僕の細道

【となりの山劇】第60話

<山ひげ書評 の巻、前編>

 当方相変わらずのペースで本を読んでいます。それで、ここのところ立て続きに本多勝一氏の著書を読みましたので、その感想です。

 本多氏は朝日新聞の記者で、その中でもいわゆるルポものを得意としていて、まさに自分の体を張ったルポが多数著書になっているようです。
 その多数の著書の中でも一番特異だったのは「アラビア遊牧民」という著書で、本の中で氏は我々日本人の常識を根底から覆すようなアラビア人の常識を体験しています。

 その一例をあげると、例えば接待の常識で、ある家から招待を受けて食事を出していただいたとしましょう。
 私たちはこのような場合、「招待してくれてありがとう」と礼を言ってしまいそうですがアラビア人は招待を受けても一言も礼を言いません。それどころかその家の食事を全て食べ尽くした後、何も言わないで帰っていくのだそうです。

 その根底にあるのは「招待する事は最大の名誉なこと」であり、招待された人にとっては「招待する名誉を与えてやった」という事になるそうです。だから、招待されたからといって礼を言う必要はない。となるのです。

 その考えは「他人のモノは自分のモノ」となり、「略奪は正義」というところまで発展していくそうなのです。ほんまかいな。

 さらに、氏はアラビアの常識を体験しながら、日本人の常識を検証しています。結論から先に言うと、世界の中から見ると日本人の常識こそは特異ではなかろうかと結んでいるんですね。

 これも一例を上げるとすると、例えばある所で車の接触事故があったとしましょう。我々は普通、明らかに自分が悪い時は先に謝ってしまいがちです。
 ところが、アメリカでも、フランスでも、イタリアでも、イギリスでも、ロシアでも、どんな事態であろうが自分が悪いとは絶対に言わないという事なのです。

 その考えの根底にあるものは、負けを認めることは「死」につながるという民族の歴史があると解説しています。その点日本民族は殆ど侵略された歴史が無いため、「潔く負けを認める事も美徳」というような「甘い」常識が出来上がったそうです。

 この常識というやつですが、果たしてどちらが正しいのか、それは何とも言えないところで、民族の歴史がどうであれ、長い時間をかけてその土地に定着した常識ですから、その土地ではその土地の常識が正しいという事になるのでしょう。

 本多氏は「冒険」をテーマとした著書も多数あります。そしてこの「冒険」についても厳しい見方をしている人で、「前例」があるものは冒険ではなく、また、「命」を賭けない冒険は冒険ではないと言い、安全が保障されている冒険は「遊びだ」と断言しています。

 それでは氏の言う冒険とは何かというと、古くはマゼランによる航路発見であり、最近では堀江氏のヨットによる単独での太平洋横断こそが冒険であるという事になります。
 では、命を賭ければなんでもいいのかというと、それはNOで、明らかに死ぬ事がわかっている事を実行する事は「自殺」だと言っています。

 氏はここでも冒険というキーワードを用いて世界中における日本人の常識、その中でも特に若者の冒険についての比較を検証しています。

 例えば、先程の堀江氏の件ですが、堀江氏が太平洋を横断した時、パスポートを持っていませんでした。
 これは最初から黙っていた訳ではなく、予め役所に申請したけれど認可されなかったのです。これを日本の法律に照らすと「密航」となります。

 では、何故パスポートが発行されなかったというと、その行為が「危険」であるし、なによりも前例がないと判断されたからです。
 ところが堀江氏は、何度か船のテストを検証し、航海術や通信術、食料の確保や、非常時の手順を整え、横断は可能であるとの判断した上での申請だったのです。

 もちろんそれが本当に安全かどうかは分かりません。装備的には万全ですが、あとは「運」なのです。運が悪ければ死ぬ事もありえます。実は申請が認められなかったのはその点だったのです。つまり、役所としては「危険が伴う」事は認可できないのです。


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