織田信長 桶狭間、安土城、そして徒然なるままに・・・

 戦国武将の雄。幅広い情報の入手から熟慮して行動に移すまでの速さは素晴らしく、中世城郭に石垣を用いた功績は大きい。

織田信長ゆかりの赤こんにゃく

2010-09-29 07:39:01 | 織田信長
 織田信長ゆかりの赤こんにゃくがあるということで調べてみました。

 以下は近江八幡市名物のあかこんにゃくについて書かれているサイトからの引用です。


 文献として、正確な資料は残されていませんが、この赤いこんにゃくは織田信長にゆかりがあるといわれています。
近江八幡では、古く平安時代に中国から伝えられた鎮護円家、五穀豊穣を祈って行われる「左義長まつり」が有名です。「信長記」には、安土桃山時代、時の武将・織田信長が、自ら女装し踊り出し、この祭りをより一層盛大なものにしたと記されています。以来、町の若衆が女装して山車をかつぐという形で引き継がれ、奇祭として広く知られるようになりました。
こんな派手好みの武将・織田信長が、こんにゃくまで赤く染めさせたのが、近江八幡の赤こんにゃくの由来といわれています。また、左義長まつりの山車に飾られる赤紙にヒントを得て、近江商人が考案したともいわれています。
織田信長好みの赤こんにゃく。そんな歴史に思いを馳せて、食してみるのも楽しいかもしれませんね。
http://www.aka-kon.com/
(赤こんにゃくどっとこむより引用)

 派手好みの織田信長らしい赤こんにゃくではといういわれもあるもので、彩りを鮮やかにするものには良いと思います。

 安土城のある近江八幡市へ訪れたら買って食べてみようと思います。


 YUKIにゃん

織田信長の末裔  フィギュア織田長男の名 信太朗も候補

2010-09-17 07:00:00 | 織田信長
 バンクーバー五輪男子フィギュアスケート7位の織田信成(23=関大)は、10月中旬誕生予定の長男の名前として、信太朗(しんたろう)が候補の1つになっていることを明かした。戦国武将織田信長の17代目の末裔(まつえい)で、信長も候補の1つだったが「いじめられるのでやめます。あとは『信○』といった感じで考えています。父親になる実感が、プラスになると思うので頑張ります」と話していた。
http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20100915-678642.html
(日刊スポーツ2010年9月15日付記事より引用)

 織田家としては、男児の名前に「信」の名前を付けるのが家訓でもあるようです。どのような名前になるのかが楽しみです。

 「信長」の名前は、偉大な戦国武将織田信長だけにしておいて欲しいです。


 YUKIにゃん

しかと見よ!信長の4居城 清須など4市連携協、名鉄観光とツアー企画

2010-09-05 06:08:13 | 織田信長
 戦国武将・織田信長が城を構えた岐阜、清須、小牧、滋賀県近江八幡の4市でつくる「信長公居城連携協議会」は、連携事業の第1弾として、9月に4市の居城を巡る武将観光ツアーを名鉄観光サービスと共同企画した。

 1泊2日のバスツアーで、出発日は14、23、29日の3回。JR名古屋駅発着で、4市の城や史跡、信長ゆかりの寺のほか、醸造工場や古い町並みなどを巡る。宿泊は長良川温泉。添乗員に加え、各地で地元ガイドがご当地情報を提供する。

 募集は各回40人で料金は1万9800円。同協議会事務局の岐阜市観光コンベンション課は「4市でお薦めの場所やアイデアを出し合った。信長の飛躍の軌跡を体感してほしい」とPRしている。(問)名鉄観光名古屋メディア支店=電052(582)8686
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20100903/CK2010090302000108.html
(中日新聞2010年9月3日付記事より引用)


 清洲城、小牧城、岐阜城、そして安土城と織田信長の出世城コースや周辺観光地も訪れるという、織田信長ファンにとっては夢のような観光コースです。

 このうち、安土城でしたら私はかなりのこだわりがあり、今まで三度訪れました。見寺の織田信長像を拝観してきたり、大手道の幅や石段の長さを実測、天主閣跡も調べてきたことなどでガイドならできそうです。


 YUKIにゃん

安土城に山車の工法?  謎の吹き抜け建設は「可能」

2010-09-03 00:11:34 | 織田信長
 「安土城にあったとされる吹き抜け構造は、名古屋・熱田の巨大山車(だし)の技術を応用したのではないか」。岐阜高専の水野耕嗣名誉教授(68)(日本建築史)がこんな論文をまとめ、富山市で10日に開かれる日本建築学会で発表する。

 当時の建築技術の水準から「吹き抜けは困難」と議論が続く中、織田信長が重用した宮大工の業績に着目し、可能だったと結論づけた。長らく謎とされている城内の構造について、一石を投じる研究として注目を集めそうだ。(中村和男)

 安土城を巡っては1940年の調査で、土台が変形八角形だったことが判明した。69年には名古屋工業大の内藤昌(あきら)名誉教授が、加賀藩の大工棟梁(とうりょう)を務めた池上家から、史料「天守指図(さしず)」を発見。土台の形が一致することから、安土城の設計図と推測されている。

 天守指図の図面は、地上6階、地下1階で、4階までの中央部分が吹き抜け構造(推定約15メートル)になっている。しかし、戦国、江戸時代の文書に「吹き抜け」という記述はなく、当時の技術では不可能――と専門家が指摘。天守指図そのものの真偽を問う論争が起き、今も続いている。

 祭りの山車についても詳しい水野さんは、安土城を建造した棟梁の岡部又右衛門が尾張・熱田の宮大工であったことに着目。当時の津島天王祭大山(愛知県津島市)や熱田大山楽車(だんじり)の巨大山車の工法を取り入れたものではないかと推測した。

 江戸末期の「尾張名所図会」によると、熱田大山は幅3メートル、長さ4メートルの台車の四隅に柱を立て、高さ24メートル。大山の上には人が乗り、社が設けられた。祭礼の度に組み立てられ、多くの人に引き回されても壊れない頑丈さも備えていた。

 これまで、安土城と山車を関連づけて考察する研究者はいなかったという。水野さんは「比類なき城の建造を命じられた又右衛門が、熱田大山の工法を応用したのではないか」と語った。

 城郭に詳しい熊本大の北野隆名誉教授(日本建築史)は「近世の城の天守は安土城から始まった。吹き抜け構造は何かのヒントから生まれたと考えられるが、巨大山車の技術を応用したという推論は非常に興味深い」と話している。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gifu/news/20100901-OYT8T01066.htm
(読売新聞岐阜地域版2010年9月2日付記事より引用)

 引用元の記事には、巨大な大山楽車が描かれた「尾張名所図絵」を持つ水野さんの写真も紹介されています。


 建築の研究者が安土城吹き抜け説について、新たに唱えるのも大変興味深いです。

 巨大な山車からの発想の応用の説も、城郭研究者が興味深いと評価しているところからしても面白そうです。

 どのような研究内容なのか詳しく知りたいですね。


 YUKIにゃん

織田信長が所望の蘭奢待も保管の正倉院  1世紀ぶりに改修へ

2010-09-01 07:18:00 | 織田信長
 宮内庁は31日、奈良市の正倉院正倉の約1世紀ぶりの改修のため、3億6000万円の工事費を概算要求に盛り込んだ。8世紀半ばに建てられ、シルクロードを通じてもたらされた宝物などを保存・管理してきた校倉(あぜくら)造りの建物で、国宝と世界遺産に指定されている。工事は一般に公開される。

 改修するのは、経年変化でたわみも生じている屋根部分。建物全体を覆う素(す)屋根を築き、傷んだ瓦を取り換えて下の板も補修する。

 建立時の瓦も残っており、それらの公開も検討する。工期は約4年。総工費は7億7000万円と見込む。【大久保和夫】
http://mainichi.jp/enta/art/news/20100901ddm012040055000c.html
(毎日新聞2010年10月9日付記事より引用)

 正倉院と聞いて思い付いたのは、織田信長が所望して入手した天下第一の名香と謳われる香木の蘭奢待のエピソードです。
 
 天下第一の銘木や名のある茶碗を入手して、公家や大名に見せることにより、武力と権力を誇示した心理戦とも受取れます。

 戦国武将だから力づくで戦うのだけのイメージが強いですが、こうした銘木や名品の茶碗などを集めてみせることで、戦わずして相手を屈服させるのも戦術の一つだと考えられます。


 YUKIにゃん