特別養護老人ホームに入所している老母が、8日夜転倒して大腿骨の上部・・・股関節の直ぐ下を骨折し、9日入院しました。コロナの中、救急を始め病気が進行した患者さんも多く、手術は来週ということになりました。老母は96歳になりますが、92歳頃から認知症が進行し94歳になった直後特養に入所していますが、夜9時過ぎ、ユニット個室のトイレに行こうとして転倒したようです。DRからは、手術に耐えられるかどうかも問題です。また、これだけ高齢になると術後の状態についても予断を許さないので、気管挿管などの「延命措置」を施すか、酸素吸入のような「救命措置」を行うか決断してください。強いリハビリは無理なので車いすに乗って施設に帰ることを目標にしましょう・・・ただ、入院中には認知症も進行しますし骨折の場所が場所だけに寝たきりもあり得ると考えてください・・・とのこと。
老母は、私が小学校に上がるまで教師を続け、学校を退職してからは茶・華道を自宅で教えたり高校の部活、会社の福利厚生事業、高齢者の生きがい教室など毎日「先生」と呼ばれ続けてきました。65歳の時に父が亡くなり、茶道教室や華道教室を開くために設計された家には同居の余地は全くないだけでなく「私は孫の世話はしないから・・・」と宣言し、25年以上一人で気ままに楽しく過ごしてきました。90歳を過ぎた辺りから認知症が進み、顔なじみのお弟子さんから「先生はもう教えられる状態じゃないのよ・・・」と耳打ちされました。老母の認知症のためには茶道講師を続ける方が良いことは分かってはいましたが、月謝を頂き続けており、一緒にサポートしてくださる同僚の茶道講師もいないので、2年がかりで少しずつ引退して貰いました。
辞めた直後は、週2日半日のデイサービスに行くだけで「おまえに辞めさせられて、どんどん呆けちゃう」と言ってばかりでしたが、介護度が上がりデイサービスの時間や日数も増え入浴も出来るようになると少し状態は良くなったようでした。しかし、施設でのサービスや息子には威張れなくても他人には「先生」として話せるしスタッフにも「先生」と大切なされるので、そのうち、デイサービスがなく家にいる時は「施設に入りたい、私よりはるかに若い人が施設に入っているのになんで私は入れないのか。あんたが施設には入れるように手続きしてくれないからだ・・・」と言い始めたのです。結果的には望んで入った施設ですので、入所時は「何時に帰るの?え、帰らなくて良いの?泊まれるの?良かった!」と言っていました。
既に私を見ても誰だか分かりません。「息子」の記憶は小さくて泥だらけで走り回っていたり、大きなランドセルを背負って喧嘩に負けて「泣き虫」と囃されていた「正ちゃん」なのです。頭が真っ白になった老人を見ても「あんたは誰だ?」としか言いません。
これは間もなく私が行く路でもありましょう。こうして「今」のことだけを感じ、過去の苦しみや後悔や罪の重さからも、未来への不安や恐怖からも解放されていくのは、自然が我々に与えてくれた恩寵なのかもしれません。