私は、区議団を代表して、「2022年原水爆禁止世界大会」に参加しました。初めての参加で、新聞や報道では見てきましたが、実際に行ってみると世界大会の大きさと現地広島のこれまでの歴史を肌身で感じることができた貴重な体験でした。送り出してくださいましたみなさまに心から感謝いたします。
今大会は、コロナ感染拡大のために3年ぶりの開催で、足立代表団は12名で参加しました。小学生2名、中学生1名、30代の方も多く、世代間交流もしながら楽しい原水禁大会となりました。
グリーンアリーナで開催された世界大会は、コロナ対策のため席を1つずつ開けて座りました。広島被団協の箕牧さんからあいさつがあり、「77年前広島で原爆が投下され14万人の方が亡くなり、いまだに後遺症で苦しむ人が大勢いる、世界から核兵器をなくそう」と呼びかけられました。
オンラインも使い、第1回核兵器禁止条約締結国会議の議長を務めたアレクサンダー・クメント氏からのスピーチがありました。「脅しにとどまり、核兵器は使用されることはないと信じるのは単純すぎます。禁止条約がある今、核兵器をなくす法的、理論的な基礎ができたのです。私たちがまだ手に入れていないのは、核兵器に依存し続けなければならないと考えている国の政治的意志です。この状況を変えるには、市民社会がより広範な社会的階層を動員することができるかにかかっています。日本の市民社会のみなさんの取り組みと決意、禁止条約への支持を称賛します。」と話されました。核に依存しなければ平和は保てないという考えに捕らわれている現在の日本政府の考え方が問題であり、国民がこの考えを変える取り組みを広げていく事が出来るかどうかに未来がかかっている。いま日本で核兵器廃絶のためにがんばっている人たちを素晴しいと高く評価され、私たちは力強い励ましのメッセージで、大変勇気づけられました。
ウクライナから平和運動の活動家のユーリシ・シェリアゼンコさんからも訴えがありました。「ロシアがウクライナに侵略した時、ミサイルとごう音と共に私の家の近くを飛び、数キロ先で爆発しました。私の何千もの同胞は、まだ生きています。しかし、自分の街に核兵器が落とされては生き残れるかは疑問です。世界中の理性ある人々は、核兵器禁止条約を支持するべきです。核兵器の横暴に屈してはならない。今すぐ行動を起こし、大声で真実を語り、全ての戦争を止めて、平和を構築するべきだ。」
ロシアの平和運動の活動家オルグ・ボドロフさんからもスピーチがありました。ウクライナの惨状に対するつらい思いを語り、「皆、地球に住む隣人なのです。手を取り合って行動しましょう」と訴えられました。
二日目のテーマ別分科会では、碑めぐりコースを選び、平和公園内をめぐりました。語り部は、今年初めて語り部としてデビューした方で、熱心に事細かく説明をしてくださいました。原爆ドームは、産業奨励館として本来は美しい建物で、庭には噴水があり当時としてはモダンな素晴らしい建物だったそうです。被爆後に今の姿で残してきたことについては、様々な議論を経て当時の市民が残そうと決意して、現在でも高額の補修費をかけながらも維持をしているということでした。「この地の下50㎝を掘ると当時のがれきが埋まっている。1m掘ると人骨が埋まっている。隣の本安川の川底には人骨がびっしりと敷き詰められていた。」など、当時のむごさを語られました。また、この原爆投下後も生き残った木も紹介してくださいました。幹は無残にもほとんどなくなってなっているけれども、表皮が生き残り、幹をかばうように丸くなり囲い込むようにして生きています。大切に保存されており、青々と葉が茂っていました。
8月6日の平和祈念式典は会場内には入れなかったため、沿道で黙とうを行い、その場に座り込みリアルタイムでユーチューブを見ました。岸田首相のあいさつは、いかにも平和の取り組みをやっているかのような飾り立てた言葉でしたが、しかし核兵器禁止条約には背を向け何の進展もない、何の決意もないあいさつでした。唯一の被爆国の首相として恥ずかしくないのか。首相の資格なし、一刻も早く退任していただきたいと思いました。
足立区議団から千羽鶴を託されてきましたので、原爆の子の像に千羽鶴を献納し、祈りを捧げ、そこで記念写真を撮りました。
その後、グリーンアリーナに戻り、最終日の国際会議では、日本共産党の国会議員がオンラインでメッセージを寄せてくれ、その後、志位委員長が登壇され力強いあいさつをいただきました。
開場を見渡すと、若い人たちが大勢参加されていました。壇上のアピールでは、東京から平和ゼミナールの代表団が大勢登壇し、核兵器廃絶、平和の取り組みについて話され、この先の平和運動の発展を予感させてくれました。福島民医連からも原発による被害、汚染水の海洋放出の政府の裏切りに対する怒りの発言があり、政府が強引に進める原発政策に反対する運動とも連携して、核を許さない闘いを進めて行くことが確認されました。
最後の「広島宣言」では、「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ヒバクシャ 核兵器をなくせ!」を拍手で確認し終わりました。
私も、この惨状を二度と繰り返してはならないと、あらためて、若い世代と共に核兵器廃絶の運動、核兵器禁止条約締結を求める闘いを進めていく決意をいたしました