案の定、安部一派からは「核武装」論が出てきた。しかも、米国と「核のシェア」だと。確かこの方々は現在の憲法は米国が押しつけたのだから、天皇の地位や軍備・戦争放棄、国民の権利などについては明治憲法下と同じ様な姿を思い描いていたと思うのだが・・・やはりご都合主義というか、嘘を重ねた首相当時と変わらず、戦略はおろか当面の戦術すらないまま、その場その場で気分次第、思いつきの対処しかないのだろうか?深い教養を全く感じられないのは、立ち位置が右であれ左であれ、最近の政治家さん達の特性であるように思うのだが・・・
プーチンの戦争政策を非難するのは結構であるが、そうしたプーチン率いるロシアの19世紀的な帝国主義を見抜けずにニコニコと付き合ってきた政治家達は、今何を思っているのだろうか?あの当時北方領土を返してもらえるとでも思っていたのだろうか?
かつて、日本を占領したマッカーサーが日本人の精神年齢を12歳だと評した。もちろんキリスト教・ヨーロッパ至上主義の下にあった者の思い上がりも十分にあるのだが、現在の自民党を始めとする政治家達や財界のリーダー達、それらを支持する多くの大衆を見ていれば、精神年齢が高くなっているとは判断しにくい。
以前にも書いたことがあるが、リーダーは国民大衆と全く乖離して存在している訳ではない。多かれ少なかれリーダーを支える大衆がいなければリーダーにはなれない。もちろん、そのあと狂気に駆られたリーダーが大衆を蔑ろにすることはあるにしても・・・。
日本人の特質というか教育の成果というか・・・「自分の力で考える、他人がどうあれ自分の考えをはっきり言える。同時に、他人の考えをしっかり評価し、認める」という訓練は全くしてこなかったといって良いのではないだろうか?
情緒的に深く豊かであるのは日本人の素晴らしい特質だと思う。しかし情緒的な部分は冷静に考えることと矛盾する場合もある。議論になり自らの意見に反対されると、まるで喧嘩をふっかけられたように、人格まで否定されたように感じてしまい、「まあ、そういうことで・・・」と曖昧なまま議論を終えたり、「空気を読」んで意見を言わない・・・これは日本という村社会の中ならともかく、国際社会の中でしっかり生き抜くためには決して良い特質ではない。
どんなにプーチンが悪魔であっても、付和雷同するのではなく、ウクライナやロシアの歴史などを少しだけ勉強して、しっかりとした自分の言葉でプーチンの所行を非難すべきだと感じた。
戦争に良い悪いはない。「自衛」のためという言葉は免罪符にはならない。ロシア国民がプーチンを引きずり下ろせるよう、何とか力を貸したい。