
今日は1月4日、世間は「仕事始め」
バブルが崩壊する前の時代は、証券関係や金融機関など女性社員が多い職場には「大振袖」の姿が沢山おりましたね。私の会社も仕事始めの式典などを行い、県歌を歌うステージには振り袖姿も並びました・・・まあ、大昔の逸話です。
さて我が家も、子供達が集まり酒盛りばかりの三が日も終わり普通の姿に戻りました。
三が日で、一番見ていたテレビは・・・もちろん箱根駅伝でした!!
出身大学が走っている訳では無いのに箱根駅伝はやはり見てしまいます。友人が理事をやっていたり、息子が卒業したりした大学単位の応援をしたりしてしまいますね。これもごく日本的な風景でしょうか?
さて、今日、新聞(日経新聞)を広げたら、「部活改革、沈黙の競技団体」という記事が目に入りました。スポーツ庁・文化庁主導で、公立中学校の「部活」を地域へ移行しようとする動きが始まるはずなのに、自治体からの反対意見が強く、地域移行は「2025年度末」としていた目標を「地域の実情に応じて可能な限り早期に」となったと書かれてありました。記事は、この問題に関するスポーツ競技団体の沈黙を指摘するものですが、私はかつて「ジュニアオーケストラ」の立ち上げや運営に関わり、NPOの目標設定や運営方針などを定める中で、当時の議員や市長などにアッピールしていた事柄を思い出しました。
それは「学校体育、学校芸術などを全て廃止すべきである。スポーツも芸術活動も全て地域での活動に参加することに変えていくべきだ。」ということでした。
この考えは今でも変わりません。高校野球・・・甲子園(元阪神電鉄の施設!競輪場も隣にあったし・・・)、花園などのスポーツもさることながら、学校単位の「音楽コンクール」「吹奏楽コンクール」など、「体育会的」活動を推進することは「音楽」とはかけ離れた行為であるし、それを大手マスコミが主宰することが日本の文化の貧困度合いを高めてしまっているように思うのです。
私も俳句をたしなむようになりましたが「俳句甲子園」など、考え直してほしいと思っています。こんな事を続けていたら、日本人の「個」の確立はどうなるのでしょうかね?
最近では「個性」を主張する方は増えたと思います。しかし、本当に自分の力で政治や経済や国際情勢や人間の有り様などを考え、論理的に主張できるようになったとは思えません。「個性」とは外見であったり、ちょっとしたモノの言い様であったりしていないでしょうか?
まあ、先に述べた私の意見は極論でしょうから、日本の社会では永遠に実現しないでしょう。特にスポーツでは精神主義や集団主義が幅を利かせ続けるのだろうと思います。我々はそうした世界が大好きですから!
しかし、音楽や俳句にまで「甲子園」の名称をつけたりして行くのはどうなんでしょうかね?
スポーツ庁・文化庁の動きは、公立学校の先生たちの「無給ボランティア部活指導」解消に端を発しているようですが、こうした何事も学校を頼る「発展途上」状態はいつまで続くのか心配になります。