ハルシュウ(春の修習祭)

2009-03-23 02:09:58 | 修習関連
週末に、「春の修習祭」という講演会企画がありました。
全国の現行修習生を大阪に集めて、様々なテーマの講演を聞いてもらうという企画で、僕も企画担当で参加させてもらっていました。

企画の立ち上げが前期修習中だったので、足かけ10か月、色々と大変だった部分もありましたが、参加者からは概ね好評だったようで(講演終了後に講師と話し込んでいる参加者の姿みられるものもしばしば)、自分自身でも得ることが非常に多く、実施出来て良かったなと思いました。

以下、聴講した講演について簡単に感想をまとめておきます。

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基調講演は「司法制度改革について」というテーマで京都大学名誉教授の佐藤幸治先生に語って頂きました。
先日の記事で書いてたのが、佐藤先生との打ち合わせということで。
法と政治の関係について明治期から遡って議論がなされていたり、やや理念に偏った感はあるのですが、アンケートなどをみると、響く人には響いた、というところのようで。

他面、ロースクールに関連する部分はやはり反対意見も多かったみたいですね。
佐藤教授の論旨は、法律家(法曹)は、医者と同様のProfessionであり、ペーパーテストだけではなく、実習を伴うことが必要であるということを前提に、ロースクールの必修化を義務付けることを正当化されるのですが、第一に、ロースクールに実習を求める必要性があるのか(修習や、事務所等への実務に出てのOJTが相応しいのではないか)、第二に、ロースクールが実習を実施出来ているのかという批判が多いようでした。
第2の批判は、実施の点に関するものなのでこの記事では留保するとしても、第1の点については妥当な批判であるように思われます。確かに、修習はどうしても「官」のものであり、画一的なものとなるという反論はある程度理解できるところなのですが、多様性を図ることは実務に就いた後OJTで事件処理をしていって(そして、それに伴い様々な問題意識を醸成していき)得るのでも良いのではないかと思うのですよね。
大学側の利権ともいわれますが、むしろ学部に比べれば採算はとりがたい(少人数制)ようですし、このあたりは疑問の残るところです。

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分科会講演その1は、弁護士の中島茂先生に「危機管理広報について」というテーマでお話を頂きました。(追記予定)


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分科会講演その2は、性犯罪被害者の支援活動をしておられる小林美佳さんに「性犯罪被害について」というテーマでお話を頂きました。
小林さんは、ご自身が8年ほど前に性犯罪被害に遭われて、昨年、その経験を『性犯罪被害に遭うということ』(朝日新聞出版)という形で出版された方です。HP
小林さんの経験された被害、その後の苦しみなどは同書の中に記されていますので、それ以外で講演の中で印象に残った点をいくつか挙げてみることとします。

○苦しむ人との接し方
被害を受けた人の苦しみを、本当の意味で理解することは難しいながら、その苦しみを分散することは出来る(「解る」ことは出来ないが、「分かる」ことは出来る)ということと、「聞かずにそっとしておく優しさ」も伝えなければ意味がないという点を強調されていました。
確かに、被害に遭って苦しむ人に話を聞くことが、かえって苦しみを増長するという場合もあると思われますし、その判断は難しいのですが、反面、聞いてほしいという人もいるということにも留意する必要があります(小林さんのお話では、聞き方についてはともかく、聞いてもらい人と接触することは被害からの回復に有意義であることが多いというご趣旨でした)。
その折衷として(いずれの可能性についても対応する方法として)、「聞かずにそっとしておくね、話したかったらいつでも聞くよ」ということをしっかりと示すべきというお話が強く印象に残りました。

○顔を出すことの意味
同書を見ると分かるのですが、小林さんは実名で、顔を出しておられるのですよね。
この点について伺ったところ、顔を出すことで、社会を少しでも、動かせるのではないかという趣旨のお答えでした。
文章を書くときに、署名して書いたものとそうでないものの差異にも似たものがあるように思いますが、責任を持って行動しているということを伝え、また、実際に1人の人間がそのような被害を受けたということをヴィヴィッドに想像させる効果があるのかなと思います。

○被害者と遺族の差
被害者と被害者遺族、いずれも「被害者」というくくりで話をしてしまうことが多いようですが、被害者自身と遺族は(それぞれに苦しみを抱えるのは当然ながら)、苦しみの質・内容が異なるということが看過されているというご指摘がありました。
たとえば、事件の真相を知る、という点でいえば、少なくとも客観面に関しては、被害者自身は知っているわけで、「真実を知りたい」という欲求は少ないわけですね。
むしろ、ケアとして「自分の中で記憶を持って生きていかなければいけないという苦しみ」のケアをより丁寧に行うことが必要であると。
被害者参加制度などの運用にあたっても、この辺りのことは考えていく必要がありそうです。

○早期段階での聴取の難しさ
想像している以上に、被害を受けた時点の事情聴取は困難を伴うということが伝わりました。
(被害直後には思い出せず、被害後に感情が戻ってきてようやく思い出せるという状態もあるようです)
ただ、様々な工夫によって、事情を聴くことを円滑化することは可能ではないかということで、たとえば、事情聴取をするスタッフを増やして(男性・女性両方から選べるようにする)話しやすい人がいる可能性を高めるとか、しゃべりにくい人にはペンで書いてもらう、選択肢を紙に書いておいて選んでもらうとか。
現場検証の際に、複数の女性を連れて実施することで、被害者がだれか明確にならないようにするという工夫をされている警察署もあるそうです。

アメリカではサート(?)というシステムがあり、警察、医師、弁護士、カウンセラーでチームを組み、証拠採取、事情聴取、ケアを同時に行っているところもあるとか。

ちなみに、小林さんが著書を出版されてから連絡をとった被害者の方は、10か月の間に1000人を超えるそうですが、そのうちで、被害届を出したのは僅かに10人だそうです(ちなみに起訴されたのはそのうち3人)。被害直後の事情聴取の困難さは察するにあまりあります。

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