
(左)。小袖は落ち着いた色調で描かれている(右)裏面(左右を反転)は大刀と短刀を差し、小袖の色も表面と異なる(いずれも京都国立博物館提供)
京都・大徳寺所蔵の「織田信長像」(16世紀、掛け軸)は、当初の絵を大幅に描き直したものだったことが、京都国立博物館の調査でわかった。
安土桃山時代を代表する絵師・狩野永徳の筆と伝わる作品。絵の裏側に残る最初の絵は、衣装はより華やかで脇に差す刀も1本多かった。
信長没後、権力を握った豊臣秀吉が描き直しを命じた可能性がある。派手好みの信長をなぜ地味にイメージチェンジしたのか、議論を呼びそうだ。
同像は縦115センチ、横52センチで、絹地に顔料で描いた「絹本著色(けんぽんちゃくしょく)」の作品。絹本著色の絵は、裏にも表と同じ色づけをするのが特徴。2008年からの修復で、表裏を比べたところ、両腕とも薄藍色の小袖を着た表面に対し、裏面は右腕が萌葱(もえぎ)色、左腕が薄茶色と派手な色遣いだった。小袖の桐紋(きりもん)も裏面の方がより大きく描かれていた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110606-OYT1T00700.htm
(読売新聞2011年6月6日付記事より引用)
豊臣秀吉がかつての主君織田信長公の像を書き換えを指示していたのでしょうか。
地味に描くとする意図が分かりませんが、そうだとしたら、これは大問題です。猿知恵で自分の立場を大きく見せようとする魂胆なのでしょうか。議論が高まり、嵐を呼ぶことかもしれません。
織田信長ファンにとっては由々しきことです。
YUKIにゃん