in April's Shoes

草ちゃんとの日常

飼い猫ダディに会いました

2006-02-27 | friends
今日はだいぶ暖かな一日でした。
帰宅時もコートを着てれば全く寒くなく、空気はぬるい感じ。

これだけ寒さが緩めば外で猫に会えるんじゃないかと、期待しながら歩いてきました。

いつもの駐車場では空振り。
だめかあ、とがっくりした瞬間、アパートの入り口の路上に猫らしき姿が!
トラ柄で尻尾の長い猫。
尻尾が長いとしっかり認識していながら、まゆちゃん!と一瞬大混乱しました。
(まゆちゃんは尻尾が短いんだよ~)

よく見ると飼い猫ダディでした。
自分の家の門の中に入り、ちょこんとすわって、まん丸いかわいい目で私を見てました。
久々に見た飼い猫ダディ、あらためてきれいでかわいい猫だなあとうっとり。
でも、ぼーちゃんとまゆちゃんが居た頃は、あんなかわいい飼い猫ダディですら、「なんかかわいくない!」なんて思ってたんですよね~。
それだけぼーちゃんとまゆちゃんの子猫パワーはすごかったということです。
もちろん、美猫だったし~。

それにしても、久しぶりに目やにもなくやつれてもいない、幸せそうな飼い猫と会えた気がします。
まん丸お目目はほんとに可愛かった!
まじまじと正面から顔を眺めてて、やっぱこの猫がパパに違いないと確信しました。

慣れないこと

2006-02-26 | marble
先日の義母の葬儀の時に、

・慣れない正座をいっぱいした
・洗い物をいっぱいした

その後遺症が出ております。

膝が痛いです。
曲げた後に伸ばす時、特に立ち上がる時に痛みがあります。
最近、東京では葬儀といっても椅子席だし、和風飲み屋に行ったって掘りごたつは必ずあるし、正座をすることはまったくないといっても良いです。

だから・・正座ははっきりいって痛かったです。
しびれはしなかったので、人前でころげるという大恥をかくのはまぬがれましたが、回数を重ねるごとにまともにすわれなくなってきて、もぞもぞ足をずらしっぱなしでした。
”忍”の一言。
ずいぶん若い頃ですが(酔って)自転車でころんで少し膝を痛めたのとかも影響してるようです。
正座は足に悪すぎます。
お年寄りの方こそ膝や腰を悪くされてる方が多いんだし、もう正座の儀式はやめましょう!
正座廃止!

そして、北海道にいる一週間、ものすごくたくさんお茶を淹れ、たくさんお茶碗を洗いました。
普段は二人分の食器なので、手袋なんてしなくても手が荒れることはありません。
だからちょっと油断してました。
素手でやっちゃいました、ずっと。
帰ってきてしばらくしてから指先の皮がむけてきて、今ボロボロです・・。
尿素入りのクリームを塗りたくってますが、治るだろうか。
そんなわけで、今は水仕事にはゴム手袋を仕方なく使ってます。

慣れないことすると、だめですね~。

近所の猫達

2006-02-25 | wildcat
ぼーちゃんの格好がかわいい♪

近所の馴染みの猫達・・・
田舎ダディ
イエローダディ
飼い猫ダディ
白黒くん
しろちゃん
料理屋の前の白猫。

今年に入って、自分が留守が多かったせいもあるけど、ほとんど姿を見てません。
ほんとに寒さを避けて潜んでるだけだろうか、とちょっと心配になります。

イエローダディと田舎ダディは、先週末に見かけました。

イエローダディは部屋の前の塀の上を歩いてるところ。
窓を開けて「イエローダディ!」とささやいたら、窓を開ける音に気づいて立ち止まってずっとこっちを見てました。
「ん?」って感じでこちらが目を離すまで向こうも目をそらさず。
容貌は以前と特に変わらずだったので、こちらは一安心。

それに対して田舎ダディは、以前のおおらかな大将のような面影はなくなり、ひどい目やにと、つやがなく汚れた毛をしていました。
私が声をかけると、鋭い目で見返し逃げてしまいました。
以前、マミー親子のそばに来てた頃は、決して逃げず、人間のことなんて全く気にしてないような感じだったのです。
いつも悠然としてて、顔もふっくらおっとりしてて、イエローダディ同様、癒し系タイプでした。

それが、先週のあの目つきと怖がる態度はどうしたことか。
何があったんだろう・・。
体も弱ってるみたいだし。

もしかして、イエローダディにボスの座を奪われたとか?
大きさはちょうど同じぐらいだし、二匹ともあちこち歩き回ってパトロールしてるし、考えられないこともないなあ。

春はもうすぐ。
だからあと少し頑張って、みんな冬を生き抜いてほしい。

まゆちゃん、ぼーちゃん、マミーも・・・。

Heaven

2006-02-17 | marble
義母は2月5日夜8:45に天国へ召されました。
享年61歳。
私は亡くなった時間には羽田を離陸するかしないかで、最期には間に合いませんでした。
でも夫と義弟がそばに付き添っていたので、実の息子二人に見守られ義母も安心して天国へ逝けたはずです。

先週一週間は会社を休み、北海道で葬儀などを済ませてきました。
地方の葬儀も、喪主の妻としてのふるまいも、さまざまな手続きも、初めての経験。
戸惑うばかりの一週間でしたが、本当に親切で温かい親戚の方達に助けられ、何とか乗り切れました。

今はまだ義母が亡くなった実感が持てないでいます。
大切な人を失った悲しみは、簡単に受け容れられないものです。

結婚当初、義母がメールで送ってくれた嬉しい言葉をずっと忘れずにいます。
「私は息子を可愛いと思います。その息子が好きになった人だから、あなたのことも同じように可愛いと思います。」

義母のことを、心から尊敬していました。
明るい性格、素朴だけど機転の利く会話、気遣い。
義母は多くの方に親しまれ愛される人柄でした。
そして義母の存在がたくさんの人の心をなごませてきたと思います。
私も会うたびに、うれしい気持ちにさせられたものです。
義母の思いやりの深さで、私はどれだけ助けられてきたかわかりません。
気遣いの足りない私をカバーするように、とても大切にしてくれました。
この感謝と尊敬の気持ちを、直接言葉で伝えられないことが、今は悔しくてなりません。


悔やむ私に、友人が次のような言葉をくれました。
「旦那様を長く永ーーく愛することが、
 お母様への感謝の気持ちに勝ります。
 北海道のしきたりに従って完璧に行事をこなすことが、
 お母様への尊敬の気持ちに勝ります。」
 と。

亡き人を偲ぶことは大切なことです。
でも今を、明日を生きる者にとって、何を一番大切にすべきかを気づかせてくれる言葉でした。
心にしっかり刻み、これからの人生を歩んでいこうと思っています。

経過

2006-02-03 | marble
            母が毛づくろい。

義母の容体はその後、一度安定していました。
私が行ってる間は意識もはっきりしており、ベッドの上で起き上がったり、自分で歯磨き・洗顔までできるようになったので、これなら持ち直せるだろうと私は感じました。
ずっと付き添っているわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いでお互い仕事のために一旦東京に帰ってきました。

病室に入った瞬間思ったのは、顔色の悪さと顔のむくみ。
もともとは「目がぱっちりして色白のきれいな人」(よく私の母がそう形容します。)なのですが、青黒い顔色、ぱんぱんにむくんだ顔、どんよりした目・・。
そして点滴3本24時間常駐、尿管にも管、酸素も吸ってるという痛々しい姿でした。

私と夫は病院に寝泊りしました。
広い個室に入れてもらえて、部屋の端に小さな畳スペースと布団があり、二人までなら横になれる環境だったので、助かりました。

病院に泊まったのは初めての経験でした。
亡兄が入院してる時に「夜が長くてね。」と言っていた気持ちが、少しわかった気がします。
夜中、ナースステーションから頻繁にナースコールが鳴るのが聞こえてきました。
看護師さんは大変だけど、呼んでしまう患者さんの気持ち、なんかわかってしまいます。
それにしても看護士さんという職業は、本当に尊敬してしまいます。

このまま回復へ向かうと期待していたのですが、今日また病院から電話があり、夫が呼ばれました。
尿がほとんど出なくなってしまったので、昏睡状態に陥るのも時間の問題だと言われてしまったのです。
夫は明日大事な仕事があり、それが終わってからにするか最初は迷っていたのですが、何とか代役を立てて断り、さっき飛んで行きました。

私はというと、昨日から風邪をひいてダウンです。
ちょっとのことで体調を崩す今日この頃、どうしたことだ!と情けない思いです。
今日の状況でゆっくり寝てる場合じゃなくなったので、家庭薬で済まそうと思ってたのですが医者で薬をもらってきました。

義母が持ち直しますように。