何でも話す仲の良い兄妹でした。
たくさんたくさんの思い出が残っています。
幼い頃に、母が病気がちの妹にかかりきりだったので
自然と兄と身を寄せ合うように遊んでいました。
私たちと一緒に大きくなったしば犬のメリもいつも一緒で
もっぱら近くの川で魚釣りをする兄にくっついて
思えば女の子らしい遊びはしていなかったですね。
それは小学、中学と続き
兄が高校生になった頃突然の変化に戸惑ったことです。
朝学校に行くのに同じ方向だから
並んで行こうとすると怒ったように
「 だめだよ、10メートルほど離れて後から来いよ 」
なにを怒っているのか分からずに母に聞いてみると
「 いいのいいの お兄さんも年頃になったのよ 」 と
可笑しそうに笑っていました。
母が笑ったので少し安心して
毎日兄の10メートル後を通学したものです。
その後兄が大阪の大学に入るとまた元通りの関係に戻って
両親にはしないような話もしてくれるようになりました。
子供が三人学校に行くとそんなに裕福でもない家からの仕送りは
なかなか厳しいものがあったようで
月末になるとバス代や食事代も節約していたようです。
おかきを揚げたのが大好物で
下宿に母が送ってくれた揚げおかきを並べて
「 あと何日だから1日何枚食べられる・・・と計算して
曜日ごとに小袋に分けて食べているよ 」
「そっかあ きついね~ 」
「 いいさ 貧乏を楽しめるのは若いうちだし結構面白いよ 」と
笑い飛ばしている兄が うん なんかいい ^-^
後から何の気なしに母にその話をすると
「 家にゆとりがなくてそう送ってやれないから・・・」 と悲しそうに一言。
その夜裁縫をしている母の後ろ姿が小さく泣いているようで
とても切なくなってしまいました。
言うんじゃなかった・・・
でも若いっていろんなことを弾き飛ばして
母が心配するほど本人は辛いと思っていなかったようです。
私が大阪に就職した年には
兄が彼女を助手席に会いに来てくれました。
自分にはよくわからないからと頼まれて
あらかじめ兄の代わりにバッグを買ってきていたのですが
それを渡すと彼女もとても喜んでくれて
兄はあの頃が一番明るくて楽しそうだったなあ・・・
幸せそうにしていた兄の姿は
思い出すのも楽しいものです。
兄がいてくれた頃・・・
私にはキラキラした季節でした。
出先なので遅くなりました。
見て頂いてありがとうございます。
兄妹がいてくれるのは
ありがたいことだと思います、ネ
三姉妹で良い時を~(^▽^)/
いつも素敵な写真を拝見しています!
露の風景は、お兄さんと妹さんの思い出がつまった思い出のようですね。
私も姉、妹がいますが、その頃の思い出を思い返しているところです・・・
妹がいつも母の膝にいたので
自然と兄とくっついているようになりました。
よく お前が弟ならなあと言われたものです
はい 兄妹がいるのはありがたいですね。
写真いつも見てくださってありがとうございます。