残念で無念な日々

グダグダと小説を書き綴る、そんなブログです。「小説家になろう」にも連載しています。

ただひたすら走って逃げ回るお話 第一〇一話 お前の罪を数えるお話

2017-04-18 22:26:06 | ただひたすら走って逃げ回るお話
「ありがとう、さようなら」

 そう言って僕は、全身の肉を食いちぎられ感染者と化した母さんの頭に鉄棒を振り下ろした。頭蓋骨の折れる乾いた音とともに鈍い感触が鉄棒越しに伝わる。動かなくなった母さんだったものを見下ろす僕の目の前で、死体が血まみれの小学生くらいの女の子の姿に変わった。それと同時に僕のいる場所が学校のトイレではなく、放置された車両が散在する道路に変わる。

「いたいよ……助けて……」

 激痛に涙を浮かべ、彼女が僕に差し伸べた左手には人差し指と中指が無かった。狙撃手にいたぶられ、血を流す彼女を僕はただ見ていることしか出来ない。

(いやだ……)
「愛菜ちゃん!」

 そう叫び、手を差し伸べた瞬間、再び景色が変わる。今度は崩れかけた橋の上、雨が降りしきる中、僕が差し伸べた手は女の人の腕を掴んでいた。金髪で僕よりも年上のその女性は、僕が手を放してしまえばあっという間に増水した川に転落するだろう。宙ぶらりんのその女性は、「早く引き上げて!」と叫んでいた。
 僕はその声に応えようと必死だった。どうにか橋桁に残っている手すりを掴む左手は、二人分の体重を受けて今にも千切れそうだった。真ん中から分断された橋の向こう側で、感染者が僕たちを捕まえようと突進しては川に落ちていく。

「助けて!」

 救いを求める声は、別の場所からも発せられていた。どうにか首を回して背後を確認すると、もう一人の少女が感染者に押し倒され、もがいている。それと同時に橋全体が大きく揺れ、断面を下に向けて折れ曲がった橋桁の傾斜が、さらに増した。
 このままでは目の前の女性を引き上げる前に、橋桁が落下して二人とも川に落ちてしまう。そうなったら感染者に圧し掛かられている少女は誰にも助けられることなく、食い殺されるだろう。三人とも死ぬか、二人が生き延びる生存者の多い方を選ぶか――――――?

(やめろ……)

 僕は後者を選ぶしかなかった。このまま全員死んでしまうよりかは、一人でも多くの人間が生き延びるべきだ。そう頭では理屈づけていたが、本当は死ぬのが怖かったのかもしれない。どんな理由があったにせよ、僕は彼女の手を放した。

「ごめんなさい……」

 その声と共に手を放した僕の目の前で、ナオミさんは川へと落下していく。その瞳には「なぜ」と問う困惑の色と死への恐怖、そして何より信頼していた人間に裏切られるという絶望の色が浮かんでいるように見えた。

「ママ……」

 その言葉を最後に、ナオミさんの姿は荒れ狂う茶色い川面に吸い込まれた。だがこれで終わりでないことを、僕自身が良く理解していた。

(やめてくれ……)

 再び世界が暗転し、今度は学校の廊下に僕は座り込んでいた。右目は引き裂かれた額から溢れる血で見えず、半分になった視界の奥では一体の感染者が僕めがけて走ってきている。よく見ればその感染者の顔は僕が良く見知ったものであり、僕が守ると誓ったばかりの少女の顔をしていた。僕が初めて助けることが出来た中学生の少女、しかし僕が選択を間違えたせいで感染者と化した彼女は、今まさに僕を食い殺そうとしている。
 いつの間にか僕の手には、一丁のリボルバー拳銃が握られていた。駄目だ、そんなことするな。そんな心の絶叫を押し殺し、僕は拳銃を握った手を持ち上げる。こうするしかない、その思いと共に僕は引き金を引いた。



「―――――――――!」

 そこで少年は目を覚ます。真冬だというのに、着込んだ服は汗でびっしょりと湿っていた。フロントガラスの向こうに見える空には、未だに太陽が昇っていない。腕時計を見ると、アラームをセットした時間は遥か先だった。

「……くそ」

 こうやってうなされ、夜中に目を覚ましてしまうことが、ここ数日の少年の日課と化していた。たった一人では交代で誰かと睡眠をとることも出来ず、一人でわずかな物音にも気を払いながら眠りにつかなければならない。そしてどうにか眠りにありつけても、先ほどのようにうなされてほとんど一睡もできず、ここのところ彼は睡眠不足の状態に陥っていた。
 背もたれを倒した運転席のシートは寝心地が悪く、そのことが睡眠不足の一因となっているのかもしれない。しかし根本的な原因は寝心地の悪さではなく、少年の精神状態だろう。学院を飛び出してから4日、彼が朝までぐっすりと眠った日はない。

 学院を抜け出してきてから毎晩、少年は夢を見ていた。夢の内容はいつも決まっていた。自分のせいで死んでしまった人たちのこと、そして自分が殺した人々のことだった。まるで彼を責め立てるかのように、それらの夢は毎晩少年の脳裏に浮かんだ。

 夢を見るたびに彼は自分に言い聞かせた。死んだ人たちに対しては、どうすることも出来なかったと。あの時の僕にはそれが精いっぱいだった、他の誰が同じ立場にいたとしても同じ結果がもたらされていただろうと。
 殺した人たちに対しては、仕方がなかった。ああするしか自分の身を守る手段はなかった。第一襲ってきたのは向こうで、僕は自分の身を守るための正当な権利を行使しただけだ。他の人間でも同じ決断をした。そう何度も繰り返したが、心は晴れず夢を見なくなることもない。仕方がないという言葉が、虚しく心の中をさまよう。

 もう一度眠ろうとしたが、冴えてしまった頭は眠りに落ちてくれなかった。それにどうせ眠ったところでまた夢を見て起きる羽目になるのだから、今起きても同じだろう。そう判断した少年は被っていた保温シートを身体から引っぺがし、エンジンキーを回した。



 ここ数日で少年が実感したことは、自分が休息をとっている間に見張りを務めてくれる存在のありがたさだった。以前仲間がいた時は、交代で見張りをしながら眠っていた。朝までぐっすり眠ることが出来ず夜中に起きなければならないという不満点はあったが、仲間が見張ってくれているため安心して眠れていたことも確かだった。
 だが一人で行動するようになってからは、些細な物音を聞いた途端に飛び起きなければならない。寝る前に周辺の安全を確認するのは当然のことだが、感染者はどこからやってくるかわからない。相手が他の人間ならばなおのこと警戒する必要がある。朝まで眠るはずが永遠の眠りにならないよう、わずかな物音でも少年は目を覚ますようになっていた。

 当然のことながら、ここ数日で少年の疲労はかなり溜まっていた。なんだかんだで、学院にいた時はそれなりに休むことが出来ていた。寝首を掻かれる心配もあったが、学院の生徒たちは到底人を殺す度胸もない連中だとわかってからはかなりリラックスできた。人数も多いせいで夜中に起きて見張りをしなくても済んだし、朝までゆっくりと眠ることが出来た。
 だが今は一人しかいない。全てを自分一人でこなさなければならないのだ。学院を訪れる前の状態に戻っただけだと少年は自分に言い聞かせていたが、心のどこかでは学院を飛び出してきたことを後悔する気持ちが芽生え始めていた。

 しかし一人になったことにも利点はあった。一人ならば他の誰かの面倒を見なくてもいいし、誰かの言動が心をかき乱すこともない。一人には慣れているし、むしろそっちの方がやりやすい。そう思っていたはずなのに、少年の心からは何かが欠落したような虚無感が消えることはなかった。
 ようやく出会えた仲間が死んでから抱き続けてきた虚無感は、学院を訪れてからは特に意識することもなくなっていた。だが学院を出た直後から、心の奥底から再び虚無感が顔を覗かせている。

 本当はあのまま学院にいた方が良かったのではないか。朝食の乾パンを口に押し込んでいると、ここ数日何度も繰り返した問いが頭に浮かぶ。食事も学院にいた時と比べると、非常に味気ない。学院では曲がりなりにも調理したものが出されていたということもあるが、やはり一人の食事は寂しいものだった。
 しかし何度も繰り返した問いは結局、今更戻ることなど出来ないという結論に落ち着く。学院の連中はこの世界で生き抜く覚悟もなく、技術もほとんど身に着けていないド素人ばかりだ。希望だ未来だと呑気なことを抜かす連中は、感染者や暴徒にでも襲われたらすぐに殺されてしまうだろう。そんな連中と一緒にいるより、一人の方が生き延びる確率が高まる。

 そう結論づけたが、何度も問いを繰り返してしまうということは、自分自身その答えに納得できていないのだろう。だがどうすればいい? この地獄を半年以上生き延びて身に着けたルールや考え方を、学院の生徒たちは否定している。同様に少年も、平和だった頃の世界のルールに基づいた彼女たちのルールや考え方を認めることは出来ない。だからお互いに離れていた方がいいのだ。

 無理矢理そう結論付けたところで、少年は車を走らせた。行く当てなどない。安全な場所はどこにもないし、誰も守ってはくれない。自分一人で安全な場所を作り、生き延びるしかない。とりあえず東へ向けて走り出した車は、すでに関東圏に入っていた。
 このままずっと東に向かえば東京に出るだろう。東京で暮らしていた1200万人の都民はどうなってしまったのだろうか。全員が死んだか、あるいは感染者になってしまったのだろうか? そして彼らを守っていた警察や自衛隊は?

 都市圏に近づくのは危険だったが、もはや物資を得るには感染者の彷徨う都市に入るしかなかった。食料は軒並み消費期限を迎え、食せるのは保存食のみという状況で、わずかに残っていた物資は生存者同士で奪い合うまでに量が減ってしまっている。感染者の少ない郊外にあるスーパーやコンビニは、ほとんどが生存者の略奪を受けて何も残っていない。

 だが都市部にはまだ物資が大量に残っている。人口の多い都市部では感染者も多く、そんな場所にわざわざ足を運ぼうとする生存者はほとんどいないからだ。感染者の多い危険な都市部の物資はほとんど手付かずの状態で、比較的安全と言える郊外の物資が尽きつつある中、食料を得るには危険な都市へと足を踏み入れるしかない。あるいは農業でも出来るのなら話は別だが。

 これが今の世界での日常なのだ、と少年は思った。戦わなければ生き残れない。誰かを殺し、殺される。誰かを殺し続けることでしか、この世界では生きていけない。相手が感染者であっても人であっても、自分に害なす者は全て殺さなければならない。それが少年が学んだルールだった。
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