前夜、久しぶりに妻と少し飲みながら夜中まで、父の状況報告や今後の予定の確認、運営しているスペースでの展示の段取りなどを打合せしていたために、今朝6時の起床は少々辛かった。
父の所へ行くと母はすでに起きていた。夕べの院長先生の吸引のおかげで夜中の吸引はやらなくても大丈夫だったようで、まだ痰の絡みも少ないので、午前の看護師が入るまで様子を見ることにした。
午前中、私は家庭内の雑務を処理していたために来宅した看護師には立ち会えなかったが、検診・点滴・吸引してくれたことを、昼前に母から聞いた。私が午後から外出するので吸引のこと話したら、夕方にも点滴を外しに看護師が来てくれるから心配ない、と母は言った。
19時過ぎに帰宅してすぐに父の様子を見に行ったら、父は鼻から酸素のチューブを入れられていて、吸引器の台の下に酸素吸入の機械が設置されていた。昨日の院長先生の判断だったらしく、測定した酸素量の低下に伴う措置だった。
その行為って一体何なのだろうかと、医学に関しては素人な私が単純に考えてみた。肺の痰を、患者の苦痛如何にしろ可能な限り取り除くための措置が、結果、肺の機能としての酸素吸入を阻害していることになっている、ということなのだろうか、よく分からなかった。
毎回の検診の際に、手の指先で酸素量と脈拍を簡易な測定器で測っていて、正常値98前後の所、父はだいたい90~92で、90を下回ると少ない状況だと看護師は教えてくれていた。しっかり痰を取れれば93~95まで回復したりするし、母の話によれば、酸素吸入をした途端に98近くまで上昇したとのことだった。酸素吸入前は結構苦しそうで、救急車を呼んでくれ、とまで言っていたとのことで、それを聞けば妥当な判断だったのだろうと思った。
一方で、夕方に看護師が吸引した際に僅かに血が混ざっていたようで、あまり頻繁に吸引しても、鼻の奥かその先か、中の粘膜を傷つけてしまっている可能性が高いとのことだった。頻繁に吸引すればいいということでもないようだった。
22時過ぎ、まだ肺からの音も聞こえず静かに寝入っていたので、吸引はしなかった。夜中は様子を見ながら、苦しそうだったらやってみる、と母は言った。
母が、暑いからと先延ばしにしようとしていた父の帰宅の日程も、明日からまた世間や私の仕事関係も動き出すにあたり、良かったのかもしれないと思った。
父の所へ行くと母はすでに起きていた。夕べの院長先生の吸引のおかげで夜中の吸引はやらなくても大丈夫だったようで、まだ痰の絡みも少ないので、午前の看護師が入るまで様子を見ることにした。
午前中、私は家庭内の雑務を処理していたために来宅した看護師には立ち会えなかったが、検診・点滴・吸引してくれたことを、昼前に母から聞いた。私が午後から外出するので吸引のこと話したら、夕方にも点滴を外しに看護師が来てくれるから心配ない、と母は言った。
19時過ぎに帰宅してすぐに父の様子を見に行ったら、父は鼻から酸素のチューブを入れられていて、吸引器の台の下に酸素吸入の機械が設置されていた。昨日の院長先生の判断だったらしく、測定した酸素量の低下に伴う措置だった。
その行為って一体何なのだろうかと、医学に関しては素人な私が単純に考えてみた。肺の痰を、患者の苦痛如何にしろ可能な限り取り除くための措置が、結果、肺の機能としての酸素吸入を阻害していることになっている、ということなのだろうか、よく分からなかった。
毎回の検診の際に、手の指先で酸素量と脈拍を簡易な測定器で測っていて、正常値98前後の所、父はだいたい90~92で、90を下回ると少ない状況だと看護師は教えてくれていた。しっかり痰を取れれば93~95まで回復したりするし、母の話によれば、酸素吸入をした途端に98近くまで上昇したとのことだった。酸素吸入前は結構苦しそうで、救急車を呼んでくれ、とまで言っていたとのことで、それを聞けば妥当な判断だったのだろうと思った。
一方で、夕方に看護師が吸引した際に僅かに血が混ざっていたようで、あまり頻繁に吸引しても、鼻の奥かその先か、中の粘膜を傷つけてしまっている可能性が高いとのことだった。頻繁に吸引すればいいということでもないようだった。
22時過ぎ、まだ肺からの音も聞こえず静かに寝入っていたので、吸引はしなかった。夜中は様子を見ながら、苦しそうだったらやってみる、と母は言った。
母が、暑いからと先延ばしにしようとしていた父の帰宅の日程も、明日からまた世間や私の仕事関係も動き出すにあたり、良かったのかもしれないと思った。
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