ラヂオ惑星モルファス

憲法に思うこと・・・その2


前回、憲法の問題については、どうしても忘れがちな「前文」を確認した。
各条文についての議論もさることながら、これほど崇高な文章を確認することなく上っ面だけの議論に陥ってはならないと感じていた。
それでも、抽象的な文面はそれぞれの立場立場で勝手な読み方をすることであろう。それはやむを得ないことではあるが、個別の条文の議論を進めるときに、この前文の精神を常に確認しつつ行うことは無益ではないと思う。

さて、憲法を語るときに常に第9条についての立場ばかりがクローズアップされるのは憲法論議の歴史から止むを得ない。
では、私はどうなのか?単なる二者択一では済まないであろうとは思う。現実は憲法をどう解釈しようと世界有数の戦力を持っていることに変わりはない。「自衛隊」と言おうが何といおうが「軍隊」であることは間違いない。
憲法上「自衛権まで制約されてはいない」という議論をする人たちがいる。しかし、どのように言おうが憲法の文面上は、われわれは主体的に「軍隊も持たないし戦争もしない」と誓っている。
では、現実とどう合わせていくのか。
とすれば、われわれは何のために軍隊を保有するのか、その戦力をどのような状況下で使用するのか、そのために「主権者たる国民」は現実の力の行使をする手続きでどうかかわるのか、を定めるべきだろうと思う。
今の状態は「国家的な虚言・虚構の上に作られている危うい戦力」である。
やはり、国民の主体的なかかわり(党派的な議論は一切なく)、特に憲法前文に立脚した、国民の意思としての戦闘行為とは何なのか、きちんと議論すべきだろう。
全ての戦争は「自衛のため」という名目で起こされている。「自衛権」を留保するということは「普通に戦争をする」ということと同意義だと思う。
では、そうでない戦闘行為はありうるのか?簡単な結論などありえないが議論を逃げてはいけないだろう。

で・・・男の子は乗り物が大好きである。自動車や汽車・電車、飛行機、船。
私の少年時代から好きなもの、それは、近所を走る電車と身近にはなかった船・・・とりわけ帆船時代から第一次世界大戦までの軍艦。

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