Zozan日記

料理・ランニング・子育てなど興味があるものを河口湖のペンションZozan(ぞうざん)のオーナーが熱く語ります~!

富士五湖チャレンジ100キロマラソン

2012-04-24 06:51:07 | ランニング
2012年4月22日(日)
午前2時30分
起床。普段の試合のような心のトキメキはなかったが、それでもなかなか寝付けず。あっという間に起床時間。軽い準備を済ませ出発。
午前3時15分
会場近くの駐車場に到着するも、すでに満車。車で10分弱の臨時駐車場に回される。そこからシャトルバスで移動となったが、このシャトルバスがなかなか来ない。気温も低く寒さがこたえる。結局バスに乗れたのは4時30分過ぎ。これでスタートには間に合いそうだとホッとすると、暖かいバスと心地よい揺れから眠気に誘われる…。
午前5時
荷物を預けいよいよスタート地点へ。結局スタートラインに並んだのは、スタート5分前くらいだったか。24時間テレビでマラソンを走ったはるな愛さんがスタートの応援。彼女(彼?)は、この距離のつらさを知っているんだろうな~と思いながら号砲を聞く。目指すは完走。それのみ。
本日の天気予報は曇りのち雨。予報に違わず曇り&霧。富士山は当然見えず。薄暗い霧の中、ほんの少しの談笑と、ウェアの擦れる音、そしてリズミカルな靴音を聞きながら淡々とレースが進む。最初の目的地は山中湖。途中の気温表示は3度。かなり厚着をしておいたので寒さは感じない。
午前6時台
10キロポイント通過。途中富士山との対面を果たす。曇り空のため美しさはなかったが、やはり存在感は抜群。多くのランナーが写真撮影。現在のペースはキロ6分~6分半程度。とにかく抑えて足に力を残しておきたい。
午前7時台
20キロポイントを手前にして、すでに右足親指・右ひざ裏・右腸脛靭帯の何箇所かに痛み。普段よりかなり遅いペースだが、そのせいでかえって体がぶれてしまったのだろうと推測。すこぶる元気な左足を中心に走ろうとあの手この手を尽くすが、そううまくいくものでもない。
午前8時台
72キロの部のランナーと合流。国道の歩道がコースだが人数が多く、とても走りにくい。
午前9時台
42、5キロ地点通過。これでフルマラソンの距離かと実感。ただしペースが遅い分、まだまだ筋肉には余裕がある。痛いのは右ひざと腸脛靭帯だけ。
午前10時台
47キロ地点、家族の応援ポイントに到着。父・妻・息子と対面。やはり家族の応援には勇気づけられる!

もちろん足は痛いがまだいける感じはある。
午前11時台
第二関門(51キロ)到着。制限時間の1時間近く前での到着。このAIDステーションには、我が家に郵便物を配達してくれる方(過去にウルトラマラソン3度?完走のツワモノのおじさん)がいて、腸脛靭帯などをほぐしてもらう。再び元気になり走り始める。
午後0時台
12時ぴったりに野鳥の森到着。ここのAIDではうどんをふるまっている。まさに昼食だ!と思いながら食す。温いうどんではあったが、元気が湧いたことは間違いない!
午後1時台
ついに雨が降り出し、カバンから雨具を取り出す。ここからは雨のレースかな。だんだんペースが落ち始めていることを自分でも自覚。キロ7分ペースが普通になってきた。ここからは過去に一度の経験したことのない「関門に追われるレース」に突入。本栖の関門(70キロ)地点を通過時には、制限時間まで40分と迫られる。少し休んでから再スタートしたかったが、そうもいってられない状況なので、休憩もそこそこに出発。この距離ではもう右ひざ裏の痛みがかなり激しく、休憩をすると膝の曲がりが悪くなり痛みも増すが、でもAIDごとに休まずにはいられない。
午後2時台
実はここまで使わずにとっておいた秘密兵器を投入しようと決意。足ではなく腰で走る。最近は、腕を引くのではひねる?感じで腰の回転を増すフォームを採用しているが、首肩などに疲労が出るため今日はそれは使わずここまで来た。が、もう限界。推進力を増すためにそのフォームに切り替えようとしたが…。時すでに遅し。もう右ひざがそのフォームに耐えられる状態ではない。右ひざが正常に動かないので、足も上がらない。とにかくサバイバルランニング。このときはすでにペースがキロ8分が当たり前の状況。
午後3時台
西湖の関門(80キロ前後)を通過。この関門は時間的な余裕があったが、次の関門、ステラシアター(95キロ)まではそんなに余裕なし。そしてこの距離くらいからは腰痛も激しくなり、走りながら押したり、止まって休んで走りだしたり。ここまで来るとリタイアは考えられない。行くしかない。
午後4時台
目標は2つ。制限時間内にゴールにたどりつくことともう一つは「歩かないこと」。止まっても休んでもあるかない!これはレース途中から心に決めたこと。ある程度ペースが落ちてしまうと走るより歩いたほうが速いというのを読んだことがあったが、「ゴールに着く」のが目的ではなく、文字どおりの「完走」が目的。90キロ手前、予想外のポイントに再度妻と息子が応援。長い時間待っていてくれた、そして雨の中自分を見つけてくれた家族に感謝。とにかく進む。足を動かす手段をとにかく考え、腕を振る。腰を押す。菓子を食う。
午後5時台
ようやく最終関門(95キロ)到着制限時間が30分と迫っていた。ここからは4.5キロ。のんびり行けるのかと思いきや、ゴールの制限タイムもあるんだった。忘れてました。あと1時間ちょっとでつかねば。計算上はたぶん行けると思っていたんだが…。
午後6時台
末恐ろしいコースだ。95キロから3キロくらい上り坂。長い…。ひたすら続く長い坂。辺りも暗くなる。周りにいるほぼ全員のランナーが歩いている。しかし私は歩かない。そう心に決めたから。走る、走る、走っているつもり。歩いているランナーに抜かれる。この傾斜の上り坂、疲労した足、歩いたほうが速いらしい…。しかし私は歩かない。タイムは関係ない。あくまで「走り切る」のだ!残り1キロ。水たまりに足が入る。想像以上に水が冷たく、足が急激に冷える。しかしここから下り。推進力は必要なし。痛みに耐えて足を進めればゴールに着く。そして…
午後6時47分くらい
ようやく、念願のゴールが!ゴールテープを一人で切ろうと思ったが、周りにいた3人の見知らぬランナーと手をつないで一緒にゴール!そして握手!共に旅を続けてきた同士とのゴールは最高の気分だ!制限時間まで残り13分と迫られていたが、目標を達成した!肩にかけられた真っ赤なフィニッシャータオル、そして首にかけられた完走メダル!今までのフルマラソンでは完走メダルなんてもらって当然!なんて思っていたが、このメダルは違う。自分の力で獲得した大事なメダルだ!大切にしなくては…。


レースを終えて
決して楽しいレースではなかったが、各AIDステーションのボランティアの人々、沿道の声援、すれ違うランナーの励まし、そして家族の応援。これだけたくさんの人々の支えによって完走することができた。普段生活していると見過ごしてしまいそうなことに改めて気付かされた。自分にとってとても大きな大会だった。この感情を忘れずに、これからまた生きていこうと思う。