飛行事故のニュースで、昔を思い出した。
海外放浪時、インド/デリーからソ連/モスクワへ、アエロフロート機で移動した際、離陸しても水平飛行ができなくて、傾いたまま飛行してた。
ヒマラヤ山脈が眼下に見えた。
高度も上がらないようだ。
機内食を食べようとしても、片手でトレイを抑えていないと、手前に滑ってきてしまう。
隣に座っていたインド人と笑って食べてた。
この時は、右手だけで食べるインド世界を旅していたおかげで、器用に片手で食べることが出来ました。
隣のインド人とは、「これからどうなるのだろうね?」と、気さくに会話をしていた。
中近東辺りの乗客は、「神の御加護を・・・」と、つぶやいている。
墜落したら、したで、面白いかも?
日本にも、ニュースが伝わるのだろうな~と、何故か楽観していた。
バックパッカーだけに、いつでも覚悟が出来ていたから、そう思っていたのかも?
モスクワ空港までの飛行は困難となり、ソ連/タシュケント地域の地方空港にて着陸となった。
空港には、無事に着陸できた。
乗ってきた飛行機を修理するので、乗客は全て降り、空港にて待機となった。
で、その空港。
地方空港ということで、何も無い・・・。
売店も無い・・・。
当時は、ゴルバチョフ時代だったから、まだ共産社会で何も無いのが普通らしいけどね。
5月下旬だったが、山間地らしく寒い。
上着など着替えは、飛行機の中・・・。
すぐに直るという案内だったが、それから音沙汰もなし。
空港レストランで食事が出来るということになり、客は移動。
しかし、小さなレストランだったので、交代で食べることになった。
で、ロシア人たちのテーブルで一緒に食事をすることになった。
簡素な食事だが、見慣れぬお酒を発見。
ウォッカだ。(^^)
ロシア人に、お酒をついでもらい飲んだ。
さすが、65度のストレート。
体が温まりました。
食後も、一向に案内はなし。
時間はどんどん過ぎていく。
空港トイレから、「水が無い!」と騒ぐインド人の声が聞こえる。
インドでは、用便を済ませた後、紙ではなく水を使うからね。(苦笑)
6時間ほど経っただろうか。
やっと、乗ることになった。
アレレ、機体が違う。
修理できず、機体交換となった模様。
交代機を回すのに、時間が掛かったようだ。
とりあえず、再びモスクワへ向け、離陸した。
今度は、水平飛行ができたのでした。
しかし、モスクワ空港に着陸してから、一波乱ありました。
そこでは、銃を突きつけられるという貴重な体験を出来たのでした。
空港にて、ちょいとトラブルがあり、トカレフ銃が私に向けられたのでした。
自分を狙っている銃口を真正面から見る体験は、なかなか出来ないですから、いい勉強になりました。
続きは、そのうち・・・。
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