ラヂオ惑星モルファス

友人、仲間、知人



ふと思う時がある。私には友人は居るのだろうか?
50年以上付き合いを続けてきた「友人」。遊んだり喧嘩したり・・・家族ぐるみで行き来したり、離婚する奴が出てくると何となく学生時分の付き合い方に戻ったり、病み、入院し、死ぬ・・・7人だったのが今は4人・・・
一昨年、他界したSの家族との繋がりが深かったのは、結局医大の幹部だったK。Kから聞いたSのエピソード・・・少し悲しくもあったのだが。
「友人」でいるためには何よりも自分がその人を「友人」として信じていることが必要だ。亡くなってしまえばそれ以上にかかわりを深めることもできないけれど、何があろうとやはりSは私の友人であり続ける。

40歳の頃、知り合いになったMとともに子供のオーケストラを立ち上げ、事務局の一員として苦労してきたが、このMとは喧嘩別れすることになった。
相当な信頼を置いていたのだが憎しみしかなくなった。今では・・・普通の「他人」だろうか?

その後、子供のオーケストラに関わってきた大人のメンバーを中心に結成されたオーケストラ。55歳からオーボエを習い始めた私も加えてもらった。
練習に参加して淡々と自分のパートをこなし、演奏会に出たらサッと帰るメンバーが大半。仲間だ、と思えたのはごくわずかなメンバー。

先に記したSが10月に亡くなり、12月には所属していたアマチュアオーケストラを退団した。コロナ禍の中、半数の団員は事実上休団。最後のコンサートを終えた後、私の退団を気にかけてくれたのはRさん一人だった。
50代半ばからオーボエを始めた私は、当然一番下手糞で練習を止めてしまうことが最も多い。私が退団すれば木管パートのレベルは必ず上がるから、多分マエストロもホッとしたかもしれないな?とひがんでみたり・・・
ちなみに、Rさんにはその後母の納骨の際にも大変世話になった。

その後も、何度かオーケストラのメンバーと様々な場面で見かける機会もあったが、偶然出会ったことを後悔するようなことも多かった。「仲間」とはその集団に属さなくなった時点から「他人」となるのだろう。

はてさて、人間関係とは厄介なものでもあるが、今では増々地域の「仲間」は増え続けている。新しい「友人」も・・・



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