父子家庭でも大丈夫!?父1子3犬2鳥1~どうなることやら~

離婚して数年、愛犬マロンとルイに愛鳥チェリーを含めた我が家。そんな我が家の出来事、私が想うこと書いていこうと思います

父親の代わり・母親の代わり

2009年04月06日 | 子供たち
先週末から気温も上がり花見の真っ盛りですね。
ピンクの花が茶色の枝を隠すように咲く満開の桜は本当に綺麗です。
今週末まで花は持ちそうですし、次男坊A君の入学式は大丈夫そうですね。

ちなみに、次男坊は晴れ男!
林間学校、修学旅行など小学校の行事は全て晴れでした。
なので、明後日の入学式は晴れでしょう。


で、表題の件 『父親代わり・母親代わり』 について

これは、私が離婚したときに非常に悩み苦しんだ問題です。

離婚した頃は「頑張って私が母親の代わりをしないと!」って思ってました。

仕事を定時であがり、家に帰ってご飯を作り、お風呂に入っている間に洗濯をし
風呂から出たら洗濯物を部屋干し、次の日の夕飯を1品作り・・・
その後、学校からの手紙を読んだり、連絡帳にサインしたり、アイロンなどなど・・・
子供たちの話を聞くようにしようとしたり、言葉遣いを変えようとしたり、家では仕事しないようにも。。。
(自分では気が張っていたので、無理しているとも思いませんでしたが、実際は精神的にも
 肉体的にもかなり無理していたように思います)



「アレもやらなきゃ!あっ、コレもやらなきゃ!」

子供たちと過ごすために早く帰るようにしたはずなのに、やることは沢山・・・

いつの間にか

「早くご飯食べなさい!」
「早くお風呂に行きなさい!!」
「早く宿題やって寝なさい!!!」

早く早くと子供たちを急かし、子供たちの相手をしてあげれず、時間的にも精神的にも
余裕が無い生活でした。本末転倒ですよね。

そんな生活を数ヶ月したあるとき、切っ掛けは忘れましたが突然 開き直り ました。
『俺に母親代わりは出来ん!』


所詮、私は父親です。親父としてできることをやって行こう!って。


学校前に「ハンカチ持った?ちり紙は?」などと優しく確認し、無ければ準備なんてできません。
私の場合「ハンカチ、ちり紙なんて無くても平気。準備してないのが悪い!早よ行け!」となります。

食事にしても色々な調味料を使って味を調えたり、見た目を綺麗になんてできません。
私の場合、野菜・肉・魚をとりあえず食べさせとけば栄養は偏らんだろ!味は二の次!となります。

そして、母親代わりになれないと思った1番の理由は精神的なものでした。
父親だからとか、母親だからとかの問題じゃないのかもしれませんがね。

子供たちが悪態をついたり、拗ねてみたり、怒ってみたりしても包み込んでくれるような甘えられる
』としての存在に今の私はなれないと思ったことでしたね。

(男の子なら母親に「クソババァ」と言うことあると思いますが、父親に「クソジジィ」は怖くて言えません。)
我が家も離婚前は、

仕事担当、遊び担当、怖い存在である父親=私
家事担当、学校担当、甘えることが出来る存在の母親=元妻

こんな図式だったものを離婚したからと言って、すぐに変えることは私も子供たちも出来ない。
表面的なものだけでは駄目!

母親が肉体的にやっていたことは、父親でも慣れれば出来るようになります。
今では洗濯も食事も学校行事もソコソコできるようになりました。

でも、これって「母親の代わり」ではないんです。
子供たちが本当に欲しいのは精神的な部分なんだと思います。

だって、子供たちにとっては、父親だろうと母親だろうと、どちらかが居なくなるってことは
両親が同時に居なくなったのと同じくらいのインパクトがある出来事ですからね。
それを埋めようとして「代わり」をしようとしても、そんな衝撃的なこと一人二役でやったところで
無理がありますよね。

今までやっていたことプラスαで子供たちの精神的な辛さを埋めていくのが一番だと思いました。

これは私が父親なので思うことですが、
今まで経験が無いのに料理を教えることはできません。(今まで)
でも、一緒に買い物に行き一緒に料理を作ることはできます。(プラスα)
今まで経験が無いのに裁縫はできません。(今まで)
でも、下手糞でも一緒に縫うことはできます。(プラスα)

逆に母親なら
いきなりキャッチボールはできなくても、バッティングセンターなら行くことが出来ます。
いきなりキャンプは出来なくても、サイクリングやハイキング(散歩)なら出来ます。

父親が『母親代わり』をすることも、母親が『父親代わり』をすることもないと思います。
協力してくれる人が居れば、お願いするのも子供たちのためになるなら頼るのもアリです!

家庭環境が変われば当然それまでと同じではいけませんが、無理をして身体を壊したら大変!

「自分のせいで子供たちに辛い思いをさせてしまった」という思いで無理をするのも???です。

今の自分にできることを少しづつやっていければ良いのではないでしょうか?
不器用でも慣れていなくても、頑張ってるそんな姿を子供たちも見ていてくれています。
幸い、子供たちは大人が思っているよりも適応力があります。


我が家の子供たちはお腹が空くとカップ麺を食べたりしてます。
でも、コンロでお湯を沸かすこと(火を使うこと)は、まだ禁止なのです。

ベビースターのように、固い麺にスープの素で味付けてバリバリ食べてるのかと思ってましたが
ちゃんとお湯を沸かして食べてたようです。方法はマグカップにお水を入れてレンジでチン!

最初はマグカップ1個を使っていたようですが、お湯が少ないのに気が付き3つ使った!
と、嬉しそうに話してくれます。

今、春休みですが、次男のA君はカップラーメンにトッピングの玉子までレンジでチン!
してます。ちゃんと私が作るのを見ていたのか、黄身に爪楊枝でプスプスと穴をあけて
ラップして作ったようです。

ちょっと話が逸れましたが・・・

「代わり」って所詮は「代わり」であって、本物にはなれないのですから、「代わり」ではなく
自分らしく出来ること、今まではやらなかった事を少しづつ始めたりして、フォローできれば
良いのではないでしょうか?

私はそんな考えで接しています。


と、偉そうに言ってますが、「思ってる・考えてる」ことと実際の態度は違います・・・^^;
ついついガミガミ言いたくなりますし、ゲンコツも時々ありますけどね!



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