってくれた夕食を母の元へ届けたら、疲れて作る気が起きなかったから助かる、と喜んでくれた。

夕食後、22時頃を目安に吸引しようと父の所へ行ったが、少し前に大きめの痰を飲み下してしまったようで、穏やかだった。もう寝る、と父は言った。夜中の吸引は母がやってみると言うので、翌朝6時頃様子を見に来ることにした。

果たして、1ヶ月半に及んだ入院生活から父は生還した。7月2日の入院日から書き続けた日々の「祈り」のような気持ちは、無事父を自宅へと迎え入れられたことに、ひとまず結実した。

130814 父との時間

2013-08-14 | 父との時間
いよいよ明日、父が帰ってくる日を前にして、私は吸引器を置く場所の確保や置く台のぐらつきを無くすためにボルトを締め直したりしていた。母は狭い室内を動きやすいように、食器棚や食卓のレイアウトを多少変えたり、不要なものを上階へと運んだりしていた。

夕方、母は病院へ行った。一日早く入院費の精算しようとしたが、結局明日になった、と戻ってきて話した。今日の父は少し反応が鈍かった、と母は言った。

私も、明日から生活のパターンが変わるであろうこと、そしておそらく最後になるであろう、家で過ごす父との時間を前に様々な想いを巡らせていた。

130813 父との時間

2013-08-13 | 父との時間
昨日と同じ時間に母と病院へ向かった。昨日説明を受けた家庭用吸引器を使い、看護師の指導の下、今日は私が吸引をしてみた。病院の吸引器とそれ程かわりないはずなのだが、なかなか気管までは入らず、多少自信を持っていた私は少々戸惑った。それでも、家でも数回やればなんとかなりそうな気がした。

母を残して、私は昼前に病院を後にした。

130812 父との時間

2013-08-12 | 父との時間
レンタルする予定の家庭用吸引器の練習をするために、母と午前中から病院へ向かった。父の元で待っていると、やがて体格の良い若い男性が吸引器を持ってきた。

ベッドサイドで一通り使い方を説明している間、父が私を呼んだ。背中が痛いからさすってくれと言ったので、少し半身を持ち上げて横向きにしてさすってあげた。吸引器の使い方は病院のものと若干違った(チューブの根元を開放して吸引、または塞いで吸引の違い)が、基本的には同じだった。

場所を談話コーナーへと移し、レンタルの契約書の取り交わし、口座引き落とし等の手続きと支払いをした。

早速吸引しようかと思い病室に戻るとシャワーの時間と重なってしまい、父はストレッチャーに乗せられて病室を出て行ってしまった。母はしばらく残ると言ったので、私はまた明日やることにして、病院を出た。

夕方母が帰宅し、事務所に顔を出した。あれから吸引をやってみたけれど、やはり気管まで入れるのは難しいねと言った。

130809 父との時間

2013-08-09 | 父との時間
担当医師は施術中で不在だったけれど、病院側の看護師、ソーシャルワーカー、在宅側の医師代理、看護師、ソーシャルワーカー、介護ヘルパー、そして母と私、関係者が一同に集まり、申し送りの打合せを病院で行った。

まず、病院側から経過・状況の説明が行われた。肺炎はおさまっている、点滴は1日2本、痰は3~4時間に1回吸引、夜中も3amくらいに吸引、等々。

次に、家への運搬方法などの検討で、ストレッチャーで病院から玄関先まで運び、車椅子に乗り換えてエレベーターで一気に行った方が、患者の負担が少なくて良いと判断していると、病院側のソーシャルワーカーからの提案があった。

在宅側からの質問がいくつか出され、訪問看護の医師への相談、ヘルパーと看護師の訪問回数を増やすこと、家族が看る時の口腔ケアの大切さ、なども話された。

そして、次週8/15(木)の10時に退院が決定した。猛暑が続いているからもう少し引き伸ばせないか、との申し入れを、事前に母から病院へしていたのだが、天候は(退院を遅らせる)理由にはならない、と断られた。その他、介護タクシーの手配と下見など、退院への段取りが手際良くまとめられた。

打合せ後、父の所へ行き、退院日が決まったことを告げた。父は、やっと東京に戻れる、と口にした。母がすかさず、ここは何処ですか、と聞くと、水沢、と答えた。岩手県水沢市は、父の仕事の関係で上の姉が生まれた時に家族3人でしばらく生活していた場所だった。

130808 父との時間

2013-08-08 | 父との時間
関係者の打合せが明日となったことを、母が伝えに来た。明日から夏休みを取り、2泊3日で千葉の方へ行く予定だったが、出発を少し遅らせることにした。

夜中の吸引の対応などのことを考えると、しばらくは泊りがけの外出は出来なくなるであろうこと、迷惑をかけることになることなどを、妻と娘に話した。妻は、迷惑という言い方はやめて欲しい、できる範囲で協力し対応していくから、と言ってくれた。

夕方病院へ行こうと思っていたけれど、豪雨的な夕立ちに出る機を逸してしまい、結局今日は病院へは行けなかった。父の従兄妹であるYさんから、会いに行ってくれたとの連絡が入ったことを、母から知らされた。

130807 父との時間

2013-08-07 | 父との時間
朝食後、私がシャワーを浴び終えた頃に、母が私の世帯にやって来た。昨日、姉2人も駅で私たちと別れた後、疲れたので駅ビルのカフェでお茶しながら話をしたという。2人とも思いは同じで、やはり家に連れて帰るのが良いのではないかと、今朝母の所へ連絡があったとのこと。

私の考えはどうか、と母が聞いてきたので、2つ返事で私もそう思っていた、と即答した。そうと決まれば、ソーシャルワーカーの所へポート埋設の手術はやめてもらうように話をしに行くこととなり、私も母と一緒に病院へ向かった。

ソーシャルワーカーは、昨日3つの病院を一気に見学できたことに驚きながらも、私たち家族の総意として、中心静脈のポートもやらず、家で看る、そして看取る覚悟をしたことを評価し納得してくれた。そして、家で看るからには、吸引など大変になるけれど、介護ヘルパーの制度も可能な限り活用して、外部に頼めることはなるべく頼んで、あまり負担とならないようにと気遣ってくれた。

近々、病院側と在宅側の関係者を集めて、申し送りの打合せをセッティングしてくれるということになった。

私は父のベッドサイドへ行き、やっとここから出られますよ、家に帰れますよ、と言った。父は、か弱くなった握力のそれでも最大値くらいの力で、私の手を握り返した。

130806 父との時間

2013-08-06 | 父との時間
2人の姉と私が母の元に集まり、昼食を取った。4人で取る食事も久しぶりだったが、母の用意してくれた鶏飯の薄い味付けに、実家の味を思い出した。

昼食後に予約しておいたレンタカーを取りに行き、3人を乗せて、計3ヶ所の医療型ホーム(以下、病院)の見学へと出発した。走り出した感じの道路事情と、見学にどれくらい時間が掛かるかを想定しながら、事前に母がしていた予約の順番を変更すべく、車内で下の姉が2番目と3番目の病院との連絡に奮闘していた。

まず1番目、予定より早く到着したものの、すぐに営業らしき愛想の良い若者が対応し院内を案内してくれた。その後、談話コーナーにて説明を受けた。
・基本的に当院は、延命治療は行っていない。いざというときの心臓マッサージや、電気ショックなどもやらない。
・そして、仮に容態が悪化しても、内科的な対処療法しか行わない。
この2点の方針を御理解頂き、当院を選んで頂いた後に病院側も判断させて頂く、父が居る救急病院とは治療行為の内容は、全く違うことを御理解頂きたい、とのこと。

次に、今入院している病院からの紹介状云々の、受け入れまでの流れの説明が続いた。
H18年に厚労省で作られた「医療区分制度」によって、区分2と区分3という重篤な患者以外は「社会的入院を正しい場所へ誘導する」という名目で、老人介護保険施設等に入れられるようになった。以前は歩けたりする患者も居てイベントなどに利用していた談話室も、今は見舞いに来た御家族の休憩くらいにしか使われなくなったという。

父は「中心静脈栄養(高カロリー点滴)を実施(明後日に予定)している」(区分3)のと、「1日8回以上の喀痰吸引を実施している」(区分2)に該当しているため、おそらく問題ないだろう、とのこと。

そして、料金の説明があり、保険の種類が「後期高齢者」の1割負担で、古い本館4人部屋の場合、医療費44,400円、食事代24,180円(中心静脈の場合はナシ)、日用品セット60,000円前後、オムツ(持込禁止)代55,000円、で食事ナシの計16万円前後、その他、散髪代やTV代は別途、新館の場合は、+8万円、保証金25万円(退院時に返却)とのこと。(ちなみに個室は60万円前後)

母が、入院後に家族はどれくらい関われるのか、と質問したところ、基本的には完全看護・介護ですが、お手伝い頂けるのであればその部分で可能です、と言われた。

2番目の病院へと向かう車内で、母はすでに疲れたようだった。説明はほぼ同じだったが、施設が昨年の4月に新しくなったばかりできれいで清潔感があり、その分値段も高かった。

3番目は、院長が直々に面接をしてくれて、ソーシャルワーカーの方も「気さくな」と言っていた通りの方だった。廊下ですれ違った看護師たちも皆、明るくにこやかな雰囲気だった。しかし、施設自体は相当に古く6人部屋で、値段も一番安かった。明後日埋め込む予定となっている中心静脈用のポートというものを、院長が見せてくれた。直径1cmくらいのボタンマイクのようなもので、正直、これを埋め込むのか…と思った。

3つの病院を廻った後、4人で父の所へ行こうということになった。4人とも疲れ果て、車内では何だか煮え切らない様子だった。私自身、3つのうち何処を選ぶかといわれれば、3番目かなというところだったけれど、いまいち父がそこへ入ることがイメージ出来なかった。有り得なかった。重篤な患者が居並んでいる風景、まさに終末医療の現場で「生かされている」人々の中に、父を入れることの薄ら寒ささえ感じた。

病院で、父は発語も覚束なくなってきてはいたけれど姉たちとも順番に言葉を交わし、私はいつものように髭を剃ってあげた。姉たちを駅まで送り、母を家まで送り、レンタカーを返却しに行った時には、もう既に自分の中では答えが出ていた。

130805 父との時間

2013-08-05 | 父との時間
今日は病院に行く時間が取れなかったが、夏休みで時間を持て余している娘が、その祖母について行った。

帰宅後、今日おじいちゃんと話せたかと聞くと、挨拶は出来たけれどあまり何を言っているのか分からなかった、と答えた。

130804 父との時間

2013-08-04 | 父との時間
暑い日差しの照りつける中、久しぶりに妻と娘を連れて病院へ行った。3人で父の側へ行ったが、気持ちよさそうに寝ていた。昼前だったので、病院の1階のカフェで私達も腹ごなしをした後、また様子を見に来ようということにした。

約1時間後、再び父の側へ行ってみたが、先程と変わりなく深く眠っていたので、妻も起こさなくて良いんじゃない?と配慮してくれて、早々と病院を後にした。

帰りのエレベーターの中で、いつもお世話をしてくれている看護師さんと一緒になったので、吸引の様子を聞いた。最近は少なくなってきていて、朝、午後、夜の3回ぐらいとのことだった。

130803 父との時間

2013-08-03 | 父との時間
仕事帰りの夕方、病院の父の所へ立ち寄った。穏やかな表情で手を差し伸べて迎えてくれて、忙しいのか、と聞いてきたので、現場へ行ってきた帰りだよ、と私は答えた。看護師がほぼ毎日のように髭を剃ってくれているらしく、それ程伸びていなかったけれど、息子の儀式として髭を剃った。

剃り終わった後、隣の洗面でシェーバーを掃除していたら、比較的大きな声で、おいもう早く帰れ、という声が聞こえた。父が言ったとは思えない程の声だったが、ベッドサイドに戻って確認してみると、再び、もう早く帰れ、と言った。何で?と聞き返すと、飛行機の時間があるだろう、といった。私もそれに話を合わせて、大丈夫だよ、まだ時間はあるよ、と答えると、そうか、と安心した表情になって、私の手を握った。

130802 父との時間

2013-08-02 | 父との時間
今日は病院へ行けなかった。
午前中、体調が悪かったので事務所の椅子で横になっていると母が事務所に立ち寄った。来週に見学予定の医療型ホームについて、それぞれのだいたいの月額をソーシャルワーカーから連絡があったと報告してくれた。

それらのうち一つは高くて無理なので、見学に行く必要もなく、その代わりもう一つ、外した病院を逆に選択肢の中に入れてもいいのではないかというアドヴァイスがあったとのことで、私も、それでいいのでは、と伝えた。

夕食後、妻と今の状況について話していた。現況、私の仕事も少なくなってきたので増やさないといけないと思いながら、なかなか増やすことが出来ずに悶々としている、けれど、逆にこの状況は、幸いにも父との時間を作れる良い時間なのだと、自分を納得させていると伝えた。