織田信長 桶狭間、安土城、そして徒然なるままに・・・

 戦国武将の雄。幅広い情報の入手から熟慮して行動に移すまでの速さは素晴らしく、中世城郭に石垣を用いた功績は大きい。

大河ドラマ江  金ヶ崎の戦いでは市があずきの袋を織田信長に送らなかった

2011-01-22 10:12:20 | 織田信長
 第一回の放送で、市が浅井長政から聞いた織田信長を朝倉、浅井の軍勢で挟み撃ちにする話を聞き、あずきの入った両端を硬く紐で結んだ袋を織田信長に送らなかったストーリー展開となっています。

 過去の大河ドラマや時代劇では、金ヶ崎の戦いで両端を紐で縛ったあずきの袋を見て、織田信長が袋のネズミだと納得して、退陣する話がほとんどでした。

 この両端の紐で結んだあずきの袋を織田信長に送るというのは、いかにもドラマ受けする場面ですが、後世の創作だとする説があります。

 今回のお江のドラマでは、織田信長にあづきの袋が届かず、物見からの報告で挟み撃ちを気づいて撤退したという展開となっています。


 この辺りも、後世の創作なのかどうなのかを調べてみるのも面白いと思います。


 しかし、初回の茶々を演じた子役の演技は素晴らしいものがありました。

 実際に茶々が短刀を持って母親に迫ったのか知りたいものです


 YUKIにゃん

織田信長の次男、織田信雄が一時城主だった烏山城跡、愛好者が注目山城の魅力いっぱい  栃木県那須烏山市

2010-12-23 01:39:13 | 織田信長
 那須烏山市の烏山城跡が、お城ファンや歴史愛好者の関心を集めている。昨年度実施した初の発掘調査を機に見学者が増加、6日から始まった第2期調査の現地説明会も1月29日に開かれる。県内で石垣を用いた近世の城は珍しく、本丸や堀なども良好な状態で残っているため、観光資源としての魅力は大きい。一方、城跡一帯が民有地であるだけに積極活用できるか課題だ。

 「織田信長の次男が一時、城主だったことを知ると皆驚く」。市郷土資料館の職員は来館者の反応を思い出す。

 3月に初調査の現地説明会を開いて以降、資料を探しに同館や図書館へ足を運んだり、市教委に問い合わせをする人が増加。説明会用パンフレットもなくなり、500部を増刷した。

 市教委の担当者は「第2期調査を始めてからも、毎日何人か見学者に出会う」と、関心の高さを実感する。

 烏山城は1417年に築城。那須氏の居城だったが、豊臣秀吉により改易。その後、城主は織田信雄ら8氏が入れ替わり、1725年に大久保常春が就いた後は、大久保氏が約140年にわたり治めた。1869年の版籍奉還で廃城となった。

 規模は烏山市街地北西の山頂部の南北600メートル、東西350メートルの範囲に北城、中城、古本丸、本丸などを築く「5城3郭」の山城。堀や土塁を複雑に巡らし守りを固めている。

 市教委は昨年度から地権者の理解を得て4カ年の調査に着手。第1期は測量図作成と古本丸の発掘をした。周囲を補強する大規模な城普請(土木工事)跡が発見され、戦国期ごろに大きな城へ発展したことが確認された。

 1640年代の絵図には、土塀で囲まれた本丸に館や石垣、正門などが描かれており、2期調査は本丸の一段高い場所の建物跡の有無と、古本丸と本丸の関連性を調べている。

 中世城郭研究会会員で、烏山城の縄張り図作成に取り組む渡辺昌樹さん(49)=宇都宮市=は「絵図通り石垣があり、城の規模は当時のまま残っている。きっちり掘れば、石垣も昔の姿に復元できるのでは」と期待する。

 しかし城跡は、旧烏山町時代に遊歩道が整えられたが、中世の山城の良さを歩いて体感するには草刈りも含め歩道整備は不十分。杉林で眺望も厳しい。

 11月に現地視察した大谷範雄市長は「市街地や那珂川が見渡せるようになれば、癒やしスポットになる。観光ルートとして町おこしにつなげたいが、今は誰もが登れるような状態ではない」と認識する。今後の整備については「間伐するにも地権者の了解が必要で、まだ白紙」としている。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/region/news/20101222/433238
(下野新聞2010年12月22日付記事より引用)

 記事の写真を見ると、なかなか良さそうな石垣が樹木の間に積まれているのが分かります。

 織田信長の次男、織田信雄が一時期城主というのもいいですね。

 縄張り通りの石垣が残っている関東の山城自体が少ないので、お城ファンにも訪れたい楽しい城となるでしょう。


 YUKIにゃん

桶狭間の戦いと、その後の織田信長について講演   『戦国乱世を切りひらく力』

2010-12-09 01:09:01 | 織田信長
記念講演会 『戦国乱世を切りひらく力』

    桶狭間の戦いと、その後の織田信長について講演します。

    日 時: 12月18日(土) 午後1時30分~

    場 所: 大府市歴史民俗資料館 2階 視聴覚室 

    参加費: 無 料

    講 師: 小島 勝彦氏(文学歴史散歩の会 主宰)

    申 込: 当日、直接会場まで。
http://www.city.obu.aichi.jp/rekimin/oshirase/oshirase.htm
(愛知県大府市歴史民族資料館のサイトより引用)


 織田信長ファンには興味ある講演会が行われます。無料の講演会というのも魅力の一つです。

 興味ある方は参加すると宜しいでしょう。


 YUKIにゃん

信長の館跡から金箔瓦

2010-12-07 00:04:52 | 織田信長
 岐阜市教育委員会は、発掘調査中の織田信長公居館跡(岐阜公園)から、金箔(きん・ぱく)瓦や中国製の磁器などが出土したと発表した。市教委によると、いずれも当時は貴重品で、「発掘地点の近くに、居館の中心的で豪華な建物があった」と分析している。

 2007年度に始めた第4次調査の一環で、6月から発掘を進めてきた。館中心部へ向かう通路に壁土や鉄くぎなどの廃材が捨てられていたため、近くに建物があったことがわかった。

 通路の近くでは、一片約3センチの金箔瓦一つも見つかった。金箔瓦を最初に使ったのは安土城(滋賀県)と考えられており、岐阜城の山すそでの出土は初めてだ。

 また、長さ35メートルの通路は坂になっているが、単純な傾斜ではない。途中の約20メートルは平らなことから、通路をまたいだ建造物があったと考えられるという。同様のつくりは、後年の熊本城の「闇(くらが)り通路」に見られるという。
http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000001012060005
(朝日新聞岐阜地方版2010年12月4日付記事より引用)

 引用元の記事には、発掘調査で出土した金箔を張った瓦(ペンの右)と、花をモチーフにした飾り瓦の写真も紹介されています。


 これが話題の発掘された金箔瓦の写真です。一片が僅か3センチと小さいものですが、その僅かな欠片が黄金瓦に飾られた居館の証拠であることは大変大きなことです。

 安土城の金箔瓦よりも前に使われていたことが分かれば、城郭の歴史を塗り替える画期的な発見です。

 発掘で新たなものが発見されることは、歴史の楽しみの一つでもでもあります。


 YUKIにゃん

信長照らすLEDの星  JR安土駅前 イルミネーション点灯式

2010-12-06 01:11:08 | 織田信長
信長照らすLEDの星  JR安土駅前 イルミネーション点灯式
 歳末恒例の「あづち駅前イルミネーション」が4日、滋賀県近江八幡市のJR安土駅前で始まった。織田信長公像や樹木を飾る発光ダイオード(LED)1万個が一斉に輝き、見物する家族連れなど約200人から歓声が上がった。

 安土町商工会が毎年行っている。今年は商工会設立50周年の節目を記念し、駅北口だけでなく、南口にもイルミネーションを施した。午後5時から行われた点灯式では、冨士谷英正市長ら4人がスイッチを押した。

 来年1月10日まで、午後5~11時に点灯する。家族と見物に訪れた保知純乃介君(6)=近江八幡市安土町=は「木を飾っている星のイルミネーションがすごくきれいだった」と笑顔を見せていた。
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20101205000030
(京都新聞2010年12月5日付記事より引用)

 引用元の記事には、家族連れらが楽しんでいるイルミネーション(近江八幡市・JR安土駅前)の写真も紹介されています。

 あづち駅前の織田信長像のライトアップが始まりました。織田信長の城、安土城がある地では、近江八幡市長がライトアップのスイッチを入れるほどの歴史上の人物を大切にしていると思います。


 YUKIにゃん

津島の「信長めし」開発 初の勉強会

2010-11-30 00:20:38 | 織田信長
 津島市の津島商工会議所が、ご当地グルメ「信長めし」を開発しようと、プロジェクトを進めている。織田信長が食べていたとみられる川魚のモロコなどを対象に、29日に市内の飲食店主らを集めて初の勉強会を開いた。店主らの協力を得られるかどうかが、実現への鍵を握りそうだ。

 信長や父・信秀らは当時、伊勢と尾張をつなぐ港町として栄えていた津島を拠点に、勢力を蓄えたとされる。信長が深く信仰した津島神社は、今も年間90万人が訪れるという観光スポットだ。

 しかし、こうした人の流れが市内の飲食店や商店に向いていないことが課題となっている。商議所は2月、観光客らに楽しんでもらおうと、「信長めし」の開発に着手。中小企業庁から155万円の補助を得て、調査研究に乗り出した。

 歴史書などから、信長が食べたとみられる地元の食材や料理をピックアップ。モロコや名産の越津ネギ、ふ、レンコン、田楽のほか、信長の好物とされる茶漬けを挙げた。これらの食べ物を使い、信長の幼名にちなんだ「吉法師弁当」や「合戦重箱」など名前のアイデアもまとめた。

 勉強会に飲食店主ら16人が出席。プロジェクトの説明を受け、アンケートに答えた。

 すし店主の男性(43)は「この話に乗りたいと思う。メニューのレベルを一定の水準まで持っていくのが大事でしょう」と前向き。一方で「一時的なブームで終わらないようにしなければ」と慎重な声も聞かれた。

 商議所の担当者は「アンケートの感触は良い。飲食店の賛同を得ながら計画を具体化させ、来年度も補助金を申請したい」と話す。 (稲垣時太郎)
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20101130/CK2010113002000122.html
(中日新聞2010年11月30日付記事より引用)

 引用元の記事には、「信長めし」プロジェクトの説明を受ける飲食店関係者ら=津島商工会議所での写真も紹介されています。



 こういう企画はどんどん進めて欲しいもので、出掛けた時の楽しみが一つ増えることとなります。


 YUKIにゃん

臨場感たっぷり!信長居館跡360度パノラマ公開…岐阜女子大

2010-11-27 03:02:19 | 織田信長
 岐阜女子大学文化創造学部助教の林知代さん(42)(教育情報学)と学生たちが、岐阜県岐阜市教委が岐阜公園一帯で進めている織田信長居館跡の発掘調査現場の風景を360度見渡せるパノラマ画像として製作した。

 関係者から「これは分かりやすい」と評判で、同大のホームページで公開している。

 パノラマ画像は魚眼レンズのデジタルカメラを使って発掘現場を3方向から撮影したものを、「デジタル・アーカイブ(記録保存)」として立体的に再構成した。

 今回の撮影場所は今年2月まで調査が行われたと呼ばれる発掘現場。林さんと同学部2年の成瀬葵さんら4人の学生が昨年12月から4か所を選んで撮影を始めた。

 発掘現場は足場が不安定で撮影が難しかったが、今年の夏休みを利用して写真データをまとめた。画像に場所のポイントや詳しい説明を入れ、自宅などに居ながら発掘現場にいる気分を味わえる。

 林さんと学生は昨年5月、岐阜公園でデジタル・アーカイブの研修をしているときに発掘調査を見学。その様子をパノラマ画像にして同市社会教育課の発掘担当者に見せたところ、「臨場感があり、画面もきれい」と高い評価を受け、同大のホームページで紹介することを了承した。市教委の信長居館跡発掘調査のホームページでも同じパノラマ画像が見られる。

 林さんは「歴史に興味があって始めたが、パノラマ画像で貴重な発掘調査を公開できれば専門知識がなくても理解できるようになるのでは」と話している。林さんと学生たちは今後、別の発掘調査現場もパノラマ画像として記録・公開することにしている。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20101126-OYT8T00529.htm
(読売新聞2010年11月26日付記事より引用)

 引用元の記事には、パノラマ画像を公開した林さんの写真も紹介されています。


 この360度パノラマビューのサイトのリンクです。
http://www.gijodai.ac.jp/nobukyokan/index.html
(織田信長公居館発掘調査デジタルアーカイブ)

 このサイトを見ると4ヶ所の写真を360度回転、拡大も自由に見ることができ、現地の発掘状況が良く分かります。


 織田信長公館の発掘に興味ある方はサイトを見ると宜しいでしょう



 YUKIにゃん

信長居館跡で金箔の瓦 付近に中心的建物か 岐阜市

2010-11-23 00:46:23 | 織田信長
 織田信長が天下統一の拠点とした岐阜城(岐阜市)のふもとで、信長が居住したとされる遺構「居館跡」を発掘調査している岐阜市教育委員会は22日、金箔を張った瓦の破片を発見したと発表した。

 市教委によると、瓦は縦、横各約3センチ、厚さ約5ミリ。ふもとの岐阜公園の発掘作業で、中国製青磁器などに交ざって見つかった。焼けた壁土や鉄くぎなど建築部材も見つかり、市教委は付近に来客をもてなすような中心的な建物があったとみて調べている。

 発掘調査は昭和59年に開始。これまでに発掘された陶磁器や文献などから居館があったとされている。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101122/acd1011222347003-n1.htm
(msn産経新聞2010年11月22日付記事より引用)

 引用元の記事には、岐阜市教育委員会が発見した金箔を張った瓦の破片(同教育委員会提供)の写真も紹介されています。


 ついに岐阜の織田信長館から金箔瓦が見つかりました。これで更に信長館への関心が高まり、更に発掘状況に期待が高まり楽しみです。



 YUKIにゃん

特別史跡安土城跡調査整備事業20周年記念シンポジウム

2010-11-22 00:38:30 | 織田信長
日 時 2010年11月27日(土)
場 所 安土文芸セミナリオホール(滋賀県近江八幡市)
参加費 無料
内 容
開会挨拶
記録VTR「特別史跡安土城跡~調査整備20年の歩み」上映
基調講演1「安土城にみる信長の政権構想」藤田達生氏(三重大学教授)
基調講演2「安土城 戦国の城から近世の城へ」千田嘉博氏(奈良大学教授)
ミニコンサート
 パネルディスカッション
  パネラー:藤田達生氏・千田嘉博氏
       近藤滋氏(元滋賀県安土城郭調査研究所長)
       仲川靖(滋賀県教育委員会事務局文化財保護課主幹)
  司  会:松下浩(滋賀県教育委員会事務局文化財保護課副主幹)
 閉会挨拶
問合せ
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課城郭調査事務所
   TEL0748-46-6144 FAX0748-46-6145 


 安土城ファンにはとても興味あるシンポジウムです。興味ある方は参加されると宜しいでしょう。


 YUKIにゃん

織田信長の安土城の金箔瓦も展示  金箔瓦の系譜、造形美競う  広島城天守閣 

2010-11-16 06:45:44 | 織田信長
 企画展「金箔(きんぱく)瓦の系譜」が13日、広島市中区の広島城天守閣で始まった。目玉は同城中堀近くで昨年出土した金箔鯱(しゃち)瓦。広島県や近畿地方の中世城郭などを飾った瓦約100点がそろう。

 金箔鯱瓦は高さ69・5センチの雄と66・6センチの雌の1対。築城時の16世紀末の製作とみられ、ひれや歯に鮮やかな金箔が残る。織田信長の安土城(滋賀県近江八幡市)や豊臣秀吉の大坂城(大阪市)の金箔瓦も展示され、造形美を競い合う。

 「見比べながら往時の広島城に思いをはせて」と篠原達也学芸員(43)。「王」の文字が残る千畳閣(廿日市市)の軒丸瓦など寺社の瓦も紹介している。12月12日まで。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201011140003.html
(中国新聞2010年11月14日付記事より引用)

 引用元の記事には、金箔瓦、造形美競うの写真も紹介されています。


 織田信長の安土城の金箔瓦も見られるとは大変興味ある企画展です。

ただ、当方が住む神奈川県からでは広島はとても遠く、東京辺りでも持ち回りで展示してくれないかなと思います。

 興味ある方は訪れると宜しいでしょう。


 YUKIにゃん